プロローグ
俺は朝日イタル。
高校二年生、帰宅部所属だ。
平日は放課後になったら速攻で直帰する。
ぐだぐだとだべる友人もいないので、在校生の中ではトップを争うスピード帰宅だ。
ホームルームで先生の連絡事項が少ないと、生徒の中で一番早くに校門から出られることもある。
そんな時はエリート帰宅部らしく、ちょっとした優越感と開放感を感じている。
今日はB組の溝口くんにあと一歩のところで『最速帰宅』は負けたけど、花の金曜日だから気にしない。
さぁ、帰ったら深夜までゲーム三昧だ。
徒歩二十分で高校から帰宅し、パソコンを立ち上げて、オンラインゲーム『ドラモンクエスト』を起動する。
スマホも進歩したけど、処理速度が命のオンラインゲームはやっぱりパソコンじゃないとダメだ。
よし、じゃあさっそく今日の新着イベやクエストの情報を確認して――
と思っていたら、なぜかいきなり視界が切り替わった。
いつのまにかパソコンではなく、口髭を生やした初老の神官らしきおっさんがイタルの目の前にいた。
パソコンチェアーではなく変な紋様の魔方陣を尻に敷いていて、周囲を大勢の人に囲まれていた。
「は?」
イタルの周りの人々はまるでゲームの世界のような、現実では見慣れない民族衣装に身を包んでいる。
イタルは困惑した。
「勇者様だ! 大神官様が勇者様の召喚に成功したぞ!!」
周囲の誰かがそう叫んだ。
「じゃ、わしはこのへんで」
口髭を生やした初老の神官さんが「いや~今日の召喚は会心のできじゃったわ」と言いながら充足した笑顔で去って行く。
「へ?」
このわけのわからない事態に、イタルは答えを求めるように辺りを見回す。
「うぉおおおおお! 勇者様! 万歳!!」
「万歳! 万歳! 万歳!! 万歳ァ!!!」
人々がイタルを囲んだまま、ハイテンションで大合唱を始める。
「ふぇぇ」
イタルがすっかりビビっていると、取り巻きの中から一際ガタイの良い戦士みたいな男が歩み寄ってきた。
「これで俺達をお助け下さい、勇者様」
男はそう言って、イタルに剣を手渡してきた。
「どどどどういう意味ですか?」
イタルの問いガタイのいい男は答えず、なぜかニッコリ微笑んだ。
それが地獄の日々の始まり、その合図だった。
以降、魔物やらドラゴンやらが近くの人里に現れると、必ずイタルは駆り出され、戦うことを強要された。
どうやら何かの拍子にイタルが迷い込んでしまったこの異世界では、人は悪魔やらドラゴンやらの多種族と覇権争いをしているらしかった。
「こっち来んな化け物オォ!」
そんな世界で生き残るため、イタルは時として毒々しい巨大スライムを相手取り、
「無理無理無理ムリムリ絶対ムリ!」
弱音を吐きながらも火を吐く巨大なニワトリ(飛龍の仲間らしい)すら撃退した。
どうやら勇者として召喚されたイタルには高い戦闘適性があるらしく、よくわからない『勇者の加護』とやらの力でどうにか日々の戦いを乗り超えていった。
「イタル様は勇者。鋼の肉体を持ちながら、何を怖がることがあるのです」
ある日、ガタイの良い戦士トモイがイタルに言った。
「……いくら身体が強くても、心はフツーの一般人なんだよ。つーかこの村、魔物が来すぎじゃね? この世界って、どこもこんなもんなの?」
イタルは据わった目つきで答えた。
『勇者の加護』とやらのおかげで、イタルは戦闘してもかすり傷一つ負わず、剣を振ればバターのように相手を切り裂ける。
だが怖いものは怖いのだ。
血を見るのも嫌だし、戦いの度に自分が化け物じみてるって自覚させられるのもたまらなかった。
「勇者様ならこれくらい普通ですよ」
イタルの問いに、戦士トモイはニッコリ微笑んだ。
毎日、何かしらのモンスターの襲撃が普通――
まともじゃないとイタルは思った。
しかし村から逃げだそうにも村人を見捨てるみたいで踏ん切りがつかず、イタルは戦いに明け暮れて精神を磨り潰す日々を送る。
ついには度重なる戦闘でイタルが心を病んで家に引きこもろうとしても、村人たちがそれを許してくれなかった。
駄々をこねて抵抗しようにも、村人たちも命がけだ。
イタルが戦わなければ勝てない――いつのまにかそれほどまでに周囲はイタルに依存し、それほどまでにイタルは強かった。
これまたある日、イタルは重圧と責任感から思いつめてふらりと崖下に飛び降り自殺を試みたが『足首をちょっと挫いたかな?』くらいの感じで未遂に終わった。
死ねなかったのだ。
自分の勇者っぷりに、ひっそりとイタルは泣いた。
「膝に矢を受けてしまいましてね。私は戦士を引退することにしました。なぁに、勇者様にはもう、私から教えることなんて何もありませんよ」
これまたとある日、とても爽やかな笑顔でそう言って、イタルと一緒に戦っていたガタイのいい戦士トモイが戦士を引退した。
「……なぁトモイ、この世界から争いをなくすにはどうしたらいいのかな?」
血走った眼に据わった目つきで、イタルはトモイに問うた。
「それは哲学的な話ですかな?」
「いや、真面目な話」
「そうですねえ。魔物たちを束ねる王――魔王を倒すことができれば、あるいは争いはなくなるかもしれません」
「ふーん」
「ははは。ですがいくら勇者様でも、魔王には勝てませんよ」
「ふーん」
「明日も早くから見回りです。今日はもうお休みになられたほうがいい」
「…………」
トモイが去って行く。
一人になって、イタルはカッと目を見開いた。
「やってやろうじゃねぇかこの野郎オォ!!!」
いろいろと吹っ切れたイタルはその夜に村を飛び出た。
そして一ヶ月もたたないうちに、イタルは数々の魔王軍を壊滅させ、ついには単独で魔王城に乗り込んだのだった。