白大蛇の抜け殻
目の前に突きつけられたものが刃物だと気づくと、一気に全身から血の気が引いていく。
思わずラチイさんにしがみつくと、ラチイさんは毅然とした態度で、私たちに刃物を向けている男の人を見据えた。
「どちら様でしょうか。たしかに俺たちは採取のために来てますが……獲物が白大蛇のことでしたら、我々はアレから追われている身でしたので、お礼を申し上げたいほどですよ」
にっこりと笑うラチイさん。それなりの付き合いだから分るよ。ラチイさんったらとってもいい、全力の営業スマイル!
男の人は眉をぴくりともさせず、剣を下ろすと後ろを振り向く。その男の人の後ろから、女の人が来るのが見えた。
「ゲーアハルト様!」
黒いワンレンのショートヘアに、綺麗な青色の瞳。すっごい抜群なスタイルの妖艶なお姉さんに、私はびっくり。
「あっ、えっと、キーラさん?」
「あら? 貴女は……」
キーラさんは私とラチイさんを交互に見ると、ふっと微笑を浮かべて。
「こんなところで会うなんて奇遇ね」
夏休みの最初の頃。ダニールさんがうっかり魔宝石の魔法のせいでデートができないからどうにかして! と言って、ラチイさんに泣きついたことがあった。
その時のダニールさんのデート相手がこのキーラさん! 結局その時はデートをお断りするために、私とラチイさんが代理でキーラさんに会って、ダニールさんの尻拭いをしたんだけど。
「キーラ、知り合いか」
「はい。以前お話した、チカさんとフォミナ殿ですわ」
「ふん。この者たちが」
なんだか値踏みをされているような視線。
さっきの剣の印象がまだまぶたの裏に残っていてじりじりしていれば、ラチイさんが私をかばうように背中へ隠してくれる。
「ところで、貴方たちは冒険者の方々なのでしょうか? 白大蛇の討伐依頼を受けたのですか?」
「答える義理はない。関係がないなら私たちの邪魔だけはしてくれるなよ。キーラ、行くぞ」
「承知。……ふふ、ごめんなさいね。主人は忙しいのよ」
妖艶に笑うキーラさんは私たちにひらりと手を振ると、男の人と一緒にさっきものすごい音がしたほうへと踵を返した。
あっち、行って大丈夫なの? 危なくない?
「あっちって、さっきすごい音がしたほうだけど、大丈夫なのかな……?」
「白大蛇の気配が消失したので、おそらく討伐されたのでしょう。ゲーアハルトと呼ばれていた方が空から降ってきたことを思うと、高所にある頭部を破壊したのか……」
「ふーん……? あ、じゃなくて、それもあるけど」
むしろそっちの方角に白大蛇がいるならさ。
気づいたことを言おうとしたところで、茂みが揺れる。私は身体を固くして身構えたんだけど、ラチイさんは逆に警戒を解いて。
「くっそ、ひどい目にあった……!」
「ははは、いい経験になったじゃないか」
げっそりとしたダニールさんと、少し埃っぽいけど無傷のロランさんが合流!
「ダニールさん、ロランさん! 大丈夫?」
「おー……えっらい目にあったけどな……」
「白大蛇を撒いていたら、どうやら冒険者らしき二人組が注意を引いてくれてね。ことなきを得たんだ。まぁ、ダニールにはいい薬になったようだけど」
「キーラのやつ、手加減しねぇしさぁっ」
よく分かんないけど、キーラさんたちのおかげでなんとかなったみたい? ダニールさんったら、前は美人さんとデートできる〜ってうっきうきしてたのにね? キーラさんにお灸でもすえられたのかな?
良かった良かった、と頷いていれば、ロランさんが気遣わしげに私のほうを見ていて。
「チカさんこそ、身体のほうは大丈夫なのかい?」
「うん。ちょっと休んだら、すっかり元気になったよ!」
「それなら良かった」
ロランさんが笑ってくれたから、私もえへへと笑ってみせる。すると、ダニールさんがパンッと大きな音を立てて両手を合わせてきた。
「すまんかった、チカちゃん! 俺のせいで!」
「気にしないで、ダニールさん。私もこんなことになるなんて思ってなかったし」
「それでもしんどかっただろ」
「まぁ、たしかにしんどかったけど……でも、ほんとに気にしないで。私も次から気をつけるよ。イエスマジック、ノータッチ!」
ね? って同意を求めれば、ダニールさんもそっかと頷いてくれる。ラチイさんとも同じやり取りしたからね! ほんと気にしないで!
で、そんな中、ダニールさんは神妙な顔を作ると、おもむろに腰のポーチに手を入れまして。
「お詫びといっちゃあ、なんだが……これ、どうだ?」
そう言ってポーチから出てきたのは、白く濁ったビニールみたいな何か。結構かさばってて、たくさんある。
なんだろう? と近寄ってみれば、うっすらと網目のような物が見えて。
「おや。よく見つけましたね。逃げる途中に?」
「ああ。冒険者のおかげでこっちから注意が逸れたからなー。木の上に引っかかっているのを見つけてな。なんかそれっぽいなと思ったら案の定だった」
にっかり笑うダニールさん。
泥や土埃に汚れてぼろぼろなそれを見ていたら、ラチイさんが私の肩に手を置いて微笑む。
「これでノルマクリアですね、智華さん」
「ノルマクリア? ……あっ、もしかしてこれ!?」
これが私たちの探してた、白大蛇の抜け殻!?
「えっ、でもなんか、思ってたのと違うんだけど……?」
「採取したてですからね。洗って綺麗にして十分に干せば、素材としてきちんと使えるはずですよ」
「そうなの?」
「はい」
にっこりと笑顔で頷くラチイさん。
そっか。ラチイさんがそう言うなら、きっとそうなんだよね!
ここは素直に喜ぼう。
白大蛇の抜け殻ゲットー!
これで目的は果たしたので、私たちはラチイさんの転移ですぐさま帰る!
ロランさんとダニールさんと別れた頃には日も暮れ始めていて、あんまり時間はなかったんだけど……時間かけていられないからね! すぐさま白大蛇の抜け殻を洗ったよ!
この洗う作業がまた大変で、天然の水と柔らかい布を使って、抜け殻の繊維を傷つけないように丁寧に作業しないといけなくて。
それなりに頑丈だけど、抜け殻は脱皮するために柔らかくて弱くなってるから、ちょっと力をこめて擦ったりすると破れちゃう。
魔宝石にいれるから、少しくらい破ったところで……っとも思ったんだけど、なんとなく、破らないほうがいい気がしたから、丁寧に根気よく抜け殻を洗った。
抜け殻とはいえ、あんな大きなヘビだったからね! 一匹分もなくて、ほんとうに汚れたビニールって感じだったから、爬虫類がダメな私でも作業ができました!
くしゃくしゃ濡れ濡れな抜け殻を、木枠に張り付けてピンと張る。こうすれば乾かしたときにまっすぐになって、しわのない綺麗な素材になるんだって!
木枠に張りつけて干す頃には、すっかり日も暮れてしまっていた。変に魔力の付与をしないように、魔法を使って乾かすのはご法度なので、明日乾くまでこのまま。
「本当は今すぐに魔宝石を作りたかったんだけどね」
「仕方ありません。こればかりは時間がかかるものですから。それに、ロランもそう急いでいるわけでもないでしょう」
「私が急ぎたいの! イネッサさんに、痛い思いをさせちゃったから……」
二人で肩を並べて、庭に立てて干している抜け殻を眺めながらぽつりとこぼした言葉を、ラチイさんは拾ってくれる。
それについ反論すれば、ラチイさんは私の頭を優しく撫でた。
「だからこんなに強情だったんですね?」
「うっ。やっぱり、強引だった?」
「まぁ、そうですねぇ。……ですが、それが智華さんらしいですし、智華さんのその行動で救われる人がいるのも間違いありませんから」
ぼんやりと月明かりが照らす中、ラチイさんの顔がよく見えた。
月の光にきらめく銀色の髪は神秘的で、とろりと蕩けた蜂蜜のような琥珀色の瞳は、私を通してどこか遠くを見ているみたい。優しい表情をしているのに、どこか悲しそうな、切なそうな表情にも見えて。
「……ラチイさん?」
「なんでしょうか」
「なにか、しんどいこととかある? もしくは、私にできることとか」
じっとラチイさんの顔を見上げる。頭一個分は優にある身長差。座っていても遠いその視線が何を見ているのか気になっちゃって、つい、そんなことを口走ってしまった。
私がつるっと言ってしまった言葉に、ラチイさんは目を瞬くと、いつもよりちょっといたずらめいたような表情で微笑んで。
「しんどい、という気持ちはありませんが……そうですね、こういう日は少し人恋しくなる気持ちはあります」
「こういう日?」
「こうして誰かと夜を過ごす日、ですかね」
私はぱちくりと目をまばたく。
それからなぞかけのような言い回しにちょっと笑ってしまって。
「私がいるのに人恋しいの? 一緒にいるじゃん!」
「一緒にいるからこそ、ですよ。智華さんとの距離感は、ずっと忘れていた家族との思い出を思い起こさせるので……その気持ちがにじみ出て、心配させてしまうのかもしれませんね?」
ラチイさんの家族との思い出?
聞き返そうとしたら、ラチイさんは私の頭をいつもより乱暴に撫でた。あー、くしゃくしゃってされちゃったから、髪がボサボサになる〜!
「さて、そろそろ部屋に戻りましょう。お湯を沸かしますから、シャワーを浴びて寝てください」
これ以上の詮索は不用と言わんばかりに、ラチイさんが話を切り替えてしまう。そうされちゃうと、私が四の五の言うわけにもいかなくて。
ラチイさんの家族……そういえば死に別れて、あのいけ好かない侯爵様に育てられたって言ってたっけ。
私は部屋の中に入っていくラチイさんの背中を見つめる。
ラチイさんはどんな風にして、あのめちゃくちゃ、めっちゃくちゃ! 怖い侯爵様のところで育ったんだろう。家族のことを思い出すのは、どういう時なんだろう。
一度思ってしまったら、気になってしまってしょうがなくなっちゃうのは私の悪いところ。だけど、これはラチイさんのデリケートな部分っていうのも分かってるから。
結局、聞けずじまいのまま、今日という一日が終わってしまうのです。




