〇日後に死ぬスポンジ
安岡航平はカレー鍋の前で逡巡していた。
カレーを食した後の、鍋をこのスポンジで洗う。
そうするとこのスポンジはすっかり油を吸って、使い物にならなくなってしまうのだ。
(どうしたもんか……)
最近は残業続きでスポンジを買いに行く暇がない。
一人暮らしなので買い出しを頼める人がいない。
宅配で頼むにも、何日かはかかるだろう。
(ていうか、そろそろカレー調理後の鍋を洗ってもヘタらないスポンジを作るべきだよな!?)
企業努力に期待を丸投げするも、そんなものがあるはずもない。
ふと、彼はあることを思いついた。
(そういえば、実家から段ボールが送られて来てたよなぁ)
そうだった。
その中に、ヘチマたわしが入っていたのである。
(あれを使っちまえばいいや。このスポンジは取っておこう)
航平はスポンジを置き、ヘチマたわしを手にした。
このヘチマは、毎年実家で作っているものである。
正直、航平はこのヘチマを持て余していた。航平の母、峰子はヘチマ水を作る過程でこのたわしを作るのだ。作ると言うより、結果的に発生すると言った方が近いのかもしれない。体を洗えるだの食器を洗えるだのと母は言うが、正直航平はそれを意図的に無視していた。
母のヘチマ万能論には辟易させられていたのである。確かに食べられるわ、化粧水になるわ、たわしになるわ八面六臂の大活躍だろうけども、この便利な令和の世においてあいつが万能だとは思えない。
だからこれでカレー鍋を洗うという行動も、彼なりの、母へのささやかな反抗なのかもしれなかった。
(こいつもすぐだめになるだろうから、使ったら捨てよう)
航平はヘチマに台所用洗剤を垂らし、カレー鍋を洗う。
すると。
「あれ!?」
航平は目を見開く。
「待って待って……」
思わず呟いてしまう。
「えー、結構洗えるじゃん」
ヘチマの繊維がカレーをからめ取り、泡立ちこそ悪いものの、意外と洗える。いや、一般のスポンジの目の細かさが、むしろカレー鍋を洗うのに向いてないのではとさえ思える。
しかも、洗った後にすすいでもへたらない。ヘチマは依然としてヘチマである。
(マジか……)
航平は、母に負けたような気がした。
(今度から、カレー鍋はヘチマで洗おうっと)
そこには、確固たるヘチマの雄姿があった。
航平は完敗した時のような清々しい気持ちで、スポンジ置きの脇にヘチマをねじこんだ。
ヘチマすごいよヘチマ。
うちもヘチマでカレー鍋洗うよ。
名前はヘッチー。
油汚れにも強い、凄い奴だよ。