いちゃらぶ注意報
完全に忘れていました、ムーンが何の妖精か。
ムーンは純粋な妖精の魔力が集まるとたまにできる月ノ路から生まれた妖精。月ノ路っていうのが不思議な道で、あらゆる場所、世界を越えて、瞬間移動ができてしまう代物なんですが。
ムーンがその力を使って、私と麻理子をジローの頭上に落としたらしい。びっくりだよ!
びっくりしたのは当然私たちだけじゃなくて、落ちた先のジローも目を丸くしている。
「は!? 麻理子!? なんで!? うわっ、その耳可愛いすぎね……!?」
「わかる」
大興奮するのよく分かるよ。ちっちゃくて、うさ耳垂れた麻理子、めっちゃくちゃ可愛いよね。
尻もちをついたまま、うんうんと同意してみる。ちょっとジロー、その距離は近すぎない? 抱っこした麻理子に顔がくっついてしまうくらい近づいてガン見しているけど、その距離は犯罪臭がするよ?
「俺、白昼夢でも見てんのかな」
「大丈夫、起きてるよ」
何にも言わない麻理子の代わりに訂正してあげる。するとジローの視線がようやく麻理子から離れて下を向いた。
笑われた。
「ぶはっ! 笠江なんだその顔! やべ、現実かよ」
「人の顔見て正気に戻るの失礼じゃない?」
誰も私の存在に気づいてくれなかったので、ちょっとお顔がへちゃむくれてる自信がある。いいよ、いいよ、ジローは実に二週間ぶりくらいの麻理子を堪能すると良いよ!
一人でいじけていると、頭上が陰った。私と同じくらいの身長の真っ白な男の子が上から落ちてくる。私が潰れた。
『わぁ〜』
「うわ、お前」
時間差で落ちてきたムーンにジローがぎょっとする。そうです、私たちがここに現れた理由をお察しいただけたでしょうか。
ムーンは私を下敷きにしたまま、にこにこと笑う。
『仲直り』
「だから喧嘩してないってばー」
ムーンは私とジローが喧嘩していると思ったみたいだけど、いつものことです。喧嘩と呼ぶにはチープすぎる仁義なき戦いです。
ムーンに横へと退いてもらって、よっこいしょと立ち上がる。うーん、視界が狭い。
ジローが麻理子を抱っこしたまま、彼の腰ほどにしかないサイズ感の私を見下ろしてくる。
「笠江、お前縮んでね?」
「気づくの遅くない?」
なんだったらあなたの腕の中にいる麻理子も同じサイズ感なんだけどな。
私はこれだよ、と腕に嵌ってるちょっとぶかぶかのバングルを見せた。子供サイズだと肘くらいまで持ち上げないと嵌まらないのが難点だね。
「魔宝石を使ったんだけど、蓄積された魔力量がちょっと足りなかったのか、子供になっちゃったの」
魔力が少ないから効果時間が短い、なら分かるんだけど。なんで子供になったのかは分からない。このあたりはラチイさんと帰ったら話し合ってみることにする。
魔宝石の魔法については分からないことが多いから、法則性を見つけるのも大変だ。頑張ってください、ラチイさん。
納得したらしいジローが、空いている手でこっそりグッジョブしてきた。なんで、って思ったけど、ようやく状況を飲みこめた麻理子がジローの胸に抱きついていて悟った。気持ちは愛のキューピット。
「ジロー、会いたかった……っ」
「麻理子! ごめんな。寂しい思いしたな」
あー! あー! いけません! いけませんお客様! こんなところでイチャイチャしないでください! 彼氏のいない私にクリティカルヒットです! そうじゃなくてもムーンの教育に悪い! ちゅーはやめて! 視覚的攻撃力が高い! ジローちょっと爆発四散してくれないかな!?
「それよりここどこ?」
「はっ、しまった! 麻理子に会えた嬉しさに我を忘れるところだった」
「私もいるからね? 我を忘れないでね?」
私は待った。十秒数え、二十秒数え、六十秒数え……百数えたから、もういいですよね? と言わんばかりに二人の世界に亀裂を入れた。ごめんね、麻理子。いちゃいちゃは私のいないところで思う存分してください。
ジローから恨めしそうな目を向けられたけど、私はジト目で返す。ジローは仕方なく息を吐き出すと、ちょいちょいと私を手招きした。
「とりあえず、こっちにこい。ここだと人が……」
「ジロー、そろそろ時間だ」
言った側からどなたかがやって来ましたよ。
第一印象はすっごく大きな身体の人。横幅はそんなにないけど、身長が高いんだ。身体の筋肉のつき方もしなやかって感じ。なんで筋肉のつき方が分かるかって聞かれたら、半分袖を脱いで着流した感じの着物っぽい衣装に、身体にぴっちりとした薄い素材のタートルネックみたいなのを着ているから。ざっくばらんな長い黒髪をポニーテールにしてる。
全体の雰囲気が歌舞いてる武士みたいな。戦国時代にいそう。真面目そうな面持ちだから、賭博とかはしてなさそう。いや待って、初対面の人にあなたギャンブルしてそうって評価はひどいな。してなさそうって評価だけど。
私が大きい人だなぁ、天上に頭ぶつけないかなぁ、なんて考えていたら、ジローがその人を呼んだ。
「兄者」
兄者? え? お兄ちゃん?
今気がついたけど、この人の黒髪を飾っていたと思っていたものが犬っぽい三角耳だ。ポニーテールするのに大きなリボンつけて可愛いところもあるんじゃんって思ってごめんなさい。立派な耳でした。なるほど、ジローの身内。
私はふよっとジローの頭上に視線を向ける。赤い三角耳がぴんっと立っている。地球では霊長目ヒト科に属しているはずなのに、異世界ではネコ目イヌ科ヒト属になってるのかな。分からない。狼って言ってた気がするけど、どこにも狼が入る余地が無いのでイヌにまとめちゃわないといけなくなりそう。異世界のDNA進化と生物分類方法が分からない。
私が頭を疑問符だらけにしている間にも、ジローは兄者と呼んだ黒い狼獣人さんと話をすすめている。狼獣人さんは私たちを見下ろして眉根を顰めた。
「それはどうした」
「迷子みたいっす。ちょっと待ってもらっていいっすか? 安全な場所に連れて行くんで」
ジローが麻理子を抱え直す。私も迷子っぽくジローの服の裾をつまんでみた。ぺってされた。ちょっと、差別は良くないと思うんですが!
むっとしながらジローを見上げる。ジローは私のほうには視線を向けず、まっすぐに兄者さんを見ていた。
そんなジローを眺めていたらしい兄者さんは、ふっと眉間に寄っていたしわをほどくと、うむと頷く。
「お前は相変わらず面倒見がいいな。早く戻って来いよ」
「うっす」
そう言い残して、踵を返して去っていった。
私はジローを見上げる。
「誰?」
「黒狼族の族長ゲルグだ。うちの一派のボス」
「ボス?」
「あとで説明する。それよりこっちに来い」
ジローも踵を返して歩きだす。私は眠たそうに欠伸をしていたムーンの手を引いた。ムーンはいやいやと頭を振って。
『ふぁぁ……。ねむいの。ちょっとだけ』
あああ!? 駄目です、寝ちゃ駄目です! 寝ないでー!
うとうとしているムーンを前に、私は冷や汗たらり。
どうしよう、ここでムーンが休眠に入ると、帰る手段を失うっ!
私が慄いていると、ひょいっとジローに小脇に抱えられた。妖精だから質量のないらしいムーンの足も浮く。なして?
「時間ねぇから急ぐぞ。どうせしばらく帰れないなら大人しくしてろ」
そう言ってジローはどこかの通路のような場所を走っていく。
白い壁に沿って右に左にくねくね、たまに階段登ってダッシュして、私と麻理子の二人を抱きかかえて走るジローの体力にびっくりする。力持ちですね。
やがてものすごい喧騒が聞こえてきた。けっこう距離があったのか、近づくにつれてどんどん爆音になっていく歓声に、私も麻理子も耳を塞いでしまう。
そうしてジローが足を止めた場所で広がった景色に、私はぽかんとした。
目の前に広がるのは大きなスタジアムだった。
どれくらい大きいのかな。東京ドームくらいはあるのかな。
観客席で大きな声を上げているのは色んな人たち。色んな人っていったら本当に色んな人たちばかり。
髪の毛の色はカラフルだし、なんだったら今の私たちみたいに角があったり、耳が毛でふさふさだったり。顔が人の顔じゃなくて動物の顔の人もいれば、肉球っぽい手の人が拍手をしている。
左を見ても右を見ても、もふもふだ。
なんてファンタジー……。
大歓声のざわめきにもみくちゃにされかけていると、ジローはさっさと空席を見つけて私と麻理子をそこに置いた。膝を折って視線を合わせてくる。ざわめきが大きすぎて、顔を寄せ合わないと声が聞こえないのはちょっと困る。
「ここに座ってろ」
「いいの?」
「いい。すぐ試合終わらせてくる」
麻理子が不安そうにジローを見上げた。ジローは太陽のようににっかと笑って、麻理子の額にキスをする。やだ、見てるこっちが照れるんですけど。あ、隣の席のお姉さんがジローのイケメンの流れ弾にあたって顔を真っ赤にした。その中で一番顔が赤いのはキスされた麻理子なんだけどね!
ジローはキスを置いて颯爽と去っていった。キザ過ぎて私は塩を撒いてやりたくなる。イケメン退散!
頬を熟れた林檎のように赤く染めていた麻理子が私の袖を引く。私は麻理子に視線を向けた。
「なんか、すごい、ね。あのね、智華ちゃん……」
「なぁに?」
「ジローの耳と尻尾、あれ、本物……?」
「たぶん本物だよ」
ぴこぴこと耳が動いているのも、麻理子と会ってからずっとぶんぶん尻尾が揺れてたのも、ばっちりと見ているよ。
神妙な顔で頷けば、麻理子の顔がますます赤く熟れていって。
「……可愛い」
ジローには悪いけど、麻理子がケモ耳萌えに目覚めないことだけ祈っておこう。




