2-1.北へ。
「悠里ちゃん、ちょっと良いかな?」
スタッフさんにそう呼ばれたのは、6月の読者モデルの撮影の終了後のことである。
声変りのせいでお姉ちゃんの声真似が出来なくなって、何か月かのブランク後が開いたあとの久々の撮影。
自分ではまあ『なんとかなったかな?』とほっとしていたけど、何か問題があったのだろうか。表情見る限りではそんなことはないようだけれども。
少し不審に思いながら彼女についていった。
「……あちゃあ」
その日の夜、スタッフさんから聞いた話を伝えると、お姉ちゃんにしては珍しく、困ったように額を指で押さえた。
「まずかった? その日程なら確か、予定何も入ってなかったよね」
「うん、今日決まったというか連絡があったの。その日程だと演劇部の合宿が1日だけど被ってしまっているの。だからどうしようかな、って」
「そうなんだ。即座に『行きますっ。いや自費でもいいです。行かせてください』って答えちゃったのに」
「うん……まあ、私の真似なんだから、その反応で良いんだろうけど……」
「お姉ちゃんが行けないならしょうがない。僕が行くよ?」
「大丈夫? 3泊4日の撮影旅行で、ずっとスタッフさんたちと一緒に過ごすと、流石にバレないわけがないと思うんだけど。特に胸がないとか。読モに混じって何時間かの撮影とは状況違うと思うんだ」
「無理かなあ……今まで大丈夫だったし問題ないと思うんだけど。じゃあ断る?」
「それも何か勿体ないな……どうにか出来ないか考えてみるから、少し待っていて」
そんな会話の約2か月後、8月の初め。
懸案だった胸はヒアルロン酸による一時豊胸という暴挙で乗り越え、羽田発新千歳の飛行機に乗り込む僕がいた。
今朝は4時起きだったから流石に眠い。周りにいる本職モデルさんたちやスタッフさんたちも眠そうだ。
道中話をしてみたかったけれども、離陸後に見回すともう本格的に眠りに入った人ばかり。
この飛行機のチケットは瀬野悠里名義で取ってあるから、もしこの飛行機が墜落したら“瀬野俊也の死体”ではなく『瀬野悠里の死体』が残ることになる。
死体になっても女装したままとは酷い状態だ。
そんな益体も無い考えをしているうちに、僕も周囲に釣られるように眠りについた。
ふと目が覚めると、着陸態勢に入るアナウンスの最中。
視線を感じて横を見ると、
「悠里ちゃん、寝顔も可愛かったよー」
と揶揄うように微笑まれる。
「あの、変な寝言とか言っていませんでした?」
「いや、特には」
その言葉にほっとしつつ、座席の中で許す限り伸びをする。
……あ、涙が出た。
目尻に少し溜まった涙を咄嗟に腕で拭いかけて、途中で気が付いて慌ててティッシュで押さえるようにして吸い取る。
こういう時には流石に化粧は面倒だと思ってしまう。
「むむぅ。若いっていいなあ」
感心するようにかけられた言葉に一瞬考え、自分が『まだ化粧慣れしていない女子高生』だと思われていることに気が付いて少し安心する。
良かった。『本来化粧慣れするはずのない男子中学生ではないか』と疑われたのではなくて。
まあ、ぼろを出しても困る。
意識を僕=“瀬野俊也”から私=『瀬野悠里』に切り替えるよう、自己暗示のようなものを意識しつつ、もう一度背伸びした。
移動と打ち合わせを済ませ、それでもまだ朝の範疇に入る時刻。
札幌の街を背景に、撮影を開始するモデルさんたちとスタッフさんたち。
女性ファッション誌12月号の特集のための撮影。冬物を纏って颯爽とポーズを取る本職のモデルさんたちに見蕩れる。
空港を出た直後は「寒い」とすら感じたけど、今は少し気温も上がって「涼しい」レベル。
エアコンの効いた室内と同じくらいだろうか。わざわざ北海道に来たのはこのためか、と納得する。
とはいえ日なただと十分暑い。冬服完全装備なら尚更だろう。
それなのに、汗一つかくことなく、涼し気な顔すら保ち続ける彼女たちに感心するしかない。
初日午前は外での撮影とは事前に聞いていたので、それに合わせて陽に焼けない恰好。
ブルーと白のブラウスに透け感じのある白のマキシスカートを合わせ、腕焼け帽子のためのアームカバーを付けている。
そんな、涼しい夏物衣装で見守る自分がなんだかちょっと申し訳なくなる。
私が同じように冬物衣装を着て汗もかかずにモデルできるとは期待されていないのだろう。
撮影開始前に念のためにチーフさんに「私がやることないですか?」と訊いたけれども、回答は「取りあえず好きにしていて」だけだった。
もともと員数外の私なのだから、最悪このまま観光に出かけても構わないということか──そんな勿体ないことは絶対しないけど。
こうやって撮影を特等席で見られるのは十分な宝だ。被写体側に回らず、ただ見ているだけでも、暇など感じる余裕もない。
雑誌の紙面上、同じ衣装で掲載されるのは1枚か、多くても2、3枚程度。
それなのにポーズを変え、表情を変え、微妙に服の調整を加えたりして、次々と写真を撮っていく。恐らく1衣装につき撮影数は3桁行っているのだろう。
読者モデルの撮影時のような明確な指示もなく、恐らくカメラさんなどの意図を汲んで自分自身で細かく調整しながら。
読モ撮影の『ついで』にそれなりの時間見学させてもらったことはあるけれど、まとまった時間、撮影シーンを最初から最後まで見られる機会はこれが初。
その技術にただただ感嘆するほかない。
微かに視線を変えただけ。表情筋をわずかに動かしただけ。身体の向きを少しずらしただけ。それだけで印象ががらっと変わる。
呼吸の仕方、瞬きの仕方、それすらも重要なのだと思い知る。
時間が過ぎるのも忘れて見守るうちにモデルさんが交代し、そのついでのように場所を微妙に移動する。
重そうに荷物を抱えているスタッフさんがいたので、いくつか分けてもらって一緒に荷物運びを。
……重い。
今回の撮影旅行。モデル・スタッフ含め全員(※除く私)が女性という構成。
『女の人が持ち運んでいるものだから』と甘く見たのがまずかったのか。鍛えないように心掛けている私には、半分分けてもらっただけの今ですらちょっと大変な量だ。
撮影を支えるスタッフさんたちもやっぱり凄いなと感心する。
移動後はそのまま半ばなし崩し的にスタッフさんを手伝うことになる。
『良いのかな?』とも思うけれども、特に指示は来る様子もないし、何もせずに見学は少し気が引けていたのだ。
スタッフさんたちの間を回りながら、可能な仕事を分けてもらうことにする。
今撮影している人が、今回同行している本職モデル3人のうちでは一番有名人。
私はテレビを見ないから良く知らないけど、テレビにも良く出ているらしい。
技術的には正直前に撮影していた人のほうが巧みだったと思うけれども、でもやっぱり確かに彼女のほうが『華』があるのは実感する。
「あ、○○さんだ!」
「やっぱり美人ー」
「スタイルすっごいなぁ」
道行く人からの注目も段違い。
女性誌だけで活躍する人と、テレビでも活躍する人。
メディアの力の差をまざまざと思い知らされる。
ちなみに私に気が付いた人はまだ居ないよう。
この一年で何回か『読モの悠里さんですか?』と声をかけられたことはあったから内心少し期待していたけど、流石に知名度が足りないようだ。
女性ばかりのスタッフの一員として存在する一人。
道行く人からはそんな多分そんな風に思われているのだろう。
女優を目指す『瀬野悠里』。
いつか私も、今撮影しているモデルさんたちよりももっと知名度を獲得することが可能なのだろうか──?
昼食は皆で早めに終えて。
午後の部に入る前に着替えておく。
「取りあえず」がいつまで続くか分からないし、室内撮影が入る午後から呼ばれる可能性もあるけど、とにかく動きやすくて汚れても良い格好に。
アームカバーはそのままで、上はTシャツ、下はデニムのジーンズという超楽な取り合わせ。
ほぼ男装と言っても良いコーデなのに、さっきまでの女の子らしい姿よりも逆に女装感を刺激するのはなぜだろう。
そういえば人前にパンツスタイルに出るのも、デニムのような硬い生地の服を着るのも久し振り。
通路の途中に鏡があったので、それを見ながらおかしなところがないか確認。
1年半の努力で手に入れた女性的なウエストからヒップ、そして脚に至るまでのライン。
Tシャツを透かして見えるブラの線と、パッドではない自然な二つの膨らみ。
細い首、小さな顔、ナチュラルメイクした整った顔。
それは“瀬野俊也”という少年ではなく、『瀬野悠里』そっくりな美しい少女の姿。
って見とれているような時間の余裕はないんだった、と思って目を離したところで、こちらを見ているスタッフさんたちの視線に気が付く。
「いやあ、悠里ちゃん、本当にスタイルいいねえ」
「股下何センチ?」
「あの、皆さんならもっとスタイル良い人見慣れているのでは?」
「ところがそうでもないのよねぇ」
「○○さんのすぐ隣に立って撮影されないように気をつけなさいよ? 公開処刑になっちゃうから」
危険な話題になってきて曖昧に笑って誤魔化すしかない。
「あといっつも思うんだけど、悠里ちゃん肌すっごくきれいだよね」
「分かるー」
「みんな化粧品で誤魔化してるだけだからね」
「何使ってるの?」
「良く分からないですけど、たぶん先輩方と違って十分な睡眠を取れるというのが一番の差だと思いますよ」
「なるほどぉ」
「でもそれだけじゃないでしょ?」
スタッフさん全員女性で固めたからなのか、とにかく姦しくて押されてしまう。
撮影再開の時間だと呼ばれなかったら、どこかでボロを出していたような気がして恐ろしくなる。
さて撮影午後の部。
恐らく一番気温の高い時間時間帯を避けるためだろう。事前の予定通り室内での撮影である。
夏場に冬服の撮影を屋外でするのは『瀬野悠里』にはまだ早い。そんな理由で午前はなにもなかったのではないか。仮にそうであれば午後にも私もモデルとして参加させられるのではないか。
そんな可能性も考えていたのだが、違ったらしい。
特に呼ばれることも指示されることもない状態が続く。
恐らく試されているのだろう、という気もする。
本職のモデルさんをじっくり見られるチャンスを逃すのは勿体ない気持ちもある。
でも半ば以上成行きもあり、午前中に引き続きスタッフさんたちの手伝いをして回ることにした。
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<<?視点>>
「そう言えば双子の様子はどう?」
『ん?』
「連れていった読モの双子。結局どっちが来てた?」
『うん、妹子のほうだった』
「へぇ。姉子派のちぃちゃんにとっては残念か」
『まぁね。今日もほとんど本職さんたち見てなかったんだよなあ』
「何してたの?」
『スタッフの手伝い』
「なるほど。らしいと言えばらしいのか。……それはそれで良い経験になったじゃ?」
『でもそれ札幌に来てすることじゃないじゃん、って。これが姉子のほうならちゃんと見て色々学んだだろうになあ』
「あなたねえ。彼女たちまだ高校生で、プロでもない読モってこと忘れちゃだめよ?」
『分かってるって。そこまで厳しいことは直接言わないように気を付けてる』
「周りが忙しそうに働いてるのに、一人だけ何の指示もなく放置って、今どきパワハラ扱いされても不思議じゃないんだかね?」
『そんなもんなんかね……』
「本格的に嫌気がさしたらいつ『次から来ない』って言い出すか分からないんだからね?」
『はいはい』
「あの2人より顔が良い人もスタイルが良い人もそれなりにいるけど、両方備えてる人ってあんまりいないからね」
『……でもさ、それって今でさえ画像でいじってるからあんまり意味ないんだよね。これから技術も更に進歩していくわけだし』
「うん、それは、まあ正直あるけどさ」
『でさ。一定水準以上なら誰でも変わりがないなら、あとは何が分けるかというと、“上を目指す意志力”でしょ? 姉子にはそれがあるけど、妹子はなんつうかそこがイマイチってこと』
「私はそうでもないと思うけどなあ」
『逆に、さっちゃんは妹子がどんなとこが良いと思うわけ?』
「だって妹子ちゃんのほうがヒネてなくて素直で可愛いじゃない? “可愛い服、綺麗な服が着れて嬉しい”っていうのがダイレクトで伝わってくるし」
『そうかな……?』
「二人とも着実に成長していってるし、そこはあの子の凄く強みになると思う」
『うーん、どうだろ』
「まあ……そうだね。今日はもう仕方ないとして、明日は何かちゃんとモデルやらせなさいよ? 勿体ないし」
『……了解、一応考えてはおこう』
「まあ双子はそれで良いとしよう。……他に、何か問題になってることあった?」




