1 変身体験・第二段階
「えっ?! ええ──────っ?! 理沙、本当にこの子が話してた子なの?」
駅前の広場に、頓狂な声が響いた。
「そうよねー。ねっ、俊也クン?」
「すいません、その……聞いてる人がいない場所に移動しませんか?」
住んでいる街から電車で1時間近くかかる街。たぶん知り合いはいないだろうけど、女装中に通行人の行きかう前で本名を呼ばれるのはたまらない。
案内してもらった近場のカラオケ屋に3人で入って一息つく。
「……今更で悪いんですが、理沙さん、でいいんですよね?」
僕の目の前に座る、ギャル系の格好をしたやや小柄な女の人におずおずと尋ねてみる。前に会った時は茶髪だけど大人しい感じの人で、声は確かに一緒だけど印象が重ならない。
「そーよ? びっくり? びっくりした?」
「ええ。正直なところ、少し」
「この子はね、いつもはこんな感じなのよ。一昨日急に普通の格好で出かけて驚いたもの」
「アタシだってねー。TPOは考えるわけですよ。2、3年ぶりに会うプチ同窓会だもん。一応、猫かぶりモードで。……俊也クン、こんなギャル嫌?」
「嫌、っていうほどじゃないですけど、身近にいないタイプですので」
「敬語なんてやーよ。オトトイみたいに、アタシのことはリサって呼んでっ」
「一昨日は、姉のふりをしてただけですし、そういうわけには……」
「あ、ちょっといい? そこが分からないの。漫画じゃあるまいし、弟が姉のふりをして見破れないとか、そんなことありうるのか、って」
「親しい人なら無理だと思いますよ。一昨日は、3年間会ってない昔の友人同士だったからなんとかなっただけで。……それでも、理沙さんにはばれたわけですから」
「アタシだって、そこまで確信持って分かったわけじゃないよ? だいたい姉貴。こんなちょー美少女が実は男の子って、フツーは漫画の中だけの話じゃん」
「そこも疑問。どこからどう見ても女の子なんだけど、2人で私を担いでるわけじゃなくて?」
「じゃー、自己紹介しましょっか。まずはアタシ、杉本理沙。オトトイは猫かぶってたけど、本性はこんな感じなんでヨロシクねっ
「ええと、瀬野俊也と申します。今日はこんな格好で本当に申し訳ありません」
かぶっていた黒髪ロングのウィッグを外しながら、僕は女性2人にお辞儀する。
「ダイジョーブ、姉貴には事情は話してあるから。アタシが女装で来てってお願いしたとか」
今日はハイウェストで長い黒のサロペットスカートに、白のトレーナーを合わせた衣装。女装もそろそろ慣れてきたとはいえ、身内以外に女装と知られている状態で同席するのはまた別種の恥ずかしさがある。
「普段から女の子に間違えられますけど、正真正銘、男です。胸だって真っ平でしょう」
今日はパッドもブラジャーもつけてないので膨らみがない、下も男物の下着の状態。
そういえば、前回僕が男物の下着で外出したのは、何日前のことだっただろう? 胸に重みがないことに違和感を覚えていることに気づいて、複雑な気分。
「いやでも声も女の子だし、貧乳の女の子ってことも……」
「姉貴、疑いすぎ。……って、あんた本当に俊也クンだよね? 悠里が俊也クンのふりをしてるとかないよね?」
「まだ声変わりしてないからこれが地声ですし、僕は本当に俊也ですよ」
一応スカートを穿いているとはいえ、ウィッグも取ったし、化粧もしてない。これで男と信じてもらえない自分が少し情けない。
……本当は『情けない』以外の感情も自覚しているけど、そこからは敢えて目をそらして。
「姉貴、悠里のこと覚えてるかな? こっちに引っ越す前、小学校のころ何回かうちに呼んだことあったし。俊也クンはその弟」
「もちろん覚えてる。あの頃から可愛い子だと思ってたけど、今はこんな感じの美人に育ってるのかあ」
初めて女装で外出した日に出会った、中里美亜紀さん。その後色々連絡を取っていたわけだけど、結局うちに遊びにくるということになった。それも、小学校時代のお姉ちゃんの友人たち数人を引き連れて。
『分かってるよね? 明日は俊也が私のフリをして相手してあげてね?』
『さすがにばれると思うけど……』
『ばれた瞬間、大笑いしてやるくらいの気分でやれば大丈夫。きっと、みんなも喜ぶわよ』
そんな会話の結果、僕はお姉ちゃんのふりをして皆を応対して。割と意外なことに、その日は最後までバレずに散会までこぎつけて。
でも見送る別れ際に、その会の参加者の一人だった理沙さんが、こそこそと寄ってきて、僕だけに聞こえるように囁いたのだ。
『あなた悠里じゃなくて、俊也クンだよね? 今度、その格好で一緒にデートしよ?』
……とまあ、それが一昨日の出来事。
『デート』の機会は意外に早くめぐってきて、それから2日後の今日。彼女が今住んでいるこの街まで、電車に乗って一人でやってきたのだ。事前の指定通りに女装姿で。今の服は可能な限り目立たないようにというチョイス。充分注目を浴びていた気もするけど。
「最後、杉本詩穂。理沙の姉です。今度大学3年だから、俊也くんから見ればもうおばさんだよね」
理沙さんと同じく少し小柄で、切れ長な目の割と美人な女性が、自己紹介してお辞儀する。
「まー。このオバサン、ただのやじうま兼、解説役だから深く気にしなくていーよ」
「ひどいなあ。まったく、誰に似たのかな」
「さてねー? じゃあ、さっそく本日のメインイベント、始めましょー」
「……カラオケでしょうか?」
「いーや? 俊也クンの大変身たーいむ。どんどんぱふぱふー」
ニンマリした笑顔で、口で囃し立てる音真似をしてたりする。
「なんだか嫌な予感がひしひしとするんですけど……帰ってもいいですか?」
「じゃあ、ミアとかみんなに教えてもいい? あれ俊也クンの女装だったんだよー、って」
「……それは勘弁してください」
内心、(正直、それは激しくどうでもいいな)と思ってしまったのは秘密だ。
「にひひ。いーこだ、いーこだ。じゃー、まずこれに穿きかえて」
持ってきていた大きなボストンバッグから、何か黒い物体を取り出して手渡される。
一応、下着という分類になるんだろうけど、どちらかというと既に『ヒモ』としか言いようがない存在。
「これ、着なきゃいけないんですか?」
作った困った表情でなく、普通にひきつったような困ったような笑顔になってしまう。
「100均で買った新品だから気にしなくていーよ? それとも俊也クン、アタシの脱ぎたてが穿きたい?」
100円均一、恐るべし。こんなものまで売っているのか。
しぶしぶ従う様子を装いながら、スカート姿のまま男物の下着からその物体に穿き替える。
幸い前のほうは三角の布があって、なんとかすっぽり収まった。勃起したら即はみ出しそうだけど。
「どう? 俊也少年。女の子のショーツの穿き心地は……でね、次はこれ!」
次に手渡されたのは、デニムの超ミニスカート。後ろを向いて、今着ているサロペットスカートを脱いでそれに穿き替える。
「うわっ! 脚長っ! ほそっ! すごいスベスベじゃない。脛毛剃ってるの?!」
妹の言動に呆れていたのか今まで無言で見守っていた詩穂さんが、突然大きな声をあげた。
「脛毛とかは、まだ生えてきてないだけですよ。手入れとかしてないです」
「声変わりもまだって言ってたし、そっかー。中学二年ってそういうもんなんだ」
「僕は遅いほうです。体育の時とか、時々クラスメイトからからかわれますねえ」
覚悟(期待?)していたよりは、幾らか長めのスカートだった。股下で言うと5cmくらい。股下スレスレ、屈んだら即下着が見えるシロモノもありうるかと予想していただけに、少し拍子抜けしてみる。
ただウェストのボタンをはめると、居心地が悪い感じがするのは否めなかった。
「ん? どったの?」
「いえ……そのままずり落ちそうで不安に……」
「それ、腰で穿くタイプだから、そんな感じでおっけーだよ?」
「男と女で骨盤の形が違うから……それに、お尻が貧相だから、みっともなくないですか?」
「いや全然。モデルさんみたいな引き締まった綺麗なお尻だなあ、って羨ましく見てたのに」
少し不安になってくる。僕はこの人に男扱いされているんだろうか? 確かに藍色の厚地のスカート越しだと前の膨らみも判然としないし、第一こんなミニスカートを穿いた男は普通いないと思うけれども。
続いてブラジャーを取り出してきたので、トレーナーとTシャツを一気に脱いでみる。
「うわっ! 本当に男の子だったんだ。今まで信じてなくてごめんなさい」
むき出しになった胸をまじまじと見つめつつ、驚いた顔で詩穂さんが言う。
「まあ、女に間違われるのは慣れてますから。今日はずっと女装してましたし」
言っていて自分でも少し悲しくなってくる台詞。100%事実なのがなんともまた。
……問題はむしろ、女と思われることへの抵抗感が薄れていっていることかもしれないけど。
「いやでも本当に身体細いのねえ。肌も綺麗だし、女風呂で一緒になっても『貧乳だけど素敵な女の子だなあ』って絶対思うな。……どう? これから私たちと一緒にスパに行かない?」
「犯罪に巻き込むのは勘弁してくださいってば」
「そこなミニスカート姿の女装少年。ブラジャーの付け方分かるかい?」
「これ、理沙さんが無理やり着せたんじゃないですか。……良くわからないです」
女性2人の前で『正しいブラジャーのつけ方』を実演するのはどうかと思い少しとぼける。黒いブラジャーを付けてもらい、お腹丸出しの短い黒いキャミソールをかぶる。
でも『私は悠里、女の子』と自分に言い聞かせて、女に成りきったつもりでいるときより、『あんまり女装慣れしていない少年』としてこの2人の前にいるときのほうが、ずっと羞恥感が上なのはなぜなのだろう。
もう慣れていたはずの、むき出しの太腿すら気恥ずかしくなってくる。
「で、ラストはこれ!」
「あっ、それ私のじゃない。理沙、人のタンス勝手に漁って持ち出さないでってば」
目の前にぶらりと吊るされた、豹柄のトップス。大人しそうな詩穂さんが着ていたとは思えず、思わずびっくりした目で見つめてしまう。
「でも大丈夫? 俊也くん、私より背随分高いし、男の子だし入らないんじゃないの?」
「……まあ、とりあえず着てみます」
大人しく袖を通してみる。オフショルダーなデザインで、ほっておくと際限なくずり落ちそうな気がして、右肩にひっかける形で調整。
左肩と背中側が大きく開いて、ブラジャーとキャミソールの紐が丸見え状態。一応丈はスカートにかかる程度で、腕を高く上げない限りお腹が見えることはなさそう。袖は肘上くらいの長さ。
「うわあ。ちょっとショックかも。普通に入って似合ってる。……きついとかない?」
実は少しぶかぶかな感じがするけど、これを言ったらショック与えそう。
「一応、大丈夫かと。生地が伸びたらごめんなさい。新品を買ってお返ししますね」
「いやどうせもう、着るつもりなかったから大丈夫。プレゼントしてもいいわよ」
「姉貴、『どうしよう、入らなくなっちゃったー』とか言ってたもんねえ。着たくても着れもんからねえ」
そう言ってケタケタ笑う理沙さん。あまり突っ込まないほうが良い話っぽい。
「それにしても……この時点でもう、完璧女の子だよね。肌綺麗だし、頭小さいし、首細くて長いし、肩幅狭いし、それに顔もアイドル顔負けな超美少女だし。いーなー。私もこんな美人に生まれたかったなあ」
『うわっ、手も凄い綺麗。手タレ出来るよ』
『足ちっちゃーい。可愛くていいなあ』
とか微妙に羞恥プレイめいた賞賛を受けつつ、マニキュアとペディキュアを塗ってもらう。こんな風に褒められるのは珍しくないけど、指先が真珠色に光る様子はなんとも新鮮だ。
そのまま理沙さんの手によって化粧一式も受けさせられて、茶髪というより金髪に近い、ウェーブのかったウィッグを被らされる。
「うっ……わぁ…………」
「わお。やっぱり美人はどんなにやってもサマになるんだ。カクサ社会だなあ」
化粧は、魔法だ。
差し出された鏡の中の、いわゆる『ギャル系メイク』を施された自分を見て、改めて思う。
少女漫画でよくある、顔の半分以上を占める大きな目。長い付け睫毛で縁どられた黒目がちな目は、それがリアルに存在するかのような印象だ。ラメ入りのシャドウとチークを使用したのだろう。瞼の上と頬が微かに輝き、抑えめな色合いの口紅を施された唇が、謎めいた笑みを漂わせている。
男心を挑発するようで、でもどこか羞恥心を漂わせていて、自らの美を勝ち誇るようで、でもどこか危うさを放っていて。
もしお姉ちゃんがこんな格好で僕に迫ってきたら、僕はどんな反応を示すのだろう?
ドキドキが止まらない。短いスカートの下、股間が熱く、堅くなるのを感じる。
「理沙、あんな風に背筋を伸ばして姿勢よくしなさいよ。くねくねしてみっともない」
「うわ、とばっちりきた。説教くせー。どーでもいーじゃん」
「でもこれ……途中から完璧に意識から抜けてたけど、あなたって本当は男の子なんだよね」
「……ええ、そうです」
「プロの女性モデルさんって言われたら納得しちゃうなあ。どっからどう見ても男っぽいとこなんてないもの。すっごい自然で。……もしかして女装慣れてたりするの?」
「俊也クンって、小学校入るまで、ずっと女の子として生活してたんだっけ?」
「へーっ。そんなこと本当にあるんだ」
「そーだよ。昔、悠里によく俊也クンのアルバム見せてもらってたもん」
お姉ちゃん、そんなことしていたのか。
「ちっちゃいころの俊也クン、全部女の子の格好してたっけ。七五三とか可愛かったなあ」
「昔の話で記憶には残ってないんですが、よく姉のお下がりを着せられていたそうです。『ずっと』、ってことはなかったと思いますけど、写真として残ってるのは殆ど全部が女装状態って状態で」
「ああ、そういう話か。なるほど。でもそれならこの馴染みようも納得?」
「小学以降は女装してなかったんですが、先週、突然姉に『服入れ替えて遊びに行こう』って無理やり女装で外出させられて。で、その時偶然美亜紀さんに会って、僕が姉の振りをして応対して……で、一昨日も姉の身代わりをさせられた、って流れです」
「じゃあ、別に趣味で女装してるわけじゃないんだ?」
「絶対に趣味じゃないです。好きでこんな格好はしません」
今のところは、まだ。
たぶん。きっと。
そうであって欲しいと切に願う。
「どーかなー? マンザラでもない、って顔しまくりだったじゃん」
「別にいいんじゃないかな。ほら、最近男の娘とか流行ってるみたいだし。いっそ本当の女の子になっちゃったほうがいいんじゃないの?」
「やめてください。ただでさえ、男から告白されて嫌な思いしてるんですから」
「ええと、それはごめんなさい。でもこれだけ美少年なんだから、女の子にももてるんじゃ?」
着替えに化粧で、予想外に時間が経っていたらしい。
その質問に答えようとしたときにフロントから終了前の電話がかかってきて、そのまま外に出ることにする。