得る情報を選ぶということ
「今を生きる我々には得られる情報が多すぎる」
そう思う最近を過ごしています。最近では「今やる必要ある?」といった情報に踊らされたり、自分が何年も待っていたミステリー小説の新刊が出るという情報に歓喜したりと様々な「情報」によって自分が動かされていると感じています。そこで今日は情報に動かされてしまうことが多い現代において情報を取捨選択することの大切さについて考えていきたいと思います。
大半の人が使用しているであろう、ツイッターなどに代表されるSNSはそれこそ何千何億ものアカウントからの情報が一つの媒体に凝縮されています。そこから得られる情報が非常に多いということはアカウント数から見ても、SNSの普及率から見ても明らかでしょう。
そこから情報はひっきりなしに入ってきます。自分が少しフォローや外部からの介入を制限していたとしても、トレンドに上がってくる単語だったり、自分のフォロー内から流れてくる情報も一気に入ってくるので自分が思っている以上に大量の情報が流れてくることになるわけですね。そこから情報を得ようとするのは大量の時間を要するのはお判りでしょう。そこから自分からも発信して、そこから受け取った情報をまた見て返す…………。といったことを繰り返していくうちに時間は過ぎ去ってしまいます。延々とSNSばっかしてしまって時間が過ぎるという人はこの「大量の情報を得ようを努力している人」ということになるでしょう。
このことはよい事だとは思うのですが、最近の情報量の増加はこの「情報を得るための努力」に懸ける労力・時間の増加につながってしまうために、時間を多くSNSに使ってしまう、言い切ってしまうと本来、他のことに使うことが好ましい時間もその「情報を得る努力」の時間として消費されてしまうこと、時間が侵食されてしまうことになるわけです。
この時間が侵食されることを防ぐために、情報の取捨選択・獲得する情報を選ぶことが今大切なことだと思います。ですが、具体的にどういうことをすればよいのでしょう?という質問に対して私は満点や高得点と言えるような回答を現在所有していないと思います。ですが解答はすることはできます。それは「意図的に情報を遮断すること」です。あたりまえのことをあたりまえのように話しますが、はっきりと何も考えない時間を設けることによって情報を遮断し、情報を整理する。こういった時間を設けることによって、この情報にあふれている現代社会の情報を整理すること、自分が得るべき情報を選ぶことができるのではないかと思います。
情報化社会について考えてみたことは以前にもあると思いますが、こんなものはまだまだ序の序だと思っています。発展を続ける現代社会に対して技術が先行しすぎてしまうとこちらの手を出す場所がなくなってしまうので、こちらも情報を制御していきたいですね。