5.ばれてたようで
エントランスホールに出た瞬間、坂本さんに『ぎょっ』っとした顔をされてしまった。
今日は亮くん連れではない坂本さん。買い物帰りらしく袋を抱えたまま、不思議そうに私たちの顔を忙しく見比べている。
「悠里……ちゃん? が2人?」
「あ、坂本さんこんにちは。こっちは妹の愛里です」
「初めまして、瀬野愛里です」
「あら、初めまして。……悠里ちゃんに妹がいるだなんて知らなかったな」
「私はずっと田舎で暮らしをしてて、こっちには基本いないんですよ」
前に決めた『瀬野愛里』の設定どおり、そんな説明をしてみる。
「あら、そうなんだ。へーえ。ああ、びっくりした。……うーん、ひょっとして愛里ちゃん、『初めまして』じゃなくない?」
その言葉に、内心びっくりする。ひょっとして“僕”が、“俊也”であることが、あっさりばれたのかと。
「いつだったかな。前に黒い服で出かけてたの、あれひょっとして悠里ちゃんじゃなくて愛里ちゃん?」
そう身構えていただけに、その言葉にほっと安堵。
忙しく頭を回転させながら答えを探す。
「ああ、ばれちゃいましたか。前にこっちに来た時、俊也と一緒に外出してるときに一度会ってますね」
「はぁっ、やっぱりそうなんだ。いやね、うちの亮があの時会ったのが悠里ちゃんじゃないって言いだして、『じゃあ誰なのよ』って。……なるほど、格好いいのが悠里ちゃん、可愛いのが愛里ちゃんね。よし、覚えた」
それから少し会話を交わして別れ、マンションを出る。
「愛里ちゃんのほうが可愛い、かあ……って何あなたニヤニヤしてるのよ?」
「ニヤニヤなんかしてないもん」
「あー。ごめん。やっぱり愛里のほうが可愛いで間違ってないわ」
むむう。
残暑、という時期だけど、マンションの外に出るとやっぱり暑い。
「で、どっち行くの?」
「美容と健康のために、駅まで歩きましょ」
「うわ、元気ー」
しかも北方面に向かい始めてるし。駅ってそっちの駅か。話によると最近学校行くときは毎日30分かけて歩いているのだそう。
……とはいえ。
「ごめん、やっぱ無理!」
「ええっ?」
「学校の行き帰りって、涼しい時間帯なの計算に入れてなかったわ。もういいやタクシーで行こ」
意外に行き当たりばったりである。
せめてバスに、という間もなくあっさりとタクシーが捕まり、2人一緒に後部座席に収まる。
「いやあ、お嬢さん達、本当美人だねえ。そっくりだけど、双子さん?」
「見ての通りですよ」
「へえ。やっぱりか。一卵性?」
「遺伝子とかちゃんと調べたわけじゃないから分からないですけど、多分」
「なるほどやっぱりねえ。これだけ綺麗な女の子が、一遍に2人も見れるとか、今日は良い日だ」
どこか剽げた感じの中年男性のドライバーさんと、平然とした調子で会話を交わすお姉ちゃん。
お姉ちゃんの返しかたは参考になっていいけど、チラチラとルームミラーでこちらを伺うのは少し頻度を下げてくれないだろうか。正直ちょっとハラハラする。
「親御さんとか、鼻高々じゃないの?」
「どうなんでしょうね。むしろ心配ばかりだと思いますよ。面倒なことも多いし」
「ほう。ねるほどねえ」
私たち2人を『双子のお嬢さん』と信じ切って、いちいち大仰に褒めている。
夏休みに入って以来校則も無視して『ぎりぎり男性にも見えないことはない』程度にまで伸ばした髪。目と唇だけをいじっただけの軽いメイク。パッドで膨らませているとはいえただのTシャツにホットパンツ。
こんな格好でも男とばれてないどころか女としか思われてないのが不思議だ。いや、普通の服でノーメイクでも概ね女の子として扱われるけど。
異性?から面と向かって褒められるのは数か月ぶりの体験で、どこか微妙に落ち着かない。嫌らしい感じがしないのは救いだけど。
……赤城流星は今、どうしているのだろう? 何故だかふとそんなことを思ってみたりもする。
もともと歩く予定だった距離。
そんなに時間もかかることはなく目的地の駅近くに到着する。
「あ、ここら辺で大丈夫です」
「あいよ。あ、お代は要らないよ。こんな美人さんから貰うわけにはいかない。いいもん見せてもらった」
「この不景気に見栄張らないでください。これ、貰っといて」
「いいってのに」
少しの押し問答のあと、結局きちんと清算を済ませ、「おとなしい妹さんもお元気でー」との言葉を残して去っていくタクシー。
冷房の効き過ぎた車内から熱気あふれる外に出て、一瞬『気持ちいい』と思ったけど、そのあとすぐに暑さが襲い掛かってくる。
2人並んで街を歩き始めながら、少し疑問に思ったことを聞く。
「ね。お姉ちゃん。今のって普通なの?」
「今の、ってどれのこと?」
「タクシーでお金は要らないって言われるの。私、基本的にタクシーに乗らないから分からないけど、ああいうの普通?」
「んー。まあ時々あるかな。狙って出来るほどじゃないけど、そんなにはレアじゃない」
「凄いね。美人は得って本当にあるんだ」
「あら? 貴女は経験ないの?」
「あー……」
そう言えば以前、お姉ちゃんの振りをして亮介とデートをしたとき、自分では普通と思っていたことの中に『ただしイケメンに限る!』が結構含まれていたことを知ってショックを受けたことがあった。
その時の話の中から、他の人に聞かれても問題ない、性別を誤魔化せるエピソードを幾つか思い出しつつ挙げてみる。
「なるほど、面白いねえ。……私もいつか、愛里か俊也の振りをして私の知り合いに会ってみるかな?」
「やめておいたほうが良いと思うよ? 『あなたでもいいや』とか言い出したら始末に困るし」
「あはははは。なるほど」
まあ今のところは亮介も冗談めかして言っているだけだから良いけど、いつ真剣に迫られるか怖かったりするのだ。
「ところで今日はどこへ?」
「予定もアポも目的も何にもないからねえ。あそこ行ってみよっか」
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「いらっしゃいませ」
「あの、こちら予約なしでも大丈夫ですか?」
「はい。2名様でよろしいでしょうか?」
そう案内され入る、ここはネイルサロン。
今更気にすることでもないかもしれないけど、普段の“僕”なら絶対に訪れることのない、女性だけの空間。
「愛里はこういうとこ来た事あったっけ?」
「えーっと、1度だけ」
微妙に戸惑っている私に、お姉ちゃんが声をかける。
あれは女装外出し始めたころ、デパートの店員さんに連れられてだったか。あの時は半ば勢いだったから、改めて落ち着いて入るとやっぱりアウェー感がある。
「お客さまの年齢ならそれが普通ですよ。どうぞお気になさらずに。こちらへどうぞ」
『実は男だから経験がなくて』慣れないのではなく、『まだ若いから経験がなくて』慣れていないのだと受け取ってもらえたらしい。
小柄で美人な店員さんに促されるまま、カウンセリングの席に並んで座る。色々質問はされるけど、「姉とまったく同じでお願いします」で押し通すだけだ。
正直ちんぷんかんぷんすぎる。大人の女の人ってきちんと把握しているのだろうか。きちんと受け答えできているお姉ちゃんを改めて尊敬する。
この時点で既に内心ちょっとぐったりしつつ、お洒落な施術部屋に入る。時間帯もあるのだろう。客はちらほらといった感じで、席は半分も埋まっていない。
当然のごとく客も店員さんも女性ばかり。それも顔が見えている人は結構な美人さんが多い感じ。それでもお姉ちゃんが一番綺麗だと思うけれど。
……これを口にすると、また「自画自賛?」とからかわれるのだろうか。
「では、こちらにお掛け下さい」
その美人の店員さんの案内に従い、お姉ちゃんの隣の席に腰かける。……あ、この椅子凄く座り心地がいい。
言われるままに履いているスニーカーを脱ぎ、手と足を差し出す。
「うわ、本当にお綺麗ですねえ。陶器で作った芸術作品みたい。あとで写真を撮らせて頂いてもよろしいでしょうか?」
男であるときは密かなコンプレックスの種でもある私の指先を見て、店員さんたちが華やいだ声を挙げる。
本物の女性どころか多分モデルさんたちの手を見ているだろうに大げさな、と頭では思いつつ、口の端に笑みが浮かんでくるのが止められない。
「お姉ちゃん、どうしよう?」
「愛里の好きにしなさい」
一応聞いてみると、放り投げられてしまった。少し悩んで、指先だけならとOKする。
指先の丁寧なケアを経て、徐々に整えられて行く『私』の指先。
美人なお姉さんがたに囲まれて、『同性の気安さ』で文字通り手とり足とりくすぐるように手入れされていく。
自分が男だと完璧に忘れることが出来れば良いのだけれど流石にそこまで達観できず、微妙な落ち着かなさに悩まされる時間が続く。
外見だけなら女性しかいないこの空間。実際には唯一の男性なのに、女の一員の振りを強制させられる時間。
辛さの中に嬉しさを覚えている自分に気付いて少し怖くなる。
「節もないし、すんなり伸びて本当に綺麗」
「足の爪も可愛らしいですねえ」
「本店のモデルになる気はありませんか?」
隣にいるお姉ちゃんともどもそんな賞賛を受けつつ、普段から『女の子みたい』と言われるそれが、更に完璧な女性のものに変化していく。
色は自然のものとほぼ変わらない状態。飾りは小指についた控えめな花のみ。夏休みにちょっと伸ばした爪を整えたくらいで、付け爪なども何もなし。注意して見なければ手入れされたことすら気付かないかもしれない。
それでも施術前とは歴然と違う、キラキラ輝く女らしい指先。靴を履くから見えない足の爪まで輝いている。
その輝きに、改めて『女の世界』に完全に取り込まれている自分を感じた。




