生きる場所を選ぶために
ロランさんに馬車で送ってもらい、ラチイさんの家に帰ってきた。
明日は学校なので、片道で私だけを日本に送ってもらうんだけど、お家についた途端、ラチイさんにちょっと真剣な顔で居間へと連行されました。
「智華さん、今までそういった機会がなかったので俺も注意をしてきませんでしたが……不用意に地球の物を出さないようにしてください。特に電子機器は気をつけてください」
最近、ここが異世界という意識が薄れてませんか、と言われて、ちょっと反省中。
ラチイさんの言うとおり、無意識でスマホを出してしまったのは良くなかったと思います。
「ごめんなさい……なんか、生活が日本とあんまり変わらないから、ちょっと油断してました」
「ラゼテジュは魔法によって生活が便利になってはいますが、それは公共のもの、それも王都周辺だけです。個人的な魔導具を持つのは俺のような魔術師くらいで、普通の方はそういった物を持ちません」
魔導具は高価なもの。もし悪い人に見られたらどうするのですか、とお叱りを受ける。はい、ごもっともです。
「ラゼテジュは智華さんの国のように安全ではありません。基本的には俺が一緒にいますが、もし万が一あったら、智華さんのご両親に顔向けできませんから」
そう言われて、なんだかチクリと胸に針が刺さったみたいな痛みが走る。うっ、子供みたいな叱られ方したからかな、ちょっと思ったよりダメージが……っ。
「以後、気をつけます……」
「そうしてくださると俺も助かります」
ラチイさんに深々とため息を疲れてしまうと、申し訳なさの極みしかないよ……。
でも、私の無鉄砲な行動で分かったこともちゃんとある。
「……イネッサ様、本当は外に行きたそうだった」
写真を見た時のイネッサ様を思い出す。
一瞬だけ目をきらめかせて、すぐに自分には無理だと諦めたように翳った赤い瞳。
あの瞳を見ちゃったらさ。
「私やっぱり、イネッサ様に外の世界を見せてあげたい」
ぽつりと呟けば、ラチイさんの眉がぴくりとはねる。
「まったく見られないわけじゃないんです。太陽がなければイネッサ嬢も地上に上がれます。夜でしたら彼女も外の世界に出られるんですから」
「でも太陽の下の景色は見れないんでしょ!」
「智華さん、だめです」
静かな言葉。
まるで凪いだ風のように静かな言葉にどきりとする。
ラチイさんは見たことがないくらい静かな瞳で私を見てきた。いつもの優しい琥珀の瞳には、感情なんてものが一切見えなくて。
ラチイさんが聞き分けのない私に怒っているのかもしれないと思った瞬間、心臓がずきんと痛んだ。
「ロランにも言いましたが、種族としての本質を魔法で変質させるのは禁忌に触れることなんです」
言っていた、けど。
私はそれが納得できない。
だってイネッサ様は人間じゃん!
人間なら太陽の光を浴びないと生きていけないんだよ。イネッサ様だって、外に出たがってる。私なら、ラゼテジュがだめでも日本の技術なら、その願いを叶えてあげられるかもしれないのに。
私の不満げな気持ちが透けて見えたのか、ラチイさんはひときわ大きくため息をついた。それがさらに私の胸をぎゅっと引き絞ってくる。そのことがちょっとつらくて下を向くと、ラチイさんが静かに問いかけてきた。
「智華さんは水の中で呼吸ができますか?」
「……無理だよ」
「それと同じです。吸血鬼が昼の世界で生きるということは、そういうことなんです」
そう、だけど……。
やっぱり、納得がいかない。
イネッサ様がお日様の下で生きられないなんて、そんなの可哀想じゃん。
それにさ。
「……でも、人間だって泳げる。行きたいところがあれば、行けるんだよ。世界を越えてさ、ラチイさんが私に会いに来てくれるみたいに!」
自分でもびっくりするくらい大きな声がでてしまった。
ハッとして顔を上げてラチイさんを見れば、ラチイさんは目を丸くしていて。なにか言いかけたことを堰き止めるかのように瞼を伏せてしまった。
私はさっきとは違う意味でドキドキする。
どうしよう、怒らせちゃったかな。私、今、めちゃくちゃ生意気なこと行っちゃったかもしれない。所詮、私なんてラゼテジュの人間でもなければ、この世界の人間でもないのに、ものすごくえらそうなこと言って。
ううー、どうしよう、どうしようっ!
もし、これで、ラチイさんに嫌われちゃったら……っ!
なんだか情けないことに、いまさら自分で言ったことに後悔が押し寄せてきて、じんわり視界がにじみそうになる。
どうしてかな、最近、ラチイさんにあれこれだめですって言われてたからかな。
それともラチイさんが、私を理由に目の前で苦しんでる人を切り捨てようとするのが悲しいから?
前に引き合いに出されたエリクサーの話は、私を守るためだと言っていた。でも、私は自分がつらい思いをするよりも、誰かが悲しい思いをしているほうがずっと悲しい。
それをラチイさんに伝えたいだけなのに……!
ぐるぐると思考が巡って、慣れないことに動揺して次の言葉を出せずにいると、ラチイさんがまたため息をついて。
今度こそ怒られるかも、と肩をびくつかせれば、ラチイさんはいつもの困ったような表情になって。
「……智華さんらしいですね。貴女の言うとおりですよ。人間だからこそ、生きる場所は選べるものです。仕方ありません。今回は私的なものとしてこっそりやりましょう」
ラチイさんがやれやれと肩をすくめて告げた言葉に、今度は私が目を丸くする番だった。
ラチイさんの言葉を飲みこんで、じわじわとその意味を理解すれば、自然と視界も明るくなって。
「ラチイさん!」
思わず嬉しさが身体中を巡って、ラチイさんに抱きついてしまった。ラチイさんは「おっと」と私を抱きとめてくれて、やれやれと言うみたいに、ポンポンと背中をあやしてくれる。
嬉しい! ラチイさんのそういう理解を示してくれるところ好きだよ!
「ですがこっそりとです。他にもイネッサ嬢のような人がいても、助けませんからね。本物の吸血鬼であれば、特に」
「ラチイさん、吸血鬼に厳しいね?」
しっかりと釘を刺してくるラチイさんの顔を見上げると、ラチイさんは真面目な表情で私を見下ろしていて。
「吸血鬼は人間ではなく魔獣寄りの存在です。同じ人のように見えて、その実情は魔獣と同じく人を害するものなんです。ヴァンピーア伯爵家が吸血鬼の祖を持つというのは公然の事実ではありますが、伯爵家以外の吸血鬼は騎士団の討伐対象なんですよ」
そう言われてびっくりする。
イネッサ様のご先祖様だから、ジローの赤狼族みたいな、人間に友好的な種族だと思ったのに。
この世界の吸血鬼は、そんなに怖い存在なの?
「人を殺すこともありますから」
疑問に思った私の表情を読み取ったのか、ラチイさんは私に言い聞かせるように、はっきりと言い切った。
「……この世界の吸血鬼も、血を吸うの?」
「はい。智華さんの世界の吸血鬼と同じ認識でかまいません」
うん、そっか。
吸血鬼だもんね。
イネッサ様の一族が、吸血鬼として異端なんだね。
でも、だからこそ。
ちゃんと人として暮らせるようにしてあげたいじゃん! だってイネッサ様に罪はないんだもの!
「ねぇ、ラチイさん」
「はい」
「傘とかどうかな?」
「傘、ですか?」
急な話の転換に、ラチイさんがきょとんと目を瞬く。
私はラチイさんの顔を見上げて、にっこりと笑った。
「太陽の光が駄目ならさ、日傘を差して歩けばいいんだよ! 日本の漫画の吸血鬼は日傘とセットが定番! 紫外線対策バッチリすれば、吸血鬼でも外にでられるのが今の御時世だよ!」
「そんな馬鹿な」
「あー、地球の科学力馬鹿にしたね? ラチイさんだって、地球の便利道具の恩恵に預かってるのにー」
「うっ」
私にあんまり派手に使うなって言っておきながら、日本から結構な便利グッズを異世界に持ちこんでるのは知ってるんだからね!
痛いところ突かれたらしいラチイさんがたじたじになっているのを見て、私はラチイさんから離れるとさっさと工房のほうへと入る。
「というわけで、ラチイさん! 用意しておくから、今度来る時は紫外線対策グッズを持って帰ってね!」
「……智華さん、何回も言いますが」
「こっそり、だよね! 分かってる! だからラチイさんがイネッサ様に責任もってこっそり渡してあげて!」
笑いながら、私たちは日本に転移するべく工房の魔法陣の上に立つ。
ふと、転移の瞬間、工房の机の上にある紙束が目についた。そこに書かれていた文字に、どきりとする。
――魔宝石職人誘拐事件について。
私の、見間違いかな?
そう思った次の瞬間には、転移の浮遊感が全身を襲って、私は無事、日本に送り届けられて。
あの紙束について触れる暇はすっかりとなくなってしまった。




