6.なんという羞恥プレイ◆
発行してもらった会員証を眺めてみる。
そこに書かれた『瀬野愛里』の文字。それを持つ指も、美しく整えられ丁寧にマニキュアが塗られたのもの。
坂本さんの出会いも含め、瀬野俊也ではなく瀬野悠里でもなく、『瀬野愛里』という少女の存在が現実に刻まれていく。
撮られた指先の写真も、女性の指先の画像として公開され残されていくのだろう。
「悦に入るのはそこら辺でやめて、食事にしよっか。何か希望ある?」
言われてみると確かにお腹が減っている。
少し道を歩いて適当に店を選んで入店する……と。
「悠里ちゃん?」
少し驚いたような声が店内の席からかかる。見ると長髪を後ろで纏めたハンサムな男性がこちらを見ている。声も顔も記憶にない人だけど、何故か少し引っかかる。
『あなたの知り合い?』と2人で顔を見合わせたあと、手招きに従って彼のところに。
(ああごめん、読者モデルで一緒している亜由だよ)
聞き覚えのある柔らかな女性の小声で囁かれる解答に、なるほどと思う。何故か成行き的に、彼の向かいの席に座る。
「あ、僕のことはアユムって呼んでね」
「はい。ぼ……私のことは、今は愛里って呼んで下さい。こちらは本当の悠里お姉ちゃんです」
「2ヶ月ぶりになります。瀬野悠里です」
突然の無茶振り。私の真似をして?自己紹介をし出すお姉ちゃんに内心動揺しつつ、お姉ちゃんの振りをして挨拶を交わす。
「いやでも、本当に分からないや。びっくりするくらい瓜二つ。こうして並んでいるところを見ても見分けがつかないもん。手とか、普通なら一番分かりやすいところなのに、これ本物でもこれだけ綺麗な人なかなかいないよ」
店員さんから差し出されたメニューを眺めている私たちを、忙しく見比べていたアユムさん。突然すっとお姉ちゃんの手を取り、まじまじと見つめ始める。
ちょっと羨ましい光景……じゃなくて、一応男女に見える、でも彼の意識の中だと男同士、しかし実際には本当に男女で手を握るとかあんまり外聞的によろしくないのではないか。特に店員さんが傍にいる状態だと。
こほんと咳払いをして、適当にレディースセットを頼む。
「アユムさん、普段はそちらの格好で?」
「ああ、うん。今は帰省中だからこっちで。あと大学に行くときもこっちかな。もう日常はほとんどあっちで過ごしてるけど」
「へえー」
「沙良さんはどんな感じなんでしょう」
「あの子はもうずっとだね。最初は消極的というか、割と嫌がってたのに今はもうはまり込んで。そのうち手術とか言い出しそう」
読者モデルもやっている平均以上の美人だとはいえ、亜由さんに比べると沙良さんのほうがずっと『分かりやすい』と思ったのに。不思議なものだ。
最初はごく普通の男性として女装することも嫌がっていたはずなのに、いつの間にか本格的に肉体から社会的な性別までも女性になることを望んでいる沙良さん。
『自分はそこまでならないようにしないと』という自分自身に対する戒めと、その生き方に憧れる気持ち。相反する気持ちが心の中で争う。
亜由さん改めアユムさんのテーブルに料理が運ばれてきたので、先に食べてもらう。
「そういう愛里ちゃんは、ずっとその格好?」
「あ、いえ。今日はお姉ちゃんに無理やり……」
「何言ってるの。貴方夏休みに入って半分以上そっちじゃない」
「へえ、そうなんだ。かなり自然になってきてるし、以前ならともかく今告白されても信じられないかも」
「どうかな……別にぼ……私は本当になりたいわけじゃないし、戻れなくなったら困るんですが」
「そう? その割には随分熱心過ぎない?」
ああ、自分の口から出る突っ込みが自分の心にグサグサ刺さる。なんという羞恥プレイ。
暫くして私たちの食事も運ばれてきて一緒に食べ始める。
それにしても、と、会話をしつつ思う。
お姉ちゃん演じるところの『愛里』の可愛いこと。思わずにやけてしまいそうだけど、少なくとも『お姉ちゃんから見た』愛里はこんな印象なのだろうか。
ちょっと無防備すぎるよなとも思ってみたりもする。
「そういえば、今日はこれからどういう予定?」
先に食事を食べ終わり、コーヒーで口を潤しながらふと気付いたようにアユムさんが言う。
「今日は私たちで街を歩く予定です」
「僕がご一緒したらダメかな?」
「ダメですよー。2人水入らずのデートなんですから」
「ちょっ、お姉ちゃん」
「あら振られちゃった、残念」
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「じゃあ、アユムさん、これで」
「今日はありがとう。なかなか楽しかったよ。おごれなくてごめん」
「いえいえ。私たちも色々聞かせて頂いて面白かったです。まだまだ教えてください」
お店を出て別れて、反対方向に歩き始める。
「やっぱり暑いねー」
「お姉ちゃん、無茶振りがすぎるよ」
「あらそう? 結構楽しそうに対応してたと思うけど」
そんな会話をしつつ移動していると、5mも動かないうちにナンパに合う。
「あー。もう鬱陶しい。失敗したかな。アユムさん連れてくれば良かったか」
「あれ、ああいうのがお姉ちゃんの好みなの?」
「好みというか、まあ許容範囲かな。あんまり男々したのは生理的に正直付き合いたくないんだ。ああいう男を感じさせない、紳士的な人がいい」
「そうなんだ」
なら僕にもワンチャン? と思ってしまう自分の浅ましさが辛い。
大通りに出る。
似たようなのが2人いるなら、視線も分散されるのかな? と浅はかなことを考えていた自分が憎い。まったく同じ外見、まったく同じ格好をした2人が揃うことで、注目度が何倍にもなっているのが分かる。
特に顔と、過去最大でむき出しになった太腿の付け根に集まる視線がぬめるようで辛い。「モデルさんかな?」
「かわいーねー」
「脚長っ、綺麗ー」
「双子なのかな」
そんな声が届いて来る。
集まる視線から半ば逃げるように、ナンパやスカウトの海を書き分けつつ、少し進んでファッションビルに突入する。
……むう、近い。
『仲の良い女の子同士の距離感』というのだろうか。肩がすれ合うくらいの位置取りで並んで歩くお姉ちゃん。時に腕や手を組んできたりする。
その度に感じる肌の柔らかさ、温もり、(自分も同じものをつけているとはいえ)制汗剤の匂いが堪らない。滑らかな手の感触が心地よい。
それらに対して『異性』を感じて興奮する感覚。それに男同士ではあり得ないパーソナルスペースに覚える違和感が、“僕”が実際には男だということを思い知らせる。
(どうしたの? 男の顔になっていない?)
完全に同じ高さにある整った顔が近づいて、そう囁きかける。
半ば無意識に顔に手をやって顔全体を覆いかけて、メイクしていることに直前で気が付いて慌てて化粧のない頬の部分だけを掌で包む。
(うん、そう。いい感じ。愛里は可愛い女の子)
心から女に成りきれば、心の中から『女を、装う』ことが出来るようになれば、こんな『女同士の接触』も気にならなくなるのだろうか?
悩んでいる“僕”……『私』を引き連れて、お姉ちゃんはビルの中を更に進む。
「ちょっ、流石にここは無理じゃない?」
「大丈夫大丈夫、問題ない問題ない」
連れてこられたのは水着コーナー。夏も終わりに近いから盛況というほどではないけど、それなりにお客もいる。
女性客ばかりの華やかな一角。その中に同性として紛れ込むのはいきなり難易度高すぎだ。既に思いっきり注目を集めているし。
「ほら、これとかどう?」
「ビキニはちょっと……」
本当にこの人は『私』の性別をきちんと把握しているのだろうか? ……こんな外見で主張しても無理があるのかも知れないけど。
「でもなー。ワンピースはねえ……一番小さいのはどれだろ」
幾つか手渡される。どれも流石にセンスが良いもので、お姉ちゃんが着るのなら大喜びで見ていたいものだ。
「うーん。着てはみるけど、あとでお姉ちゃんも着せ見せてね?」
「それくらいならオッケー」
試着室に入り、深呼吸する。
隣には女性客が既に居るようで、衣擦れの音が届いて来る。罪悪感に羞恥心、背徳感。色々な気持ちがないまぜの状態。その中には確かに興奮している自分もあって、それに気が付いて自己嫌悪してみたりもする。
頭を空っぽにするよう念じながら、服とショーツを脱ぐ。
それにしても、マジにこれ着るのか。
最初に渡されたものは殆ど紐。『度胸をつけろ』という意図なのかどうか、カバーする面積の少ない黒い水着である。
色々な意味で自分がこれを着ていいのか悩みつつ、脚をそれに通して引き上げていく。
股間を覆う黒い三角形の布きれ。今度こそ本当に脚の付け根から完全に丸見えだ。
微妙な大きさではあるけど前が盛り上がっているのが何となく嫌で、慌ててパレオを結んで隠してみる。
上側はビキニタイプではなく……何だっけ? 確かオフショルとか言われるタイプ。流石にパッドが見えるような種類は避けてくれたのか。まあ感謝はしないけど。
下に合わせた黒い水着。レースで出来たひらひらした衣装を、作り物の丘が盛り上げる。本当なら試着の時はブラジャーを外しておいたほうが良い気もするけれど、そこは勘弁してもらおう。
鏡を見て、ポーズを取る。
「どう? 着替え終わった?」
「……うーん、微妙?」
外からの質問に首を傾げながら応え、試着室のカーテンの間から頭だけを出して、お姉ちゃんを招きいれる。
一瞬見えた外試着室の外。何かやたらと視線が集まっていたけど気にしないようするしかないのだろうか。
「うん、いい感じじゃない?」
「そうでもないと思うけどな……ウエストのラインとか、お尻とか、わりと変じゃない?」
「うーん言われてみれば、確かにそうかな……でもこれだけスタイルの良い女の子って中々いないよ? 自信もっていいと思うよ?」
「そうだとしても、これでお姉ちゃんと並ぶわけにはいかないでしょう」
「あら、そこまで目指すんだ」
結局ウエストが直接露出するタイプは諦めてくれたようで、3つあった候補のうちの1つは取りやめてもらえた。
お姉ちゃんに試着室から出て貰って、残った1つ、ワンピースタイプの水着に着替える。白地に小花柄の可愛らしいデザイン。下はパンツみたいになっていて、露出度もそこまで高くない。
これなら普通に着られるか──『普通』の防衛ラインが酷い場所になっている気がしなくもない──と思ったけど、実際に身体を入れてみると、どうにも酷い。
再び顔だけ出して、お姉ちゃんを招き入れる。
「一番小さなのを選んだはずなのになあ。やっぱり大きかったか」
「だね。色々ぶかぶか」
上も横も余ってしまった状態。結構みっともない。
「じゃあ、諦めるか。元通り着替えて」
お姉ちゃんの言葉に、ほっと一息。この落ち着かない時間からやっと解放されるのか。
……そんな甘い考えを抱いてしまった自分が憎い。
「ここなら丁度いいのありそう」
そう言って連れてこられたのは、子ども用の水着コーナー。
先ほどの比じゃないくらいに視線が痛い。
靴とか、ぴったり合うサイズがない時に子ども用を利用することはこれまでも経験あったけど、こんなに酷い状態は流石に記憶にない。
「9~10歳児用でいいのかな?」
「本気?」
「本気も本気」
「あとでお姉ちゃんも水着を着て見せてくれるって約束、まだ生きてるからね?」
「あー。そっか。うん、まあやってあげよう。これとか良いんじゃない?」
そう言って幾つかピックアップしたものを持たされて、試着室へと放り込まれる。
まずは紺色のワンピースタイプの水着。再び服を脱いで、慎重に脚を入れていく。
小さくないかと懸念していたけれどそうでもない。むしろ、今までの人生で着た衣装の中では一番自分の身体にジャストフィットしているかもしれない。
もともとメリハリのない女児向けというのも功を奏しているのだろうか。足りない凹凸を補って綺麗な印象を与えてくれる。短いながらひらひらとしたスカートのようなものがついていて、股間のものは外からは目だたない状態。
身体にぴったりした布が、胸に入れたパッドの2つの膨らみを強調して、実体以上に悩ましく見える。
鏡に映る自分の姿。中学2年の男子である僕が、小学校中学年用の女児用の水着を着ているという事実が羞恥心を煽る。
それが似合っていると思ってしまう自分が、また。
「どう? おおっ。超完璧。似合ってるじゃない」
こちらからの許可もなく、いきなりカーテンの隙間から顔を突っ込んでしばらく観察していたお姉ちゃん。そう言うなり思いっきり全開放にしてしまう。
今いる子ども服コーナーのお客さんだけでなく、通りすがりの人からまで視線が一身に集まる。思わずカーテンに手を伸ばして隠れようとするけど、お姉ちゃんの手によりそれは阻止。
水着女装(それも女児用)でギャラリーから見られる。14年生きてきて、これまで比類するものが記憶にない、過去最大の羞恥プレイ。
「うわっ、あのお姉ちゃんかわいー」
「スタイル凄いなあ」
「あれで顔まで美人って反則だわ。あり得ない」
聞こえてくる声は賞賛ばかりのようで、僕が男と疑うものはないようだ……ってこれはいけないな。
くるりと振り向き鏡の中の自分を見つめ、『私は瀬野愛里。お姉ちゃんの双子の妹で女の子』、と言い聞かせる。
「自分に見とれちゃっていい感じ。どこに出しても恥ずかしくない美少女ぶりだね♪」
「そんなことない……と思う」
「じゃあポーズ取ってみて♪」
お姉ちゃんの言葉に、半ば反射的にモデルとしてのポーズを取る。読者モデルとしての撮影と、その後の練習の成果でもある。
その度に歓声のようなものが聞こえて来て、なんとなく楽しくなってきてしまう。
でもそこのお父さん。奥さんと娘をほったらかしにしてガン見するのは良くないと思います。




