9.瀬野家の人々◆
「あ、今日は悠里ちゃんと一緒なんだ。お久しぶりー。やっぱ本当に綺麗だねぇ」
微妙に聞き覚えのある声に視線を動かしてみると、どこか見覚えの顔がある。
お姉ちゃんの知り合いの可能性もあるから、「お久しぶりー。元気だったー?」とひとまず返事してから脳内検索。
「あー。分かっちゃうのか。最近よく『印象変わったね』って言われるから、分かんないかな、って思ってたのに」
「いえいえー。実は一瞬誰か分からなかったのは内緒ですよ? お久しぶりです。沙良さん」
そう言って女子のように笑い合う。
女性モデルとして働き初めた頃に会った『実は男』読者モデルの先輩、沙良さんである。
メールのやり取りはそれなりにしていたし、誌上やweb広告で見かけることもあったけど、実際に会うのは数年ぶりの人。
あのころ『私はMtFGIDだから』って言っていた亜由さんは、親の猛反対にあって紆余曲折の末男子大学生としての生活を始め、最初は嫌がっていたという沙良さんは、大学中退して完全に女性モデルとして活動するようになったんだったっけ。
3年もあれば、というか、たった3年で、というか。
なんとも不思議な有為転変。
『悠里ちゃんと会ったから、こんなことになったんだ』と、2人から別の機会にそれぞれ冗談めかして言われたことがあるけど、さてどこまで冗談だったのやら。
地毛を伸ばし、女性ホルモンも本格的に始めて豊胸もして、フルタイムの女性生活も2年以上になり、彼氏と同棲中で読者モデルも継続している沙良さん。
web広告を中心に、女性モデルをしているとか。
姿や仕草からも、もう『彼女が男性だったこと』を認識するのは相当に困難だ。
ある意味で、『あり得たかもしれない自分の姿』を目の前に出されて、内心少し感慨深くもなってみる。
「ああっ、今日は悠里さんとなんですねっ。おはようございますっ。悠里さん」
そんな沙良さんと暫く話していると、やたらと賑やかな声と共にもうひとりの女の子がやってきた。
私よりもちょっとだけ背が高く、読者モデル平均よりもルックスもスタイルも良い美少女。
読者モデルの後輩で、何度か一緒に撮影したこともある──
「彩菜ちゃん、おはよう。今日はよろしくね」
ちなみに『彩菜ちゃん』呼びするよう、彼女のほうからねだられたんだっけ。
本当の年齢は彼女のほうが上なのだけれど。
彼女の合流後待つほどもなく、スタッフさんに呼ばれて打ち合わせなど。
今日は秋も終わりということで、春物の撮影。
事前に話を聞いていた通り、私物ではなくスポンサー提供の衣装を着る形だとか。
メイクも自分でするいつもの形ではなく、プロのメイクさんにしてもらうそう。
これ読者モデルの撮影じゃなくて、半分プロモデルの扱いじゃない? ギャランティーは読者モデルのそれなのに。
彩菜ちゃんは「私、プロのメイクさんにメイクしてもらえるの始めてです」ってはしゃいでいたりするし。
それを見て微笑ましい気分に浸ってみたら、「悠里さんはやっぱり慣れているんですねっ」と何故か尊敬の眼差しでみられたりもするし。
そんな一幕を挟みつつ、モデル3人でメイク室に移動して指示されるままに椅子に座る。
「うわっ、ラッキー……よろしくね。悠里ちゃん」
「よろしくお願いします。……なんですか。そのラッキーって」
「いやいやいやいや。悠里ちゃんの肌ってすっごいって私らの中で噂になっていてさ。どんなものか一度体験してみたかったんだ」
「皆さん肌綺麗ですし、私がその中でも凄い、ってわけでもないと思うんですが……」
「そうは言っても、気合入れて肌手入れしているし、自信もあるわけでしょう?」
「まあ……人並みには」
「うふふふ。じゃあ、本日は悠里ちゃんの肌を堪能させていただきます」
どんなんだ。
メイクを落として、メイク開始。
「うわっ、噂に違わぬ……」「すべすべなのにもちもち……」「やわ……やわ……」
周囲に気を使ってか抑えめにはしているけれど、それでも賑やかな私担当のメイクさん。
「これが乙女の柔肌……」って、私はあなたと違って『乙女』じゃないんですけどねえ……
思っていたより丁寧に手際よく、刷毛やパフで色を重ねられていく私の顔。
鏡の中のそれに視線を走らせる。
「今日は可愛い感じですか?」
「えっ。……ああ、はいっ。その通り、その通りです。今日の衣装に合わせた感じで」
「なるほど……」
私の中の『瀬野悠里』のイメージに従って、最近もっぱら『格好いい女性』として撮影に挑んでいた。
北海道旅行での本職モデルさん3人を真似て私が『被写体としてのあり方』を作り上げ、それを元にお姉ちゃんが『被写体として瀬野悠里のあり方』を作り上げ。
更にそれを私が模倣する形で『瀬野悠里』としてモデルをしてきた経緯でそうなったわけだけど。
さて。困った。
「どうかされましたか?」
「うーん、なんと言うか、『可愛い瀬野悠里』ってどう演じれば良いのかな、って」
「うわっ。可愛いこと言うなあ。この子は。大丈夫。悠里ちゃん素のままで十分可愛いから」
「むぅ」
「ほらほら。そういうところが」
『瀬野悠里じゃないことがばれてはいけない』私にとって、『自分の中の瀬野悠里のイメージ』から逸脱した形で、それでも『瀬野悠里らしさ』を演じないといけないというのは、割と切実な問題なのに。
沙良さんなら相談可能だけど、問題点が理解してもらえるかどうか分からないし、そもそも(他の人に聞こえないように)相談できるタイミングがなさそう。
悩んでいると、不意に義兄の『ぽや』っとした顔が不意に脳裏に浮かんだ。
……変にこわばっていた身体から意識して力を抜く。うん、頭で考えるだけ無駄か。
メイクも終わり、完成した自分の姿を鏡越しに確認する。
いつものクールなイメージではない、ただただ愛らしい“瀬野悠里”の姿がそこにあった。
「なるほどぉ」
「可愛いですね。早く悠里さんが着たとこ見てみたいです」
「私は私は?」
「もちろん沙良さんも」
スポンサーから提供された衣類の確認。
メイクさんから『可愛い系の服』と聞いて最悪ロリィタを覚悟していたけれども流石にそういうこともなく。
クラシカルロリィタを一回り大人しくしたようなガーリー系の衣装である。色合いも落ち着いていて、むしろシックな部類が多い。
でも、襟元などの控えめなフリルとデザインが可愛らしさを演出する。そんな衣装。
最初の頃、『世界で一番可愛い女の子』を目指していた時のことを思い出す。
……そっか。あれを思い出せば良いのか。
あの当時はまだ微妙に残っていた気がする羞恥心も一緒に思い出してしそうなのが微妙でもあるけれど。
指定された衣装を手に取り、袖を通す。
男物の服にはない柔らかな感触が腕を全身を覆う。
慣れて特に何も感じないようになってきたと思っていたけれど、改めて意識し直すとまた別格である。
マキシ丈の長いスカートが、身体を動かすたびにひらり、はらりと揺れる。
「うわっ、うわっ、やっぱりかあいいー。可愛すぎますよ悠里さん。うー。眼福だぁ。この仕事請けさせてもらえて良かったぁ」
なんか今日は妙なテンションの人多くないかな?
「うぅ。でもでも。これからあたし、こんな美少女と並んで撮影されないといけないのかぁ。こんな仕事請けなきゃ良かった」
「大丈夫。彩菜ちゃんも十分可愛い。自信持とう?」
「もっと言ってください」
「えっ? ……彩菜ちゃん可愛い。彩菜ちゃん、すっごく可愛い」
「ああ……生きる勇気が湧いてきました」
どんなんだ。
今日はたぶん、彩菜ちゃんにセミプロと一緒の撮影を経験させて育てることが目的のひとつだと思うのだけれども、この調子で大丈夫なんだろうか。
変なプレッシャーを与えるとまずいから言わないけれども。
さて、スタジオに戻って撮影開始。
「悠里ちゃん、かっわいー」
「良いよ。良いよー。彩菜ちゃんの肩に手をかけて。うん、そう」
ひっきりなしに降り注ぐフラッシュとシャッター音と称賛の声を浴びながら、撮影をこなしていく。
うん、私は可愛い服が好きだ。可愛い自分が好きだ。可愛いと言われることが好きだ。
そんなことを改めて確認する。
今まで重ねてきた「美しく見せる技術」と噛み合わずにちょっとおかしくなることもあったけど、今日はもう勢いで誤魔化そう。
『可愛い服を着て嬉しいと思っている女の子』であることだけを意識して。
いつもよりも多い気のする賛美の声を素直に受け入れ、気を良くしながら。
途中何度も衣装交換を挟みながら、3人一緒や2人ペアや1人のみでとメンバーを交換しながら撮影は進む。
そんな中、沙良さんと2人で着替えている最中、まじまじと見つめられてちょっと気まずい。
「なんでしょう?」
「いやね、悠里ちゃん改めて見てもこの絶世の美少女に『あれ』があるって信じられないなあって」
「どうでしょう? ないかもしれませんよ?」
「ええっ。騙してたの?」
「うふふ? どうでしょう」
考えてみたら次の2人での撮影、女性向け雑誌の女性向けファッションを着ている女性モデル2人が2人とも実は男ってことになるのか。なんともはや。
まあ、そんなことは意識しちゃ駄目だ。
淡いグリーンのマキシスカートに、オフホワイトのロングブラウスを合わせた少女めいたコーデ。
袖口に控えめながらフリルをあしらっていてかなり可愛い。
そういえば、初めて女の子として街を一人で歩いたときに買った服もこんな感じだったっけ。
結局あの服お姉ちゃんは着てくれなくてそれが少し残念だったけれども。
あの時覚えたときめきとドキドキ感を思い出すように。
沙良さんとの撮影も終わり、次の彩菜ちゃんとの撮影のために大急ぎで舞台裏に移動する。
マキシスカートで歩くこと自体は随分と慣れたものだけど、速歩きは経験がなく難しい。足に絡まってめげそう。
そんな衣装を脱いで、渡された衣装を手にとって被る。
微妙にディアンドルテイストの混じった、これまた可愛らしい服だ。
「悠里さんって、本当に引き出し多いんですね」
先に準備を済ませていた彩菜ちゃんから、そんな声をかけられる。
今スタッフさんを待たせているから悠長に返事できる余裕はないんだけど?
「いつもは『美の真剣勝負』、って感じなのに、今日はもー、本当に可愛くて可愛くて。やぁらかくて、ぽやっとしていて、なんかこー、守ってあげたくなるような感じ?」
「……実は今日は手探りで、うまく出来ている自信ないんだけど、大丈夫そう?」
スタッフさんに襟元と袖口を直してもらいながら、アクセサリーを直してもらいながら、息つく間もなくはしゃいでいる彩菜ちゃんになんとか口をはさむ。
「そりゃあもう。太鼓判押しますって。本当に可愛い。もう持って帰りたい。抱いていいですか?」
「もちろん駄目」
「いけずぅ」
「さ、撮影にはいろ」
「おお、やっぱ着替え早い」
「モデルやるなら必須スキルだからね」
彩菜ちゃんが着ているのは色違いの同一デザインのおそろいのもの。
撮影前の宣言通り? 指示に反していきなり抱きついてくるし。
しかもスタッフさんたちはそれを止めようともせずにむしろ「指を絡めあってみて」「もっと百合っぽく」「キスする寸前まで」とか悪ノリしてくるし。
「やわらけぇ」「指細っ」「超高解像度版悠里さんだぁ」「肌すっげぇ」
とか小声で囁き続けるのも勘弁して欲しいところ。
まあそんなハプニング? を挟みつつ、それ以降はご無体されることもなく撮影は進み、とうとう最後の1着。3人揃っての撮影である。
襟にフリルのついた白いロングブラウスに、同じく白のチュールスカートの上下。
それにクリームピンクのニットカーディガンをあわせた格好。
今日は多いマキシ丈のスカートもあったぞろぞろとしたコーデ。昔あった森ガールだっけ。あれに近いと言えば近い気がするガーリィな感じの衣装である。
「ちっちゃい女の子なら似合うと思うけど、これ可愛すぎないかな?」
「いや全然。むっちゃ似合ってる」
「悠里ちゃんまだ若いんだから、似合わなくなる前にもっと可愛い服着ないと」
「今日で確信した。悠里ちゃんはもっともっと可愛くなる義務があると」
……むぅ。
独り言のつもりで呟いたら、周囲のスタッフのお姉さんたちから寄ってたかって言われてしまった。
まあ少なくとも撮影の間は信じることにしましょう。
お姉ちゃんなら、「さあ、もっと私を褒め称えたまえ」くらいは言うかな? それを想像すると少し楽しくなって気が軽くなった。
さて、そんなこんなで最後の撮影開始。
したくらいに、スタッフさんの間に混じってひょっこりと雅明の色素の薄い顔が見えた。
ああ、迎えに来てくれたのか。ありがたい。
まあ注視するわけにもいかない。
気がついていないふりをしつつ、『可愛い可愛い瀬野悠里』で在ることに意を注ぐ。
今、改めて、僕は、姉になる──
身につけてきた技巧も脱ぎ捨てて、再びその出発点に立ち戻って。
本日最後の撮影を、全力でこなし続けた。
「お疲れ様でした。ありがとうございました」
「悠里ちゃん、お疲れー」
色々大変だった撮影も終わり、疲労感と達成感に浸りつつ、その人物に声をかける。
「雅明、お待たせ」
拙作『瀬野家の人々(R-15版)』に続く




