2.愛里
「お疲れ様でしたー」
心地よい疲労感に包まれながら、スタジオのあるビルを他の読者モデルの人たちと出る。
そのまま、同じ方面に向かう5人で揃ってぞろぞろと。
読者モデルなだけあって、可愛くてセンスの人揃い。通りすがりの人の視線を集めて歩く、華やかな女性だけの集団。
その中に、一人だけ女装して、男であることを隠して混じる“僕”がいる。
白いコットンのマキシワンピを纏って軽く化粧して、下着も上下ともに完全に女物で。
でも胸はパッドで膨らませた偽物で、股の間に他の4人にはないものが存在していて。
僕はちゃんと、『女の子たちのうちの一人』として違和感なく見られているのだろうか? ちょっと不安になってみたりもする。
前を歩く2人の背中。薄手のブラウスを透かして見えるブラジャーの紐。表に出すことも許されず、内心ドキドキする。
……でも、今の僕の背中も同じ状態なはず。それを思うと、なぜか余計にドキドキしてきてみたり。
「いやでも、悠里ちゃんってほんとーに凄いねえ」
そんな僕の視線に気づいたのか、前を歩いていた亜由さんがくるりと振り返りながら言う。170cmを超えるすらりとした長身、整った顔立ちの綺麗な女の人。確か1年くらい前から雑誌に載っている、読者モデルの先輩。
「今日でまだ撮影2度目だよね? 何であんなにうまいの?」
「そーそー。最初から凄かったけどさ。今回またハイっパーにレベルアップしてたよね。美人だしスタイルあり得ないくらい良いし、もー反則すぎ」
亜由さんの隣で歩いていたヒカリちゃんも会話に参戦してきてくる。
こちらは先月一緒に面接を受けた、同期の人。『クラスで2番目の美少女』って感じの、親しみやすい系の女の子。(お姉ちゃんの)同じ年ということもあって、撮影前から色々話しかけてきてくれてきた。
1か月前にあった面接と、そのあとの軽い撮影会は参加したのは実はお姉ちゃん。“僕”にとっては初めての、彼女にとっては2回目の『瀬野悠里』との顔合わせ。不審に思われてなければ良いのだけれど。
「いやいや、それはないでしょ。私だけ、あんなにダメ出し受けてたじゃないの」
空いた手を少し大げさに女の子らしく振りながら応えてみる。
これは本心。他の読者モデルの先輩方はもちろん、今回初参加の人も褒められっぱなしだったのに、不思議なくらいに自分だけに注文が多かったのだ。撮影終了後に見せてもらった写真も満足のいかないものが多かったし、ここまで自分のへっぽこぶりさに凹まされたのは生まれて初めてかもしれない。
一応事前に聞かされて覚悟は決めていたつもりだったけど、『瀬野悠里』のふりをしていない、素のままの僕なら心折れていたかもしれない。
「あー。それは悠里ちゃんが期待されてるからだって」
「そーそー」
「今日の撮影中も言われたこときちんとマスターして、上手くなってたよね? 育てるのが楽しくなったんじゃないかな」
まあ、たとえ気休めでもそう信じて前向きに努力していくしかない。お姉ちゃんなら普通にそう捉えるだろうし。
「前回アドバイスされた問題点も克服してたよね。相当練習してた?」
「あ、それはそれなりに」
前回のお姉ちゃんの撮影後、同じ衣装で2人並んでポーズ取りの練習も結構した。録画の中の2人のお姉ちゃん。どちらがどちらか見分けが付かないくらいになるまで。
今回についてもきっと、言われたことを思い出しながらの練習が入るのだろう。きつくはあるけど、心が躍る時間でもある。
「やっぱりねー。本当凄いわ」
「つかさ、何で読モなの? 普通にモデルデビュー目指したほうが良かったんじゃ?」
「それはあるね。つかさ、これだけルックスもスタイルもいい人、普通は『読者モデル』としては採用しないよね」
「そうなの?」
「……悠里ちゃん、意外に抜けてる? ほら読モって『手の届く美人』って基本だからさ。悠里ちゃんみたいな凄すぎる美人って逆に落とされるんだよね」
「最初に説明受けてるかと思ってた。悠里ちゃんが有名になったあと、『元○○読モ出身!』って言わせて、宣伝に使うつもりだよね」
「へー。なるほど」
「まあ知らないけど、きっとそんな感じ」
一瞬信じかけてしまったけど、それはどこまで信憑性があるのやら。
「私の場合、モデルをいつまで続けられるか分からないから……辞める時に迷惑かけたらまずいし」
「あー。お嬢様の都合ってやつか」
「そうなんだー。やっぱりやんごとなきご令嬢か。オーラ凄いもんねー」
「そんなこと全然ないってば。まあ、事情に関してはそんな感じだけど」
今日はうまく行ったけど、僕が男だとばれるリスクは常にある。その時に読者モデルならまだしもモデルとして契約を結んでいると、色々問題があると思うのだ。
そして仮にばれることがないとしても、そのうち始まる第二次性徴。僕が『瀬野悠里』を演じるのが不可能になる日も遠からずやってくるだろう。
僕がモデルの世界に勝手に憧れて、お姉ちゃんを半分騙し討ちのような形で巻き込んで応募したのだ。僕がリタイアしたあとにお姉ちゃんに続けてもらうようなことはしたくない。
そもそも前回の面接が終わった直後に、そのままお姉ちゃんがモデルになって撮影されたこと自体が、僕にとっては完全に想定外なのに。
「それじゃ、おつかれさまー」
「悠里、またねー」
女の子として、女の人たちの一員として街を歩くことしばし。駅の中、手を振って去るヒカリちゃんたちを見送る。
……ん? その中の一人、亜由さんの背中にふと違和感を覚える。
まさか、ね。そんなことはないはず。
頭を軽く振って意識を切り替え、自分の載る電車のコースへ。
下手すると10歳くらい年上の相手とタメ口での会話。男であることがばれないように、悠里ではないことがばれないように、前回会ったのが別人だとばれないように。
気を遣いながら、年上の女の人たちからいじられる時間。それを無事?やり過ごせたことに気が抜けてしまっていたのだろう。
だから。
「瀬野先輩?」
「ん?」
──その、知らない声の女の人の呼びかけに、完全に無防備に振り向いてしまったのだ。
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「先輩さっき別れて、別の電車に乗ってましたよね?」
お姉ちゃんの学校の中等部の制服を着たその女の子(と言いつつ多分僕より年上)の不思議そうな顔に、僕が『やらかした』ことに気付く。反応せず、気付かなかったふりをして立ち去るべきだったのだ。
なんでこのケースの想定をしていなかったのだろう。自分の迂闊さを呪いながら、頭を回転させて誤魔化す言葉を探す。
「あ、お姉ちゃんの知り合い? ごめん、私悠里じゃないんだ」
「へー。ああ済みません。今まで妹さんがいること聞いたことなかったので」
「まあ、あんまり人に言って回るようなことじゃないしね」
「なんか済みません。……あれ? でもさっき『悠里ちゃん』って呼ばれてませんでしたっけ?」
「ああ、それは秘密のことだから、ちょっと来て」
おっとりとした印象で、とろんとした目をしている癖に、意外に鋭い子らしい。
言い訳を頭の中で考えつつ、人気の少ないほうに誘導する。少し下にある彼女の耳元に口元を近づける。知らない女性に対してこんな距離感を取るのは、生まれて初めてかもしれない。漂う匂いに少し戸惑いながら、こっそりと囁きかける。
(……と言っても別にたいしたことじゃないんだけどね。本当はお姉ちゃんが出なきゃいけない用事だったんだけど、部活優先するからって私が代理でお姉ちゃんのふりを参加したんだ)
「そう、だったんですか」
(そ。編集さんには私の存在教えてないし、厳密に言えば契約違反に当たるから、私が身代わりで参加したことは、他の人には内緒にしておいてね)
「……編集さん?」
また口を滑らせたっぽい。耳打ちを止めて、普通に彼女の正面に向き直る。
「うん。お姉ちゃん読者モデルしてるからね。その雑誌の編集さん」
「へー。そうなんですか。モデルやってるとか、知らなかったな」
「あ、お姉ちゃんまだ他の人に言ってないのか。ならごめん、それも秘密にしておいてね」
「うい。ラジャーっす」
「ま、実際販売されたらどうせ噂になるだろうし、こっちはあんまり気にする必要はないと思うけど……他の人に言いたいなら、本人の了承取ってね」
これ以上会話をしているとどれだけボロが出るか分からない。ちらりと時刻表に視線を走らせる、良いタイミングだった。
「それじゃ、帰りの電車があるからここでごめんなさい」
「あ、引き留めてしまって済みませんでした。……あ、私、江戸川妙子って言いますけど、妹さんのお名前は?」
「……アイリ。瀬野アイリね。それじゃ、江戸川さん、お姉ちゃんによろしくね」
そう言って、軽く手を振りながら彼女と別れる。
……でも『アイリ』って名前、どこから出て来たのだろう? 言った自分でも謎だった割には、その名前は妙にしっくり来ていた。
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「瀬野、アイリかあ」
帰りの電車で痴漢にあって、散々な気持ちで帰宅して。
今日の出来事をざっくり報告すると、最も気を引いたのは少し意外なことにその名前だったらしい。少し不思議そうな顔をして、白ワンピ姿のまま夕食を食べる僕に質問してくる。
「俊也、思い出したの?」
「思い出した、って、何を?」
「ああ。そういうことじゃないのか。最初から説明すると……もともと私がお母さんのお腹の中では双子だった、って話はしたよね? その時に付けるはずだった、私の妹の名前がアイリなの」
そう言いながら、宙に『愛里』という字を描く。
「で、覚えてないと思うけど、昔お母さんが俊也に女の子の服を着せた時にも、『愛里』って呼んでたんだ」
今は拾い出せない、幼いころの記憶。
なんとなくしっくりきた理由はそれなのか。
それから2人で、『瀬野愛里』の来歴を作っていく。小学中学と不登校で高校へは進学せず、普段は田舎で引きこもっていて、最近こちらに来るようになったとか。
微妙に僕の過去を反映して、ひょっとしたらあり得たかもしれない、もう一人の僕のような存在が出来上がっていく。
最終的にPC上に打ち込んで、出来上がった架空の少女の経歴書。
「瀬野愛里、かあ。これも色々楽しめそうね」
満足そうで面白そうに笑う姉ちゃんの横顔。
これからどんなことに巻き込まれていくのか、不安とともに興奮をしている自分を感じていた。




