メタモルフォーゼ【後編】
ぽんっと破裂音と同時に視界が真っ白になる。なんかもくもくと煙が出たみたい。もぞっととしたらぶかぶかの服。あれ?
晴れた視界のあと、隣を見てみる。
ちっちゃい麻理子が、頭の上からうさ耳を垂らして立っていた。あ、麻理子の服もぶかぶかだ。
「智華さん!?」
「ちっちゃくなっちゃった」
「わぁ……」
ラチイさんのびっくりした声。からの椅子ガタ。からの、ダイニングテーブルの下を覗いてくるラチイさん。そうです。現在、私と麻理子の身長はダイニングテーブルより低いです。
とりあえずダイニングテーブルの下から出ようと動くと、頭の上のほうが何かにひっかかる。そうだった、角が生えてたんだった。
「智華ちゃん、その角なぁに?」
「うーんなんだろ? ネジみたいにねじれてるんだよね。鹿っぽいけど、鹿にしてはなんか変な形だし……」
「あ、思い出した。ガゼルじゃない?」
「あ〜、ぽい!」
そう言う麻理子はロップイヤーですね! 可愛い兎と定番の! ふくふくふわふわな感じが麻理子に似合ってる〜!
麻理子ときゃっきゃっとしていたら、ぐいっと脇を持ち上げられる。わぁ、目線が高くなるぅ〜……
「智華さん」
「わぁ」
ラチイさんと目線まで持ち上げられてしまう私。おぉ、琥珀色の瞳が完全に据わっていらっしゃる。
ジト目のラチイさんと視線を合わせられた私はにへらっと笑ってみた。
「どういうことか説明してください」
説明をと言われても。
「異世界に連れて行ってもらいたくて。魔宝石作って使ったら、ラチイさんが観察のために連れて行ってくれるかなって?」
ちなみに材料は、工具箱の中で眠っていた獣人の毛です。用法用量は前にダニールさんがうっかりケモ耳ケモ尻尾を生やしていたあの魔宝石を参考に。持ちやすいように形はバングル型で。魔力を使えないから、何かしらトリガーを作ろうと思っていたんだけど、封入した文字シートが変身呪文の役割を担ってくれたようです。
ちなみに、試しに昨日使ってみた時は元の姿のままだった。今小さくなっちゃってる理由はよくわからない。内包してる魔力が減っちゃったからなのかな? ちなみに外すと戻るんですが、ラチイさんにはそのことはまだ内緒で。
つらつらとここに至るまでの経緯を並べ立てれば、ラチイさんは私を椅子の上に立たせて顔を覆って俯いてしまった。すごい大きなため息付き。ごめんなさい。
「どうしてこんな物を作ったんですか……」
「獣人の国に行きたくて。麻理子をジローに会わせてあげたかったの」
ラチイさんが頭が痛いと言いたげに眉間を揉みこむ。うっ、ちょっと罪悪感。
「言ったでしょう。獣人の国は今、大変な時期ですって」
「聞いたけど、ごり押しすればちょっとくらい行けるかなって……?」
「智華さん……」
わぁ〜、ラチイさんから黒いオーラが出てる気がする!
ちょっと早まったことをしちゃったかな。冷や汗を背中で流していると、麻理子が椅子の下からぶかぶかの私の服をつんつんと引っ張った。
「智華ちゃん、いいよ。私のために色々と……ジローが帰ってくるの、私ちゃんと待てるから」
麻理子はそう言うと、てってっと椅子を回ってラチイさんの足元へ行く。ぶかぶかの服を引きずっているから転びそうでちょっとハラハラ。
麻理子はラチイさんの側まで行くと、ぺこりと頭を下げた。
「コンドラチイさんもごめんなさい。ご迷惑おかけして」
あう……やっぱりお節介だった、かなぁ。
しょんぼりしながら私も「ごめんなさい」と頭を下げる。普通に考えて押しかけようとするのは迷惑だよね……大反省。
二人で頭を下げていると、頭上から盛大なため息が落ちてきた。あああああ、やっぱり呆れられているぅっ!
「はぁ……智華さん」
「は、はぁい!」
何を言われる? もう異世界に連れて行きませんって言われる? それとも魔宝石の仕事しませんとか? ゔぇ、私そんなところまで考えてなかった!
後悔先に立たずとはこのことかもしれない。人生の急降下はいつでも可能だ。まさしく私が今、急降下待ったなしのところの崖っぷち。垂直落下五秒前の気持ちだよ。ごめんなさい、本当にごめんなさいラ
チイさん見捨てないでぇ……!
「外には出かけられませんが、土日だけならうちに泊まっていってください」
「はぁい! ……え?」
え?
今、なんか予想と違うことを言われた気がする。
なんていうか、私のこうあったら良かったのになぁ、みたいな希望的観測が現実になったような感じの……いや、ラチイさんが本当に言ってくれた!?
「いいの!?」
「ただし家から出ないことが約束です。このあと俺は仕事で、明日は夜までいませんから、今日のところはムーンの燐粉を採取して待っていてください」
「やったー!」
ラチイさんありがとう! ラチイさん大好き! ラチイさん最高!
私が両手を上げて万歳すれば、やれやれと言いたそうな感じでラチイさんの目元が和らぐ。麻理子も良かったねぇと私を見上げていて。
そんな麻理子にもラチイさんは声をかけた。
「麻理子さんも。その姿ではご自宅に帰れないでしょう。魔宝石の内蔵魔力を考えると効果時間もけっこう長いので、うちで様子見しましょう」
私はそよっと目を逸らす。解除方法はまだ秘密にしておいてもいいかな。
麻理子がちょっとあわあわした感じで私とラチイさんを交互に見る。
「いいんですか?」
「つまらない場所ですが、麻理子さんさえ良ければ」
ラチイさんが柔和に微笑んだ。
よし、丸く収まりそう、と思ったんだけど。
「あれ? でもラチイさん、三人以上の転移できるの?」
前に異世界転移って難しいから、三人以上だとどうたら……みたいなことを聞いた気がする。
私は異世界においでって言われたら、ムーンのことをお願いして麻理子だけを送ってもらうつもりだったんだけど。……いや、身勝手すぎるというか、無責任とか。色々言われそうな無計画っぷりなのは分かってるけど!
自分の穴だらけ作戦にハッとしていれば、ラチイさんはくすりと笑った。
「俺も色々と前進しているのですよ。厳しいですけど、できなくはないです。一応、何かあった時用にスクロールを持って来ていますので」
ラチイさんが、椅子にかけていた第三魔研の制服ケープの裏側を漁ると巻物が出てきた。え? ケープぺったんこだったよね? ただの布だったよね? どこからソレでてきたの?
しきりに見間違えかなって瞬きをしている間にも、ラチイさんは巻物をするすると広げていく。そこで、はたと気がついたように私たちに顔を向けた。
「靴を忘れるところでした。玄関で転移しましょう」
聞きたかったのそれじゃないんだけど、なんだか聞くタイミングを逃してしまった気がする。
まぁいいや、と私は服をぶかぶかさせたままラチイさんのあとに着いていった。もちろん麻理子の手を引いて。
靴もぶかぶかさせながら、ラチイさんの指示通りにスクロールへと触れる。スクロールに描かれた魔法陣が紫色に強く発光した。
目が眩むような光にきゅっと目を瞑る。
次の瞬間には。
「レッドドラゴンさんこんにちわ!」
はい、いつもの通りラチイさんの工房ー! そして恒例のレッドドラゴンさんの生首ー! もう怖くないよって言いたかったけど、久々に見ると迫力あってビクってするぅー!
「わ、あ……!」
隣では麻理子が目を丸くして絶句している。
うんうん、分かるよ。そうなる気持ち、すっごく分かるよ。
これでマジックでもなんでもない異世界の存在証明が麻理子にもできたと思う。Q・E・D!
ラチイさんに促されて工房から出て居間のほうへと移動する。正面には大きな白日の樹が居間の大きな窓いっぱいに広がっていて。
隣で麻理子が息を呑む気配がした。初めて見るとあの巨大な白木になんだか感動しちゃうよね。
うんうんと頷いていれば、私の視界にさらに白いものが割り込んでくる。
『チーカ』
「ムーン!」
横から飛んできたのは白銀の妖精。
全身がまるでプラチナでできているみたいに輝いている小さな男の子。体と服の境目がわかんない身体を持つ妖精は、ベルスリープのトップスにワイドパンツを合わせたみたいな、ちょっと近未来的な輪郭をしていて、天女の羽衣みたいな羽が背中からふんわり生えている。私がムーンと名づけた月光と夜風の妖精は、くふんと笑って抱きついてきた。
麻理子がじっとムーンを見つめている。
「智華ちゃん、その子は?」
「えぇと、私の契約妖精……って言えばいいのかな? この子を見つけたのがジローの実家の近くだったの」
ムーンが生まれる時にものすごいエネルギーが局地集中したんだけど、それに気がついて見に来たジローと鉢合わせたんだよね。夏休みの頃の話だから半年前かな。びっくりだよね。なんでいるの!? ってお互いに叫んだもんね。
『チカ。だぁれ?』
「麻理子だよ。私の親友」
『マリコ……マリコ。しんゆう』
ムーンがにこにこしながら、麻理子の周りをくるくる回る。歩いたり宙に浮いたり。妖精だからね、空も飛べるんです。だから麻理子、あんまりびっくりしないであげて?
私たちが三人でわちゃわちゃしている間に、ラチイさんはどこかに姿を消すと、何かを抱えて戻ってきた。
「智華さん、着替えです。そのままだと怪我をしてしまいますから」
「わぁ、ありがとう」
完全に服のことを忘れていました。大変ご迷惑をおかけしますラチイさん。
麻理子と二人、服を受け取る。と言っても、水色のブラウスだ。ラチイさんとおそろい。これもしかして私の第三魔研の制服かな?
大きなリボンも一緒に渡された。なるほど、ブラウスワンピースみたいな感じで着こなせばいいのね。ウエストはリボンできゅっと縛ればいいかな。下着ですか? 麻理子が即席で縫ってくれました。さすがに幼児体型のサイズはなかったよね。靴は危ないからってスリッパを借りる。元の姿に戻ってもこれなら安心ですね、とラチイさんはひと息ついた。ありがとう、ラチイさん。ご迷惑おかけします。
着替えてひと段落したところで、ラチイさんはケープを羽織ると私の作った魔宝石を持った。
「智華さん、では留守番をお願いします」
「ラチイさん、お出かけ?」
「こちらを渡しに行かないといけませんので」
そうだよね、本題はそれでした。
玄関でラチイさんを見送る。
ラチイさんは私と麻理子、ムーンを順繰りに見て、最後に私の頭をぽんっと撫でて。
「夜には帰ってきます」
そう言って出かけて行った。
私は手をふりふり。
「いってらっしゃーい」
いつもより視線が低いのと、お別れじゃなくてラチイさんを送り出するのがちょっと珍しいからか、不思議な気持ちになった。




