転調
「え、なんでこんな時間なんですか?」
寝ぼけ眼をこすって枕元の時計を見れば、いつもならすでに出かけている時間ですね。
かけたはずの目覚ましも空しく、僕を起こすことは叶わなかったらしいことは想像に難くありません。血の気が引いていくのがわかります。
「昨日夜更かししたんだから寝坊することぐらい予想できましたよね」
「いま言っても仕方ないですよタンソ君。とりあえず急ぎましょう」
胸に抱えたリラックマのタンソ君と話しているうちに頭に血が回り、ほぼ遅刻が確定していることを確認します。
彼は生まれたときからずっと一緒にいた大好きな親友です。彼の声が聞こえるようになったのはいつからでしょうか。
それはさておき水玉模様のパジャマを脱ぎ捨て、いつものスーツを着込みます。
「今日は―――に行くんだから、早く起きなきゃいけなかったのにやっぱり僕はだめですね」
「誰にだってミスはありますよスギちゃん。もっと前向きに生きてきましょう」
急いではいますが朝ごはんは大事です。昼までの元気がなくなってしまいますからね。
今日の朝食はなににしましょうか。棚を見ればシュガーフレークとチョコワがありますね、牛乳はありましたっけ?
「忘れてませんかスギちゃん、今は期間限定でチョコワにリラックマシールがついてるんですよ」
「そうでしたねタンソ君、では今日はチョコワを食べることにしましょう」
冷蔵庫の中から牛乳をとりだし、ついでに昨日から冷やしておいた試験片も回収しておきましょう。
これを忘れたらまた学生たちにスギえもんがどうとか言われてしまいますからね。あれは少々悲しいものがあります。
「~♪」
チョコワについていたシールは持っていないやつでした。うれしいです、かわいいですね。
小躍りしているとタンソ君に注意されてしまいました、嫉妬でしょうか。大丈夫です、タンソ君が一番ですから。
「食べ終わったなら早くいきましょうかスギちゃん。いつもより遅くなっていますからね」
食器を片付け、支度をして玄関を出ます。タンソ君にはいつも通りバッグの中に入っていてもらってます。
いつもより足早に駅に向かい通勤ラッシュの波に身を投げます。周囲の眼が向いている気がしますが何かあったのでしょうか。
「え、なんで僕ナイトキャップ被ったままなんですか。普通着替えるとき気が付きますよね?」
視線の原因はこれだったんですね、さっさと脱いでしまいましょう。タンソ君も教えてくれればよかったのに。
仕方ありません、平静を装って電車内は耐えることにしました。南千住まではもう少しですから。
「っ!?なんでしょうか、今のは」
生活リズムを崩したからでしょうか、ふらついてしまいました。やはり早寝早起きは大事ですね。
頭痛が収まったころにちょうど駅に着きました。さっきのはいったい何だったんでしょうか、いつもはこんなことなかったのに。
普段通りの平穏な町並みは(本当に?)眼が眩むほどに見慣れた光景です。
「さて道のりはあと少しです。急がないと間に合いませんよ、スギちゃん」
「ここをまっすぐ行けば、―――ですね。早く行くとしましょう」
道行く人たちは変わらず笑顔で(そうでしたか?)僕と同じ方向に向かう人も多々いるようです。
まあ今日は―――ですから、家族連れで(いましたっけ?)遊びに来る人も少なくはないのでしょう。
「一般の来客と同時ってことは明らかに遅刻ってことぐらい予想できますよね」
「どうしてそんな言い方をするんですかタンソ君。僕が傷付くかもしれないことぐらい予測できましたよね」
近づくにつれて大きくなる喧騒はとても楽しげで(あり得ません)僕もつい浮足立ってしまいます。
日々が幸せな(殺伐とした)南千住にピッタリの(不似合いな)明るく楽しい雰囲気が、むしろ今までが夢だったかのように起きたと思っていた寝ぼけ眼を覚ましてくれました。
「やっと―――につきましたよ、タンソ君。いつもより時間がかかったような気がしますね」
門の上に掲げられた横断幕に大きな文字で示されたその言葉を気持ち悪いほどにすっきりと飲み込みます。
そう、今日は待ちに待った轟扇祭です。




