日々こまごま、オムニバス。 Case.2 異種格闘技戦
灯りの消えたある街の片隅に、夜の帳と静寂を今にも溶かし尽くさんと熱気を放つ、巨大なスタジアムがありました。今や遅しと歓声を送る、観客達のボルテージは最高潮。何故なら今夜は、1年に1度だけ開催される、知る人ぞ知るビッグイベントがついに開催される日なのです。
「さあ、皆さん!年に一度の大イベント、異種格闘技戦の時間がやって参りました!あらゆる武道や格闘技を極めた猛者達が、現チャンピオン・安川謙信に挑みます!」
「いやあ、楽しみですね。安川くんはこれまで、プロレスラーやプロボクサーは勿論、空手家や剣道家。さらには、ラガーマンからフィギュアスケーターまで、実に200人以上の挑戦者をマットに沈めて来ました。」
「はい。今夜は、一体どんな試合を見せてくれるのか、非常に楽しみです!実況は私、松前数男。そして解説は、趣味で始めたラーメン屋さんが大繁盛。元グリーンベレーのムエタイ選手、奥平鋭児さんです。よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします。そうだ松前さん。今度、ウチのお店にいらしてください。お近付きの印に、パクチーラーメンでもご馳走しますよ。」
「えっ、本当ですか?嬉しいですねえ!今度、是非ご一緒したいですね…、おっと!早速、チャンピオン安川の入場です!」
赤コーナー、1メートル70センチ、64キロ。総合格闘技出身。チャンピオン・安川謙信!!
「フン。楽勝だぜ!今日の獲物はどいつだ?」
「おおっと、今回も余裕の笑みすら浮かべております、チャンピオン安川!」
「この余裕が、仇にならなければ良いけどね。」
「確かに、勝負は時の運という言葉もございます。安川と言えども、油断は禁物です。さて、次は青コーナー、挑戦者の入場です!」
青コーナー、東京都・両国出身。3メーター、150キロ。桐のー、タンスーー!
「えっ。えっ!?タンス!?しかも、デカっ!おいおいおい、ちょっと待て。今夜の、俺の対戦相手は力士のはずだろ!?」
「えー。挑戦者が、両脇をスタッフ達に抱えられながら悠然と入場して参りました。奥平さん、あれは…?」
解説「あれは、タンスですね。それも桐製の。昔、僕の祖母ちゃんの家にも置いてありました。ですが、あのタンスはいくらなんでもデカすぎるんじゃないの?」
「はい。たった今、情報が入って参りました。
…どうやら本日、チャンピオンと対戦する予定でした関脇・竜田山は、一昨日の取り組み中に肉離れを起こし、今回は急遽出場を取り止めたそうです。」
「あらー。肉離れならしょうがない。歩けないもんね、あれ。」
「はい。そこで、このままでは皆さんに申し訳が立たないと言う竜田山関たっての希望で、彼が相撲部屋に弟子入りした際に、実家から送られて来たと言う特注の桐タンスが、急遽挑戦者としてエントリーされたそうです。」
「なるほど。確か、彼の実家は老舗の家具屋さんだったもんね。立つ鳥後を濁さず。男の鏡だよ、竜田山は。」
「そんな波乱の幕開けとなりました、今回の異種格闘技戦。時間は無制限、反則裁定なしの一本勝負。いよいよ、ゴングが鳴ります!」
「ふ、ふざけるな!俺、何も聞いてねえぞ!?」
ファイト。カーン!
「さあ、今ゴングが鳴りました!まずは、お互い睨み合って、様子見と言った所か。」
「クソ、舐めやがって…!」
「安川が、ジリジリと距離を詰めて行きます!」
「うん。とりあえず距離を詰めるのは正解かな。だって、相手は確実に動かないもん。」
「クソっ!どこを、どうすれば勝ちなんだよ、これ…!」
「どうしたんでしょうか、安川。挑戦者の巨体から醸し出される、圧倒的な気迫に気圧されているのか。」
「いや、どちらかと言うと彼、攻めあぐねてる感じだよね。」
「こ、こうなりゃ行くしかねえ!とりあえず、ストレートでも食らって、お寝んねしな!」
「おおっと、ここで安川が仕掛けました!」
「おりゃああ!」
「行ったーー!」
「…痛ってええええええ!!」
「なんという事でしょうか。安川、右手を押さえながらダウン!」
「なんせ桐だからね。丈夫ですから。そりゃそうなりますよ。」
「奥平さん、これは、挑戦者の見事なカウンター攻撃と見てもよろしいでしょうか?」
「いや。安川くんの自業自得だと思いますけどね。」
「痛えよおー!誰か正解を教えてくれよお!」
1、2、3、4…。
「立った!立った!チャンピオン安川、カウント4で立ち上がりました!」
「当然ですよ。あれくらいで倒れられては困ります。」
「うう…。よくも俺の拳に傷を付けやがったな!?コイツっ、コイツぅっ!」
「おっと、安川。挑戦者・タンスの足下に、小刻みに蹴りを浴びせております!さながらチンピラのカツアゲのようだ!」
「こいつっ、こいつっ!このクソタンスが!!竜田山あああっ!!」
「ああー。彼、完全に血がのぼってるね。良くないよ、これは。」
「蝶のように舞い、蜂のように刺す。普段の冷静な安川らしくありません!」
「まあ…。安川くんの気持ちも分からなくは無いけどさ。」
「このっ、このっ!この…って、あ痛たああああっ!」
「ああっと、安川!これは痛い!挑戦者の角に、脛をぶつけました!のたうち回る安川ー!」
「ぐあああっ…!!死ぬううう!!」
「ああー。だから言わんこっちゃない…。冷静さを失うからこうなるんだよ…。」
「痛え、泣き所がズキズキする…。マズい…。このままだと、完全に相手のペースに飲まれちまう…。」
1、2、3、4、5、6…
「おお、安川。立ち上がりました!どうやら、痛みが落ち着いた様ですね。」
「うん。彼、深呼吸を始めたね。良いよ良いよ。ひとまず、クールダウンしなきゃ。」
「落ち着け、俺…。何か策があるはずだ…。目の前の馬鹿デカいタンスに、負けを認めさせる方法が…。」
「仁王立ちしながら腕を組み、何やら考えこんでおります、安川。」
「正面からまともにやり合ってたら、拳がいくつあっても足りねえ…。それなら、奴の引き出しを一段ずつぶっ壊して行けば…。」
実況「おっと。安川がおもむろに、相手の取っ手に手を伸ばしました!」
「挑戦者の戦力を分散するつもりか。考えたねー、安川くん。」
「さあ、安川!今、勢いよく引き出しの1段目を出しました…。おおっと!?」
「ぐああああああああっ!?」
「何と、これはガス。ガスです!引き出しを開けた瞬間、白いガスが安川の顔にダイレクトアタックだあ!」
「うひゃあ…。安川くん苦しそうだねー。この臭いは、催涙ガスか何かかな。」
「安川。もんどり打ってまたもやダウン!竜田山は、ここまで計算して罠を仕掛けたとでもいうのか!?」
「間違い無くそうでしょうね。恐らく全ての引き出しに、同じ罠が仕掛けられてますよ。」
「ぐわああああああ、目が痛えええええ!!」
「竜田山の作戦勝ち!チャンピオン安川、絶体絶命だー!」
「とりあえず、安川くんの次の動きを待ちましょう。」
「ゲホッゲホッ!息が、息が出来ねえ…!クソっ、クソお!」
「カウントは無情にも進んで行くー!5、6、7、8…。おおっと!安川、立った!立ちました!満身創痍ながらも、何とか立ち上がりました!!」
「カウント9。際どかったねー!安川くん、ここからが正念場だよ!」
「グスッ…、前が見えねえ…。涙が止まらねえよお…!どうして、俺がこんな目に…。」
「安川、戦意を失いかけております。このまま打つ手がないのでしょうか。このままチャンピオン安川の天下は終わってしまうのでしょうか!」
「頑張れ、安川くん!こんな相手に負けてたら、色んな意味で末代までの恥だよ!」
「おや?ちょっと待ってください、奥平さん!アリーナのお客さんから、声援が沸き始めました!」
「…これは!俺を呼ぶ声…!」
「な、何と。アリーナの観客が、総立ちで安川コールだああ!これは熱い!」
「やっすかわ!やっすかわ!」
「そ、そうだ。俺には、支えてくれてる奴らが大勢いる。これだけの人が俺の勝利を心待ちにしているんだ!」
「安川!やはり、チャンピオンはキミしかいない!馬鹿デカいお化けタンスなんかに…、調度品なんかに負けるな!」
「全国1000万人のファンの為にも、俺はここで負けるわけにはいかないんだ!」
「安川、再び立ち上がりました!構え直す安川の目に、確かに漲る熱い闘志!それでこそ、我々が誇るチャンピオン!それでこそ、異種格闘技戦の星、安川謙信だあ!」
「いやあ、見事に立て直したねえ。さすが安川くんだ。さあ、彼がどう反撃に出るのか、これから見ものだ!」
「レフェリー、ちょっと良いか!?ルール通り、30カウント以内に戻ってくる!」
は、はい。…1、2、3、4…
実況「お、おや?安川が一目散にリングの外へ出て行きましたね。」
解説「おいおい、入場口の方へ戻っていくぞ。まさか、このまま尻尾を巻いて逃げ出すんじゃないだろうな…?」
「そうではないと信じたい所です。さあ、現在10カウント経ちました!」
「…20カウント経ったね。早く戻らないと失格だよ?どういうつもりなのかな、彼。」
26、27、28…
「よっしゃあ!戻ってきたぞー!!」
「良かった!ああ、良かった…。安川が、今リングに戻りました!奥平さん、ヒヤヒヤしましたねえ!」
「全くですよ。あれ?安川くん、手元に何か持ってませんか?」
「はい。えーと、ここからでは良く見えませんが、恐らくデッキブラシ、ですかね。」
「見てろよ、お化けタンス。俺様の奥の手を見せてやるぜ!食らえ!うおおおおお!!」
「おっと?安川が対戦相手によじ登りました。そして…、ああっと!パンツの中から取りだしたのは、サンポールだー!」
「そうか。1回リングアウトしたのは、洗剤とデッキブラシを取りに行ったからなのか!昔ながらの調度品に、科学洗剤を使うのは御法度だからね。」
「安川、鬼のような勢いで、タンスを磨いて行きます!何というブラシ捌きでありましょうか。速い、速すぎる!相手はみるみる内に泡だらけ!こうなった安川は、もう誰にも止められません!」
「ハアハア…。よし、これでどうだあ!」
「どひゃあ、こいつは酷い。さっきまでは高級そうなタンスだったのに…。これでは使い物になりませんね。」
「おっしゃる通りです!試合前まであれ程艶やかに輝いていた、対戦相手のきめ細かな木目が、今では完全に泡を吹き、どどめ色に変色しております!」
「これは、文句無しで安川くんの勝ちだね。相手は、もう商品としての価値を失ったでしょう。」
「そして、ここで試合終了のゴング。この死闘を制したのは、安川謙信です!桐製のタンスを相手に、通算252回目の防衛となりました!」
「いやあ、天晴れでした。安川くんにとっても、とても良い経験になったんじゃないかな。…色んな意味で。」
「はい、奥平さんの仰る通りです。では、見事チャンピオン防衛に成功した安川選手に、ここで表彰状が手渡されます。」
ニーン、ニーキ、ニーンニン、ニキニキニンニンニーン♪
「ありがとうございます!…。なになに?
…拝啓、安川謙信殿。貴君は、おいどんの父ちゃんが、丹精込めてこしらえた特注品のタンスを、見事台無しにしてくれました。よってここに栄誉を称え、賠償金を請求致します…?」
「ありゃりゃ。まあ、何せ桐だからね。高級だからね。そりゃそうなりますよ。」
「流石は、関脇・竜田山。最後の最後まで安川に対する罠を張り巡らせていた様です!それでは皆さん。そろそろ、お別れの時間となりました。今度は裁判所の傍聴席でお会いしましょう!実況はわたくし松前数男と。」
「解説は、奥平鋭児がお届けしました。」
「さよならー。」
「さよならー。」
「…1億3000万?え、ちょっと待って…?」
(了)