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僕は、姉になる  作者: ◆fYihcWFZ.c
第一部:「魔が差した」としか言いようがない 2009年3月
4/47

4 『女を、装う』ということ

 ──時刻と場所を確認する。うん、間違っていないはず。


 色々な人が待ち合わせしている場所。お姉ちゃんが化けている『俊也』の姿が見当たらない。

 女の子たちと話している少年の背中が近くに見えるけど、背丈も違うし髪を隠す帽子も被っていないから違いそうだ。


「そこの綺麗なお嬢さん、どうしましたか? 何かお探しでしょうか?」

「いえ、お気遣いなく。電話をかけますから大丈夫です」


 またナンパかと少し辟易しつつ、でも表面的には穏やかな様子を装って笑顔でお辞儀して、iPhone を取り出してかけてみる。

 待つほどもなく電話が繋がる。


『お姉ちゃん? ……うん。いや、もう待ち合わせのところにいるけど……』


 先ほどの少年が振り向いた。黒いジーンズ、黒いジャンバー、黒いシャツの黒一色の姿。見間違えるはずがない、見慣れた“俊也”のいつもの顔。でも髪が短い。


「……ああっ、髪切ったの!」


 座った時に椅子につくくらいまで長く伸ばしていた黒髪が、普通の少年よりは少し長い程度に切りそろえられていて、さすがに驚く。

 先ほど声をかけた男性に軽く手を振って、歩いて近寄ってみる。


「きゃああっっ!」

「わっ! びっじーん……」

「ね、俊也くん、この人?」


 周囲を取り巻く女の子たちが華やかだ。いつの“俊也”はこんなにモテモテじゃないので、少し理不尽に思う。

 でも肝心かなめの『俊也』はというと、私のほうを瞬きもせずに見つめて硬直していた。


「俊也? どうかしたの?」

「……おねえ……ちゃん?」

「うん、そうよ。他の誰にかに見える?」

「いや……見違えたよ……うん、凄く綺麗だ」


 周囲への挨拶もそこそこに2人で手を繋いで、駅の構内を歩き始める。


「髪、切っちゃったんだ」

「うん。……暑いし重いし、手入れ大変だして、前々から切りたいとは思ってて。で、丁度いい機会だから」

「うーん、もったいなかったかなあ。……それで待ち合わせ時間遅くしたのね」

「うん、そういうこと。それにあと色々買い物が必要だったし」

「背がいきなり高くなってるからちょっとびっくり。シークレットブーツ買ったの?」


 3cmヒールの靴を穿いたから見下ろす形になるかと思ったら、逆にほんの少し見下ろされる形になっていた。『男女の身長差』ほどないけど、並んで歩いてバランスがいい。

 ジャンバーには肩パッドが入っているようで、肩幅もそれなりにある。


 自分もこの服を着れば、『格好いい男の子』になれるのだろうか?

 ……『無理して男装した女の子』に見えてしまうのかもしれないけれど。


「まあね。お姉ちゃんのほうも、凄く変わったね。今日家を出るとき黒い服だったから合わせたつもりだったのになあ」

「今日は『可愛い瀬野悠里』を徹底的に極めてみたかったの。……最初は『黒くて可愛い服』を探してみたんだけどね? なんだか浮いちゃう感じがして、これに決めたんだ」

「いや、いいと思うよ。凄く似合ってると思う。ああ、良かった。ちょうど空いてる」


 手を引かれるままに、2人一緒に駅の男女共用の障碍者トイレに入る。


「……俊也、やりすぎ。心臓が止まるかと思っちゃった」


 扉を閉めるなり、大きく息を吐いてそんなことを言う“お姉ちゃん”。


「まずかったかな?」

「スカウトとかナンパとか凄くなかった?」

「次から次へと大変だったよ。お姉ちゃんっていつもこんな感じなの?」

「私はいつもはそこまではないんだけどな」

「そういうお姉ちゃんのほうも、逆ナン凄かったね」

「うん、大漁だった。女の子たちに囲まれてたのは見たでしょ? 俊也ってもてるのね」

「僕だとあんな感じにならないよ……」


 制服のときならまだともかく、私服時に来るのはナンパ男か女モデルのスカウトばかり。僕だって男だ。男にもてるよりは女にもてたい。何かコツでもあるなら教えて欲しい。


「ところで、こんなところに連れ込んで何かするの?」

「ああ、忘れるところだった。これも買ってきたから付けてね」


 そう言ってゴソゴソ鞄の中から取り出して渡されたのは、なんだか昨日見せられたお姉ちゃんの胸部を、そのまま切り取ったような肌色の物体。


 少しの言い合いをして、チュニックとワンピースを脱いで、丸めたストッキングの替わりにそれをブラジャーの中に詰める。

 さっきまでとは段違いに自然な感じになった、2つのささやかな膨らみがそこにある。


「結構重みがあるんだね。つけてると肩が凝りそう」

「実際のおっぱいと同じ重さって話。でもBカップだからそんなに重くないと思うんだけどな。クラスにDの子とかいたけど、あれは確かに大変そうだった。……今度、Dカップのパッドも買って試してみよっか」


 それは興味があるようなないような。今でも十分な柔らかさと重みに、股間がやばいことになっているのに。

 窮屈すぎる下着の前を持ち上げて、我慢汁がにじみだしそうになっているのが辛い。それでもスカートの上からは少しも分からないのも、ある意味辛いところだけど。


「あー、お姉ちゃん。今のうちに小便しておいていい?」

「どうぞ。……って、その格好で立ってしないでよ。ちゃんと座って、脚も閉じて」

「他に誰も見てないんだから、別にいいんじゃないの?」

「駄目よ。油断は禁物。誰も見てない時も、視線を意識して『女』でいないと」


 色々言いたいことはあるけど、黙って言われた通りに腰掛けようとする。

 半ば癖の通りにスカートを下ろそうとすると、「ダメよ。スカートでトイレする時は下ろさないの。たくし上げるの」って、そんなことまで突っ込みが入るし。


「ええ? こんな長いスカート、たくし上げるのも大変じゃない?」

「あんたねえ。下ろしたら裾が床についちゃうじゃない。もっと常識を知らないとだめよ?」


 身体を取り巻く布の扱いに苦労しながらなんとか持ち上げて、やっとの思いで便座に座る。

 下を向いて股間を確認しようとするけれど、ブラジャーとスリップを盛り上げる双つの丘の間には、薄緑の布の塊が見えるばかり。見栄え重視でこんな長いスカートを買うんじゃなかったと今更後悔。なんとか手探りで加減硬くなりっぱなしなものを無理やり下へ向ける。

 手がおろそかになったせいか、容赦なく降りかかる「スカートが床についてるよ」という指摘。


 下着まで含めて女の子の服を着て、女の子のように綺麗な化粧をして、女の子のように胸を膨らませて、女の子のように(カツラだけど)髪を揺らしながら、女の子のように座って膝をつけて用を足している僕。小便するだけの行為に、何でこんなに苦労しているのだろうかとめげそうになる。

 でも一番問題なのは、指先で掴んでいる『僕が男である唯一の証』が、思わずしごきたくなるくらいに興奮しまくっているところだろう。


 ……僕はこれからいったい、どうなってしまうのだろう?


____________



 服を着なおして、おかしなところがないかを確認してトイレを出る。

 ここから先は、私は悠里。この子は俊也。自分の心に改めてそう言い聞かせながら。

 歩くたびもおっぱいが揺れる感覚がなんとも言えない。偽物でこれなら、本物ならどんな風に感じるのだろう。そこまでは絶対したくないけど、興味がないと言ったら嘘になる。


「お姉ちゃん、食事いかない? もうこんな時間だし、お腹すいちゃった」

「あ、そうだ。今日は『お姉ちゃん』ってのやめよう。私のことは『悠里』って呼んでね」

「恋人のように?」

「そ。恋人のように。ただ『悠里』、って」

「……うん、分かった。でもなんだか恥ずかしいね」

「大丈夫。私もちょっと言ってて恥ずかしかった」


 2人で顔を見合わせて笑いあう。


 荷物をまたロッカーに預けて少し歩き、適当にランチセットのある店を探して中に入る。『高校生デート』としてはグレードが高いかもしれない、そんな瀟洒なレストランだった。

 本日のメニューを眺めてみる。レディースランチがいい感じ。でもやっぱり男なのに『レディースランチ』は変なのかな、とまで考えて思い至る。そういえば今日の『私』は女の子なのだった。


 ということでオーダーを取りに来たウェイトレスさんに、遠慮なく注文してみる。特に不審がられる素振りもなかったので内心ほっとする。

 そういえば座るとき特に意識してなかったのに、気が付くといつの間にかスカートを綺麗にお尻の下に敷いて、脚をきちんと閉じて腰掛けていた。


 “女を、装う”と書く、女装という言葉。

 女物の衣装を装うだけでなく、仕草も、立場も、他人からの扱われ方も、トイレの仕方ですら女を装うことを要求される。でもなんだか、それを楽しく思い初めている自分がいた。

 そのうち、心まで“女を装う”ことが出来るようになれば、それは“女が、女でいる”というだけの、ごく自然な状態になってしまうのだろうか。このドキドキがなくなってしまいそうで、それはそれで少し勿体ないような気がした。


「悠里ってば、凄いイメチェンだよね。最初分からなくてごめん。こういうのも可愛いね」


 テーブルの向かい側から手を延ばし、肩にかかる私の髪に指先を絡めながら俊也が言う。


「昨日、『世界で一番可愛い女の子と、デートしたい』って言われたからね。だから、もっともっと可愛くなれるように、って頑張ったの」

「昨日の時点でもう世界一だと思ってたけど、まだまだ上を目指すんだ」

「うん。──私もね、ずっとずっと“悠里は世界一可愛い女の子”だと思ってた。でも、昨日今日で確信しちゃったんだ。“悠里はもっともっと可愛くなれる”って。身内や惚れた欲目抜きで、本当に世界一を目指せるんだ、って」

「何だか眩しいな。うん。悠里は本当に可愛い」


 目の前に座る男の子、俊也がうっとりとした表情で微笑む。胸の中で、『キュン』と音が鳴ったような気がした。

 冷静に考えれば、弟の服を着こんで男装した姉の、自画自賛の言葉。でも今は、一人の『女の子』としてその言葉にトキメキを感じていた。


「最初にも言ったけどさ、ナンパとかスカウトとか大変じゃなかった?」

「落ち着いて考えると駅前のデパートから待ち合わせの場所の移動だけだから、そこまでじゃなかったかな。そういえばこんなの貰ったんだけど……」


 と、デパート出口で受け取った名刺を取り出して渡してみる。その名前を見て、何だか考え込む様子の俊也。


「あれ、知ってる人?」

「なんだったかな。美人画か何かの画家さん。どっかで前聞いたことはある名前」

「やっぱりあれ、スカウトだったんだ。絵のモデルかあ」

「本人ならね。そっくりさんがなりすまして勧誘とかよくあるから、仮に興味があってもその名刺のアドレスには連絡しないこと。名刺もさっさと捨てちゃったほうがいいね」

「うーん、そこまで用心するんだ」

「AVあたりの勧誘ならまだ可愛いけどね。誘拐とか拉致とかヤクザとかレイプとか普通にあるから、悠里も気を付けないとだめだよ。……悠里はまだまだ、自分の魅力と価値がどんなものか分かってないみたいだから」

「うん。……分かった、とまでは言えないけど、分かるよう努力します」

「美人はねえ……得なことも多いけど、面倒ごとも沢山あるから」

「なんだか実感が籠った喋り方だけど、ひょっとして女装して歩いたときの実体験?」

「……いや、お姉ちゃん見てるとそう思う、ってだけ」

「あの人、美人だもんねえ」


 昼時よりは遅いとはいえ、人もそれなりに居る店内。お姉ちゃんでも油断することがあるのか、と内心思いつつ軌道修正してみる。

 でもこれ、意外に楽しい。傍から聞いている人に、『私』が本当は男で、『俊也』が本当は女であることを悟らせないように会話を繋いでいく。なんだかパズルでも解いていくような感覚。いつもの自分は無口なほうだと思うのに、口に翼が生えたように喋りたくなってくる。


「俊也は俊也で結構スカウト来ると思うんだけど、芸能界入りとか興味なし?」

「言ってなかったっけ? 僕はほら、経営やりたいから……経営は何かやりたいことを達成するための手段のはずなのに、『経営することそのもの』を目標にしてる時点で変な話とは分かってるんだけどね」

「いや、凄く立派だと思う。まだ若いのに」

「だからまあ、あんまり時間がとられることは、したくないってのが正直な気持ちかな」

「でもちょっと意外かな。モデルウォークとか練習してたから、モデル目指すと思ってた」

「モデルみたいな綺麗な動作は目指したいと思うけど、職業にはしたくないかな。仮に芸能界に入るなら、じょ……俳優あたりが目標」

「そうなんだ?」

「容姿も武器にできて、でもそれだけじゃなくて、努力とセンスと技術と積み重ねが要求される世界がいいなって。そういう悠里は、将来の夢とかあるの?」

「んー。俊也のお嫁さんとか?」


 思わずむせる俊也。生まれて初めて、この人に一矢報いることができたような気がした。



 女と男、姉と弟、もうすぐ高等部と中学生、私立の中高一貫女子校生と共学の公立中学の生徒。何重にも立場を入れ替えた状態で、周りに不審に思われないよう注意をしながら、でもここ暫くなかったくらいの勢いで、私たちは2人の会話を楽しんでいた。

 やがてランチが運ばれてきたので、二人で「いただきます」と手を合わせて食べ始める。“女の子らしく、瀬野悠里らしく食べる”という、実は難易度の高い行為。記憶の中の“瀬野悠里”にイメージを合わせて、それに沿うように全身を動かす。

 『言うは易し、行うは難し』を地で行く作業だった。


 昨日と違って髪を後ろで纏めてないから、ウィッグの茶髪がかかってくる。

 左手でそっとかきあげてみるけど、どうにも落ち着かない。口紅……じゃなくてリップクリームか。とにかく綺麗に化粧した唇がはげないように、そっと食事を口の中に入れるのも結構気を使う。

 食事の匂いに、化粧の匂いが混じってくるのにもなんだか違和感。おかげで今まで意識から外れていた化粧が気になり、ついこすってみたい衝動に襲われて、それを抑えるのが大変だった。

 これが“女性の日常”なのか。大変なものだと改めて感じる。


 いつもより意識してゆっくりと咀嚼して食べる。自分におかしなところがないか気にしながら、指の動きにも気を使って。目の前には、小憎らしいほどに落ち着いた『俊也』が、男性ではあまり見かけない、自然で優雅な仕草で食事を食べている。


「レディースランチ、美味しい?」


 私の視線に気付いたのか、ニッコリ笑ってそんなことを聞いてくる。自分と同じ顔がそんな表情が出来るとは思っていなかった、“女殺し”の笑顔。自分の心臓がまたキュンとなるのを覚える。

 正直、味も分からない状態。でもせっかく得た、生まれて初めての優位を失うのはシャクだ。


「まぁまぁ、かな。俊也も食べてみたい? はい、あーん」


 いんげんのおひたしを少し取って、それを差し出てみる。少し面食らった顔をしたあと、それでも笑顔でパクリと食べてくる『俊也』。

 お返しとばかりに、箸に自分のおかずを少し取って「あーん」させてくる。傍から見ていると、きっと呆れるくらいにバカップルな光景。ほんの一昨日まで、あり得ない夢だった『悠里お姉ちゃんと俊也との、いちゃラブデート』。これで立場が逆だったら、自分が悠里の立場でなかったら、どんなに良かっただろう。



 そんな食事をなんとか終わらせて、女子トイレに移動。

 白いチュニックに淡いピンクのロングブラウス姿の『可愛い女の子』が、大きな鏡に映し出されている。

 案の定リップが取れかかっていたので、さっき習った通りに軽く化粧直しをしてみる。

 一段と輝きを放つように思える、可愛らしい容姿、可愛らしい笑顔、可愛らしい仕草。


 “女でいる”というのは大変なことも多いけど、それを補ってなお余りある喜びがそこにあるような気がした。

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