第三魔研へようこそ【前編】
「うぅ〜、お尻いたぁい」
「すみません、伝言鳥にクッションを多めに敷いておくよう託ければ良かったですね」
ラチイさんが申し訳無さそうに、私の手を引いてくれる。そんなラチイさんが悪いわけじゃないんだよぅ。
「帰りはクッション敷いてね……。現代人にはちょっとこれはキツイ……」
そんな私はガタガタとダイレクトにお尻に振動が直撃した影響で、足がぷるぷる、お尻もあいたたな感じとなってます。
もー! 前にお城に来た時もおんなじことになってたよね! 学習してない! 私!
そんな感じでさっそくボロボロになりながらも、やって来ました第三魔法研究室――通称・第三魔研!
ラゼテジュの王宮の一画にある第三魔研の研究室は、日当たりの良くない、なんというか森に近い隅っこの、じめっとした場所にあった。
というか、研究室という割には建物一個分あるの驚きなんですが! まるでおばけの出る洋館みたいな出で立ちじゃない!?
「え、ラチイさんここ? ここなの? 正気?」
「残念ながら。実験室も兼ねていると、王宮の中心部からできるだけ離れた場所に研究所が置かれるのです。第三魔研は比較的新しい研究室になのですが、本舎に部屋の空きがなく、使用可能な場所が旧舎のあるここくらいしかもうなかったんですよ」
「えぇ〜……」
なんかお姫様とか騎士様とかと直接のやり取りしていたから、花形職! って感じなのを想像していたけど、第三魔研ってそうでもない感じ……? むしろ不遇職……?
おっかなびっくりしていれば、ラチイさんの声はそれでも明るくて。
「見た目は不気味ですが、第三魔研としては願ったり叶ったりですね。設備は最新のものを頂いてますし、裏は森になっていて内包物素材の育成や飼育がしやすいですから。唯一魔宝石の硬化だけが課題でしたが、それも智華さんの世界のUVランプで解決しましたし」
おおう、本当にラチイさんたちにとってはなんの障害のない場所なんだなってことがよく分かる。
そう言われてみれば、オバケが出そうなこの建物も、落ち着いた雰囲気のある森の研究所って感じに見えてきたかも!
気を取り直して、第三魔法研究室へと足を踏み込む。
建物の中は魔法の明かりで照明が作られていて、あの日当たりの悪さからは考えられないくらいに明るかった。
いくつか部屋毎に別れているみたいだけど、その一つから男の人の雄叫びが聞こえて。
ラチイさんと顔を見合わせる。
「今の声ってもしかして……?」
「……ダニールですね。いったい何をしでかしたのやら」
あ、やっぱり?
それならちょっと急いだほうが良くない?
ラチイさんが先導きって歩き出したので、私も慌ててラチイさんの背中を追いかける。まるで病院の内装のように目に明るい廊下を歩けば、ラチイさんが幾つか通り過ぎた先の扉の前で立ち止まった。
ラチイさんは落ち着いた様子で、扉に向き合ってノックをしたんだけど。
ラチイさんが名乗りを上げる前に、扉が勢いよく開いた!
扉の向こうから飛び出てきたのは全身真っ赤な四つ足の何か。赤い毛並みがふっさぁとしていて、同じ色をした赤い目はすっごく凛々しい。背丈は私より高いし、何より肘や膝の関節らしき所の角度が人間ってよりは犬とか狼を彷彿とさせるような感じ。
その上、顔つきだって犬みたいに鼻口が長く伸びているのに、水色のシャツに黒いケープ、黒いパンツっていう第三魔法研究所の制服を着ている。すごい、お胸のあたりがモッコモコしてるのはなんで?
まるで犬を人間のようにしたその人は、ラチイさんを見つけるとぱぁっと表情を輝かせて。
「コンドラチイ! 来るのが早かったな! 助けてくれよ!」
「うわっ」
ラチイさんもびっくりしたのか、ぎょっとして一歩横へと避ければ、犬人間みたいな人は壁へと激突した。……うわぁ、痛そう。
「え、この人何? というか人間? イヌ?」
「あぁ、智華さんは知りませんか。この世界には獣人族という種族がいまして。人の姿と獣の姿の二つの姿を持つ存在がいるんですが……これはなんと言いますか、その獣人族が獣化にも人化にも失敗した姿に見えますね」
じっくりと赤い犬人間さんを観察したラチイさんにそう言われて、私もよくよく犬人間さんを見てみる。
ラチイさんの言葉を噛み砕いてみると、いわゆる狼男みたいな人達がこの世界にはいるってことだよね? こう、月を見たら狼になっちゃうけど、普段は人として暮らしてるっていう。
異世界には普通に狼男みたいな人たちがいるとか、なんてファンタジー。
しみじみと新たな事実に直面していると、ラチイさんは床にべしょってしてぶつけた鼻をさすっている犬人間さんに一歩近づいた。
「で、ダニール。どうしてそんな格好になっているのか教えてもらっても?」
「うっそ、ダニールさん!?」
「コンドラチイがひでぇよー。……よっす、チカちゃん。久しぶり」
むくっと起き上がった犬人間さん……じゃなくてダニールさんは、へらりと笑いながら、ひらひら〜と手を振って挨拶をしてくれた。
◇ ◇ ◇
部屋に通してもらうと、そこはなんというか、雑然としたっていう言葉がお似合いな感じの部屋だった。
犬人間になっちゃったダニールさんに適当に座るように言われたので、なんかゴチャッと積まれていた紙の束を床下に置かせてもらって、隠れていた椅子に座らせてもらう。
ラチイさんも顔をしかめながら椅子を発掘して座っていた。ダニールさんはといえば、空いている椅子があるのに自分は立ったまま。
「いやー、散らかっててゴメンな。ちょうど今さっき散らけちゃったばっかでさ。いつもはこんなんじゃないんだよ」
「嘘を言わないように。散らかってるのはいつものことでしょう」
「偏見〜。いつもはもうちょっと片付いてるって。主に床は」
軽口をポンポンと言い合うラチイさんとダニールさん。この見覚えのある言葉のキャッチボールに、なるほどこの人はダニールさんなんだと改めて再認識。
「ダニールさんも座りなよ。話、長くなるんならさ」
「ありがとな。でも俺はこのままでいいよ。座るとな、尻尾が痛いんだ……さっきも座ろうとして痛い思いをしたばかりなんだよ」
ほれ、と後ろを振り返ってくれるダニールさん。
なるほど、ボトムスのお尻の部分が不自然に膨れているけど、尻尾があるんだ。さっきの悲鳴は、その声だったのかもしれない。
「尻尾、出せばいいじゃん」
「出してもいいが半ケツになるぞ?」
「絶対にやめてくださいよ」
ひゅぉおと吹雪が起きるくらいの冷たい言葉がラチイさんから放たれる。
うーん、今は犬の姿なのに気にしなくても良いんじゃないかな?
「駄目ですからね」
「ラチイさん、私まだ何も言ってないよ!」
「いえ、智華さんのことですので『気にしなくてもいいのに』と考えているんじゃないですか? でもやめたほうが良いです。魔法が急に解けることもありますから。そうなったらもう事故ですよ、事故」
「おぉう……」
急に解けるなら確かに駄目かも……?
力説されて妙に納得しちゃった。
「それにしてもダニールさん、なんでそんな姿になっちゃったの?」
「そうなんだよ、聞いてくれよチカちゃん! これの理由!」
さくっと本題に踏み込めば、ダニールさんは私のほうを振り向いて答えてくれる。その拍子にちょっと大げさなくらいにダニールさんが机をバシンって叩いたら、机の上の紙の束が崩れかけて。
「……おっと危ねー」
「そういう後先考えない所ですよ、ダニール。どうせ今回も魔宝石の分析を疎かにして魔力をこめたんでしょう」
「あっはははー。…………おっしゃる通りで」
おぉう、ラチイさん辛辣ぅとか思ったけど、間違ってはなかったみたいでダニールさんが肩をすくめた。
えぇと、つまりこの状況は?
「魔宝石の魔法ってこと?」
「そうですね」
すごい、魔宝石って自分の姿も変えられちゃうんだね?
「それで、これどうやって戻るの? このままじゃ不便だよね?」
「おう、それなんだけどな」
ダニールさんが大真面目な顔を作ると、両腕を組んで仁王立ちして、犬のお口をがうっ! と大きく開いた。
「分からん! というわけでコンドラチイ、助けてくれ!」
「それが人に物を頼む態度ですか」
ラチイさんが冷めた態度でダニールさんに言い返せば、ダニールさんがへにゃりと机にだれるように突っ伏して、おいおいと大きく泣き声……鳴き声? をあげる。
「そんなこと言うなよ〜! これじゃあ俺の男前がいつ戻るのか分かんねぇじゃねぇか! 今夜はこないだ酒屋で会った美人ちゃんとデートなのに!」
「もういっそそのまま会いに行って振られてください」
「ひどい!」
ダニールさんの訴えを一蹴するラチイさん。
まぁ、そんな不純な動機なら断りたくもなるよねー。
「ダニールさん、女遊びはほどほどにね? 悪い女の人に遊ばれてポイッてされたら悲惨だよ」
「ぐはっ、年下の女の子からの忠告は耳に痛い! でも遊ぶのはやめられない! 俺の財布は世界の美人ちゃんのためにあるのだから!」
キリリッと表情を引き締めて……いるのかな? 犬顔なのでちょっとわからないけど、でもたぶんそんな感じで啖呵を切るダニールさん。
言ってることはサイテーです。
「まぁダニールの女遊びについては横においておきましょう。とりあえず、この獣化もどきの魔宝石はどこに?」
「これ」
ダニールさんが机の上から拾い上げたものを、ラチイさんに手渡す。ライチさんがそれを掲げてくれれば、私からもよく見えた。
それは、荒削りされた石みたいにゴツゴツとした魔宝石。
内側には形には見合わない、白い綿みたいなもこもこした繊維がつまっていて、上の部分が茶色の革紐でぐるぐるーとされて野性味のあるペンダントになってる。
「遠目から見ると牙みたいな感じだね。アフリカ系の人がとった獲物の骨で作るペンダントみたい。中に入ってるのは綿かな?」
「『あふりか』とやらが何かは知らないが……中身はこれだな」
またまたダニールさんが机から何かを引っ張り出す。
紙袋に入っているみたいで、ガサガサと音を立てながら私の方にその紙袋を手渡してくれた。あ、これはダニールさんのにくきゅー。
「むにむにむに……」
「うぁー、きもちぃー…………じゃなくてチカちゃんソレソレ。ソレの中身」
「はっ!」
思わずにくきゅーに釣られてしまった!
笑って誤魔化して、紙袋を受け取る。ラチイさんからの視線が心持ち冷たいような気もするけど気のせいだよね、うん!
紙袋をのぞき込んで、中身を少し摘んで取り出す。
白い綿、というより、毛?
「これ何?」
「よくぞ聞いてくれました! これはなんと、心の広い獣人から採取させていただいた、獣人の胸毛です!」
ほわっつ?
……え、今なんて言った?
むなげ? ……胸毛?
私はラチイさんの顔を見る。
ラチイさんは納得したような顔で頷いていた。
「なるほど。だから獣化もどきになったと。内包物は魔力を含むなら体毛でもいけるんですね。獣人族の毛に含まれる魔力が獣化の鍵になってるのでしょうか。これは思わぬ発見ですね。ダニール、論文書きます?」
興味津々と言わんばかりに饒舌に喋るラチイさん。ちょっぴり楽しそうというか、私の欲しかった反応とは違うというか。
ええい、ならば私から物申す!
「ちょっと待ってラチイさん! なんでそんなにも普通に受け入れてるの。毛だよ? 魔宝石に毛をいれてもいいの!?」
「おや? 問題がありましたか? 鱗や鱗粉同様、魔獣の毛も素材になりますよ。ただ、鱗や鱗粉ほど含まれている魔力は多くないので使い所が難しかったのですが……獣人ならば魔法を発動させることが可能なほどの魔力を含有していることが分かったのは上々ですね」
上々ですね、って。
えええ……魔宝石に動物の毛を入れるのか……なんかそれってちょっとびっくりな発想……。
うんうん唸って、どうにかこうにか異世界の常識を擦り合わせる。
……あ、でも。
前にどこかで見た気がする。愛犬とか愛猫の遺毛をレジンに封入してる人。たぶんどこかのサイトをサーフィンしてたときだと思うんだけど。
だからもしかしたら、アリよりのアリかもしれないと思い直す。うん、まぁ素材としてはおかしくはないね! ふわふわもこもこな新感覚魔宝石ができちゃうよ!
けどさぁ!
「なんで尻尾とかにしなかったのかなぁ……!」
もっと他にも毛が取れる場所はあると思うんだよ!
採取する場所のチョイスが悪い! 聞かなきゃ良かったね!




