2-6.北の浜辺にて
札幌旅行編だけのゲストキャラのモデル3人。
本宮景子:身長172cm、テレビにも頻繁に登場する有名モデル。オーラが凄い。『瀬野悠里』に対しては正直あまり興味を持っていない。
水瀬麗:身長169cm、技術的には一番だがスタイル的に恵まれていない。自制する余裕はあるが、『瀬野悠里』をわりと敵視している。
平井ルシア:身長175cm、スタイルと容姿に恵まれたハーフの美人モデルさん。『瀬野悠里』好意を持っている
さて、JRに揺られること1時間+多分レンタカーであるバンに揺られること少し。
小さいけれどもそれなりに綺麗な海岸が見えて来た。
近くに路上駐車したバンの中で全員着替え、水着姿の美女たちに紛れる形で外に出て、軽く伸びをする。
冷房のよく効いた室内くらいの気温だろうか。
太陽が出ればまた違うのだろうけど、曇り空の下、鳥肌が立つほどではないけれども、ちょっと肌寒い感じがするくらいだ。
「おぉ、寒くない」
そんなことを考えていたので、平井さんの呟きに思わず振り返ってしまう。
「そっか。なんか初々しくていいなあ。……えぇとね。水着の特集が載るのって7月号あたりだから、雑誌によるけどその撮影はだいたい1月から4月くらいにあるの。氷点下での水着撮影とかもあるし」
「うわぁ……」
「それに比べると今回は天国、ってね」
自分はまぁ、そんな状況になることはないのだろうけど、でもお姉ちゃんは将来的にそんな撮影になることもありそうだ。
発端は私の思い付きでそんなことに巻き込んでしまって……なんというか、その、ごめんなさい。
外から見る華麗さと裏腹に、なんとも苛酷なモデル業の実態を話のタネにしつつ歩くこと少し。
車の中からちらりと見た海岸に足を踏み入れる。
人払いしたのか、もともと穴場なのか、天気のせいか、夏の盛りというのに多分スタッフさんたちしかいない砂浜。
私たち一向に気が付いたのか、手を振っている人もいる。
こんな可愛らしい水着姿を一般観光客に見られなくて良かったと少しほっとする。
平井さんに選んでもらった、小さな女の子向けの水着。
露出度的にはそこまで激しくない。上はタンクトップとほとんど一緒だし、下は今日穿いてきたスカートと同じくらいの長さのティアードスカートが付いている。
それでも微妙に小さなサイズのせいで、身体のラインがくっきり分かるのがいただけない。
淡い空色のワンピースの水着。フリルのついた襟元の白がワンポイント。
自分が本当に女として生まれてきていたら、幼い頃にこんな水着を着ていたのだろうか。
水着売り場で見かけた女の子たち。彼女たちなら良く似合ったのだろうけど、今の自分に似合って見えるのか。
平井さんとチーフさんの後押しはあってもどうにも不安だ。
「ルシアさんと悠里ちゃんはこっち~」
呼びかけの声に従い、2人で設置されていたビーチパラソルの下に移動する。
「日焼け止めを塗ってるところ撮影するから、ルシアさんここで横になって下さい」
「はい」
「悠里ちゃんはこれを」
「あっ、はい」
「途中からカメラさん来るから、先に始めておいてね」
羽織っていたタオルをスタッフさんに渡し、横になる平井さんと、日焼け止めを手渡される私。
これを塗れということだろうか……って、ええ?
女児用の水着なんか着ているけど、『私』は男なわけで……目の前に水着姿で横たわるこの美女相手に、恋人でもないのに全身を撫でまくって日焼け止め塗って良いのだろうか?
「私なんかが触っていいんでしょうか? 何か恐れ多くて……」
「ぷっ、何言ってるの」
「初々しくて可愛いなあ」
「そうだよねえ。高校生の女の子だもんね」
「気にしなくていいから、カモン」
「はい……」
尊敬する大人の女性。
お姉ちゃんを除けばそう言えば触ったことのない異性?同性?の肌。
『私は女、私は女、女だから何も問題ない……』
そう自分に言い聞かせながら、日焼け止めを垂らした掌を平井さんの身体に当てる。
細身の外見から想像していたものより、更に柔らかさに欠ける感触。スタイルを保つためのダイエットによるものか。
エステとかで十分手入れされてはいるのだろう、でも少し荒れた肌の手触り。漏れ聞くだけで分かる苛烈なモデル業が響いているのだろう。
お姉ちゃんも本格的にモデル業界入りしたらこんな感じになってしまうのだろうか。
私が触ったことのある比較サンプルが1人しかいない見当違いなのかもしれないけれど、そんなことを考えつつ、日焼け止めを行きわたらせていく。
「悠里ちゃんの手、気持ちいい。……ね。こんな風にオイル塗るのって慣れてるの?」
「ええと、どうなんでしょう。自分じゃ分からないですねえ」
お姉ちゃんの肌の手入れは何度もやらされているから、それが原因だろうか。
途中から本宮さん&水瀬さんペアの撮影を中断してやってきたカメラさんの撮影を受けながら作業は続く。
「悠里ちゃん手も可愛いねえ」
「あぁ、ありがとうございます」
そんなに接写して大丈夫なんだろうか。平井さんの背中と私の手しか入ってない写真をそんなに取って意味があるのか。
被写体メインはもちろん平井さんだけれど、それでも方向を変えて私メインの写真を撮ることも。
女児水着姿で撮影される事態に戸惑いつつ、表情とポーズを作る。
そんなことをやりながら日焼け止め塗りを終えて、立場交代。私が寝そべって平井さんの手による日焼け止め塗りを開始。
……果たして大丈夫なのだろうか。
体中を触られまくって、『私』が本当は男だとばれたりしないのだろうか。
不安に駆られるけれども、もうどうしようもない。
せめて美女に全身をまさぐられるシチュエーションに興奮して反応してしまわないよう、『私は女、私は女、女だから何も問題ない……』と再度自分に言い聞かせてみる。
一日中女の子として扱われながら、胸を作ってまで完全に女の姿になって、女ものの水着を着て、女らしい表情・ポーズを考えながらそんなことを考えていたら、もう取り戻せないところまで行ってしまいそうな気もするけど、それは今更か。
「思った通り、悠里ちゃんの肌、すっっっごく気持ちいいなあ」
「あ、やっぱりそうなんですか?」
「うん、そう。人間の肌ってこんなに気持ちよくなるもんだねえ。マシュマロみたい。無駄な脂肪なんかないのにふわっと柔らかくて」
そんな不安に駆られている私をよそに、平井さんとスタッフさんがそんな会話を交わしている。
なんだか食レポを受けている食材になった気分。
ばれなくて幸いだけど、でもそれはそれで男としてどうなのだという。
しばらく色々なアングルの撮影が入ったあと、3分の1も塗っていないうちにカメラさんが本宮さん&水瀬さんペアの撮影に戻る。
ちょっと無言で日焼け止め塗りが続いたあと、平井さんが再び口を開く。
「悠里ちゃん、水着撮影の準備はしてこなかったとか言ってたけど、それって嘘じゃない?」
「別に嘘じゃないですけど……なんでそう思ったんですか?」
「だってムダ毛とか全然ないし、肌つるつるだし、吹き出物とか全然ないし、結構手入れしてきたでしょう?」
「ああ……ドレスの撮影の可能性も考えて、気合い入れて手入れしてもらってきたのは事実です。……結局着たのは白無垢だけでしたが」
「なるほどね……やっぱり悠里ちゃんでもウェディングドレスは憧れ?」
「それはもう」
特に『胸で着る』タイプのドレスなんて、この夏しか着ることができないわけだし。
「そっかあ。ああ、悠里ちゃんの旦那さんが羨ましいなあ。この女体を毎日抱けるなんて、本当に羨ましすぎる。……悠里ちゃんいっそ私の嫁に来ない?」
「私のカラダが目当てなんですか?」
「そんなことないよう。将来的に養ってもらうつもりだもん」
「もっと酷かった!」
今まで抱いていたイメージがガラガラ崩れるような会話を挟みつつ、日焼け止め塗りが終わる。
短い時間だったはずなのに、何か凄い時間がかかったような気分。
さて。
ブリーフィングとメイク直しを挟んで、小さな砂浜と曇り空と北の海を背景に撮影開始。
……したところで、スタッフさんの1人から私だけにお呼びがかかる。
「どうしましたか?」
「ああ、ごめん。これ見せるように、って言われたから」
差し出されたタブレットを見ると、空色の水着姿の女の子の姿が映し出される。
水着選びから日焼け止め塗りまでの間に撮影していたデータから、大雑把に私の分だけ抽出した感じか。
鏡で見る時よりも、段違いに『客観的』な自分がそこにいる。
カメラさん、そしてスタッフさんたちには、『私』はこんな風に見えているのか。
順番に表示されるそれを見つめてみる。
スカイブルーの水着に身を包んだ少女。襟を飾る白いフリルと、短いティアードスカートが可愛らしさを演出する。
それなのに、大きく開いた襟ぐりから覗く白い谷間と、ぴったりした生地が強調する括れたウェストが、ほのかな色香を漂わせている。
大きくむき出しになった肩と太腿から、すんなりと細く長く伸びた腕と脚と頸。その先に小さな掌と足と頭が繋がっている。少しだけ伸びた髪がはらりとかかる。
(これ本当に“アレ”がついているのか?)
と自分でも疑問に思ってしまうくらいの、それは完璧な可憐な女の子。
でも、それだけに『残念だな……』と思ってしまうポイントがある。
この撮影旅行で見て学ぼうとしていた、先輩モデルさんたちのポーズ。
そして何より、これまで練習を積み重ねてきた『瀬野悠里』としての表情や仕草がなんとも似合っていないのである。
本物の“瀬野悠里”ならそんなものに関係なくねじ伏せて、『似合ってしまう』だろうという予感はあるけれど、でもパチものでしかない自分だとダメっぽい。
『瀬野悠里』には似合わない水着を奨めてくれたチーフさん、平井さんの意図を考えてみる私の脳裏に、チーフさんの言葉がよみがえる。
──お前な、お前さんは『瀬野悠里らしく』とか余計なこと考えずに、お前らしくしていればいいんだよ。
……ああ、そうか。
水着売り場のテストで『私』が女ではないというのはばれなかったけど、瀬野悠里ではないというのはとっくにバレバレだったのか。
『瀬野悠里を演じる私』ではない、『ありのままの自分』が求められるのか。
なんて無茶振り、と内心頭を抱える。
これまで表情の練習といえば『いかに瀬野悠里の表情を魅力的にマネ出来るか』が問題で、それ以外のことはして来なかった。
それを突然『お前らしく』とか……
そもそも『お前』とは、『瀬野俊也』なのか? 『瀬野愛里』なのか? ……せめて鏡を見て練習する時間くらい欲しいけれども、それも無理なのだ。
「悠里ちゃん、大丈夫?」
「……むぅ。大丈夫なことにします」
本職モデルさんたちが華やかに撮影を続ける様子が聞こえてくる。
どうせ私はあくまでついで。
もともと雑誌ではなくblogに載る程度の写真。私が入っている写真も多くて1枚か2枚が載るくらいだろう。
ここで誰得シリアス続けても仕方がない。不安を押し殺して、砂浜を歩く。
つい先ほどタブレットで見せられた『水着姿の少女』を思い浮かべる。そのイメージに自分の動きを、自分の表情を、自分の心を合わせていく。
『瀬野悠里を演じる』ために身構えている心を半ば無理やり振りほどき、素直な気分だけを残していく。
可愛い水着姿を着た、可愛い可愛い女の子である自分だけを考える。
「悠里ちゃんかわいいーー」
「若いっていいなあ」
スタッフさん達の声に笑顔の会釈を返しつつ、チーフさんの視界の中に。
……やっぱり緊張するけど、そこは我慢で。
「おう。来たか。……撮影に入れ」
「はいっ」
なんとか『撮影するだけの価値がある』と認めてもらえたようだ。
私が混じっても本当に大丈夫なのか? というこみ上げる思いをスルーして、3人の水着姿の美女たちの中に入り込む。
と。
「わぁ、可愛いっ」
「あわっ」
そう言って平井さんが腕を伸ばしてきて、ぐいっと肩を抱きこまれる。
ちょっと姿勢を崩して、柔らかい胸に頭が押し付けられる形になって慌てる。
大丈夫。私は女。女同士だから問題ない。問題ないったらないんだってば。
「もうっ、平井さん」
「ごめんごめん」
そんな会話の間にも、カシャカシャとシャッター音が鳴り響く。
これまでモデルさん同士の間で会話しながらの撮影とか、見たこともしたこともないけど大丈夫なのだろうか?
「なんかさっきよりぐっと良くなったねえ。その水着も似合ってる」
「やっぱりさっきまで酷かったですか?」
「そんなネガティブに考えない! 素敵になった自分を誇ればいいだけだから!」
「はぃ」
カメラさんの指示に従い、ポーズと表情を作っていく。
といっても詳細なものはなく、あくまでアバウトなものだけれど。
1人だけや2人ペアなどの撮影もある。
私以外の撮影の待機中、間近で見る本職モデルさんたちの様子に息をするのも忘れてただただ魅入る。
水着姿だから、衣装の力を借りられない。最小限の飾りだけで、ほとんど自分の身体だけで被写体としての魅力を作り出す。
本宮さんが表情を変えるたびに、周囲に光の粒子が飛び交うような錯覚すら覚える。
水瀬さんがポーズを取るたびに、まわりの空気の質感すら変わる気がする。
平井さんが自らのスタイルを活かすため、『どうカメラに写れば良いのか』という工夫も凄い。
私演じるところの『瀬野悠里』は、お姉ちゃんであるところの“瀬野悠里”は、いつか彼女たちの域に達することが出来るのだろうか。そんなことを考える。
お姉ちゃんはきっと到達できるのだろう。
ということは自分も同じところまで行けなければ、真似することすら出来なくなるのだ。
難儀なものである。
私とペアになるのは平井さんだけで、本宮さん水瀬さんと一緒になる撮影はなし。
公開処刑がどうのこうのという話があったから気にしていたけど、回避出来て一安心。
水着だとどうしようもないし。
私ソロでの撮影も入る。
フラッシュを絶え間なく浴び、成熟間近の美しい少女としてここにある喜び。
貸し切り状態の砂浜、女性だけのスタッフにだけ囲まれたシチュエーションに感謝する。
異性からの視線を意識しないで済むのはどれだけ開放感になっているのかを改めて自覚する。
1人だけで撮影されていると、世界のすべてが自分のためにあるような錯覚すらしてしまう。
同性だけに囲まれて、愛らしい女の子用の水着の姿で、周囲の誰よりも女らしく可憐にある自分。
雑念なんて混じる余裕もなく、ただただ撮影に集中する。
そんな時間が漸く終わったときには、一気に崩れ落ちたくなるような気分だった。
私より何倍もの時間撮影され続けているというのに、疲れた表情の一つも見せない本職モデルさん達に対する尊敬を改めて感じつつ、招かれるままにメイクさんのところに移動。
「お疲れさま。メイク、もうちょっと可愛い感じに直したほうがいいよね?」
「あ、そうですね。お願いします」
パフや筆が優しく往復し、私の彩りを変えていく。
「私、どんな感じでした?」
「そーね。……まだ若いからね。色々チャレンジしてみるのは良いことだ」
やっぱり練習無しのぶっつけ本番は無理があり過ぎた、ということだろうか。
「でも悠里ちゃん、やっぱり『どんな角度から撮っても絵になる』って、本当に凄いと思うわ。顔もスタイルもこれ以上ないくらいだし、才能もあるし、このまま経験さえ積んでいけば、必ず最高のモデルになれると思うわ」
ついさっきまで自分が立っていた場所で、自分よりもはるかにずっと巧みにポーズを取るモデルさんたち。
いつか自分も彼女たちに肩を並べられるようになるのだろうか?
わずかな息遣い、視線の運び、筋肉の動かし方、影の使い方。少しでも真似できるよう、追いつけるよう、脳裏に焼き付けていく。
可愛い水着の恥ずかしさもいつしか忘れて、ただそれに集中する自分がいた。




