友人との距離感は
2025/1/9
ガラノヴァ帝国の地理情報について、白夜砂漠の記述を削除し、ガラール山脈の情報を追加しました。
魔術科でのひと騒動があった日の翌日、いつものようにコンドラチイは倉庫脇のベンチを目指して歩いた。
倉庫脇のベンチは既に見目麗しい二人の男女が陣取っていて、コンドラチイを見つけると二人は笑顔で手招く。彼は定位置であるベンチの奥に置いた木箱に腰を下ろした。
最近、ダニールは調べ物があると言って、放課後だけじゃなくて昼休みも図書館にこもってしまっている。同室ではあるものの、昨夜だってケーキを食べてダニールが矢継ぎ早に繰り出す他愛のない話をして終わってしまった。ベッドの中で、ダニールが自分に対して「気にするな」という言葉を有言実行してくれたことに気がついた時には、もう遅かった。
つまり、感謝の言葉を言うタイミングを逃してしまっていた。
そんな中、悶々と午前中の授業をこなしての昼休み。心なしか少しむくれている様子のコンドラチイに気がついたのは、イネッサだった。
「どうしたのかしら。元気がないようですけれど」
「授業で分からないところでもあったのかい?」
イネッサの言葉にロランも気がついて、話しを聞こうとしてくれる。ベンチから向けられる二人の視線に居心地が悪くなりながらも、コンドラチイは昨日あった出来事を話した。
事の次第を聞いたロランとイネッサは顔を見合わせると、二人してにこやかに微笑む。
「……どうして笑顔なんですか」
「出会った頃の君だったら、こんなこと、何処吹く風だったなと思ってね」
ロランの言葉にコンドラチイが眉をぎゅっとひそめると、イネッサがくすくすと微笑む。
「ダニール様にお礼をしたいんでしょう? でも面と向かって言う機会を逃してしまったと」
イネッサの言う通りで、コンドラチイはしかめっ面をしながらもこくりと頷いた。それなら、とイネッサは声を大きくして教えてくれる。
「その借りは大切にとっておいたらいいのよ」
「借りをとっておく?」
「そうよ。たまには助けてもらえばいいわ。助けてもらった分、どこかで助けてあげればいいもの。私なんか、ロランに頼りっぱなしだわ」
ね、とイネッサはロランに笑いかける。ロランはイネッサの額に優しく口づけを落とすと微笑んだ。
「君は僕のお姫様だからね。お姫様の願いを叶えるのが、僕の喜びさ」
「聞きましたかしら。こんなことを素で言う人なのよ。私ってばいつも借りを作ってばかりなのよ」
口づけに少し照れたのか、イネッサの頬はじんわりと赤かった。勇気を振り絞って相談したはずなのに、何故か友人たちの甘やかな雰囲気にあてられたコンドラチイは半眼になる。
「……その借りを、イネッサ嬢はどうしているんですか」
「ふふ。いっぱいためてね、ここぞという時に返せないかしらって思っているのよ」
「ここぞというのは」
「そうねぇ、ロランが路頭に迷ったりとかかしら」
イネッサの冗談めいた言葉に、ロランは吹き出した。コンドラチイも、貴族らしい貴公子の出で立ちをするこのロランが、食いっぱぐれて路頭に迷う様を想像できなくて、微妙な表情になる。
「ありえない未来じゃないですか。それではずっと借りを作りっぱなしです」
「それでもいいのよ。私がそう思ってるだけだから」
それでは釣り合っていない。
とうてい納得のいかないような顔になっているコンドラチイを見て、ロランは聞き分けのない子に言い聞かせるように伝える。
「難しく考える必要はないんじゃないかな。僕は別に、お礼が欲しくてイネッサを助けているわけじゃないよ」
コンドラチイは疑うようにロランを見上げた。ロランはちょっと困ったように笑う。
「ようは心の持ちようさ。そうありたい、こうありたい。僕がイネッサのために何かしてあげたいと思ったらそうするだけだ。イネッサもきっとそう。きっと借りがなくたって、君は僕を助けてくれるだろう?」
「そうね。私もロランのためならなんだってしてあげたいわ」
ロランとイネッサは微笑みを交わし合う。
その光景があんまりにも眩しすぎて、コンドラチイは目を細めた。
見返りなく誰かのために行動できる二人が眩しかった。自分もそういう風に生きたいと思う傍ら、コンドラチイはこれまでに受け取ってきた他人の善意というものが大きすぎて、それが恐ろしく感じることもあって。
魔力暴走をした自分を引き取って育ててくれた養い親のことを思う。返しきれないくらいのその恩に比べれば、ダニールのしてくれたことはほんのささやかなことでしかないけれど、何かを返さねばならないと考えてしまう。
そこで、あ、と気がついてしまった。
ここが、ロランたちと自分の違いだと。
何かをしてあげたい。
何かしなければならない。
この違いは、とても大きい。
大きいけれど、これがロランの言う「心の持ちよう」なのかもしれないと思った。
そして、簡単にそんなことを言えるロランとイネッサが羨ましいとも。
コンドラチイはこの二人のような考え方が、いつかできるようになるのだろうかと思った。
王立学院に入学してからずっと、ダニールは図書館に通っている。図書館で何かをずっと調べているらしい。
コンドラチイは何かお礼をするなら、それを手伝ってみるのもいいのではと考えた。半年近く経っても終わらない調べ物。一人よりは二人のほうがいいかもしれないと思って、放課後、コンドラチイはダニールにくっついて図書館に向かった。
「珍しいな。お前も図書館なんて」
「演習授業が増えた分、座学の宿題が減ったので」
「余裕ができたもんな! まぁその分、後期の期末試験には実技も入るから、それの特訓しろってことだと思うが。はぁー、萎えるぜー……」
自分で言い出して意気銷沈したダニールに、コンドラチイがふむ、と顎に手を当てて考える。
「俺と一緒に実技試験の特訓をしますか?」
「それはいいな! あ、でもそれはもっと試験が近くなったらお願いしたい。放課後はこれでも忙しいからな!」
そう胸を張って言い切ったダニールを横目で見ながら、コンドラチイは図書館にまでやってきた。
王立学院の図書館はとても広い。学科ごとに棚が振られていて、関連した書籍が並べられていた。
ダニールはここに毎日通っている。
貸出カウンターの司書とはすっかり仲良くなっているようで、ダニールは気軽に取り寄せしていた本が届いていないか確認する。本はまだ届いていなかったようだ。
「取り寄せしたんですか?」
「まぁな。王立の学院だから、王立図書館から本を取り寄せられるんだぜ。研究メインの第三、第四学年になれば、王宮図書館からも本が借りれるってさ。寮暮らしの俺にはすっげぇありがてぇ」
寮暮らしの生徒は門限が厳しい。放課後の時間しか使えないと、王立図書館に行ったってすぐにとんぼ返りになってしまう。そうなれば取り寄せたほうがいいのは間違いない。
ただ、そこまでして調べたいことがあることに、コンドラチイは少なからず驚いていた。
今だって取り寄せた本がまだ届いていないと知るや否や、歴史書の棚に行って本を引き抜き、その場で読み始めてしまう。てっきり魔法関連の本かと思っていたら、歴史書だったのでこれまた驚く。
「ダニールは何を調べているんですか?」
「お? なんだ、珍しく着いてきたと思ったら、俺が調べてることに興味があるのか?」
「まぁ、半年もかけて調べているのであれば。……暇ですし、お手伝いできればと思って」
ダニールは本から顔をあげると、ちょっとだけ目を丸くした。それから破顔して、元気良く頷く。
「そうかそうか! 手伝ってくれるのか! でも全然見つからねぇから、調べ物としては結構な苦行だぞ」
「暇つぶしですから」
「それはありがてぇ!」
ダニールは快闊に笑うと、ちょいちょいとコンドラチイを手招く。床に座り込んでいるダニールのそばでコンドラチイも膝をつくと、彼は少しだけ声を抑えた。
「コンドラチイは魔石についてどこまで知っている?」
「授業で習ったことくらいは。あと、最近だと人工魔石の生成技術が確立されたというのも聞きました」
「お、人工魔石を知っているのか。じゃあ、人工魔石についてはどれくらい知ってるんだ?」
「そうですね……太陽の樹液で魔力を内包する素材……内包物を包み、硬化することで、これまで抽出不可だった植物や魔物素材からの魔力を抽出できると聞きました」
ダニールはふむふむ、と頷いた。
頷いて、人差し指をぴっと一本立てた。
「それじゃあ、願いを叶える魔宝石の話は知っているか?」
「願いを叶える魔宝石……? なんですかそれは」
聞いたことのない言葉に、コンドラチイは怪訝そうに眉をひそめる。ダニールは声をぐっとひそめると、幼い頃に祖国で聞いたお伽噺を教えてくれた。
そのお伽噺は、世界が一つの魔石から生まれたというもの。
それも普通の魔石ではなく、神によって作られた創世の魔宝石。
神の作った魔宝石には内包物として数多くの精霊が封じられたそう。それが創世の魔宝石で、神はその魔石に願い、世界を創造したのだとか。今発掘される魔石はその魔石の欠片だと言われているらしい。
初めて聞く話に、コンドラチイは目を瞬く。
「そんな話、聞いたことありません。天地創造の始まりが魔石なんて。しかも魔宝石という言葉も、人工魔石の研究が進んで、近年使われ始めたばかりの言葉ですよ」
「だろうなぁ。だけど世界は広い。俺の祖国じゃ、それが建国神話なんだよな」
俺の祖国。
その言い回しに、コンドラチイは首を傾げた。
「ダニールはラゼテジュの人間ではないのですか?」
「あれ、言ってなかったっけか。俺、ガラノヴァ帝国の出なんだよ」
コンドラチイは大きく目を瞠る。
ガラノヴァ帝国といえば、ラゼテジュのずっとずっと西にある国だ。昔から魔石資源が豊富だと知られていて、その資源を狙う周辺諸国と小競り合いを繰り返してきた。今はそれらの国家を取り込み、肥大化し、国の一部が獣人連合の支配地域と接しているほど。
獣人連合が魔力資源をあまり使わないので、以降は小競り合いもなくなっているそうだが、ラゼテジュとは国交がなく、謎の国という印象が強い。そこからやって来たというダニールに、コンドラチイは不思議な気持ちになった。
「それは遠くから来たんですね」
「あっさりしてるな。出身を話すとすげぇ珍しがられるんだぞ」
「遠すぎて実感がありません。それにダニールは共通語の発音が綺麗ですから。ガラノヴァはもともとガラール山脈以西の国だったので、独自言語が発達していると聞いています」
ガラール山脈は現在、ガラノヴァ帝国の中央を背骨のように走る山脈だ。三百年ほど前にその山を越え、周辺諸国を飲みこんだ。もともと山脈の向こう側の辺境の国だから、文化も言語も独自に発達している。支配地域が増えるごとにその国色を浸透させていったからこその帝国だ。
コンドラチイが答えると、ダニールが関心したようにうなずいて。
「そうだけど……なに、コンドラチイ。お前ってば、けっこううちの国のこと知ってるのか?」
「これでも侯爵家の養子なので、教養程度に」
「お前が侯爵家の出ってことすっかり忘れていたわ」
額に手を当てて天井を見上げるダニールに、コンドラチイは肩を竦めた。正直、養子にはなったけれど爵位の継承権なんてものはないので、ほんとうに環境が良かっただけの平民だ。名ばかりの侯爵家だから、コンドラチイとしては名乗るのも烏滸がましいとすら思っているくらい。
それでもフォミナ侯爵家で学ばせてもらったことは、大変ありがたいと思っていて。
今だってこうやってダニールとの会話のきっかけになったのだから。
「もしかしてダニールの入学理由はそれですか? 言語が堪能って聞いていましたが、ガラノヴァの魔術体系の研究をラゼテジュですることを期待されて……?」
「それはない。俺、ガラノヴァの魔術はからきしだぞ。祖国って言っても生まれはガラノヴァだったが、生まれてすぐにガラノヴァを出ちまった。両親も魔術師じゃなかったしな。でも共通語やガラノヴァ語だけじゃなくて、各国の少数民族でしか使わねぇようなマイナーな言語も話せるから、言語が堪能っていうのは本当。その延長で魔術言語も面白半分で覚えた」
コンドラチイは眼の前の男を信じられない思いで見つめた。
言語が堪能というのは間違いないらしい。そのうえで普通は師となる魔術師や学院で学ぶ魔術言語を、もしかして独学で学んだというのだろうか。そうと聞けば、特待生枠で入学してきたというのも納得だった。
ダニールの一面を知ったコンドラチイは、人は見かけによらないと思う。
「それで……その創世の魔宝石ですか。それを調べて、どうしたいんですか?」
純粋な疑問だった。
本音を言えば、ラゼテジュではそんな話を聞いたことがない。ラゼテジュよりも建国神話の本場であるガラノヴァで調べるべきではとも思う。
それでもダニールがこうして虱潰しに本を読んでまで調べているのは、何か目的があるからで。
ダニールは笑った。笑って、答えた。
「秘密」
とたんにコンドラチイの表情は面白くなさそうなものになる。
憮然とした表情でコンドラチイは尋ねた。
「ほんとうにあるんですか、その魔宝石は」
「ラゼテジュには陸の海宮殿があるだろ? 生きた化石があるんだから、可能性はゼロじゃねぇ」
そう言い切ったダニールの表情は、本当にあることを信じているようなものだった。




