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僕は、姉になる  作者: ◆fYihcWFZ.c
閑話 5年後のお話 2014年3月~6月
13/47

3 扉を開く儀式

        <<西原雄一郎視点>>


 朝風呂を済ませて鏡台の前に座り、深呼吸をする。

 結婚より一足先に越してきた新居。築20年だけどウォークインクローゼットが充実している、詩穂一押しだった物件。


 鏡の中の自分を見つめる。

 女ものの淡いピンクのガウンを着た、男とも女ともつかぬボクがいる。きちんと揃えて、斜めに流れる脱毛済みの白い細い脚。最近通わされ始めたブライダルエステの効用も相まって、とても綺麗に見える。

 化粧水を染み込ませたコットンパックをはがしてから1分少し。

 美容液を手に取り、顔全体になじませる。乳液を掌の上に少し置いたあと、指の腹でマッサージするように伸ばしていく。顔の脱毛も済ませた、滑らかな肌の感触が心地いい。馴染むのを待つ間に、髪を乾かす。


 とはいえここまでは、大学に行くときもやっていた、会社に行くときもやっている日課。


 「西原君って肌、綺麗だよね。手入れとかしてる?」

 「いや、そんなの全然してないです」

 「嘘でしょ。化粧のCMに出てそうな美人肌なのに。反則すぎ。羨ましい」


 今まで何度も交わした会話。でももちろん、そんなことがあるはずはない。


 日焼け止め成分入りの化粧下地を指先にとって、薄く均一に伸ばしていく。

 ここから先が、女装の始まり。

 世の男性には閉ざされた『女の世界』への扉を、裏口からそっと開くための儀式。

 衰えることない陶酔感に包まれながら、ティッシュを肌に乗せてそっと上から押さえる。


 いつからボクは、こんなに女装が好きになったのだろう?

 それが『あの日』だということは分かっている。

 でも、それがどの瞬間かは、自分自身にとっても謎のままだ。

 2種類のリキッドファンデを手の甲で混ぜ、顔全体に付けたあと掌で包んでなじませる。


 “トシコちゃん”が実は男と教えられ、『男でもあれだけの美少女になれるのか』と、背中を電撃が走り抜けるようなショックを受けた瞬間なのか。

 『ユウコ』として、京介とキスをした瞬間なのか。

 『一人の女性』として、京介にナンパされた瞬間なのか。

 トシコちゃんのコーデで、完全に女性に見えるようになった自分を見た瞬間なのか。

 智恵理さんの完璧なメイクが完了し、鏡を覗き込んだ瞬間なのか。

 サーシャさんにファミレスで、「君は絶対、美人になれる」と断言された瞬間なのか。

 あるいはひょっとして、もっとずっとずっと前からなのか……


 何故だろう。今日は不思議と、色んな思いが次々と思い浮かんでくる。いつもなら、ほとんど無心で通り過ぎているステップなはずなのに。

 ふと気づくと、詩穂がニコニコした顔で鏡の中のボクを覗き込んでいた。


「おはよう。詩穂は準備しなくていいの?」

「おはよ。それよりもっとユウコのメイクを見てたいな。ダメ?」


 少しくすぐったい感覚を覚えながら、目の下のコンシーラーを伸ばしていく。

 正直に言えば、結婚を控えたこの彼女を、ボクが本当に愛したことはない気がする。


 男としての“雄一郎”が愛したのは、トシコちゃん一人。生涯で4時間しか一緒にいなかった相手。それでも魂に刻印された、ボクの初恋の人。

 女としての『ユウコ』が愛しているのは京介ひとり。とっくにボクが男とばれて破局になっているのに、この気持ちは捨てられそうにない。


 『それでも全然構わない』


 ──そう、あっけらかんと言ってくれるこの伴侶に、心の中で改めて感謝する。

 ファンデが完全に馴染むのを待つ間に、ウィッグ下のネットをきちんとセットする。スポンジでファンデの“よれ”をオフして、ルースパウダーを顔全体に乗せていく。

 いつもより少し明るめのチーク、ハイライト、シェーディングを撫でるように塗っていく。


 ……自分が『ユウコ』でいるとき、不思議なくらい性的指向は女性そのものになっている。

 京介のたくましい胸板、響く低い声、力強い大きな掌を好ましく思う。そのあとボクが男とばれて大変なことになったけど、未遂でもあの一夜は大切な思い出だ。


 元から男としては薄めの眉を、アイブローで丁寧に形を整える。

 ……自分がホモになったのかと、真剣に悩んだことは幾度となくあった。でも、自分が“雄一郎”でいるときに、男らしい男に惹かれたことは一度もない。


 今日はあえて色を抑えめに、ベージュとブラウンのアイシャドウを入れる。

 化粧前のボクは“雄一郎”という男性で、化粧のあとのわたしは『ユウコ』という女性。

 じゃあ化粧の最中の自分はナニモノなのだろう?

 男と女の間で揺らぎ続ける、自分のアイデンティティ。不思議なものだと思ってしまう。

 リキッドライナー&ペンシルライナーで、目をくっきりと。


 『男と女、どっちもイイトコ取りできるなんて、とても素敵なことだと思わない?』


 その時々で言い回しは違うけれど、何度も言われた詩穂の台詞。年上の彼女の言葉には、勇気づけられていることも正直多い。

 でも彼女の言葉に従うまま、『趣味としての女装』の枠を乗り越えてしまったら──

 それはあまりに甘美で、それだけに恐ろしい誘惑だった。


 ビューラーで睫毛をカールさせ、上下の睫毛にマスカラを塗る。いつもよりは少し控えめな長さの付けまつげを、ピンセットで付けていく。

 口紅は使わず、リップコンシーラーとリップグロスで唇の仕上げを。崩れ防止用のミストをスプレーしたあと、手で肌になじませる。

 鏡の中には、少し甘えた感じの可愛らしさと、色っぽさを兼ね備えた美人が座っている。


 ここからの時間、わたしはユウコ。

 意識がはっきりと切り替わっていくのを自覚する。地味な男性という蛹を脱ぎ捨て、誰もが振り向く美女として羽ばたく自分。

 軽い飛翔感と、陶酔感とに包まれる。


「やっぱりユウコは美人よねえ。メイクもうまいし……ね、今日は私にメイクしてくれない?」


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