6.振り袖姿の美少女(♂)
ネイルに苦労しつつ和装下着に着替えてブラにパッドを詰め直し、足袋を履き長襦袢を着て振り袖の着付けをしてもらう。
記憶にある北の花嫁衣装ほどではないものの、美しく見えるように、綺麗に、丁寧に。
体を覆っていく、緞子の煌めきも眩しい華やかな振り袖。
真朱の地に松竹梅と金糸刺繍の蝶の舞う、まるで一幅の絵画のような衣装である。
ずっしりと重い帯をぐるぐると体に巻き付け、しっかりと締め付ける。
枯れた感じの老夫妻のどこにこんな力があるのかと思ったけれども、力加減が絶妙で終わったあとはそんなに苦しくない。
流石は年の功と感心する。
振り袖の着付けは意外と技量の差が出て、下に当たると酷い目に逢うから……
ふと気がつくと、いつの間にかヘアサロンで私の髪を結ってくれたおばさんがやってきていて、「本当に綺麗……」とかため息をついている。
反射的に軽く会釈……しようとして髪型が崩れそうで慌てて止める。危ない危ない。
それから私は出された椅子に腰掛け、頭の上に飾り付けられるのを待つ。
「とっても姿勢が良くっていいわねえ」
「ほんとほんと」
「ひょっとして、着物着慣れてる?」
「ええ、まあ……こんな高価なお着物を着るのは初めてですけど」
お姉ちゃんの学校では授業で着付けがあるそうで、私も同じことが出来るようにと自宅で度々着付けの練習をした。
その後は和装でのポーズの勉強や、和装に慣れるためにそのままの格好で勉強や読書の日常生活も。
おそらく同一年代の女子の中で、私より振り袖を着た時間の長い子はかなり少ないと思う。
同一年代の男子の中では尚更だ。
私の体を包む、手の混んだ刺繍の入った正絹の衣装。
ずっしりとした豪華な帯のおかげで腹式呼吸が出来ず、パッド入りの胸が緩やかに上下している。
膝はぴったりと閉じられ、その上に畳んだ長い袖と手を重ねて置く。
帯と髪のせいで姿勢は崩せず、背筋をピンと伸ばした状態を保つことしか出来ない。
そんな私の頭の上、ああでもないこうでもない、こっちのほうが良いんじゃない? などと楽しげに談笑しながら花飾りが盛り付けられていく。
フラワーアレンジメントの台ってこんな気分なのだろうか。
その度にますます重みを増してバランスが取りにくくなっていく私の頭。
本来の倍の重さになっているんじゃないかと、あり得ないことまで考えてしまう。
最後、それまで見ていたお爺ちゃんの提案で、蝶を模した金の簪をつけて完成。
慎重にバランスを取りながら立ち上がり、鏡の前で軽くポーズをとってみる。
長い袖の中を優雅に舞う蝶に、背中の蝶文庫に結んだ帯に、指先に舞う蝶と簪の蝶の、可憐な蝶尽くし。
赤い花の髪飾りと、赤い振り袖を纏って微笑む花のような美少女。
現状でも色々辛いところはあるけれど、それでもこの姿に思わず口角が上がるのを止められない。
「うわ本当に美人……」
「人間ってこんなに綺麗になることが出来るんだね……」
「このお着物も、世界一の美人に着てもらって幸せだよ」
「こんな綺麗にして頂いてありがとうございます」
そう言って微笑んでみせると、御婦人方が黄色い声を上げる。
そういえば雅明は……やっぱりか。
にっこりと微笑んで軽く手を振ってみるけど、こちらを凝視したまま微動もしなくなっている。
よく見ると瞬きもしてないし、色素の薄い瞳と肌も相まって人形みたい……ってそんなことはどうでも良くて。
「ていっ」
「……うわっ」
近づいてデコピンして、少し経ってようやく再起動する。
「この子彼氏さん?」
「こんな絶世の美人を彼女に出来るとか、幸せものだねえ」
「えっ。いやっ……」
雅明がおもちゃにされている間に、撮影現場に向かう送迎車がやってくる。
神前式で使う、黒塗りで背の高い車である。
確かに姿勢を維持したまま乗れるのはありがたいけど……移動途中の注目度がやばい。
あと覚悟していたよりも暑さがきつい。
店の出口から車の入り口までのほんの少しの距離で、もうバテそうになっている。
これは……最初から全力で行って速攻で終わらせないと持たないか。
車の中、意識と姿勢とを調整していく。
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さほど時間もかからず、最初の神社に到着。
社務所で軽く打合あわせをしたあと、皆と拝殿へ。
和装で着崩れを恐れて早く動けない私に合わせて、日傘を差して一緒に歩いてくれる雅明の存在がありがたい。
なんだか意識してこっちを見ないようにしているのが少し気になるけど。
雪の降る中でも大丈夫な、冬物のしっかりとした生地の長襦袢に振り袖。
長い長い袖は当然のように重く、びっしりと入った金糸の刺繍がそれに追加される。。
胸高に巻いた綺羅びやかな金と黒の窮屈でずっしりとした帯。
更にはエクステと花飾りに簪。
とても華やかで心踊る衣装ではあるけれど、すでに重くて暑くて苦しくてめげそうになっている。
この上に更に白いフェイクファーまで首筋に巻いて、ようやく撮影開始。
今は冬だと自分に無理やりそう言い聞かせて、涼しい顔で賽銭箱の前に立ち掌を合わせてにっこりと笑顔。
2年前の夏に撮影旅行で覚えた、それ以降も色々研鑽を重ねたテクニックも全身で再現する。
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なんとか撮影も終わり、ぐだっとなりながら黒塗りの送迎車で呉服店に戻る。
「どうだった? 雅明。撮影を見学した感想は」
「うん……そうだね。まずはとっても綺麗だった。振り袖も似合っていたし、なんというか今までみたことないくらい眩しかった」
「ありがと。惚れ直した?」
「うん、惚れ直した。んであと驚いたのは……モデルの撮影っていつもこんな感じなの?」
「こんな感じ、って?」
「夏の真っ盛りに冬着って」
「いつも、はないかな。かなりレア」
予測はしていたけれども想定以上に厳しい撮影。下手すると熱中症で倒れていたかも。
うまく私に押し付けて逃亡したお姉ちゃんが恨めしい。
2年前の北の旅行は色々考慮してくれていたものだと改めて思う。
「でもあるにはあるんだ」
「まぁね」
「あと気になってたんだけど、何百枚も撮ってたけど、写真集でも作るの?」
「いや、ポスター1枚だけ」
「1枚?」
「うん」
「あれだけ撮った中から、たった1枚?」
「もちろん」
「……うわぁ」
「当然じゃない。撮影ってそんなもんだから」
そういえば私も最初はカルチャーショック受けていたな……と思い出しているうちに呉服店に車が到着。
次はあの振り袖での撮影か。
ご褒美と思って我慢して神社での撮影を乗り切ったけれども、辛いか……いや、頑張ろう。
どうせ本格的な撮影になるわけないし。
「大変だったんですねえ」
「ええ、それはもう本当に」
帯をとき、振り袖を脱ぎ、汗でぐっしょりになった長襦袢を脱がしてもらいながら、呉服店の老婦人とそんな会話を交わす。
大丈夫かな? 汗の匂いで私が実は男だとばれないか不安になる。
この姿でいる時は意識しないようにしているけれどやっぱり“僕”は男なわけで、こういう部分で不便なものである。
まあそれは今更どうしようもないから気にしないことにして。
店内の更衣スペースで全裸になって濡れタオルで全身を拭い、新しく購入した和装下着に着替える。
和装ブラには、よく拭いたパッドを詰め直して。
このままの格好で店内に戻るわけにはいかないし、従うしかないのかなあ。
渡されていた浴衣を手早く着込み、帯を緩めに巻く。
「着付け、手伝いますね」
「あ、いえもう着ましたから大丈夫です」
「おや、そうですか。……お若いのに綺麗に着られて」
着替え終わったころに声かけられたので、礼を言いつつそのまま店内に戻る。
「あれ? 雅明は?」
「雅明さんなら、今着替え中ですよ」
着替え中……何をやる気なのだろうと少し不審に思いつつ、化粧直しのために化粧品店にまた移動する。
ウォータープルーフの化粧だったとはいえ、撮影後の滝汗で流石に多少崩れているし、そもそもメイクがこれから着る振り袖にあっていない。
さっきのヘアサロンのおばさんみたいにあっちから来てくれれば良いのにな、と思いつつ商店街を歩く。
白地にブルーの金魚が踊る涼やかな浴衣。藍色の帯は文庫に結んである。
まあ浴衣の常で見かけほどには涼しくない。
日傘をさしているから多少は楽だけど、それでも汗が首筋に伝う。
と、前から華やかな声が届いてくる。
部活帰りの女子高生、といったところだろうか。
夏休みというのに夏服の制服に身を包み、はしゃぎながら歩いている3人組の女の子たち。
あちらも私に気付いたよう。
「うわっ、なにあれ美人」
「モデルさんかな? ひょっとしてなにかの撮影中?」
「あたしらここ居ていいの?」
「何あの肌。何あの顔のサイズ。何あの美貌。何あのスタイル」
「首の付き方どうなっているんだろ。あれ絶対人類じゃないよね」
「あんたねえ。人類じゃなければなんなのさ」
「んー。異世界から来たハイエルフのお姫さまとか?」
「なんか変な話になってきた」
「でもそう言われても納得するくらい美人」
「動きも綺麗だよねえ」
「ああっ、神様って不公平」
こちらを指差しながらきゃいきゃいとはしゃいでいる。
微笑み返そうか、とチラリと思うけれども、撮影とか求められたら面倒だし、今の屋外で脚を止めたくない。
意識的に彼女たちを意識しないようにしながら、そのまま通りすぎる。
私も彼女たちの一員として登校した可能性もあったのだろうか?
そんなことを考えているうちに、化粧品店前に到着したのでドアをくぐる。
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まあ化粧直しでは当然特筆するようなこともなく、また呉服店に戻る。
「……なんか七五三みたい」
「最初に言うことがそれ?」
店内に戻ると、紋付き羽織袴を来た雅明が出迎えてくれた。
色白でハンサムだからそれなりには様になっている……のだが。
何故か知らないけど妙に『七五三で無理やり羽織を着せられて仏頂面な男の子』的な印象を受けてしまう。
「瀬野さん、お帰りなさい。さっそく着替えるかね?」
「あ、いえ。もう少し休ませていただけませんか」
「そう言うと思った。ここに座って」
雅明がそう言って、店の片隅にある椅子を叩く。
言われるままに座ると、冷房の風を扇風機で流してきて確かに涼しい。
老婦人が持ってきた冷えた麦茶。礼を言って受け取り、ストローで飲んでほっと一息。
きちんと浴衣を着込んだ状態だから、そこまで楽でもないけれど。
それでもようやく落ち着いたなと、ガラス越しに外を眺める。
そろそろ陽が傾いていてきた時刻。本当なら今頃は仕事も終えて観光していた頃か。
今となっては手遅れだけど。
「なんというかその……」
「うん、何?」
「すっごい絵になるな」
「ふふん。ありがと」
「なんかいつもと違って見えるというか……」
「そりゃそうでしょ。浴衣着てるし、化粧も厚いし」
「うーん。そうなのかな。それだけじゃないと思うけど……」
と、そんな会話をしていると通りから声が流れてくる。
ちらりと目を走らせると、先程の女子高生と同じ学校なのだろうか。そんな感じの制服姿の男子高生の群れ。
「お、おいあれ見ろよ」
「何?」
「あっ、あれか。すっげー美人」
「あ、そっぽ向いた」
「お前らがそんなに騒ぐから」
「ねー。おねーさーん。こっち向いて」
「でも背中だけで美人って分かるわ。すっげー」
「首筋きれー」
「お前らどんなフェチだよ」
これだから男子高校生は嫌なのだ、とごくナチュラルに考えている自分に気がついて内心苦笑する。
本来“僕”もその一員なのに。
なんか立ち止まって色々声かけてくるし、多分カメラのフラッシュまで焚かれている。
体も十分冷えたし、一応の休憩も取れた。
もう少し休んでいたかった気もするけど、着替えるために店の奥に行くことにする。




