プロローグ
「よっ!」
「っ!?」
寝起きにいきなり声をかけられ、驚きのあまりベッドから転げ落ちる。
何が起きたのか思考が全然追いついていないのと、腕にじんわりきた痛みで、何が何だかわからなかった。
今、目の前におっさんがいなかったか?いや……そんなはずはない。
両親は海外に赴任していて、自分以外に今この家にいるのは、大学生の穏やかな姉と、中学生の生意気な妹だけだ。仮に父さんが家にいても、息子のベッドに忍び込んで驚かすような積極的なコミュニケーションをとったりはしないだろう。そんなの嫌すぎる。だとすれば……
「夢か……」
そう結論づけて、もう一眠りするためにベッドに戻り、布団を被る。携帯を確認すると、時刻は朝の6時半。新学期初日だし、どうせ始業式に出るだけだ。ダラダラしていても構わないだろう。まだ完全に眠気がとれたわけではないので、このまま……
「おい、夢じゃねーよ!無視すんなよ!」
「は?」
今、確かに呼びかけられた。明らかに気のせいではない声に、今度こそ目を覚ます。起き上がるとそこには、というか天井には……
「よっ!」
「っ!」
金髪で髭面、中年太りのオッサンが、天井に貼りついていた。
「…………」
「おいおい、なんかリアクションしろよ。ほら、ピース!ピース!」
「……ぎゃあああああーーーーー!!!」
再びベッドから転げ落ち、天井を見上げると、間違いなく人がいる。
何これ怖っ!?
えっ!?何なの!?まだ夢の中なのか!?あれ誰!?
かつてない衝撃に体が小刻みに震え、どうしていいかわからなくなる。
「弟君、どうしたの?」
頭がパニクっていたせいで気づいていなかったのか、部屋の扉がいつの間にか開かれていて、義姉の灯がそこに立っていた。その優しい声によく似合うふわふわした茶色の長い髪を弄りながら、こちらを心配そうに見ている。
「ね、義姉さん……」
「ものすごい叫び声が聞こえてきたから、慌てて来たんだけど……何があったの?変な夢でも見た?」
「いや、その……」
義姉さんに何と言えばいいのかわからずに天井を見ると……あれ?何もいない。……いつも通り義姉さんもいる事だし、やっぱり気のせいだったのか。春休みボケだろうか。
「弟君?」
「ああ、大丈夫大丈……」
義姉さんに心配ないと告げようとして、言葉が途切れる。
「白か……」
髭面のオッサンが、いつの間にか移動していて、寝転がって姉さんのスカートの中を覗き込んでいた。しかも、義姉さんはまったく気づいていない。いや、普段からおっとりしすぎるくらいに、おっとりしているのは知っているけれども!
「どうしたの?大丈夫なの?」
「何やってんだよ!」
「え、弟君っ!?」
俺はオッサンに飛びかかった。
だが起き抜けの頭のせいか、考えがなさ過ぎた。
おっさんはそこにはおらず、姉さんに飛びかかる形になり、そのまま派手に転ぶ。
「っ……ご、ごめん。義姉さん……」
「あ、あの……お、弟君?その……確かに私達は血は繋がっていないよ?でもね?わ、私達は姉弟なんだよ?だ、だから……気持ちは嬉しいけど……いや、私ったら何言って……」
義姉さんはほんのり紅い唇を震わせ、甘い香りを撒き散らしながら、顔を真っ赤にしている。くりくりした目は何かに揺らいでいた。こちらも同居して約1年の義姉のそんな姿に、何と言えばいいかわからずに、朝にもかかわらず、本日2度目のパニックに陥っていた。や、やばい……まずはこの態勢を……
「何やってんの、こんな朝っぱらから」
義姉さんのふわふわした声とは対称的な鋭い声が、俺の思考回路を一瞬で冷ます。
「月乃……」
恐る恐る左を向くと、妹の月乃が声と同様の冷めた瞳でこちらをじぃーっと見つめていた。
「まったく、いい加減年上の女にも慣れてよね。いつまで舞い上がってんのよ。みっともない」
「いや、これはだな……」
「言い訳しない」
「はい」
急いで起立して、姿勢を正す。我が妹はどうやら朝からご機嫌斜めのようだ。
「ごめんね、月乃ちゃん……」
義姉さんも照れ笑いを浮かべながら、のんびりと立ち上がる。こんな時もほんわかオーラを絶やさない姉さんであるが、その姿を見る月乃の目は冷ややかだった。
「……先にご飯食べて学校行くから」
無駄のない動きで、真っ黒なポニーテールを揺らしながら、さっさと階段を降りていく月乃の後ろ姿を見て、自然と義姉さんと目を合わせる。多分、俺も義姉さんみたいな苦笑いをしているだろう。
どういうわけか、姉さんと月乃はどうも折り合いが悪い。ケンカするとかじゃないけど、必要最低限しか話さない。義姉さんは頑張って話しかけてはいるが、月乃はさっさと会話を切り上げてしまう。元から口数が多い方ではなかったけれと、その態度には違和感を覚える。義姉と実妹とは意外と難しいのだろうか。
「じゃあ、弟君も用意が済んだら、一緒に朝御飯食べよ」
「あ、わかった」
小さく笑って義姉さんも階段を降りていく。あの二人だけじゃ食卓が気まずいだろうし、俺も早いとこ準備して降りるとするか。二度寝するつもりだったが、早く起きてしまったものは仕方ない。さっさと着替えるとしよう……
「ったくお前、妹までいんのかよ。この贅沢モンが」
3度目の正直。
さっきの謎のオッサンが、今度は俺のベッドの上に涅槃像のように寝転がっていた。