2 それはたぶん、きっと、最高の一日
<<武村亮介視点・続き>>
展望台を降りて、おしゃれなショッピングモールを回る。
あまりに美人すぎる、隣のユウリさん。
ずっと眺めて見とれていたいけど、さすがに歩くときにそうするわけにもいかない。
そうすると、ちらほらとこちらを見てる人がいることに気が付く。これが『視線を感じる』ってやつなんだろうか。
いつからこんな感じなんだろう。今まで周りを見る余裕がなかっただけで、これまでもずっとこんな状態だったんだろうか。
「あれ、どうかしたの?」
「な、何か視線感じない?」
「んー。そうかな? 別に、普通だと思うけど」
ボクの言葉に、周囲を見回すユウリさん。小首をかしげて、少しフシギそうに答える。
視線が合いそうになった人が、視線をそらしたり、逆に見つめたり、キョドったりしたりしてる。
……あー。そうかなるほど。ユウリさんみたく生まれたときから絶世の美女だったら、この注目が『いつもの状態』になってしまうのか。
『誰もが振り返る美人』って言葉自体は知ってたけど、本当に美人を見て振り返ってる人とか、生まれて初めて見たかも。
どっちを見ても視線とぶつかる状態が、ボクのような一般市民にはキツい。
「亮くん、お目当てのお店とかある?」
キョロキョロとしているボクに向かって、少しのぞき込むような感じでユウリさんがきいてくる。
目当てなんか特に決めてなかったけど、道行く人からの視線から逃げたくて、近くにあるファッション店に入ってみる。
____________
「うん、これとか似合いそう」
「な、なんでボクに?」
2人で迷い込んだ女ものの服の場所。
目をキラキラさせて可愛い服を選んでいたユウリさんが、その服をなんとボクの身体にあてながら言う。
「えー。亮くんまだ可愛い感じが残っているし、女装したら絶対似合うと思うんだけどな」
「そんなことないって。……それは俊也に言ってよ。あいつなら女装めっちゃ似合うだろうに」
「うーん……あいつ最近、女装嫌がるようになったからなあ」
「……そうなの?」
「うん。以前、女装したときに本気で男から言い寄られてこりたから、もう二度とやりたくないって言ってた。昔はよく女装させてたんだけどね」
「あらら」
そういえばこの間、
『俊也ってさ、最近何か異様に色っぽくね?』
『それ思ったわ。制服ならまだいいけど、体育のときとか「こんな美少女いたっけ?」って思うことよくあるもん』
『オレだけじゃなかったかー』
『あれでちゃんと女装したらどうなるんだろうね』
『半端ない美人になりそうだなー』
『今度文化祭あるからさ。そん時でも女装させてみる?』
『いっそ劇でお姫様役とか?』
『すげえなそれ。でも見てみたいなー』
とかいう話でクラスメイトが大いに盛り上がってるのを耳にしたような気がする。
まあなんだ。俊也ガンバレ。
「まあ女装の話はやめにして、ユウリはどうなの? 欲しい服とかある?」
「あら? あったらプレゼントしてくれるとか?」
値段を確認して、ブルブルと頭を振る。こづかい何か月分だろうというお値段だ。そんな様子を見てクスクス笑いながら、
「冗談よ、冗談。流石に中学生相手にねだる気はないもの」
「良かった。……買うまでいかなくても、試着とかさ」
「うーん、それは……実際に見てもらったほうが早いか。亮くん、どれか一つ、おすすめの選んでみて」
また難問がきた。
下手なものを選ぶと馬鹿にされそうで、でもどんなものを着ても似合ってしまいそうで、センスに自信があるわけもないボクは悩んでしまう。
色々悩んで、結局今の白と感じを変えたところも見てみたいと、黒いシャツに黒いミニスカートを選んでみる。
「オーケー。試着してみるからちょっと待っててね」
そう言って服を手に取り、試着室の中に入っていくユウリさん。
中から聞こえるシュル……シュル……とかいう音が何とも耳に毒だ。
しばらくして、試着室のカーテンを開けて姿を見せる。
「うっわ」
黒い衣装を着た姿もキレイ過ぎてまぶしすぎる。ため息しか出てこない。予想通りなんてもんじゃない。予想をはるかに超えて似合いすぎてる。本当にボクが半径2km以内に近づいていい存在なんだろうか。
勇気を出して短いスカートを選んだボクをほめてあげたい。
白くて透けるスカートすらなくてストッキングだけに包まれた、太ももから足首までの線はびっくりするくらいにキレイ。クラスメイトやお姉ちゃんたちのブニブニしたものとはまったく違う、存在していることが奇跡のような2本の足。
最初に目についたそこだけでもあまりにキレイ過ぎてまぶし過ぎて、感想すら言えずにぼっと見とれたままだったからだろう。さすがに視線に気づいたらしく、ちょっと足を『もじっ』っとさせる。そんな様子が珍しくかわいくて素敵だと思ってしまう。
「私の脚になんかついてるかな?」
「あっ……いや。すごいキレイです」
「あら。ありがとう。……でも、俊也の足とそんなに変わらなくない?」
「そう……なのかな?」
黒いスカートからすんなりと伸びた、ほっそりした長い長い太もも。ごつさのないヒザ。細い足首。小さな足。ピンクのマニキュアが塗られたかわいいつま先。
肌の色のストッキングに包まれたそれは、どれこれも男のものとは全然違うもので、女らしいというよりもはや神々しいレベル。
俊也の足は確かにキレイだと、本人に気付かれない場所で男女ともにこっそり騒がれていた記憶があるけど……こんな感じだったっけ? さすがにそんなことはないと思うけど。
「まあ、足はどうでもいいとして。服のほうは、ね? みっともないでしょ」
「……え。どこが?」
その言葉に、釘づけになった視線を引きはがして上から下まで確認してみる。
なんとなくだけど、この人はさっきまでの白い服より、黒い服のほうが似合ってる気がする。ボクのセンスが当てになるかどうかは分からないけど。
モデルさんのようで──いやモデルさんなんかよりもずっとキレイで、『みっともない』と言われてもちょっとピンと来ない。
「ウェスト余って腰ばきでもないのに少しずり落ちてるし、私ヒップ貧相だからブカブカでみっともないし、上のほうは余ってるし、なんか七分袖になってるし」
言葉に合わせて、服のあちこちをひっぱる。その度に白い手首とかすんなりした指先とか細いウェストとか大きな胸が強調されて色々ヤバい。
「さ、サイズあってなかった?」
「いや、そういうことじゃなくて、こういうお店だとどれを選んでもおかしな状態になるって言いたいの」
「そうなの?」
ユウリさんスタイルが良すぎるから(特におっぱいとか)か、そんなものちっとも気にならないんだけど。むしろ『これはそんな服なんだな』って納得させられてしまっているんだけど。むしろ『こういうの似合っていてキレイだなあ』以外の感想が思い浮かばないんだけど。
「分かってもらえなかったか。残念。……うん、そうなの。この格好で外歩いたら、きっと笑われちゃう」
「ほんとごめん。女の人のファッションって全然わかんないや」
「自分で着てみたら分かるようになると思うよ? どう?」
「また女装の話……ほんと勘弁してください」
「あらら。残念。……じゃ、また着替えるね」
そう言ってカーテンを閉めて、着替え始めるユウリさん。
出てくるまでに色々しずめないといけないと分かっているのに、シュル、シュル……という音が耳に入るたびに、さっきまで見ていた長い手足が頭にちらついて、どうにも落ち着かなくなる。
こういうときは素数を数えるんだっけ? 1、3、5、7、9……
「お待たせ」
あまり落ち着きが戻らないうちに、またもとの白一色の服に戻って出てくる。
ストッキングで包まれた足を、かかとのある小さな白い靴に入れて、外に出る……って。
「あれ?」
「ん? どうかしたの?」
「いや……気のせいかな。髪がずれてるような」
「あっ。ごめん。指摘ありがと」
急いで試着室に戻って、カーテンを閉めて色々ごそごそして、しばらくしてまたカーテンを開ける。
「どう? おかしくなってない?」
「前の通りキレイだけど……カツラ?」
「うん。そう。うちの学校、校則で髪の色染められないからね。だから、オシャレしたいときはウィッグ……カツラを使ってるの」
そう言って、髪の先を指で軽くいじるユウリさん。やっぱり女の子のオシャレってすごい。
「その、カツラを取ったところも見せてくれないかな?」
「せっかく直したんだけどな」
そう言って軽く口をとがらせながら、両手で茶色の髪を持ち上げてすっぽりと外す。網のようなものでまとめた黒い髪が見える。
今までもずっと『顔小さいな、首細いな』って思っていたけど、それはふんわりした髪型に隠されていただけだったことに気付く。こうしてみると本当に本当に小さくて細くて、たぶんボクと並んでみたら半分くらいの顔の大きさ・首の細さなんじゃないか。
ぼけっと見とれているうちにすっぽりとカツラをかぶりなおし、鏡を見て調整し直している。
「これでオッケー……かな。おかしくなってない?」
「いや、そのもっと見ていたいというか……どうせならカツラ……ウィッグだっけ? なしの素のままで」
そこそこ勇気を出して言ったボクの言葉。形のいい眉をひそめて、ちょっとだけ考えてるようだったけれども、
「ごめん。それはないかな。外したウィッグ持ち歩くの邪魔だし、あとこれ変装も兼ねてるんで」
「変装?」
「うん。ストーカーとか色々面倒だしね。身バレは防ぎたいとかあって」
よく分からないけど、絶世の美女なりの苦労があるってことなんだろうか。
試着した服を元に戻して、そのお店を出る。
「ユウリって、いつもは服どんなところで買ってるの?」
「んー……色々探して、かな。サンゴウとか売ってるお店贔屓にしたり──ちょっと前までは子供服でなんとかなってたんだけどね。最近は胸がきつくて……」
「なるほど」
ちらりと立派なお胸に目を走らせて納得する。“サンゴウ”が何かは良く知らんけど。
「あ、今日は寄せて上げてしてるから、いつもはもっと小さいよ」
「よせてあげ……?」
「そ。女の子の胸って割と自由自在だから、亮くんも騙されないようにしないとダメよ?」
ユウリさんおっぱい……寄せて、上げて……色んな意味で耳に毒な言葉な気がする。
____________
それからも適当にお店を回っていく。
周囲からの視線も、ユウリさんの小さくて柔らかい手も、そこから伝わる体温も、ちっとも慣れそうにないけれど、この人と一緒に歩いているというだけで嬉しさがこみあげてくるのを止められない。
声もキレイだし、会話していて楽しい。色々話したけれど、特に興味があるのはボクの中学校での生活みたい。やっぱり『お姉さん』として弟のことが気になるのか、俊也のからむ話があると特に面白そうにしていた。
そんなこんなでショッピングモールの出口あたりに到着。マックで少し休憩をはさむことにしてみる。
注文を受け取り、席に向き合って腰掛ける。透ける上着は脱いで折りたたんで、膝の上に置いた状態。大きな胸の形が良く分かる身体にぴったりした服と、むき出しになった細い肩から腕がまぶしすぎて、視線をどこにやればよいのか困ってしまう。
変な方向を見ないように、テーブルの上のセットを見つつ黙々と食べる。と、視界の中、節の全然ない長い指がひょいとポテトをつまみ上げ、ボクのほうに差し出してくる。
「亮くん、はい、あーん」
「えっ?」
「あーん。……ちゃんとこっち向いてね」
いや、胸より、腕より、その整いまくったお顔が一番直視しにくいんですけど。とはいえ、この状態で逆らえるわけがない。おとなしく顔をあげてドキドキしながらぱくりと食べる。
「うん、やっと私を見てくれた」
「いや……だって……」
机を挟んでにっこりと笑うユウリさんのお顔。光がキラキラと舞ってるよう。あまりにもまぶしすぎて、きれいすぎて、女の子らしすぎる。
今日すでに何時間も一緒にいるのに慣れる気がちっともしない、美人過ぎるほどに美人な年上の女のひと。
「デートの最中に相手を見ないなんて失礼だよ? それとも私なんか見たくない?」
「いやいやいやいや。そんなことはないっす」
「またそうやって目をそらす。……んー。私、ちゃんと彼女の役が出来てないのかな?」
「そんなこと全然ないっすよ。……ユウリさんがあまりに美人すぎて、何だか恐れ多くて……」
「そう? まずいところ変なところあったら言ってね? 私、デートの経験とかほとんどないから」
そう言って、控えめな色の口紅を塗った形のいい唇にストローをくわえ、アイスティーを飲むユウリさん。立ってる時は見上げる状態だったのに、座ってるこの状態だと顔がほとんど真正面だ。どういうことなんだろう。
顔がちっちゃくて肩幅も狭いから、こうやって見てるとすんごく小さく見える。ボクの前の席に座るクラスで一番ちっちゃな女の子より小さいんじゃないだろうか。『子供服』がどうとか言ってたのは、そういうことなのかと今更納得する。
「彼氏さんとか、いないの?」
「今は亮くんが彼氏さんだからね? ……さっきも言ったけど、私、中高一貫の女子校だから出会いとかないし、告白されて付き合っても、長続きしないし」
「こんなすごい美人と恋人になれたのに、長続きしないの? もったいないなあ」
「でも『美人は3日であきる』って言うしね」
「いやでも、これだけの美人、見ててあきることなんてありえないってば」
「あらありがとう。……ただまぁ、私のことを顔でしか見ないような人ならこっちからお断りだし、私、性格最悪だからね」
『性格最悪』って、そうなんだろうか? 今日のこれまでを考えてみても、とてもそうは思えない。
ボクの考えが顔に浮かんでいたのか、ユウリさんがそのまま続ける。
「今日はまぁ、『彼女役』を演じてるからそうでもないかもしれないけど……ね。ちゃんと私、普通の恋人を出来てるかな?」
「えっ、それはもう。世界で最高の恋人だと」
「私ね。この春から演劇部に入ったんだ。それで、最初に『普通のカップルの彼女』って役をもらったんだけど……『普通の彼女』って何? ってところから分からなくなって。それで下手に悩むより『普通のカップル』というのを体験して、演じてみたらと考えたんだ」
ユウリさんがこの『デート』にOKしてくれたの、そういう理由だったんだ。
「だから、何か私の言動におかしなところあったら教えてね」
「いや、ボクだってこれが初めてのデートだから、おかしなところなんか分からないっす」
「そうなの?」
ボクの言葉に、軽く目を丸くするユウリさん。意外でもなんでもないと思うんだけど。
「身長低いし、地味だし、モテ系とはほど遠くて、告白されたことなんて一度もないし、告白する勇気もとても」
「だって男の子の身長が伸びるのはこれからだもの。これからどんどん格好良くなっていくと思うんだけどな」
ただのヨイショだと思うけど、でも天にも昇るような気分になる一言。
『それなら本当に恋人になってくれません?』思わず出そうになった言葉を飲み込む。それは無理だと分かっているし、言ってもみじめになるだけだ。
「亮くんの周り、見る目のある子いないのかな?」
「ボクの周りの子なら、みんな俊也に目がいってるんで」
「そうなの?」
「もちろん。あれだけのイケメンなんて早々いないから、ハーレム状態で」
「あいつ……私には『どうせなら女にもてたい』とか言ってたのに」
ピンクのかわいい舌でぺろりと軽く上唇を舐めて、腕を組むユウリさん。
そんな仕草が俊也と重なって、『ああ、やっぱり姉弟なんだな』と思うけれど……
そのそういうカッコすると、俊也とユウリさんが違う点、白いぴったりした服に包まれた立派なおっぱいが非常に強調されて、目のやりどころに苦労するんですが。
____________
マックを出て、2人並んでかなり太陽の傾いた道を歩く。
指先までぴったりと絡ませあった手の平から、最高なさわり心地と温かさが伝わってくる。さっきまでよりも、ずっと体も近い。その分、周りの視線が痛くてしょうがないんだけど……この人はやっぱり気が付いていないんだろうか?
海を見ながら橋を渡り、今日の最終目的地の遊園地に。
せっかくだからもうちょっと回りたかったけれど、思っていたより時間が押していたのでそのまま観覧車の行列に並ぶ。
もう、今日の終わりも近い。
軽く見上げる位置にあるユウリさんのキレイな顔を記憶に一生懸命焼き付けようとする。まつ毛の長い、きりっとした大きな目。柔らかそうな唇。すっと筋の通った鼻。尖ったあご。滑らかな肌。この世にいることが信じられないくらい、本当に本当にキレイな奇跡のような人。
長すぎるほど長い手足に透ける白い上着とスカートを着た姿は、周りの人たちから完全にかけ離れた存在感を発揮している。
もっともっとこの人を見ていたかったのに、話していたかったのに、時は一瞬のように過ぎて、行列も進んで大観覧車に乗り込む。
日も暮れ始めた街と海の中、ゴンドラがゆっくりと上がっていく。
向かい合わせではなく、隣り合わせ。腕を回せばその細い肩を抱けそうな距離。ほんのりといい香りも漂ってきたりもする。
もう少しで終わるんだ。少しでも話して、少しでも見ておきたい。そう思っても、頭がしびれたような感じで何を浮かんでこずにカチコチになって座るだけだ。
そんな沈黙が少し流れたあと、ユウリさんが話しかけてきた。
「……私、今日、きちんと恋人できてなかったのかな?」
「そっ……そんなことは全然ないです」
俊也と一緒にいるのを遠目で見たときから一目ぼれみたいな状態で、今日一日でますますほれた、世界で一番すてきな女のひと。
外見だけでなく、仕草も、言葉も、何もかもがすてきで、できれば今日だけと言わずずっと恋人でいたいと、でもボクでは全然釣り合わないと思い知らされた相手。
「じゃあ、こっち見て」
その言葉に従って、カチコチの身体をむりやり動かして振り向く。
……うわっ。すごくちっちゃい。
すぐ横に座って並んでいると上半身の小ささが良く分かって今更ながらに驚いてしまう。マックで向かい合わせに座ったときよりも、ずっと分かりやすい。
外では見上げていた顔が、今は軽く見下ろす場所にある。その小さいこと、キレイなこと。今までにない至近距離で見る顔に、心臓のバクバクが止まらなくなる。
整ったピンク色の唇が動く様子にすっかり見とれて、自分が声をかけられていたことに気づいてあわてる。
「どうしたの?」
「いや、その……ユウリさん。本当にキレイで、すてきで、見とれてて、つい……」
「あら、ありがと」
少しびっくりしたあと、年上の女性の余裕でにっこりとほほえむユウリさん。
おりしも観覧車は頂点に達するころ。目の前に広がる空と海と女神のように美しい女のひと。
ぼっとする頭。ほほえみの形を浮かべる唇に誘われるように、自分の唇を近づけていく──そんな勇気が自分にあったことに驚きだけど、でもいいや。もう少しだけはこの人はボクの恋人なんだ。せめて一生の記念になるように──
そして2人の距離がゼロになる……
ところで、ユウリさんのiPhoneなんだろうか。アラーム音が鳴り響いた。
____________
そのまま2人ともだまったまま、観覧車から降りる。
『恋人のふりは6時35分前』と宣言されたとおり、入るときと違って手も繋いでいない。そんな距離感。
「時間切れ、ちょっともったいなかったけど……じゃあ、今日はこれでお開きで」
ユウリさんの柔らかい透けるスカートばかりが映るボクの視界。
彼女のそんな声が降ってくる。
「あっ……」
キス失敗以来、まともに見れなかったユウリさんの顔。
別れのあいさつのために見上げて……そして息をのむ。
心臓が、ぎゅっと握られて苦しくなったような印象。それなのにバクバクと心臓音が鳴り響いている感じがする。
これまで『大人びた、キレイな女の人』って印象だったのが、なぜか今はボクとさほど変わらない年の、すっごくかわいい女の子に見える。
どこか恥ずかしげに、不安そうな感じでボクのことを見つめている。
『女優になる練習』──ふと、ユウリさんの言っていた言葉を思い出す。
今までの態度が演技で、これが素なのか。はたまたその逆なのか。
これで何回目だろう、見とれて固まっているボクに、ユウリさんが話しかけてくる。
「あ、あの……もしかして、何かおかしなとことかありますか?」
「ああっ、いえ、その……すごく、かわいいです」
いったい何を言ってるんだ、というボクの回答に、戸惑うように、不意を突かれるように、何故かほっとするように、顔を赤らめて笑う。
かわいい、かわいい、かわいい。
『きれいだ』と思うだけだったさっきまでと何が違うのかよく分からないけど、むちゃかわいく思えてしまう。
そういえば『年上』としか認識してなかったけど、この人うちのお姉ちゃんよりもずっと若い、ボクのほうがまだ年が近い人なんだった。
あまりのまぶしさに目線を顔からそらすと、胸元を腕でカバーしてくる。
むう。少し残念……いやこの少し隠された膨らみの様子もなかなか。
そんなことを考えてる場合じゃなくて。
「じゃあ、今日は一日どうもありがとうございました」
「あっ、いえこちらこそ。……今日はとても嬉しかったです。ありがとうございました。どうやって帰ります?」
「わ……私は、少し落ち着いてから帰るので、ここでお別れしますね。では」
そのまま何度も振り返りながらお辞儀をしつつ、去っていく小さな背中。
それが見えなくなったところで深呼吸して──そして、ユウリさんが残していった、かすかないい匂いに気が付いてうっとりとする。
今日というステキなステキな一日を作ってくれた俊也に感謝して。
そして、明日からまともに俊也に顔を合わせて会話できるか、とても不安になった。なぜか。




