第1話 8人の英雄
扉は押す前に開いた。
真白い光明が目を潰した。
暖気が仄かに肌を押した。
「お待ちしました」と艶混じりの男<ダビー・マイヨル>が頭を下げる。
「既に全員揃っております、案内を」
手振りのままに導かれ再び扉の前に立った。
戸を軽く押して入ると、中にいた人々の視線が集まった。
各人の前に置かれたティーカップから湯気が出ていないのを見て、遅参だと知った。
ミュウは一つだけ空いていた席に座った。ダビーが口を開く。
「英雄の皆々様方。ご死亡のところお集まりいただき、感謝申し上げます。」
言葉を聞き流しながら、紅茶とミルクに目をやる。口をつけると微かに温かった。
「まさか私、夢のようでございます。噂に名高き英雄の面々とお会いできるとは、恐悦……」
「本題に入ってもらいたい」
横から厳めしい面をした男が遮る。この場で一番の巨躯を持つ彼の言葉には、圧迫感があった。
「責めるわけではないが憂慮することが多すぎる。申し訳ない、説明に入ってもらえないだろうか」
「では。今回皆様にご足労いただいたのは、他でもありません。」
喧しく弁舌が振るわれる。紅茶に合わせる砂糖が欲しい。
卓上を探ると自分の席から2つ左、先ほど声を上げた男の手元に瓶詰がある。
目配せで意思を伝え、隣の女性を経由して届けてもらう。
ミュウは2人に礼を伝えた。男は厳しい相貌を崩し、にこやかに笑った。
「説明は私が引き継ぎます」
右斜め前に座っていたキタルファが立ち上がる。要領を得ないダビーの説明を制す形だった。
「上座を占領してしまい、申し訳ありません。尤も、ここにいる方々は時代、文化や風習も異なりますが……。一応説明に便の良いようにと、このような並びにさせていただきました。ご不満はございますでしょうか」
沈黙が流れた。卓に坐す英雄を見ると扉に近いものほど、常識から離れた恰好をしている。
ミュウが生きていた時代には無かった複雑な武器を持つ者もいた。
恐らくは下座にいくほど、歴史的に真新しい世代になるのだろう。
緊迫した空気が続くせいか喉が渇く。
冷め切った紅茶を飲み干す。粘着くような甘みが後を引いた。
砂糖を入れすぎた、と考え顔をしかめた。
「ありがとうございます。では説明の前に注意を。質問は挟まないように、お願いします。またこれから語ることは須らく、真実でございます」
茶菓子などないものか。
見回せば下座にいる見知った女が占有していた。
彼女<ラサ・ラス>は憚ることなく一人茶菓子を独占している。
豪胆な眩しさに目を細めた。
「それでは説明を。まずこの世界は1度滅びています。しかし残された人類はここ、館の周辺にある<空の楽園>にて繁栄。空に浮かぶ楽園の文明は、滅亡にて汚染された地上と隔絶されていました。」
茶菓子のお代わりを所望する。
先程まで人を食ったような態度をとっていた、クソ執事に依頼した。
執事は寸秒もかけず、甘菓子を皿一杯に運んできた。
お前は俺が、砂糖をたっぷり入れた紅茶を飲むところを見ていただろう。
ふぁっく。塩味が欲しい。
「そして楽園の人類は決断をします。【なぜ人類は滅亡したのか】【地上はどうなっているのか】両調査の開始を。」
茶菓子には手を付けずにいた。
やがて皿はラサのもとへ流れていった。
まだ入るの?すごい。
「あなたたち英雄はその調査のために呼ばれました。よろしければご協力をお願いします。何か質問があれば、遠慮なくお申し付けください。」
隣の女性に肩を叩かれた。女性はバター香るラスクを私に手渡した。そして左手で注目を促した。
視線を投げると、茶菓子をほおばっている食いしんぼうが親指を立てている。
親指を立て返し、再度隣の女性に礼を言った。
「では何もないようですので、今後の展望についてお話を。我々」
不意に何かが激しく擦れる音がした。音源を見ると幼女が大きく舟をこいでいる。
騒音の原因は歯ぎしりのようだ。
「おい、起きろ」
黙然として腕を組んでいた騎士らしき男が、優しく肩を揺する。
幼女は長い睫毛を不規則に震わせながら、ゆっくりと体を起こした。
「いいタイミングだ。起きないと俺の態度が冷え固まるところだった」
「アイスになるの?」
寝ぼけ眼で女性が聞き返す。
「アイスにはならない。無敵でクールな騎士だからな、よく起きた」
「早起きは買ってでもしろ、というじゃない?」
理解の及ばない会話の応酬が繰り広げられた。
言語は召喚の際に統一されているはず。
生きてきた時代の差異によるものか、高度な符丁であろうか。
そもそもここにいるほぼ全員が初対面のはずだ。暗号の可能性はない、とまで考えラスクを齧り始めた。
ガーリックの香りが鼻に抜ける。しょっぱうまい。
「……よろしいでしょうか」
置き去りにされていたキタルファが苛立っている。手持ちのラスクを差し出すと拒否された。
奥から袋入りのクッキーがテーブルクロス上を滑ってきたが、これも無視された。
奥でショックを受けている食いしんぼうへ向けて投げ返す。
しかし途中で、腕を伸ばした寝起きの女性に阻まれてしまった。
「調査は1日8時間、この中から2名を選出して行います。内1名は死亡するまで固定されたメンバーとなり、中途変更ができません。つまり固定メンバーに選ばれた方は、死ぬまで積極的に探索へ向かっていただくことになります。……適度な休息や療養は認めますが。これら諸事情は装置による都合です、ご了承ください」
『途中で片方のメンバーは変更できるんですか?』
質問を投げかけてみる。
「はい。我々としては固定メンバーの方に、もう1人の随伴者を選任してもらう形を想定しています。必然、最も現地情報を集めることになるので適任だと」
キタルファは言葉を区切り、右手を上げる。
「固定メンバー、いえ、実質的なリーダーですね。リーダーには多大な負担・責任・義務が生じます。しかし敢えて、立候補を募ります。我こそはと思う方、いらっしゃいますか」
無言で手を挙げる。やらない訳にはいかない。そのために呼ばれたのだ。
「ではほかに立候補者はいないようですので、英雄<ミュウ・アクリ>氏をリーダーとさせていただきます」
彼の名前が呼ばれた瞬間、この場に訪れた英雄すべての目が集中した。
「ミュウ・アクリ。あの本の」
目の前に座っていた少女が呟く。
『俺、死んでから英雄になれたんですね。自分じゃ分からなくって』
嘘だ。自分が死んでどうなったかよく知っている。
人間は死すれば、後世に伝わる情報を知る術を持たない。
だが俺は知っている。教えられたからだ。
「おお、かの英雄を介助できるとは! 何たる幸運!」
ダビーが立ち上がった」。芝居が仰々しい。
「ここにいる皆様でさえ、1度は耳にしたでしょう! 彼の伝説を! 輩に全てを託し死んだ、あの偉業を!」
近くで叫ぶな。耳が痛い。
俺は英雄ではない。
「うるさい黙れ」
キタルファが執事を諫めた。
軽く咳払いをしている。
示威ではなく、宥和の意が込められた穏やかな咳払いだった。
「蘇生されたばかりで耳をお貸しいただき、感謝申し上げます。本日はこれにて、解散とさせていただきます。早速ですが部屋へのご案内をいたします。部屋割りについてもご相談が」
ダビーが言葉を引き継ぐ。
「つきましては部屋数が足りないので、配慮いただきたく存じます。少しよろしいですか、マドモアゼル」
ミュウの右隣でミルクを味わっていた彼女は頷き、執事の後を付いていった。
「ミュウ・アクリさん」
キタルファが話しかけてきた。
「貴方にはこれから全英雄とコミュニケーションをとっていただきます。部屋を紹介する際、皆様に話を通しておきます。そして誰と共に探索を行うか、決定してください」
『ありがとう、キタルファ』
「それと重要報告が」
『なんでしょう』
「おかえりなさいませ、ミュウ・アクリ」
彼はキタルファの目を正面から見据えて、ただいまと言った。