3-3.女子の一員として。
合宿編だけのゲストキャラ
先生:吉川香里。演劇部顧問。そこそこ美人だが31歳独身。
高2:伊達涼子。中学からのクラスメイト。
「ん……」
朝。
ふと感じた視線に、意識を浮上させる。
こちらを見つめていた女の子と目が合う。……誰だっけ? 後輩の一人だ。
「……おはよう」
「あっ、おはようございますっ」
時計に目を走らせる。
……寝なおすには微妙な時刻かな?
むくりと体を起こして、立ち上がる。
「先輩、すっぴんでも綺麗ですねえ。ね、先輩。生まれた時から絶世の美女ってどんな気分なんです?」
「馬鹿言ってないの」
広めとはいえ個人所有の別荘に参加者全員分のベッドがあるはずもなく、周囲には女子中高生の群れが雑魚寝で転がっている。
私は早めに寝させてもらったけれども、この人たちは何時まで起きていたのだろうか。心地よさそうに寝息を立てている。
──男子と一緒に寝た時と違って、襲われる心配がなくて良かった。
彼女らを踏まないように注意しつつ、外へ。
ひんやりとした清涼な空気が心地よい。
都会とはまったく違う、澄み切った朝。
それにしても、と思う。
ずっと『瀬野悠里』として、女子として生活する一日。
札幌での3泊4日を終えたと思ったら、さらに延長2泊3日追加で。
北ではホテルという“瀬野俊也”に戻れる隔離空間があったけれども、ここではそれすらなくて、寝ている間でさえも『瀬野悠里』でなくてはならない。
女『を装う』ことすら許されず、女『で在る』ことを求め続けられる時間。
常に気を張り詰め、偽りの自分を演じ続けないといけない。
“自分は男である”というアイデンティティの最も根底にあるところを否定し続けないといけない。
瀬野悠里でなければいけない。
心の奥でざわつきを感じて、それ以上の思考を停止する。
これまでに何度か発作のように起きてきた感情。
たぶん、『男である自分』を壊して『女になる』ことを阻止するための心の機構。
深呼吸して、頭をからっぽにして、『それ』が動きださないように。
この合宿の間に『女装なんてもうしたくない』『もう女のふりなんか嫌だ』とか口走ってしまったら大惨事どころではない。
しばらく呼吸にだけ集中して、少し心が落ち着いたのを確認してから別荘の扉を再び開ける。
外と打って変わった、むっとした空気。
各種香料の匂いと思春期の女子の匂いが混じりあって凄いことになっている。
外で一回リセットしたせいで意識にのぼるようになったのか。
自分の体臭は大丈夫なのだろうか? 途端に不安になる。
朝シャワーできるのかな? 寝汗でついた体臭を取り敢えず消したいけど……音が鳴るし迷惑か。
少し悩んで、濡らしたタオルで全身を念入りに拭いて誤魔化すことにする。
匂いを嗅いでみて大丈夫だとは思ったけど、一応寝汗のしみ込んだ下着も別のものに変える。
そのあと制汗剤、虫よけ、日焼け止め、香水も念を入れて全身に。
ジャスミンやらスズランやらの匂いが混じりあって妙な感じ。これで男の体臭が誤魔化されれば良いのだけれど。
脱いだパジャマに消臭スプレーをふりかけて仕舞い、ジャージに着替える。
……昨日の夜着て寝たパジャマ、普段はお姉ちゃんが使っているもので、男女兼用のものだったりする。
それで化粧もなしで一晩過ごして男だとばれないとか、先入観はすごいと言うべきかそんなに自分は男らしくないのかと嘆けばよいのか。
まあ、とりあえずはばれなかったことに安堵すべきなのだろうけれど。
寝室に戻ってちらりと覗いてみると、起きている人も数人いるけどまだ大半は寝ている最中。
まずはトイレに行って、それから鏡台の椅子に腰かける。
昨日、寝る前にこの別荘の持ち主の子に使用許可をもらっておいて助かった。
大きな3面鏡の中に、見慣れた見慣れぬ姿が映し出さている。
男時代よりちょっと伸びただけのベリーショートの髪、ノーメイクの顔、男女差のないジャージ。
ささやかな胸の膨らみはあるけれど、それ以外は男子中学生でいるときと変わらないはずの状態。
それなのに、『ちょっとボーイッシュな少女』ですらなく、普通に女の子に見える。それもとびきりの美少女に。
スキンケア、ファンデを手早く済ませ、アイメイクだけはビューラーまで使ってけばくならないように気を付けながら重点的にやって、あとはチークとパウダーをかすかに加える。
最後に色付きのリップを走らせて完成。
今日は途中で崩れる可能性も考えて、昨日みたいに『薄化粧のように見えてかなり手の込んだ』メイクではなく本当の薄化粧。
それでも見慣れた『瀬野悠里』の似姿がそこに現れる。
昨日、「好きな人を思い浮かべて」と言われて、咄嗟に脳裏に浮かべた姿。
それにそっくりな美しい『少女』。
……そういえば昨日のアレ。
あの場ではなんとか有耶無耶に出来たけれど、今日明日も色々言われるんだろうなあ。
そして、この合宿が終わったあとも。
この『入れ替わり』を押し付けたお姉ちゃんの自業自得だとも思ってみる。
時刻を確認する。
5時半か。
物音もしないし、他の人が起きないうちに表情の練習を済ませておくか。
まずは笑顔の練習から。
この顔の、この表情の魅力。
一緒に成長してきた弟としても、最も身近な女性としても、本人としても、世界の他の誰よりも知り尽くしてきた。
お姉ちゃんのフリをしているときに不用意に男性相手に微笑みかけて、厄介ごとに巻き込まれたのも一度や二度ではない。
でも今は、それより更に一回り破壊力が増した笑顔が鏡の中から見返している。
昨日、『キラキラ』だの『オーラ』だの散々に言われたのが納得できる破壊力。
前回表情の練習をまともにしたとき、北海道旅行の1日目とすら段違い。
……昨日はとぼけてみたけれど、本当はその理由も分かっている。
北の撮影で一緒した、本宮さんたちに憧れて、彼女たちに少しでも近付きたいと努力した、模倣の産物。
だから多分、あと数日もしないうちに剥げ落ちて、もとの木阿弥に戻るだろう。
その間に少しでも定着させられないかと割と必至なのである。
気を取り直して、真顔の練習。拗ねた表情、甘えた表情。嬉しい表情、怒った表情、悲しい表情、楽しむ表情。
記憶の中の『瀬野悠里』を辿るように、ここ1年以上の日課をこなす。
自分のものでありながら自分のものではない、少女の表情。
生まれた時からずっと接し続け、『この世で最も美しい顔』『この世で最も好きな顔』と刷り込まれ続けてきた顔、その似姿。
もっと堪能していたかったけど、皆が起きてきたようだ。
ウィンク一つを残して、名残惜しい鏡台の前から離れる。
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昨日はジャージ姿の女の子たちの中、一人だけ『女の子らしさ』をブーストするワンピース姿で混じって。
今日は皆と一緒のジャージ姿で過ごす。
普段男子生徒でいる時に体育で着るジャージとほとんど同じ状態。
軽い化粧はしたとはいえ、男とばれないか気になる。
……昨日自分が『少年』役だと分かってもらえなかったくらいだし、寝ている最中に観察されて気付かれなかったくらいだし、たぶん大丈夫だろう、うん。
誇っていいのか嘆いていいのか、よく分からないけれども。
周りの女性たちが普段通りの恰好をしているところに、一人だけ『女性』を強調した衣装で注目の的になる。
白無垢や近世ヨーロッパのドレスの時にも感じた、そんな気恥ずかしさとはまた別種の、不思議な感慨を覚える。
自分も周囲の女の子たちとまったく一緒の服を着て、その中の一人として過ごす。
体験するはずのなかった、『女の子だけの集団の中で、その一員となる』体験。
本来なら部外者、異物でしかない自分が、それとは気取られないように、浮いてしまわないように。
意識してしまうと違和感が出てしまうから、意識して意識しないように。何も特別なことではないかのように。
──私は女の子として生まれて、女の子として育ってきた、一人の女の子、瀬野悠里。
「涼子ちゃん、おはよう」
「うおっ。……悠里ちゃんか。なんか美人度更に上がってない?」
「ふっふっふ。もっと褒め称え給え」
「私の知っている瀬野悠里と違う……」
「観光地の空気で多少テンションおかしくなっているかな」
「なるほどぉ……ほっぺ触らしてくれない?」
「それはダメ」
「むむぅ。やっぱりそこはガード緩くなってないのか」
途中あった涼子ちゃんと合流しつつ、そんな会話をして笑いあう。
『私の知っている瀬野悠里と違う』と言われて内心ギクリとしたのだけれど、ばれていないだろうか。
自分と同じくジャージ姿になった皆と合流する。
事前に確認した予定表通り、朝食前にランニングから。
高原の空気の中で走るのは気持ちがよさそうだけれど、『病み上がりだから運動できない』とちょい無理のある断り文句を用意してきたことに感謝する。
これ、一緒に走れんわ。
「ふぁいっとー」
という可愛い掛け声を挙げながら走り出す一団を見送りつつ、そう思う。
アップダウンのある道を、それなりのスピードで駆け抜けて見えなくなってしまう女の子たち。
自分があの中に混じったら一瞬でばてて『私』がお姉ちゃんのパチモンであるとばれてしまうだろう。
冷蔵庫で冷やしていたドリンクを取り出し、戻ってきた順に手渡していく。
「わ、ありがとうございます」
「瀬野先輩がマネージャーとか豪華だ」
そんなことを言って受け取ってくれる後輩(実年齢は年上もいるけど)たち。
しかし朝起きてシャワーも浴びずにそのままランニング。
思っていたより制汗剤に混じる女性の匂いがきつい。
自分も走っていたらやっぱり匂いでばれたんだろうか?
むしろ朝の時点で良くばれなかったものだとしみじみと思う。
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さて。
またしても全力で注目を浴びつつ、いつも以上に『女らしさ』を演じつつ朝食を食べたあと、トレーニングを再開する皆を見守る。
話に聞いて想像していたものよりずっとハードな運動量。
お姉ちゃんは日々こんなのをこなしているのかと思いつつ運動部のマネージャー役の真似事をやっていると、
「ああ、瀬野。ちょっと買い出しに付き合ってくれないか」
「あっ。はい。いいですよ」
と吉川先生から夕食のための買い出しに誘われる。
ここに来るときにと同じ大きなワゴンの助手席へ乗り、市街地方面へ。
「……瀬野さ、お前姉妹とかいるの?」
当たり障りのない(と言いつつ私がお姉ちゃんとばれないように、内心冷や冷やものの)会話を続けているうち、ふとそんなことを訊かれる。
今後の整合性も考えて、『設定』通りに回答を返すことにする。
「妹と、弟が一人ずついますね」
「へえ。やっぱ瀬野って『お姉ちゃん』なんだ。……妹さんの名前は?」
「愛里です。弟は俊也」
「瀬野、愛里かあ。……良い名前ね」
「悠里愛里のセットです」
「ははっ。……ええとさ、あなた悠里さんじゃなくて、愛里さん、だよね?」
まだ疑惑段階、否定すればそれで納得してくれるような印象の言い回し。
でも江戸川さんと一緒で、他の人がいないときに言い出すように気を使ってくれているのだ。肯定してしまうのが楽だろう。
……にしても、わざわざ名前も出したのに、“瀬野俊也”だとは思われなかったのか。そんなに僕の女装は完璧なのか。
「済みません、皆を騙す形になって」
「やっぱりそうなんだ。一卵性双生児?」
「遺伝子調べてないので、断言できませんが」
「そうなんか。入れ替わりっていつもやってるの?」
「これは契約的に微妙なので秘密にしておいて欲しいのですが、読者モデルの撮影の時は、たまに」
「学校とか、部活とかは?」
「それは今回が初めてですね。色々神経使うので正直もう二度としたくないです」
「ははっ。今回は特別ってこと?」
「姉に『私のふりをして合宿参加してくれ』と命令されて、断れなかったので……」
「大変だねえ……悠里さんの風邪ってそんなに酷いの?」
「いえ、そこまでは。熱も下がったんですが、インフルエンザだったのでウィルスをまかないように、って大事をとっている状態です」
「夏風邪か。お大事にって言っておいて」
「はい」
「それで、どこで私が悠里じゃないって気が付いたのですか?」
「最初からまあ違和感はあったけど、あれだな。少年役できちんと演じてなかったから」
「ああ、それで」
少女であるお姉ちゃんと違って、自分が少年を演じ切れていなかったから分かったという、やっぱり理不尽な話か。
そんな一幕はありつつ、店に到着。
色々あって曜日を意識することもなかったけれども、今日は土曜日の午前中。
混みあっているというほどでもないけど、人はそれなりにいる。
「……?」
感じる居心地の悪さ。
『異性』として自分を見る、男性からの視線がどうにも気持ち悪い。
軽い化粧はしているけど、男の時と変わらぬジャージ姿のままなのに。
早く『同性』しかいない合宿所に帰りたい、そう考えている自分に気が付いて、色々不安になってみる。




