心の壁をはがす人
王立学院に入学して半年も経つと、あれだけ一人になりたがっていたコンドラチイも諦めが見え始め、昼休みは賑やかなものになっていた。
金髪のロランと白髪のイネッサ、そこに赤髪のダニールも加われば、視界的にも聴覚的にも賑やかになる。
場所は決まって、ロランたちと出会ったあの倉庫脇のベンチ。翌日場所を変えようと中庭をうろついていたら、笑顔のロランに捕獲されて連れて行かれた。それをダニールにも見られ、そのさらに翌日からはダニールがコンドラチイを引っ張ってロラン、イネッサと合流するような流れになった。
魔術科の教室でも、クラスのムードメーカーであるダニールにかまわれるせいで、今やクラス全員の弟分のような立ち位置になっている。人から距離を置きたいと考えていた当初を考えると、どうしてこうなってしまったのかと頭を抱えることが多い。
そんなコンドラチイだったけれど、自分がどうして飛び級までしてこの学院に入ったのかは忘れていなかった。
今日も一日の授業を終えると、まっすぐに寮へと帰る。ダニールは図書館に立ち寄ることが多いから、同室であっても放課後は一緒にいることが少ない。
寮の部屋に戻ると、部屋のポストに手紙が入っていた。寮母が仕分けてくれる手紙は、こうして帰る頃に部屋に届けられている。コンドラチイは宛名を見て、自分宛てのものだと確認すると、手紙を開封した。
差出人は、フョードル・アフクセンチ・フォミナ。
コンドラチイの養い親である、フォミナ侯爵だ。
フォミナ侯爵からの手紙には近況報告の催促と、勤勉に励むようにと書かれていた。コンドラチイはその文章を眺めて、一度気を引き締めなければと思う。
なんのために、この学院に入ったのか。
(それは、自分の能力を理解し、一日でも早く、誰かに……侯爵に利用してもらうため)
コンドラチイは手紙を読み終えると、机の引き出しの中にそっとしまった。
半年も経つと、座学中心だった授業も、実技演習が入ってくるようになった。魔術科だと、基礎魔法の演習をする。今日は魔術科の演習授業ということで、学院の訓練場で基礎魔法の実施演習が行われていた。
今日の課題は風属性の魔力を生成し、風を起こすこと。適性によって難しい学生もいれば、簡単にこなす学生もいる。属性を変え、操る魔力の難易度を段階的に上げていくことで、適性属性や、魔術師としての才覚を確認できるカリキュラムになっていた。
コンドラチイは基本の属性ならそれなりに魔力を操ることができる。今回の授業もさくっとクリアして、あとは練習という名目で手慰みに魔力を生成し、風を起こしていた。
「コンドラチイ、すげぇな。一発合格か」
「そう言うダニールも、一発合格ですね」
「俺、風属性の適性があるのかもな!」
にっかと屈託なく笑うダニールに、コンドラチイもこっくりと頷いた。先週、水属性の初級魔術演習があったけれど、あの時は時間ギリギリでクリアしていた。ダニールが水属性との相性が良くないのは一目瞭然だった。
とはいえ、ここは魔術科。
将来は魔術師を目指している者が多いわけで。
「魔術師を目指すなら、全属性を易々と扱えたほうがいいんだろうけどなぁ。一応、使える程度じゃ駄目?」
「ダニールがそれでいいなら、いいんじゃないですか」
「つめたいー、コンドラチイがつめたいー」
「どうせ来年は初級魔術の実地が始まります。どの属性にしても魔力操作の要である基礎魔法をある程度使えていないと、来年以降も苦労しますよ」
「おっしゃる通りで」
苦手な授業が顕著なダニールが項垂れる。それを見たコンドラチイが呆れていれば、珍しい人物から声をかけられた。
「そうだよな。優秀なフォミナ君はきっと全属性使えるもんな。でもそれって魔術科で習う、四大属性の話だろ? 全属性っていうなら、希少属性も使えねぇとなぁ?」
ねっとりとしたやっかみの声に、コンドラチイは振り返ってしまった。
いくらダニールが緩衝材になっているとはいえ、魔術科は才能を持つ者の集まりだ。最低基準として普通の人よりも多くの魔力を持つ者たちが多い。その中でも希少属性を扱えるということは、魔術師としてのアドバンテージを持っていることだった。当然、プライドが高い学生もいて、そういう学生とはコンドラチイの相性もひどく悪い。
今もまた、コンドラチイの才能を妬んで、一人の学生が挑発をしてきたわけで。
「聞いたぜ。空間魔力を持っているんだろ? 優秀なフォミナくんなら、あっさり扱えるんだろうなぁ?」
コンドラチイの眉がぴくりと動く。
何も言わないコンドラチイに、調子づいた学生が詰め寄る。聡い学生は、コンドラチイの気配が不穏になっているのに気がついている。そういう学生は地位的に控えめな者が多く、今回絡んでいる学生がなまじかコンドラチイと同じ侯爵家の出だったため、止めようか止めまいかと困っているようだった。
コンドラチイは言いたい放題な侯爵令息を冷ややかな視線で見つめていた。家柄的には同等だけれど、実際のところコンドラチイはフォミナ侯爵の庇護下にあり名前を借りているだけで、自分自身が侯爵家の権力を持っているわけではない。だけど自分を貶められることで、フォミナ侯爵の名もまた舐められたままでいるのも不愉快だった。
コンドラチイが言い返そうと口を開く。
その前に、間に割って入る学生がいた。
「コンドラチイって空間魔力が使えんのか。すげぇな。逆に苦手な属性ってないのか?」
「……ダニール」
割って入ってきたのはダニールだった。
コンドラチイが眉をしかめると、ダニールは快活に笑う。
「今まで習ったどの実習もさらっとこなしてたけどさ、まじで苦手なものないの? どれも得意ならほんとすげぇよ。俺にも教えてくれ、コンドラチイ様、フォミナ様〜」
「っ、なにしてるんですか!?」
「え? 崇め奉ってるだけだけど? 拝んだら俺の才能も開花しねぇかなって」
五体投地で言葉のごとく拝み出したダニールに、コンドラチイの目が吊り上がった。淡々としていた琥珀色の瞳が、怒りの感情や羞恥の感情を混ぜ合わせ、いつもより濃く煌めく。
「拝んで力を欲するなら精霊信仰にでも宗旨替えしたらどうですか! 自分の魔力を増やすのも、魔術のコントロールを極めるのも、自分の努力次第です! 俺だって死ぬほど訓練して魔力の制御をしたんですから!」
かっかっと頭の上から湯気が出そうなほどに興奮して言い切ったコンドラチイに、訓練場は静まり返った。
ダニールも、まさかコンドラチイがここまで声を張り上げるとは思っていなかったようで、きょとんとしている。
一陣の風が吹いて、ハッとしたコンドラチイが気まずそうに視線を下げた。そんなコンドラチイに対して、ダニールが興味津々といった様子で言い募る。
「死ぬほど訓練したんだな。どれくらい?」
ダニールがへらっと笑う。
この男は答えを聞くまでしつこい。
この半年の経験上で、コンドラチイは悟っていた。
本当は言いたくない気持ちのほうが強い。強いけれど、言わなければずっとしつこいままだ。
コンドラチイは天秤にかけた。天秤にかけた結果。
「……知ってるでしょう、俺の属性は。俺は無意識で空間魔力を生成してしまうんです。完璧にコントロールするのに、五年はかかりました。……最初の二年は魔力封じの枷をつけてたくらいです」
コンドラチイは言いにくそうに声を抑えた。
そして思ったよりも重たい内容に、聞き耳を立てていた学生たちも絶句する。
魔力暴走を起こした者は魔力コントロールを覚えるまで、再び暴走する可能性が高くなる。幼い頃に魔力を保有していることが分かれば、体内保有する魔力が限界値を迎える前にコントロール方法を学べるけれど、一度暴走すると魔力器官が破損してしまう。そうなると、魔力器官が治癒するまで魔力をコントロールする訓練ができなくなってしまう。だから魔力暴走を起こした者は魔力器官が治癒するまで、魔力封じの枷をつけて過ごすことが多い。
魔力封じの枷はまるで罪人のようだ。四肢と首に太い枷が嵌められる。コンドラチイの場合はそれを二年。遊びたい盛りの少年がそんなものをつけているのを想像し、魔術科の生徒たちは憐憫の目をコンドラチイへと向けた。
想定通りの反応に、コンドラチイは最初にやっかみをつけてきた生徒を睨みつける。
「空間魔力を見たいんでしたよね。ここで暴走させて、貴方を異界に送ってもいいんですよ。まぁ、俺の魔力暴走で帰ってきた人間はいませんが」
コンドラチイの冷ややかな視線に、相対していた生徒は顔色を悪くすると、そそくさと逃げていった。コンドラチイから離れた訓練場の隅っこで、課題の練習を始める。
(最初からそうしていればいいのに)
嘆息をつくと、その背中からぐいっと肩に腕をまわされた。
コンドラチイはびっくりして目を丸くする。上から快活な声が降ってきた。
「がんばったな、コンドラチイ!」
ダニールの言葉に、コンドラチイは弾かれたように顔をあげた。
屈託なく笑っているダニールは、ぐりぐりとコンドラチイの頭をかき混ぜる。
「ちょっ、やめっ、やめてくださいっ」
「すげぇよ、お前は。立派だ。そんなお前にはきっといいことがあるぞ!」
「いいことって……別に、いりません」
「そう言うなって」
ニシシと笑ったダニールに、コンドラチイは困ったように眉を下げた。
ダニールのおかげで、周囲の意識も課題に戻りつつある。コンドラチイはダニールのこの性格に救われたなんて思いながらも、それをちょっと認めたくなかった。
あれだけ人と距離を取って生きようと思っていたのに。
この太陽のような男が、そんなコンドラチイの心の凝りをほんの少しだけ溶かしてしまう。
そんなダニールに対して、礼を言うべきか否か。
悶々としているうちに、その日の授業は終わってしまった。
ちなみにダニールの言っていた「いいこと」はその日の放課後に実現した。
放課後、購買の数量限定ケーキをダニールが持って帰ってきて、コンドラチイにくれたから。
有言実行の男に、コンドラチイの心の壁がまた少しだけ剥がれていく音がした。




