学生の本分は勉強です
クリスマスの話をしてひと段落した私は、ワッフルをせっせと口へと運ぶ。長話しちゃったからちょっと冷めちゃっているけど、チョコスプレーまみれのワッフルはとっても美味しい。
ワッフルをもぐもぐしながら、ふと思い出した。
「そういえばラチイさん、そろそろムーンが起きる頃だよね? 次は予定合いそう?」
「すみません……なかなか難しくて」
「そっかぁ」
ムーンは私の契約妖精。
月光と夜風の妖精ですごく白くて純粋な子。燃費が悪い妖精のようで基本的にずっと寝てる。満月の頃になる起きてくれるから、そういう時にムーンの羽から鱗粉を採取させてもらってる。このね、ムーンのね、鱗粉がね、魔宝石作りに重宝している必須アイテムなんですよ!
一ヶ月に数日くらいしか会えないから、会える時に燐粉の採取をしたいんだけど……ここ二ヶ月ほど、ラチイさんの予定が合わないようでムーンに会えていない。どうしよう、次にムーンと会ったときに、あなた誰? って言われたら! そうなったらラチイさんに責任取ってムーンの面倒を見てもらおう。
「ラチイさんも大変だねぇ」
「そうですね。ですが仕事なので」
ラチイさんはくすりと笑うけど、よくよく見るとちょっと疲れている感じがする。くたびれた……まではいかないけど。目元に影があるのはクマな気がしてくる。そんなにお疲れなんて。
「異世界ブラック企業……」
「ブラック企業、ですか?」
「パワハラ上司は訴えよう!」
「パワハラ、ですか」
「権力振りかざす悪い上司のこと!」
「なんとなく智華さんが誰を想像したのか分かりましたが、大丈夫ですよ」
分かられちゃった!
いやまぁ、ラチイさんの上司でパワハラしてそうな人に心当たりがあるっていうかぁ……ラチイさんは気にしないように言うけどさ、嫌いな人は嫌いなのでごめんなさいという気持ち。あれはもう出会い頭の印象が悪すぎた。第一印象でそんな悪くなることある? レベルで悪すぎた。
あんな人の下で働くラチイさん。うん、やっぱりパワハラ上司のブラック企業の中間管理職で、板挟みなのでは……!
「ラチイさん、いつでも日本に再就職していいんだからね。仕事先は一緒に探してあげるよ」
「なぜ俺が仕事を辞めるような話になってるんですか……? 今の仕事を気に入ってますから大丈夫ですよ」
そうはいってもー!
心を壊してからじゃあ、遅いんだからね!
ぱっくんとワッフルの最後の一欠片を口の中に放りこむ。パワハラ上司でもこのワッフルは経費計上しても許してくれるらしいのは救いかな。打ち合わせと称してこうして美味しいものの恩恵に預かっている私は立場的に弱すぎる。ワッフルご馳走様でした。
ラチイさんがスマホを取り出して時間を確認した。私も自分のスマホで時間を確認。なかなかいい時間だ。
「さて智華さん。そろそろ時間ですので」
「そうだねー。はー、帰ったら勉強だ」
家に帰ったあとのことを考えると鬱になる。中間考査がひしひしと迫ってきている。今日もスクールバッグの中はテキストでぎゅうぎゅう詰めだ。英語の単語帳の範囲を考えると憂鬱になる。異世界でも日本語が通じるんだから、地球も日本語で統一してくれないかなぁ。
そこでハッと気がつく。
「ラチイさん! 私が異世界語みたいにネイティブ英語できるような魔法ってないの!?」
「ズルは駄目ですよ」
やんわりと窘められてしまった。くうっ、世の中は無常……!
脇に置いていたコートを手に取りながら、ラチイさんは秘密を教えてくれるような、ちょっと悪戯っ子のような顔をして教えてくれる。
「魔術自体はありますが、翻訳の魔法は術者自体が辞書的役割を担ってますから、智華さんのテストには間に合いませんよ」
「どういうこと?」
「俺を翻訳機だと思ってください。術をかける俺が英語を理解してからになるので、智華さんと一緒に勉強することになりますね」
「無念!」
私はコートに袖を通しながら世の無常さをもう一回嘆く。嘆いて気づいたけど、待って? ラチイさんが翻訳機ってことは、ラチイさんは日本語をいちから自力で覚えたってこと? 最初の頃は片言の話し方だったけど、今はめっちゃ滑らかな日本語を話してる。えっ、すごくない? ネイティブ日本人もびっくりな日本語力だよ!?
「ラチイさん、もしかして天才なの……?」
「どうしてそんな結論に飛躍したのか不思議ですが……学生の本分はテストですから。がんばってください」
英単語の暗記が苦手な私だからこそ言える。ラチイさんは天才だ。和英辞典みたいな役割ができるくらい日本語に精通してるんでしょ? 絶対天才じゃん。ネイティブ日本人の私が断言するよ。ラチイさんは天才。語学の天才だと思う。
私もラチイさんみたいに語学が堪能だったら、こんなに英語のテストに対して嘆かなかったのになぁ。高校生活もあっという間で、もう二年の後期なんだもん。え? もう二年の後期? 進路どうしよう。
テーブルを立ちながら聞いてみる。
「ライチさんが学生の頃ってどんな感じだったの?」
「俺ですか? 普通ですよ」
その普通が分からないのですが?
「異世界の普通ってどんな感じ?」
「どんな感じと言われても……智華さんと同じように試験がありましたね」
異世界でもテストがあるらしい。どれくらいの難易度なのかな。学力偏差値五十ちょっとの私と比較して、エリートなのかポンコツなのか……魔法を使うから絶対エリート学校な気がする。私は高望みしません!
「ラチイさんって頭良かったでしょ」
「普通ですよ」
「嘘だぁ。あっ、じゃあ得意科目は?」
「魔法学でした」
「おぉう、すっごいファンタジー」
ほらやっぱり魔法ある! すごい! なんてファンタジー!
ラチイさんがお会計をしてくれる横で、私は異世界の学校を想像してみる。某ハリウッド映画みたいに大きな尖塔がかっこいい魔法学校だとドキドキワクワクがとまらないよね。
「ちなみにダニールは歴史と国語、ロランは万遍なくこなしていましたが、剣術と体術の授業の成績が特に良かったですよ」
「ロランさんすごい」
ダニールさん、歴史と国語が得意なんでちょっと意外。魔法の授業じゃないんだ。しかもロランさん、現代日本じゃありえない授業してる。体育のノリで剣術と体術があるのかな? 異世界っぽくて、なんだか面白い。
カランコロンとドアベルを鳴らしながらカフェを出る。あー、さぶい! ちゃんと奢ってもらったお礼を言いますよ。私たちは話しながらクリスマス仕様の街へと一歩を踏み出す。
「ちなみに智華さんの好きな授業は?」
「化学かな。周期表とか化学反応とか、分子式とか組成式が面白いの」
ラチイさんから質問が飛んできた。私は素直に答える。化学が楽しいのはそこなんだよね。違うものをくっつけたら新しいものが生まれる。式というカタチで見えるように考えた人天才だよね。
化学だけならそこそこ良い点数が取れるんだけどなぁ。英語が……あと世界史が……どうしても丸暗記系の科目が苦手で、いつもギリギリまで単語帳や教科書とにらめっこしている。
私の悩みをかたわらに、ラチイさんが興味深そうに頷く。あ、マフラーしてないからちょっとほっぺが赤くなってる。
「化学ですか。こちらの世界にはない学問なので面白そうですね」
「ラチイさん、興味ある?」
「それなりには」
やっぱり?
異世界は魔法があるから、化学ってあんまり発展してなさそう。地球の歴史は魔法がないからこそ発展したのかもしれない。だってさ、酸素と水素がくっついて水ができますって原理、異世界だと魔力で生み出します、って完結しちゃいそうだもん。これは偏見じゃないと思う。
うんうん、と頷いていたら、ラチイさんが少し恥ずかしそうに笑って。
「とはいえ専門家ではないので、興味程度ですが」
「いやいや。勉強熱心だよね、ラチイさんって」
「そうでしょうか」
「そうだよ〜」
勉強熱心じゃなかったら日本語を覚えて、こうして私とお話してる未来なんてなかったと思うよ? それに魔法の研究所の室長さんなんだよね? 研究職なんてどうみたって勉強熱心な人じゃないと無理だと思う。
そんなすごい人にお家へ送ってもらいながら思うんですよ。
こんなこと言ってないで、私も勉強しなきゃなぁと。
将来の自分が何をしているのかは分かんないけど、勉強しないよりはしてたほうがいいのは間違いない。
めんどくさいけどね!




