3.亜由さん沙良さん
「それじゃ悠里ちゃん、大丈夫かな?」
そう亜由さんから声をかけられたのは、私の2度目の撮影が終わったあとだった。
今日の仕事が始まる前に、『今日仕事の終わったあと、時間もらっていいかな?』と言われていたことを、それでようやく思い出す。
仕事の合間に対応を考えておくつもりだったけど、すっかり忘れていた。
手早く化粧直しを済ませ、皆に別れを告げて背中を追う。
「悠里ちゃん、凄いセンスいいよね。いつも感心しちゃう」
「そんな。私なんてまだまだだって」
どんな話があるかと身構えていたら、エレベーターの中そんな会話から入る。
応募するまで勘違いしていたけど、読者モデルの場合、雑誌側から着る服を提供されるのではなくて、モデル側で用意した服を着て撮影される。前回も今回も、皆で大きなキャリーバッグを曳いての移動である。
前回はお姉ちゃんが準備してくれた服を着たけど、今回は自分で選んだ服。それを褒められるのは正直悪い気がしない。……もっとも、お姉ちゃんにOKを貰うまで、随分選び直しさせられたものだけれど。
「今着てる服も本当可愛いくて似合ってる。羨ましい。……撮影の時とはまた違った雰囲気なのね」
その言葉に思わず、エレベーターの鏡で自分の姿を確認しなおす。
今私が着ているのは、夏らしく涼やかなブルーのサマードレス。花柄入りでかなり可愛い感じのものだ。撮影で使った格好いい系とは結構違う。
自分が本当は男だということがばれそうで、中性的な印象の服を着るのは正直避けたいのが本音なのだ。パンツルックは勘弁してもらえたけど、せめて行き帰りは男と分かりにくい女の子らしい服を、というチョイスである。
「あ、撮影のほうは格好いい系の服で撮りたい、ってリクエストがあったから」
「なるほど。じゃ、いつもはそんな可愛い系の服を?」
「うーん、どうなんだろう。どっちかと言うと最近は可愛い系よりは格好いい系、綺麗系の服が多いかな。今日のこれは反動というか」
しかしそういう探り方か。考えた想定パターンのうち幾つかを頭の中で取り消す。
エレベーターが1階に到着し、ビルを出たところで、亜由さんが「ちょっとだけいいかな?」と断ってピンクの携帯電話を取り出して電話を始める。
「うん。今終わったところ。これから行くから」と電話を始める亜由さんを少し観察してみる。
身長170cmオーバーで、今日は高いヒールを履いているから見上げる位置に顔がある。これまで出会った読者モデルの中でも割と上位に入る、彫りの深い美人さんだ。軽く染めたストレートの髪を、背中にかかるくらいまで伸ばしている。
人通りの多い道、すらりとした身体にオフショルダー気味の白いブラウスに黒いフレアスカートを穿いた姿は周囲の注目を惹いている……というか、私のほうが視線を集めまくりのような? こんな場所での電話はやめて、ビルの中に入るか移動して欲しい……
「ね。お姉さんたち、モデルさん? キレーだねえ」
「ごめん、お待たせ。私たち先約があるからこれで」
軽薄そうな男性がナンパをしてきたところで亜由さんが携帯を折りたたんで移動を始める。ナンパ男には振り向きもせず手を軽く振ってそのままバイバイだ。
歩いている途中の会話は美容や化粧にかかわるありきたりのもの。女性の好む人間関係周りの話がなくて、内心ほっとしてみたり。お姉ちゃんも苦手と言っていたからそのままでも問題ないんだろけど、あれ本当に苦手……
そんなことを考えつつ歩くこと10分弱。ビルの3階にあるバーに案内される。
案内されて通された小さなボックス席。入ると既に先客が一人いて、「お疲れさまー」と可愛らしく指をピロピロさせている。
「お待たせー。料理は頼んだ?」
「うん、もうそろそろ来るはず。……んで、こちらが?」
「そ」
「嘘でしょう? 本当に? 間違いじゃなく?」
パステルピンクのブラウスに生成りのサマーニットカーディガンを羽織った、可愛い系の美人さんだ。ゆるくパーマをかけた茶色の髪を肩の上で踊らせている。 既に席についているから分からないけど、たぶん私より背は低い印象。
どこかで見た覚えがあるような……ああそうか。確かお姉ちゃんの買っていたファッション誌に載っていた読者モデルの一人だ。
促されるまま向かいの席に座り、自己紹介を交わす。
その時渡された名刺。淡いピンクの可愛らしい紙片の上に、『宮岸沙良』という文字が書かれている。
まあそれは良いのだけれど、その名刺を差し出した指。綺麗に手入れされて控えめなネイルアートを施された指先を見た瞬間、前回亜由さんの背中に覚えた違和感の正体を確信する。
読者モデルも務まるくらいだ。それだけを一見したら気付かなかっただろうけど、他の要素も考えると『そういうことか』と思うしかない。となるとこれからどうしたものか……
「やーよ。そんなにわたしの手見つめないで」
「あ、ごめんなさい」
「ね。それなら悠里ちゃんの手見せてくれない?」
「まあ、それくらいなら……」
「うわぁ、ちっちゃい。すべすべ。羨ましい」
「指長いなあ。爪とか本当に形いいし。……これ、マニキュア塗ってない?」
差し出した私の手を取ってきゃいのきゃいの騒いでいる最中にドアが開き、食べ物と飲み物が運ばれて来る。……あ、これウーロンハイだ。
「すいません、ウーロン茶をお願いできますか」
「はい、すぐにお持ちします」
「えー。固いなあ」
「未成年ですので、まあ」
苦笑しつつ男性店員さんにお願いすると、びっくりしたような顔をされてしまった。料理をテーブルに移す間もちらりちらりとこちらを伺い見て、正直危ない。
「甲斐甲斐しくていいなあ。すっと自然に手が出てたよね」
「店員のお兄ちゃん、絶対惚れたよね」
「ね。『悠里ちゃんとお食事なう』ってツイートしていい?」
配膳の手伝いもせずにiPhoneで撮影して何をしているのかと思ったらTwitterか。私だけなら構わないけど、お姉ちゃんに影響があることを考えると問題か。……お姉ちゃん、何で芸名使わなかったのやら。「ごめんなさい、勘弁してください」と言うと、意外にあっさりと引いてくれた。「一生の宝物としてしまっておく」とも言われたけど。
本当にすぐにウーロン茶を持ってきてくれて、皆で乾杯。
「いやあ、可愛いねえ。悠里ちゃん本当に可愛い」
「でも今時どんな気軽に愛想振りまくのはまずくない? ストーカーとかいっぱい出てきそう。
店員さんに礼をしただけで、何故こんな言われかたをしないとならないのか。
「……それで、今日のお話ってなんでしょう?」
私の言葉に、二人で軽く見合わせたあと、亜由さんが口を開く。
「悠里ちゃん、ホルモンはいつからやってるの?」
「ホルモン?」
「そう。女性ホルモン、エストロゲン。……イソフラボンかもしれないけど」
「……どこからそんな話が出て来たか分からないけど、私は女性ホルモンを使ってもないし、使う予定もありません」
「あら、そうなんだ。ごめんね」
自分でも女装にのめり込み過ぎている自覚はあるけど、そこまで手を出すほど嵌るつもりも勇気もない。
ってこれカマかけられたのか。つまり確信はないけど、疑いがあると。このままの流れだと普通に打ち消せそうだけど……どうしようか。
「それってつまり、私が女装した男性だと疑ってたってことだよね。どうしてそんなことを思ったのか聞いていい?」
これから先の参考にもなるし、考える時間も欲しい。そう思って聞いてみて、内容についうっかり吹き出してしまう。最初に疑われたのお姉ちゃんだよ。
まあいい。今の時間で腹を括った。
「……ってまあ、こんなところかな」
「ごめんね。亜由の暴走で変な疑いかけてしまって」
「暴走いうなし」
「いえ良いんですよ。だってそれで正しいから」
「へ?」
「私も、亜由さん沙良さんと一緒で、男だ、ってことです」
「えーーーーーーっ?!」
いや、そんなに驚かれましても。




