ハートマカロン・プリンセス【後編】
「信用できない、ですって?」
広間に凛と声を響かせるのは、まだ幼い女の子。
皆がその声の持ち主を見た。
背筋をまっすぐ伸ばし、力強くフォミナ侯爵を見ているエメラルドの瞳が、ヴァイオレットに染まる。まるでアレキサンドライトのような瞳の色の変化に、私は視線が釘づけになった。
「それが我が国の誇る魔術師長官としてのお言葉なのですか?」
「……言葉のあやでございます」
「そうかしら。フォミナ侯爵はいつもお言葉が足りなさすぎると、お父様も仰っていてよ。ねぇ」
お姫様の言葉に返す言葉が無いのか、フォミナ侯爵はだんまりになった。十歳の女の子が、その小さな体でフォミナ侯爵に面と向かって啖呵を切っているの、すごくかっこいい。
そう思っていたら、王様が快活に笑って。
「そうだな、王女の言うとおりだ。フョードルは言葉がいつも足りないな」
フォミナ侯爵の眉間にしわが寄る。
お姫様はそれを見てころころと笑い、メイドさんが持つ髪飾りを手にした。
「最初、わたくしがチカにお願いした魔宝石は、殿方を誘惑するものでした。ですがチカは私のお願いした魔宝石を作るのに条件をつけたのです」
私の名前が出た瞬間、全員の視線が私に向いた。私はひょっと肩がはねそうになるのを、ぐっと堪える。平常心、平常心……!
私が心頭滅却していれば、王様がお姫様の話に食いついて。
「その条件とはなんだったのだ」
「殿方を誘惑するための魅力を、わたくし自身が身につけるというものでしたわ。誘惑するための魔宝石が欲しいのに、誘惑するための魅力をわたくしが身につけるのだから、おかしな話でしょう?」
お姫様が一人で楽しそうに笑いながら話すけど、誰も何も言わない。王様だけが面白そうに目を細めているけど……。
まぁ、あれだよね。まだ十歳の女の子から、誘惑なんて言葉を聞くなんて思ってもみないよね! 前は「悩殺」だったから、マシにはなってるけどさ。
そんなことを思い返していれば。
「チカは魔法では手に入れてはいけないものを教えてくれました。それは人の心。手に入れたいのならば自らの努力で勝ち取ってみせよと」
……そんなこと言ったっけ!?
いや、私の魔宝石を使いたいなら、お姫様自身が魅力的になってくださいとは言ったっけ……? 今考えてみればかなり強気な発言だったね?
私が記憶の底をあさっている間にも、お姫様はフォミナ侯爵相手に強気な発言を繰り返す。
「そんなチカ様が人を害するような魔宝石を作るとお思いですか?」
「ですが、実際に魔宝石の中身が分からねば安全とは言えません。私の手元に届いた試作は失敗作でした。ゆえにそれも」
「――魔法の中身が分かれば良いのですか?」
ラチイさんが立ち上がる。
そしてにっこりと微笑むと、懐から一つの薄い本のようなものを取り出す。
「これは第三魔法研究所所属ダニール・ヤフノスキーによる研究報告書です。今回、魔宝石を製作するにあたり、太陽の樹液について研究する彼にも協力していただきました。研究成果とともに報告が上がっております。もちろん、魔宝石の魔法効果についても」
ダニールさんの研究書!?
ラチイさんいつのまにそんなものを用意してたの!?
呆気に取られて見ていると、ラチイさんの持つその本にいち早く反応したのはフォミナ侯爵で。研究書を一瞥すると、フォミナ侯爵はラチイさんに声をかける。
「コンドラチイ、それは研究論文か?」
フォミナ侯爵の問いに、ラチイさんは微笑みを絶やさず、首を横に振る。
「いいえ、これは報告書です」
「……見せてみよ」
フォミナ侯爵の態度が変わる。
ラチイさんが研究書をうやうやしく差し出した。フォミナ侯爵は、渡された本へざっと目を通す。その眉間にシワが寄る。
得体の知れない緊張感で、私は拳を握る。
フォミナ侯爵の一挙一動が怖い。
ここで否定されたら、私はまた一からだ。
永遠にも感じるこの時間。
やがてフォミナ侯爵が一度目を閉じ、王様のほうへと向き直った。
「陛下、我が国の研究報告書をベンジャミン殿にも読んでいただく許可をいただきたい」
「ふむ。フョードルが言うのであれば」
「ありがたく存じます」
フォミナ侯爵がベンジャミンさんにダニールさんの研究書を渡した。
それを今度はベンジャミンさんが読む。その表情がみるみるうちに明るくなって。
「これは素晴らしい! 太陽の樹液の性質についてもですが、こんなひも複雑な魔法効果が現れるものなのでしょうか! 百聞は一見にしかず、ぜひ姫君に使っていただきたい魔法ですね!」
興奮するベンジャミンさんに、フォミナ侯爵が淡々と問いかける。
「対象相手は貴国の王子となるが、それについて同意はいただけるか」
「それは王子次第でしょう。私からは、危険はないことのみをお伝えいたします」
にっこりと笑うベンジャミンさんが、そのままロビン王子に視線を移す。王子様は仕方なさそうに笑った。
「ベンジャミンがそう言うのであれば、私に否やはありません」
そう言うと、王子様はお姫様の前まで歩みでて、膝を折る。
「アレクサンドラ姫。ぜひ私にあなたの魔法を見せてくださいませんか」
「ロビン様……」
お姫様の声が震える。
瞳が揺れて、いつもの緑へとその色が戻っていく。
燃え盛る炎のような迫力はなくなったけど、でも、その姿勢はまっすぐと延びていて、凛と、していて。
「ありがとうございます……どうか、私の魔法を聞き届けてくださいませ」
お姫様の手の平にある魔宝石が赤く輝いた。
その手のひらに、王子様の手が重なる。
瞬間、二人を炎のカプセルが包みこんで。
「王子!」
驚きに大きな声を張り上げ、ベンジャミンさんが嬉々としてカプセルに駆け寄った。
「すばらしい! これは炎ですか? まったく熱くありませんね! 幻影ですか? いやでも霧を掴んだような不思議な感触がありますね……!」
「外からは中の様子が見えないのだな」
大興奮するベンジャミンに、王様がのんきにそんな言葉をかけていて。
……そういえば王様はダニールさんの報告書を読んでいないはずだけど、この光景を見て驚いた様子がない。普通の人は驚くと思うんだけどなぁ。ダニールさんとかめっちゃ驚いていたのに。
ベンジャミンが一人で大興奮している空間のなか、そう時間が経たない内に炎の繭が溶けていった。
炎の中からは、お姫様に膝をついて手を握る王子の姿。
お姫様が恥ずかしそうにちょっとだけ視線を下げている。
「王子!」
ベンジャミンさんが大きく声を張り上げると、王子様が一つまばたきをした。
「……あ、ベンジャミン」
「あ、じゃないです! どうでした!? 中はどんな感じになっていましたか! 王女との秘密の思い出――むぎゅ」
「ちょっと黙ろうね。それ以上は野暮だから」
「んむー!」
興奮冷めやらぬまま駆け寄ってきたベンジャミンに対して、王子様が柔らかくたしなめた。ついでにその口を思い切りふさいでしまう。なるほど、これが力関係。
なんかやっぱり、ベンジャミンさんには親近感が湧くなぁ。こう、興味のあるものに猪突猛進っていうか。まぁ、私はあそこまで見境なくはないけど。ないはずだけど! ちょっとラチイさんなんで生ぬるい視線向けてきたのかな!?
私とラチイさんが視線だけで会話している間にも、王子様が王様へと向き直っていて。
「ラゼテジュ国王陛下。ラゼテジュの魔宝石の魔法、この身でしかと体感させていただきました。これほどまで魔宝石の技術が進歩しているとは思いもいたしませんでした。だからこそ今一度、問いかけさせてください。この盟約の相手が我が国でほんとうによろしいのでしょうか」
ロビン王子の言葉に見え隠れするもの。
それはこの婚約に横槍を入れてきたという西の帝国のことだと思う。
だけど王様は頬を緩めて、二度三度と頷いた。
「遠方にある大国よりも、近くにいる隣人と良い関係を結ぶほうが、身の丈にあっているとは思っている。それが答えだ」
「……誠に感謝いたします。改めてアレクサンドラ姫と私の婚約を進めさせていただきたく存じます」
「こちらこそ、よろしく頼む」
王様が立ち上がり、玉座から降りてきて手を差し出す。ロビン王子はその手をしっかりと握って。
「我が国のこの技術はまだ周知がされていない技術だ。ヘスヴィンの魔石資源とともにさらなる発展につながることを期待している」
「もちろんですとも」
王様と王子様が仲良く握手!
これで一件落着、だね!
これでようやくひと息つける〜……とか思っていると。
「それにしても、これを作り上げたという魔宝石職人……チカ、でしたか。素晴らしい職人ですね。ラゼテジュにはこのような職人が他にも?」
「あら、チカは特別なのですわ。だって『願いを叶える魔宝石』をつくれる人ですもの」
王子様の言葉に、お姫様が嬉しそうにそう答えるのが聞こえちゃった!
思わずそっちを見てみれば、王子様もつられるように微笑んで、お姫様の手を取っていて。
「姫君の願いは叶いましたか?」
「わたくしの願いはチカに叶えていただくものではございません。これから叶えるために、努力をするのですわ!」
「……これは参ったね」
照れたように笑う王子様のあの様子。まるであの時のラチイさんを彷彿とさせるね! お姫様はあの魔宝石をうまく使うことができたんだと分かって、嬉しくなる。
予想外の展開だったけど、私の気持ちは、魔宝石は、ちゃんとお姫様に届いた!
両国が魔宝石の出来に納得したところで、お披露目会はおしまい。このまま偉い人たちだけで、婚約式をするらしい。
私とラチイさんは、もうお役目御免とばかりに広間を出る。出る時にフォミナ侯爵に一瞥されたけど、全然怖くなかったもんね!
広間を出た私は、ぐいっと背筋を伸ばす。
これで肩の荷が降りた。
今夜はぐっすりと寝られるね!




