5.良い仕事しました(商店街一同)
「婆さん、アレ出してくれないか」
「はいはい」
まずは衣装選びから、ということで案内された呉服店である。
事前に渡していた写真と体のサイズからある程度候補を選んでいたのだろう。
訪問した時点ですでに店内には幾つか振り袖が並べられていた。
それなのに、私の顔を見るなり呉服店の主人らしき老人がそんなことを言い出して、老婦人が奥に何か取りに行く。
『アレ』の一言で伝わるとか、息のあった老夫婦ぶりだなあ、と感心しつつ待つこと暫し。
桐箱を抱えたお婆ちゃんが戻ってきた。
重そうだしお爺ちゃんが抱えてやれば……とも思ったけれども、腰を痛めているとかそんな理由かも。
まあ、そんなことはどうでも良いとして。
「……」
「……すご」
開けられて出てきた一品に息を飲む。
雅明がくるっと後ろを向いたのは、万が一にもツバがかからないようにか。
「ほう、これの良さが分かるのか」
「……それは、もう」
「おお凄い。若いのに感心、感心」
私も雅明に見習ってくるりと後ろを向いて、ついでに手で口元を覆いつつ、そんな会話。
それでも絢爛豪華な刺繍が目に焼き付いている。
……これ、新品だったら下手すると数千万円とかそんなレベルだ。
「じゃあ、今日着るのはこれで良いかね?」
「えっ、ええっ? いやいやいや、駄目でしょう」
「なんでじゃね? お嬢さんには似合う……というか、お嬢さんほど似合う人はいないと思うが」
これからやるのは屋外での撮影。
汚す可能性もあるのに、というか汗で汚れることが確実なのに、万一弁償とか言われたら払いようがない。
なんとか止めてもらう方法はないか……あ。
「いえ、やっぱり駄目ですよ。屋外の撮影に使いますから、夏の日差しを長時間浴びることになるので……そんなことになったらお着物が可愛そうです」
「ほう、ほう。……どうじゃい婆さん、今の若い娘でこんなこと言えるのっていないじゃろう」
「ほんに、そうですねぇ……」
「しかしその通りじゃ……どうしたものか」
「お参りの撮影? でしたっけ。その後ここで着てもらっては?」
「おお、そうじゃ。その通りじゃ。構わないかね?」
ポスターの撮影後、冷房の効いた屋内で、短い時間での撮影と……それならまあ良いか。
報酬として例の着物を渡すと言い出す老夫婦を断るのに一苦労したりもしたものの話を纏め、ポスター撮影に使う着物を選ぶ。
何だか交渉術に負けた気がして少し悔しいけど、でもあの衣装を纏えるのは私にとって約得しかない。
『ご褒美』目指して、きついお仕事頑張ろう、うん。
「……最初のがあれだったから感覚麻痺しているけどさ」
「うん」
「これだって十分高いよね」
「そうだね、どんなに安くても100万は切らないと思う」
次のお店へ向かう途中。
持たされた着物を覗き込みながらそんな会話。
「まぁ、あんまり安物だとやっぱり写真も見栄え悪くなるから、どうしても最低限」
「そんなもんなんだ」
「でも、ちょっと意外かも」
「何が?」
「雅明が着物の値段分かるのが。そういうの疎いと思っていた」
「そうなんか? うーん……お袋が昔日舞やっていて、その関係かな」
「それで分かるのか。十分凄いよ」
ちなみに雅明自身も幼少期の一時期日舞をやっていて、5歳ごろに娘道成寺を舞台で演じたことがある、という中々ぶっ飛んだ過去が判明するのは、ここから随分と未来の話。
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「……あ、あそこか」
さほど歩くこともなく、シャッターも目立つ寂れた商店街の中で異彩を放つ、お洒落なネイルサロンの前に辿り着く。
撮影現場となる神社の近くにある小さな商店街。
その中にあるお店を巡るような感じで、私は『初詣でおめかしした女の子』に変えられていくわけだ。
ここ本当に採算取れているのか。場所選び間違えてないのか。色々不安になりつつそのネイルサロンの店内に入る。
出迎えてくれたのは30前後、そこそこ綺麗めな女の人2人。
名刺交換したけど、店長さんと店員さんとのこと。
持ってきた振り袖を見ながらイメージを相談し、施術を初めてもらう。
「あ、雅明。これからずっと暇だろうから、撮影終わるまでどっか遊んでいていいよ。何なら一度家に帰っても」
「ん……いや、ここで暇つぶししてる」
日差しの強い外に視線をやって、気の抜けた感じの返事。
椅子に腰をかけ、そのままiPhone に視線を戻す。ゲームか何かで時間を潰していたのか。
「ねえ、お兄さん、瀬野さんの彼氏?」
「あ、いえ……まあ、そんな感じです」
「今日は彼女さんの付き合いで?」
そんな雅明の横に移動し、店員さんが興味津々と言った体で話し始める。
正直そんな暇があるなら、店長さん手伝ってくれるか両手一度に2倍速でやってくれれば良いのに、と内心思いつつ作業が進んでいくのを見守る。
「でも本当に、こんなに手の綺麗な人は初めて見ました」
「どうなんでしょう。私よりもっと綺麗な人はいくらでもいると思うんですが」
「そんなことないですよ。それに、普段の手入れも丁寧に行き届いて……プリパレーションもそんなに要らないくらい」
こっちはこっちで、丁寧に慎重に、ネイルが整えられていく。
爪を軽く削り、ブラシでダストを取り除いて、ジェルクリーナーで拭き取る。プライマーを塗り、ネイルチップを装着。
細かく整えて色々したあと、ライト照射を何度か繰り返して硬化させる。そこから更にアートを行う。
こんな手間暇のかかる処理を両手指10本分。
一通り終わった自分の指を光にかざして見る。
着物よりちょっと深めの赤をベースにした、いつもより1.5倍は長い爪。グラデーションが微かにかかっている。
振り袖の柄に合わせたのだろう、蝶々をモチーフにした繊細なアクセが飾られている。
宝石を使っているのか所々キラキラと輝いていてとても綺麗。
蝶々だけじゃなくて、それ以外にも親指には松、小指には竹をモチーフにした飾りが入っていてとても細かい。
それでいてゴテゴテしていなくてスッキリと纏まっているのもポイント高い。
撮影の時間だけで終わって、あとは外してしまうのがもったいないな、と思ってしまう。
まあ、これだと日常生活が困難になるし、男姿に戻れなくなるから仕方がないけど。
「瀬野さん可愛い」
「あ、そうですね。本当に可愛くしてもらってありがとうございます」
「いや、そうじゃなくってさ。自分のネイル見てうっとりしているのが本当に乙女で可愛い」
「そうそう。雅明くん、こんな彼女持てて果報者め」
「え、いや、まあ、その、はい」
「雅明、どう? 綺麗でしょ?」
飾り付けのついたネイルを、雅明の前にかざして自慢してみる。
でも、どうも不評っぽい表情。
「いや……うーんそれは……」
「まあ、男の子には分かんないか」
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そんな感じで私の『女の子ポイント』上昇イベントをこなしたあと、次は化粧品店に。
他は一応『その道のプロ』なのに、ここだけ違っていて不安が残るけれども。
化粧品販売のプロであって化粧のプロじゃないだろう、と。
まあコスメカウンターの店員さんたちは化粧かなりうまかったし、手慣れている可能性も勿論ある。
一抹の不安と不満を抱えつつ、古びた化粧品店のドアをくぐる。
ちょっと意外なことに、店には先客がいた。
多分60歳くらいの店員さんと、それと同年代の老婦人である。
「あらいらっしゃい」
「すみません、撮影の件で連絡来ていると思うんですが、瀬野と申します」
「あらあらあらあら、そう言えばそうだったわね。ごめんなさい、樋口さん、そういうわけでまた今度」
「え? 何? どういうこと?」
店に居た樋口さん? は結局居残ると駄々をこねて、そうなると困るのが雅明の処遇である。
この広くない店内、座るところもなく、立ち見客が2人だと微妙に苦しい。
ちょっと話し合って、雅明には近くの喫茶店で時間を潰してもらうことにする。
分かれてほっと一息。
これから化粧を落とすのだ。スッピン状態だと私が“悠里”じゃないことが流石に分かっただろう。
今更バレても問題ないのだけれど、他の人のいるところで私が“俊也”だとバラされたら色々厄介だ。
偶然とはいえ助かったと、内心『樋口さん』に感謝する。
メイクを落とさせてもらって、肌の綺麗さに2人できゃいきゃい騒がれる。
この展開は割と慣れているとはいえ、あんまりつついたり撫でたりしないで欲しい。
持ってきた振り袖と見比べながら、メイクを進めていく。
腕前としては絶賛するほど良くもなく、されども 懸念したよりは悪くなく、という感じか。
鏡を見ると、撮影向けに艶やかに化粧された『瀬野悠里』の顔が見返してくる。
長く濃いまつ毛で強調された大きな目、可憐さと微かな色っぽさを兼ね備えた朱唇。
『彼女』に向かって笑いかけると、柔らかな、でもどこか謎めいた笑みを返してくれる。
ああ、“僕”が惚れた、この笑顔。
余韻にもっと浸りたかった気もするけれど、気を取り直して次のヘアサロンへ。
ちなみに雅明に電話したところ、呉服店に行く前に合流するそうだ。やっぱり暇すぎたか。
到着後、同じように挨拶して振り袖を見せ、相談をしてヘアセット開始。
「髪質こんなに良いのに伸ばさないの勿体ない」
なんて言葉を笑顔で誤魔化したりしつつ、エクステを継ぎ足していってあちこち固めてセットしていく。
出来上がりを見ると、地毛とエクステが調和してとても自然な感じに纏まっている。
髪を伸ばして自分の髪で結ってみたいな、とも憧れる心はある。
鏡で見る限りでは、外見的にはほとんど変わらないようにも見えるけれども。
シニョンで纏めてアップにした感じのヘアスタイルで、頭の重みが増して割と辛い。
本番ではこれに更にマシマシになると思うと更に気が重い。
首をちょっと動かすとバランスが壊れて崩れそうで大変でもある。
──それでも、鏡に映る可憐な姿を見ると、心が踊るのを止められないけれども。
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「雅明、何?」
そんなこんなで、雅明とも合流。
……これで何回目だと半ば呆れるけれども、私の姿を見るなりまたフリーズしてし始める。
流石に面倒くさくなって「ていっ」と手刀をかまして再起動させる。
「いやいやいやいや。これ美人すぎでしょう。すごい」
「ありがとう。でも毎回毎回やりすぎでしょう? 美人は3日で飽きる、っていうのに」
「そんなはずないって。3日どころか30年でも飽きない自信があるね」
そんなやり取りのあと、人通りの殆どない商店街を、二人並んで歩き始める。
「いや悠里って本当に頸細いんだなあ、って、改めて」
「ふむ」
「それになんかこう、項がとっても綺麗だなって」
「なにそれオヤジ臭い。雅明ってひょっとして項フェチ?」
「うーん……いや、悠里フェチ」
「うわ、なにそれ」
とかやり取りしつつ、呉服店の前に到着。
いや長かった。出てから2時間以上経っている。
本番前なのに大丈夫か、私。
店に入り、UVカット用のサマーカーディガンを脱ぐ。
むき出しの肩にかかる空調が気持ちいい。
手袋はネイルの前に外しているから、今は腕全体もむき出しの状態。
そんな中赤く輝くネイルが光る。
……あ、タイトニットどうしよう。
化粧をしてから脱げるようにと、一応背中の小さなボタンで止めるタイプなのだけれど、この指だと多分外すの無理だ。
少し悩んで、雅明にボタンだけ外してもらう。
「うん、外れたよ」
「ありがと」
「いつも思うけど、本当に背中すべすべで綺麗だよな」
「裸も見ているのに」
「いや、素っ裸よりブラだけ見える今のほうがエロくない?」
「うーん、分かるような、わかりたくないような。あ、ついでに、腰のリボンベルトを外してもらえない?」
「はいはい……これスカートじゃなかったのか」
「うん、ワイドパンツ。気付かなかった?」
「うん。スカートとばっかり思ってた。馬乗袴だったのか」
馬乗袴て。
まあぱっと見はマキシスカートに見えるから、服に疎いなら勘違いしてもしょうがないのか。




