2-2.女装少年に花嫁衣裳を着せるだけのお仕事
女性だけの撮影旅行、2日目。
一人異物が混じっている気もするけど、今の私は瀬野悠里なのだから何かの勘違いだろう。きっと。
ほとんど「早朝」と呼べる時間から撮影開始。
皆同じホテルに泊まっているから、スタートも早い。夏の北海道だけあって、日が昇るのも早いし。
「涼しい」を通り越して「寒い」と思ってしまう気温。
道行く人たちが、平気で涼しそうな夏服を着ているのに違和感を持ってしまうほど。
今日も引き続き秋冬服で撮影を進めるモデルさんたちも、今日は快適そうだ。撮影中は変わった印象を与えない彼女たちだけど、合間の様子になるとかなり違う。
これが東京の屋外だったらどんな大変だっただろう。
私はというと、今朝、撮影開始のタイミングで、チーフさんから「昼からモデルになってもらうからそのつもりで」と言われていた。
今日の昼からというと、私たちが宿泊しているホテル併設の結婚式場でモデルを行う予定だったはず。
この夏の間にやりたいと思いつつ機会の作れなかった、ウェディングドレスでの撮影。
想像すると今から胸が高鳴るのを止められない。
とはいえ午前中の指示は特になし。
昨日に引き続き女性ばかりのスタッフさんたちの中に混じって、女性スタッフの一員として、モデルさん達をより美しく撮影するための黒子役に徹する。
今日は1人だけ、街ゆく人の中にも『瀬野悠里』を知っている人たちがいた。
といっても取りすがりに、
「あっ、あの子雑誌か何かで見たことない?」
「どの子?」
「ほら、そこのなまら脚の長い子」
「うーん、知らないなあ」
「確か読モだったかな。生で見るとなまらめんこい」
「あっ、あっちは本宮景子さんじゃ?」
「えっ? 本当?! うわっ。そうだ。びっじーん」
「撮影中なのかー。やっぱりオーラが違うなあ」
と言われただけで、結局一瞬で流されてしまったけれども。
まあ私は今、黒子役だから仕方がない。そう、思っておくことにする。
そんなこともありつつ、食事と休憩を挟んで午後の部。いよいよ出番である。
モデルさん、スタッフさんが準備に入るのを少し見守ったあと、指示された控室の扉をノックして入る。
「おはようございます。よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします」
「おはようございます」
お辞儀をしつつ声をかけると、忙しそうに準備していたスタッフさん2人が口々に挨拶を返してくれる。
今回の旅行に同行している、顔なじみになった方々の姿は見えない。この人たちは多分ホテル側の担当者なのだろう。
年齢も高くはない、モデルをしていても不思議ではないと思ってしまうくらい美人な女の人たちだ。
白いブラウスに黒いスラックスという飾り気のない姿も似合っているけど、ドレス姿でも似合いそう。
「読者モデルの瀬野悠里さん……でしたっけ?」
「あ、はい」
「可愛らしいモデルさんですねえ」
「本職のモデルさん含めて、これほどの美少女を担当するのは初めてです」
「これは綺麗にさせがいありますね」
そんな2人の、家政婦の鈴木さんを思い出させる圧力感に少し押されてしまう。
段があって土足禁止になっていたので、靴を脱いでスリッパに履き替える。
「まあ準備始めましょう。まずメイクを落とすからこちらにどうぞ」
「はい」
別に自分用のメイク落としも持ってきたし、自分でやるけど……と内心で考えつつ指示に従う。
「うわっ。柔らかっ」「羨ましいよう」「すっごいすべすべ」「どうやったらこんな肌になれるの?」
「そんなに良いの? 私にも触らせて」「確かにこれは……赤ちゃん肌というか、マシュマロ肌というか、天使肌というか」
「……人間の肌ってこんなに手触り良くなるんだ」「同じ女なのに、神様不公平」
「これが若さか……」
メイクを落とすだけなのに、大変にぎやかな状態。
あと私、実は女じゃないんですけどね。
「悠里さん、今何歳でしょうか?」
「十六です」
「うわっ、若っ。平成生まれなんですね」
「でも私が十六のころでもこんな肌じゃなかったと思う」
差し出された柔らかなタオルで顔を拭きつつ、苦笑するしかない。
まあ確かに自分でやった時よりすっきりさっぱりした感覚はある。ここあたりは流石プロの技、というべきか。
洗顔後の化粧水も軽く済ませ、さて準備だ。
ウェディングドレス姿での姿勢や振る舞い方、美しく撮るための方法とかは一応事前に調べてきた。
でもモデルの撮影前の準備については調べても良く分からなかったのだ。
あとでお姉ちゃんに伝えるためにも、きちんと意識して覚えておかないと。
「じゃあ次はこれに着替えお願いします」
と、手渡された白い布。
「……あれ。これ肌襦袢でしょうか?」
「ええ、そうです。着方分かりますか?」
「あ、いえ、分かります大丈夫です」
「微妙な顔していますが、何か問題ありますでしょうか」
「ああ、いえ。……てっきりウェディングドレスで撮影だと思っていたので」
「なるほど。……聞いていませんでした?」
「ええ。『午後から撮影』とだけで、具体的に何を着るとかは一切。まあ大丈夫です。気持ちを切り替えます」
「ウェディングドレス着られなくて残念?」
「本音を言えば、ちょっと」
「やっぱり女の子の憧れですものね」
「また可愛いなあ」
感心するように言われてしまった。
しかし、『女の子』ではないのに、男なのに、『自分がウェディングドレスを着たい』と憧れるのは変なのだろうか。
……十分変だな。間違いない。
せっかく作った胸を活かせないのは残念だけど、和装もこれはこれで良い機会だ。
宣言通り気持ちを切り替え、一緒に渡されていた和装用の下着に着替える。
女性の目のある環境で着替えるのはもう慣れた。読者モデルとはいえモデルをやるならこれくらい気にしていられない。
今は無い胸を隠さなくて良いから、いつもよりずっと楽でもある。
肌襦袢と裾よけを装着。
これは木綿か。多分おろしたての天然素材の柔らかさが心地良い。
その姿のまま化粧用の椅子に座ると、メイク用のケープをそっとつけさせてくれる。
「ショートカットだから楽でいいですね」
そんなことを言いながら、頭をしっかり覆うウィッグ下地のネットを装着。はみ出した髪を整えたあと更にヘアバンドをつける。
「頭本当に小さい……これにあうサイズあったかな」
「足も小さくて形も整っていて……足の指の爪まで真珠みたいです。触るのが恐れ多くなるくらい」
頭のサイズと足のサイズ。同時並行でメジャーなどを使って測っていく。
放置しておくと男の形になってしまう脚と足。男バレの原因になりやすいと言われたこともあり、結構な気を遣って手入れしている。
その努力が認められて、くすぐったい気持ちになる。まあ、大仰すぎて微妙な気持ちにもなってしまうけれど。
計測したメモを持って片方が出て行ったあと、化粧を開始。
「手入れもしっかりされているんですよね? 化粧のノリがこんなに良いなんて初めて」
そんな言葉をうけつつ、基礎化粧のあと顔の全面にファンデーションを伸ばしていく。
他の人の指先が、スポンジが丁寧に優しく顔を撫で上げていく感触。
自分でない自分が徐々に徐々に作られていく感覚。
「コンシーラーとか、もう要らないですね」
しげしげと観察されながら感心するように言われる。
チークやおしろいのあと、ひんやりとした刷毛のようなもので化粧品を顔に乗せていく。
鏡の中、いつもより一段と白みを帯びた自分の顔が映っている。
「少し足を伸ばしてください」
荷物を持って戻って来たスタッフさんに促されるまま足を伸ばすと、白い足袋をつけさせられる。
いつもより更に小さく見える自分の足。
伸び縮みする素材でもないのに、少しの余分も圧迫感もなく合っている感覚がなんとも不思議だ。
「大きさに問題はないですよね?」
「はい。ぴったりみたいです」
「良かった。では手を塗らせて頂きますね」
足の次は手を差し出して、顔と並行して液体のおしろいが塗られていくのを待つ。
顔を塗り終わったら、襟ぐりを少し広げ、むき出しになった首筋にも。
「うなじも、首も、本当にお綺麗ですね」
そんな言葉を受けながら、丁寧に、でも手際よく、塗られていく白。
肌襦袢の白、裾除けの白、メイク用ケープの白、足袋の白、顔の白、手の白、首筋の白。
花嫁衣裳を示す『白』に、自分が上書きされていく。
──ああ、そうだ。私はこれから花嫁にされるのだ。
今更ながらそんな感慨が胸を埋め尽くしていく。
「やはり嬉しいですか?」
「え? ええ。そうですね。嬉しい……はい、嬉しいです」
「そうですか。本当、可愛らしい。悠里さんなら本番もすぐに出来るのでは?」
「うーん、どうでしょう……?」
首を傾げようとして、化粧の真っ最中であることを思い出して慌てて止める。
「私は多分、嫁き遅れになるタイプじゃないかと思っているのですが」
「ああ……なるほど。言われてみれば、分かるような気がします」
そもそもとして、私が『旦那さん』を捕まえて、花嫁として結婚式本番を迎えることはないはずだ。
たぶん。おそらく。きっと。
……自信がちょっとなくなってきたけれど。
アイラインを引き、眉を整え、つけまつげを付けてビューラーで整え、マスカラを塗り、チークで目尻のあたりをほんのり赤く染める。
うん、まぶたが重い。瞬きすると風が起きそう。
これまで他の人からメイクされる時には『つけまつげなんか要らないよね』とか言われて、結局使わないことのほうが多かった私だ。これだけの装備は初めての体験になる。
でもそれだけに、目の印象ががらっと変わることに一種感動すら覚える。
そして今までより更に真剣に丁寧に、朱色に塗られていく唇。
鏡の中の自分の印象が、また一段と変わる。
顔の『白』と髪の『黒』のモノトーンの世界。その中の存在するただ一つの彩である『赤』の艶やかさに目が引き寄せられる。
「では、鬘をつけさせて頂きますね」
化粧を終えて一息つく間もなく、そっと頭に被せられる日本髪の鬘。
良く分からないけど、多分高島田という髪型だろう。
ずっしりと来る感覚。
「重……」
「ああ、それは」
思わず出てしまった感想に、少し苦笑するスタッフのお姉さん。
「でも昔に比べると随分軽くなったんですよ」
「これで……昔の花嫁さんって本当に大変だったんですね」
「ええ。サイズとか大丈夫ですか? 窮屈とか当たって痛いとか……むしろ隙間が空いておりますね」
いったん外し、詰め物などをつけて調整して再度装着。
わずかに感じていた違和感もなくなり、ぴったりフィットした形になる。
その後、被る位置を浅くしたり深くしたり、髷の高さや横の形を微妙に微妙に変更したりと調整を重ねていく。簪も追加したりして、その度に重量感を増していく頭の上。
本当に花嫁さんは大変だ。
鏡を見ると、大きく膨らませた頭が首の細さを強調して、折れてしまわないか不安すら感じさせる状態になっている。
日本髪というのは、そういう視覚的効果を狙ってやっているのかもしれない。そんなことを考えてみたりもする。
重い頭に少しふらつきつつ立ち上がり、ケープを外して肌襦袢と裾除けを整えてもらう。
「お尻もしゅっと引き締まっていて羨ましい。ウエストの括れは見事ですけど、意外に補正しやすい体型なんですね」
全身くまなくレポートされている気分になりつつ、タオルや綿やらをぐるぐると身体に巻き付けられるのをひたすら待つ。
後ろからそっと掛けられた長襦袢に袖を通す。顎から下はもう完全に白一色の状態だ。
「お振袖など着るのは慣れておいでですか?」
「そうでもないですね。正月に着たことが何回かあるのと、あとは学校の授業で少しくらいです」
「へえ。最近は学校でそんなこともやるんですか」
「あ、いえ。着付けの授業があるのは多分うちの学校くらいだと思います」
「へええ。お嬢様学校とか?」
「ちょっと違いますね。それほどでもないです」
事前にお姉ちゃんから聞いていて良かった学校事情。
何回か家で和装の練習をさせられていたことにも助けられたらしい。
「ああ、そういえば私、和服のモデルになるのは初めてなんですが、気を付けておくべきこととか、コツとか、そんなのってありますか?」
「撮影の時はその都度細かく指示が出ますから、特に意識せずにそれに従えば大丈夫だと思いますよ」
「悠里さん、こんなに似合うのですから、普通ににっこりと笑えばそれだけで世界一綺麗な花嫁さんになります」
頼りになるのかどうか分からないアドバイス。
そんな会話も交えつつ、慎重に、でも手早く長襦袢を綺麗に整え、伊達締めを更にぐるぐると胴に巻き付けていく。
それが終わったあとに、白一色の振袖のような衣装を着せられる。ずしりと両肩にかかる重みがまた凄い。
これは「掛下」と呼ばれる衣装だそう。
白いシャツに黒いスラックス。男装とも言える飾り気のない格好をした、美人のお姉さんたち。
その2人の女性に囲まれて、男である自分が『花嫁』にされていく。
1枚、また1枚と、本来花嫁にだけ許される衣装に包まれていく。
自分が衣装を纏っていくのではなく、衣装が自分を纏っていく。そんな不思議な言葉が脳裏に浮かぶ。
「悠里さん、もとから姿勢が大変よろしいから楽で良いですね」
そんな言葉のあと、ぐるぐると身体に巻き付けられていく伊達締め。
今まで経験のある女性用の和服と違っておはしょりを作らず、代わりにそのまま伸ばして地面に引きずる形になっているらしい。
ウエストから胸にかけての圧迫感が徐々に強まっていく。
体型をお姉ちゃんに近づけるためのコルセットでウエストや胸部の苦しさは慣れてきたつもりだったけど、それとはまた別種の苦しさが辛い。
「ウエストの位置、本当に高い……外人のモデルさんでもこれより低かったかも。大丈夫かな?」
そして帯の取り付けへ。
これまで巻いてきた帯の上から更に幅広の帯を重ねて巻いていく。なんという過剰包装か。
今までより一段ときつく締め付けられる感覚。
胸の部分まで窮屈で、中に詰まっている“脂肪ではないもの”がどうにかなってしまいそうな恐怖すら感じる。
表情に出ないように苦心する僕の気も知らずに、息を合わせて着付けを済ませていくスタッフさんたち。
複雑怪奇な形に帯が結われて、背中のほうに重心が偏っていく。
このあと白無垢を羽織るのだから隠れて見えないだろうに、帯を複雑に結びあげたあと慎重にバランスまで調整している。
胸元に懐剣などをねじ込み、襟から裾までの再調整を済ませたあと、いよいよ白無垢を。
後ろに回した腕を辿って、慎重に袖を通していく。
肩に更にずっしりとのしかかる重量感。まるで敷布団を身体に巻き付けているような感じさえ覚える。
立っているのもバランスを取るのも大変で、思わずふらふらしそうになる。これでこれから撮影までするのかと思うと大変だ。
細かな調整を再度済ませて綿帽子まで被らされ、これでようやく着付けが完了した。




