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僕は、姉になる  作者: ◆fYihcWFZ.c
第一部:「魔が差した」としか言いようがない 2009年3月
5/47

5 『彼女』としての街遊び

「俊也、どこか行きたいとこある?」


 お会計を済ませて店の外に出て、2人で腕をからませて歩きながら尋ねてみる。


「今日はもう、完全に悠里に任せるよ」

「んー。じゃあ、次はあのお店」


 私が指さした店を見て、珍妙な表情になる俊也。

 店に入ったあとも、やっぱりどういう顔をしたものか決めあぐねる変な顔になっている。

 やばい。楽しい。癖になりそう。普段なら自分が優位なんてあり得ないことなだけに。


「ねえ……悠里、やっぱり僕外で待っててもいいかな?」

「だーめ。ほら俊也も一緒に選んで。どんなのがいい?」


 ここはランジェリーショップ、女性用の下着売り場。

 いつもの僕ならなるだけ目をそらしながら通り過ぎていた店。正直言えば女のふりをしている今でも、いるのは十分恥ずかしい。

 偶々、同じようにカップルで来ていた男女(多分大学生くらい)と目が合う。彼氏さんはやっぱり少しうんざりした様子で目線を彷徨わせている。俊也と目を合わせて、『お互い大変だよなあ』って感じで、男同士視線だけで分かり合っている様子。

 その様子を見て、彼女さんと目を合わせて一緒にニヤニヤ笑ってしまう。


「なんだよ、そこ。女子同士で分かり合っちゃって」

「そんなこと、どうでもいーでしょ。それより俊也、私に着せたい下着見つけた?」

「うん、あれとかどうかな?」


 少し投げやりに指さした先にあるのは、真っ赤な……『勝負下着』だっけ、そんな下着。


「ふぅん。あんなのが良いんだ」


 にやりと笑って、サイズを探して平然と手に取る。内心バクバクなのは秘密だ。

 ぴろんと広げて目の前にかざすと、顔を真っ赤にして視線をそらす。逆襲のつもりだったんだろうけど、そんなことはさせてあげない。

 とんでもないことやっているなと、自分の大胆さに内心驚いてみる。逆の立場なら、僕が男のままなら、絶対ありえないような行為。

 結局、その他に2セット。フリルとかもついた、“瀬野悠里”の持ち物と比べると随分と可愛らしいデザインの下着を購入して店を出る。


「試着、してかなくて良かったの?」

「うん。大丈夫」


 店を出た直後の、俊也の言葉に適当に相槌を打つ。

 実は女の子の振りをしつつ、股間のものはずっと男の子を主張しっぱなしだったのだ。試着なんてしたら、女の子ではありえない場所に、女の子にはあり得ないシミがついていただろう。そうしたら店員さんにバレて大変だっただろう。試着したくても出来なかった、というのが実際のところなのだ。


「で、ごめん。ちょっとおトイレ行かせて」

「そうだね。僕も少し行きたいかも」


 近場のスーパーに入り、障碍者用の男女兼用を探しても見当たらないので、2手に別れる。本日3回目の女子トイレ入りだった。

 これまでの2回でばれなかったのもあって大胆になりすぎている気がする。本当に大丈夫なのだろうか。


 トイレは幸い空いていた。挙動不審にならないように気を付けつつ個室に入り、またチュニックとワンピースを脱いで、たった今買ったブラジャーを袋から取り出す。ワンピースの色と合わせた感じの、淡いピンク色の女物の上の下着。フリルがついていて、かなり可愛らしいデザインの一品だ。

 “お姉ちゃん”のものではない、“僕”だけのブラジャー。感慨に耽りたかったけれども先を急ぎ、昨日教わった通りのやり方で身に付ける。慣れのおかげか、肌にピッタリくっつくタイプのパッドだったためか、今朝よりも随分スムーズに装着出来た。男として生活する上で、無用なスキルばかり磨かれていく。


 軽く身をよじって着け心地を確認。

 昨日色々測ってみて、“お姉ちゃん”よりも“僕”のほうがアンダーバスト(!)が少し大きなことは、知識としては把握していた。パンストを詰めた時には大して問題のなかった、数センチの差。

 でもきちんとしたパッドを詰めていると、意外な苦しさに少し気分が悪くなりかけていた。平然とした振りをしていたけれども、下着屋に行ったのは割と切実な事情があってのこと。決して助平心や好奇心じゃないんだから、と誰に言うでもなく自分自身に言い訳してみる。


 正直、かなり楽になったと感じる。男が下着を試着して買ったら気持ちが悪いだけだけど、女の子がきちんと測って試着までして下着を購入する理由が身に染みて分かってしまった。男として無駄な知識が増えていく。先走り液が少し染みついた下のほうも、ついでに穿き替えてみる。習慣で一瞬スカートを下ろしかけて、このままでも着替え可能なことに気付いていそいそと。

 そうしてもう一度、服を着なおして、ドアを開ける……と。


「ちょっとあなた、何してるの!」


 見知らぬおばさんが、やや抑えた声で、でも凄い剣幕で怒鳴ってきた。

 血が逆流するような思いがした。どこで僕が男とばれたんだろう? やっぱり女装して女子トイレに入るのはまずかったのか。変態扱いならまだいいとしても、犯罪者になるんだろうか。そんな思いが頭をグルグルする。


「あなた、万引きしてたでしょう?」


 だから、そのおばさんの放った次の言葉に思いっきり、きょとん、としてしまった。


「……万引き、ですか?」

「そうよ。誤魔化そうとしても無駄よ。トイレの中で思いっきりゴソゴソしてたじゃないの」


 思わず笑いたくなるけど、でもこのまま身体検査とかされたら男だとばれてしまう。ピンチな状況は変わってないんだった。

 思考停止しかける頭を無理やり動かして、言葉を作る。


「すいません。……急に始まっちゃったので」


 言ったあとに、自分が何を口にしたか意識して、思いっきり赤面してしまう。


「そう……なの?」

「幸い、下着を買ってたので着替えたのですが……紛らわしいことをして申し訳ありません」


 そのまま、頭を深々と下げる。主に表情を隠すためだけど。



「本当にごめんなさいね。私ったら変に疑ったりして。……彼氏さん、彼女を大切にしてあげてね」


 トイレの出口。そんなことを言いながら去っていくおばさん。


「何があったの?」


 合流直後に見知らぬ人にそんなことを言われて、目をぱちくりさせていた『俊也』に今の出来事を軽く説明する。


「そっかぁ。始まっちゃったんだ。……今日はお赤飯かな」

「もうっ。デリカシーのない人は嫌い」


 演技でもなんでもなく、また顔が赤くなるのを感じる。

 自分が咄嗟にそんな言い訳を思いついたこと自体が恥ずかしいし、『俊也』にそれを説明してしまった自分の迂闊さが恨めしい。


「ごめんごめん。もう二度と言わない。……ところで、トイレで少し気になったんだけどさ」


 そう言って少し背を屈めて、耳元でこそこそ話しかけてくる。


(……男子トイレに音姫が見当たらなかったんだけど、ここが特殊なの?)

(ごめん、そもそも『音姫』がなんなのか分からない)


 通行人の邪魔にならないように壁に寄って、2人で交互にこそこそ耳打ちする。


(水が流れる音が出る装置なんだけど……トイレには普通にあるもんだと思ってた)

(それ、何のためにあるの?)

(え? だって、トイレの音聞かれるのって嫌じゃない?)

(えぇ?! 女の人って、そんなの気にするの? 普通、そんなの気にする男性はいないってば)

(だから男子トイレになかったんだ……)


 意外なところで出会う男女のカルチャーギャップに、お互いショックを受けてみる。

 でも良かった。さっきトイレの個室に入った時には、存在すら気が付いてなかったわけで、そんなところから“僕”が男だとばれる可能性もあったのか。

 “女を、装う”ためには、外見を完璧に女にしただけではまだ全然足りなくて、気付かない所に散りばめられた『女としての常識』を身に付けないといけないらしい。


 浅いようで深い男女の溝。

 難しいと思っているのか、面白いと思っているのか、自分の心が分からなくなる。



 その次はインポートショップを回ったりして、アクセサリ類を購入。どれも銀色に光る、控えめで上品だけど、高校生らしい高価過ぎないアイテム。

 『センスある彼氏と、初心で可憐な彼女』の買い物道中。これが逆の立場だったらどれほど良かったことか。……まあ、自分もはセンスはないから力不足かもしれないけど。


 身体を動かすたびに、耳元でイヤリングが揺れる。

 首元でネックレスも揺れる。

 慣れかけて気にしなくなってきていた長いウィッグの髪の先や、ロングスカートやチュニックが揺れる様子もまた意識にのぼってくる。

 そしてそのすべてを、心地よいと感じている自分に気付いて心が揺れる。


 自分の身体が男らしくなるまでの女装。今はまだいい。普通に男の格好をしていても、まず100%女と思われるような状態だから。

 でもこのまま完璧に女装にはまってしまって、男らしくなってもまだ女装を続けたいと思ったら“僕”はその時どうするのだろう? ──それが、どうにも不安になった。



 『女一人歩き』に比べると、『男女の二人歩き』は随分と気楽だった。スカウトもナンパも格段に減ったのが割と重要。それでも俊也を女の子と勘違い(?)して声をかけてくる人たちも時々いたけれど、手慣れた風であしらってくれたのはありがたかった。『頼りになる彼氏さんに、守られている女の子』って、こんなに心地よいものだったのか。

 ただ、注目度が恐ろしい勢いで増えたのも確か。今までさほどでなかった女性からの視線も加わって、ほとんど網のように自分たちを包む。


「これ、結構いいね。客観的に見て、服とか似合ってるかどうか確認して買えるのは」


 慣れているのか、そんな視線の中でも泰然とした様子の同行人が呟く。

 しかしなるほど。この『デート』には、そんなメリットもあったのか。


「へー。じゃ、次は『俊也』の服を見に行く?」

「そうだね。あれとかどう? 似合うと思うんだけど」


 そう言って指さしたのは、ロリータ服専門店。

 返事を待たずに店内に入り、店員さんと平然と「一度着てみたかったんですよねえ」とか会話しながら試着を始める。

 『王子ロリータ』とかいう、主に女の子が男装するために作られた、フリル一杯の黒メインに白が配色された衣装。中性的な容姿を持つ少年(に化けた本当は女性)に、それは確かに良く似合っていて、通りすがりの女の子たちまで含めてキャーキャー騒がれました。

 「彼女さんもぜひご一緒に」と店員さんから強く薦められ、自分も同じように黒メインに白を配したゴスロリに着替えさせられてみたり。大きく膨らませたミニスカート、厚い布製で縛るものではないとはいえコルセットの窮屈さ、過剰なフリル、動きにくい衣装が、『自分は今、女の格好をしているんだ』と改めて意識させる。


「すっごい可愛い!」

「本当に王子様&お姫様みたい」

「写真を店に飾ってもいいですか?」

「……どう? このまま街を歩いてみる?」

「いやいやいやいや。それは本気でやめようよ」


 このまま外出は勘弁してもらえたけど、結局一式を購入してみる。

 そのうち“僕”も、この王子ロリータかゴスロリかで外出させられたりするんだろうか。


 しばしの逆襲を楽しんでみたりもしたけれど、結局この人には敵わない。そんなことを痛感させられる一幕だった。


____________



「んーーっ。疲れたー」


 昨日に引き続き夕食まで外で食べて、ようやく家に戻って大きく伸びをする。

 ずっとお澄まし状態の外だと、こんな動作すら思うようには出来なかったのだ。それでも布地がみしりと音を立てた気がして、慌てて身体を伸ばすのをやめる。


「お姉ちゃん、服はどうする? また取り換えるの?」

「今日はこのままにしようよ。パパを騙せるかどうか、実験してみたくない?」

「えぇ? いい加減、男に戻りたいよ……」


 口では抗議してはみたけれど、でもそこまで本気だったわけでもない。

 普通に押し切られて、お姉ちゃんの持っているルームウェアの中でも一番可愛い、クリーム色で花柄の上下に着替えさせられる。ウィッグはまた黒のストレートに戻して、首の後ろで大きなリボンを結ぶ。


 化粧も落として、パック含めて普段お姉ちゃんがやっている肌の手入れを実践させられて。その後は昨日購入していた録音機を使って、互いの声真似を練習してみる。正直……自分の声がこんな感じとは思ってなかった。いつも思っている“自分の声”より割と高くて、『僕の真似をしたお姉ちゃんの声』のほうが少し低いくらいというのは驚いた。


「なんだか自分の声って恥ずかしいなあ」


 僕の服を着たお姉ちゃんが、うつ伏せで脚をバタバタさせながら言う。うん、違和感が。


 そんなこんなしているうちに、お父さんが帰ってきた。「お帰りー」と2人で言って、まずはお姉ちゃんが迎えに行ってみる。


「ただいま。ああ悠里、髪切ったんだね」


 流石というかなんというか、すごくあっさりばれた玄関から会話が流れてくる。もう少しは分からないかと思っていたのに、と思いつつ僕も部屋の外に出る。

 目を白黒させて、お父さんが僕のこと……特に頭(カツラ?)のあたりを見ていた。


「普通の親なら、やめなさい、って言うべきなんだろうけどね……」

「わざわざそういう前置きするってことは、特にお咎めなし?」


 元の服に着替えて、リビングのソファに一家3人で腰掛ける。少しの沈黙の後、お父さんの口から出たのは少し意外な言葉だった。


「まあ、節度を持って楽しむくらいなら、男装も女装も禁止するつもりはないよ。『良識をわきまえて』って言おうと思っても、君たちのほうが僕よりよほど良識があるのは知ってるし。それに、あんまり僕が強く言える立場でもないしね」

「……」

「──これは親が言うことじゃないかもしれないけど、人類の半分は異性で、実際の気持ちが分からない存在なんだ。男装や女装を推奨するわけじゃないけど、君たちには異性の立場も理解できる、相手を思いやれる大人になって欲しいな。……って、これは半分以上、僕の願望だけど」


 深く考えてなかったけど、確かに言われてみればそんな側面もあるのかもしれない。そこまで御大層なことを言えるほどには、昨日今日だけだと理解出来なかったけれども。


「けど、そんなに私たち見分けがつきやすかったかな?」

「僕を騙せる自信あったの? 2人とも確かに似てるけど、全然違うじゃないの」

「うーん、そっかー」


 不満そうなお姉ちゃんとは別に、僕のほうはお父さんの言葉に安堵を覚えていた。

 他人に成りきる体験は楽しいけれど、『自分』が揺らいでくるような不安感が、振り返れば、実は常に付きまとっていた。

 それでも僕を僕だと把握してくれる人がいる。僕を僕に留めてくれる人がいる。


 そのことに、内心深く感謝をしている自分がいた。


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