7.Mr.嫁
まあ、雅明の格好を見た時にある程度予想していたことではある。
この呉服店で最初に見せられた、豪華でずっしりとした大振袖。
それを今、おはしょりを作らずに引振袖風に身に纏っている。
仕立て直す時間もないので引振袖そのものではないけれど、小物などは完全に花嫁スタイルだ。
これで外の撮影に行かなくて良かった、とも思う。
撮影で使ったものよりずっと重量感があり、もしこれを着て撮影していたら途中で体調を崩してゲロ吐いていたかもしれない。
まあ、それは置いておくとして。
さっきの振り袖の真朱の赤も十分綺麗だったけれども、それより一段と深みを帯びた紅色の地。
刺繍も技巧を尽くしたもので、びっしりと入っているかと思いきや大胆に余白を生かしていたりもする。
金箔もふんだんにあしらわれていて、とても綺羅びやか。
そんな着物の裾が、私を取り巻くように床に広がっている。
とはいえ、もともと普通の振り袖だったものを引振袖風に着ているだけだから、裾にふき綿とかは入っていないけれども。
比翼ではなくてきちんとした下着の二枚襲。
襟元やら裾から覗く白い布地が清楚な雰囲気をもたらしている。
これも、よくよく見れば白地に白い糸でびっしりと刺繍を施した手の混んだ一品である。
帯もまた豪華。
深い黒の生地に、金箔と金糸の刺繍。裏地にもきちんと柄の入った丸帯である。
一見地の部分にもまた地と同じ色でびっしりと花の刺繍が入っている懲りよう。
それを前から見ても肩の後ろにちらりと覗くくらい大きく華やかに結びあげている。
でもこれ絶対背中掻けないな。
汗のおかげで少し痒いんだけど我慢するしかないか。
まあ、女性の服はそもそもそんな感じが多いのだけれど。
ただでさえブラジャーで痒くなること多いのになあ。
室内というのに足袋の下には金色に輝く高い草履を履いて。
帯には筥迫や懐剣まで刺し、蝶のネイルの輝く手には扇子を持った、完全なる花嫁仕様。
『Mr.花嫁』なる謎のワードが頭に浮かんで少し可笑しくなる。
最初から花嫁向けに作られた白無垢を着たときと、どちらが嫁度が上なのかは分からないけど。
「ありがとうございました」
「いえいえ」
「こんなに素敵な着物、着せて頂いてありがとうございます。これを上回る衣装って着る機会ないでしょうねえ」
「この子も、こんな素敵なお嬢さんに着てもらう機会はないと思いますよ」
多分一時間くらいかかった着付けも終わり、老夫妻とそんな会話を交わす。
さて、雅明はと。
またか、というかやっぱりか。
持っていた扇子で面を打ち込みかけて、それは悪いかと掌をそっと頬に当ててみる。
「はい、起きて」
「……」
「はいっ。起きて!」
「……っ。ごめん。起きた」
「なんでこう、雅明はこう毎回フリーズするのかな」
「そりゃもう……いや、絶世の美女見せつけられたら誰でもこんなになるって」
「そうでもないと思うけどな? カメラさんはそこまで酷くなかったし、お爺さんとかそんなことないよ?」
「いやそれは……好みドンピシャなわけだし、俺の場合、この人とやったこともあるわけで……」
「はい、下ネタ禁止」
今ちょっとイラッとしたのは何故だろうか。
雅明に嫉妬した? お姉ちゃんに嫉妬した?
……自分で自分の心が分からない。
カメラマンさんを呼び、来てもらっている間に、雅明と並んで鏡の前に立ってみる。
予想通り、というより予想以上に華麗かつ可憐な花嫁になっている自分。
今までと違って、隣に花婿姿の雅明が立っているせいで、思っていた以上に印象が変わっている。
瀬野悠里の彼氏であり、将来夫になる可能性のある男性。
『──私はこのひとのお嫁さんになるんだ』
そんな想いが、心のなかに浮かんでいることをふと自覚して焦る。
“僕”は、今何を考えていたんだ?
でも……そう。
これから撮る写真のことを考えるなら、そんな心構えで居たほうが良いのは確かだ。
ちらりと横を見ると、照れた様子の雅明の顔。
でも、なんだろう。
混乱している自分に対して、落ち着いている印象なのが少しむかつく。
「瀬野さん、カメラさん準備出来たって」
「んじゃ、撮影しにいきますか」
「はい。……あなた」
「うん。……え”っ?」
私の言葉に、大いに混乱する様子に思わず吹き出してしまった。
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「では、ごゆっくりどうぞ」
そう言って、美しい動作でふすまを閉じて去る女将さんを見送る。
参考にしたい動きではあるけれど、それよりも。
「はあああああっ、疲れたあ」
「お疲れ様」
おまけの婚礼?写真モドキの撮影も終わり、予定していた観光も取りやめて直接なだれ込んだ旅館の床に倒れ込む。
「……『旦那さま』とか呼ばれるとか思わなかったな」
「それを言ったら私も『奥さま』とか。……まあ、同じ齢、同じ住所、同じ名字の男女が一緒の部屋に泊まるなら、そう思うのが普通なんだろうけど」
「なるほど。なんだか恥ずかしいな」
「私もだ。まあ、いいんじゃない? この旅館では新婚ごっこで。私のことも『悠里』って呼んで」
「ちょっ」
「んじゃ、お風呂入ってくるね」
「まあ良いか。いてらー」
さっきの撮影でも、『今まで見たどんな新婚夫婦より新婚夫婦に見える』とか言われたし、何だか新婚旅行中の夫婦みたいな雰囲気になっているのが自分でも恥ずかしい。
居心地の悪さから逃げるように、風呂場へ移動する。
ポスター撮影の報酬の一つとしての、神社からほど近いこの旅館での一泊である。
なかなか高級な感じで、普通に泊まったら幾らするのだろうか。
部屋ごとに家族湯がついているのも有り難い。
今の私が女子風呂に入ってバレるとも思わないけど、好んで入りたいものでもない。変な度胸がついたものだ。
体と髪をゆっくりと丹念に洗い、化粧も落として湯船に浸る。
いい塩梅のお湯に身も心も蕩けそうだ。しっかりと手脚を伸ばせる広さなのも良い。
湯船の中、脚を軽く持ち上げて優しくマッサージする。
どこまでも滑らかで柔らかな脚である。
美脚極まりないお姉ちゃんの脚と瓜二つになるよう、丹念に磨き上げてきた、自分でも見惚れるほどの脚。
今日は重い衣装を纏ってポーズを重ねてきたから、かなり筋肉が強張ってしまっている。
腕もそうだ。
地面に届きそうなくらい長い袖に、びっしりと描かれた刺繍。
それで袖を広げたポーズで静止とか、どんな筋トレよという。
でもそんな苦労は顔に出さないように、にっこりと微笑んで。
大変だったけれども、でもあの美しい衣装を纏う満足感と充足感は堪らない。
腕に残る重みさえ愛おしい。
振袖、浴衣、振袖。初詣用の中振袖に、夏祭り用の浴衣に、婚礼用の引振袖。あとこれから着る旅館の浴衣。
女の子用の和装漬けの一日。
あとは何だろう。花魁、女房装束、舞妓衣装あたりは流石に無理にしても、留め袖は今日は着ていない。
さっきの女将さんの着ていた臙脂色の留め袖。
あれ『着させて下さい』って言ったら貸してくれるかな?
貸してくれそうな予感はひしひしとするけど、流石に自重しておこうか。
……と、思いっきりのんびりしすぎたようだ。
念の為にと一応設定していたアラームが鳴り始めていた。
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<<女将さん視点>>
「へえー。そうなんですか」
「それでね」
桔梗の間のお客様。
お食事の前にお風呂を、とのことだったので時間を遅らせたけれど、それでもまだ早すぎたようだ。
配膳が終わっても奥様が入浴中、とのことで旦那様と話こんでみる。
担当の争奪に勝ったのだ。このくらいの役得はないと。
予想通りというかなんというか、奥様はモデルさんとのこと。
今日も氏神さんのところで仕事をして、そのあとの宿泊だとか。
なるほど、それで氏神さんのところからお願いされたのかと納得してみる。
旦那さんもモデルなのでは? と訊いてみたけれど、それは大仰に否定されてしまった。
多分白人のハーフかクォーター。童顔の入った色白のイケメンだったから、この人もモデルだと思っていたのにそっちは外れか。
奥様も綺麗な美男美女カップル。
記帳によると両方18歳大学生の新婚さん。今日の宿泊は新婚旅行も兼ねているのかもしれない。
「すみません、お待たせしました」
撮影の苦労などを伺っているうちに奥さんが上がってきたようで、そんな可憐な声とともに浴室に通じる障子がからりと開く。
入浴前は厚化粧だったので、化粧で誤魔化すタイプかもと思っていたけれどそんなことはなく。
色々な人を泊めてきた私でも、ちょっと見た記憶のないくらいの美少女ぶりだった。
すっぴんの状態なのに、見事な湯上がり美人。
見慣れているはずの、うちの備え付けの淡藤色の浴衣が別物であるかのように美しく見える。
まるで誂えて作ったドレスのよう。
顔立ちも素敵だし、湯上がりに少し上気した肌も素敵。
『若いから』では済まされない。だって彼女の1つ年下の私の娘の肌のよりもずっと綺麗だもの。
「……あの、何かおかしなところあります?」
「いえいえいえいえ。お客様があまりに綺麗だから見惚れていただけです」
「お世辞でも嬉しいですね」
流石にこれだけの美人、容姿に関する褒め言葉は言われ慣れているか。
「お風呂どうだった?」
「うん、気持ち良かった。食後にまた入るかも」
「まだ入るのか……」
「まあ、その前に食事で」
「そだね。美味しそうだし、早よ食べたい」
モデルとして既に自分で働いて稼いでいるからか、大人びた印象だった若奥さん。
料理を目にして目を輝かせている様子は年相応な感じで可愛らしい。
この表情を料理人に見せるだけで大喜びしそうだ。
「私が働いた報酬なんだからね? 私に感謝して食するように」
「ははー。悠里さまー」
「宜しい」
仲の良いことで、ごちそうさま。
「それと勿論、これを作った料理人さんにも感謝を」
「ははー。料理人さまー」
「ぷっ、なにそれ」
「うふふ。料理人に伝えておきますね。では、ごゆっくりどうぞ」
ちなみに。
瀬野悠里というその宿泊客が、娘が買っているファッション誌の読者モデルだと分かって「教えてくれたら良かったのに」「私も見たかったなあ」と盛大に嘆かれるのはちょっと先の話。
彼女がテレビに登場して、うちの旅館従業員全員+親子でファンになるのは更にちょっと先の話である。




