2 白と白と白の舞台
<<柊久美視点・続き>>
ほぼ満席のイベント会場。
チケットの関係上、みんなとはバラバラになって、お姉ちゃんと2人で席に着く。
テンポのよい諸注意とオープニングイベントを挟んで、いよいよ舞台の始まり、始まり。
一番手として、プリンセスラインのウェディングドレスを纏った“その人”が現れると、会場が歓声にどっと沸く。
一拍遅れて名前がアナウンスされるけど、そんなものなくても知っている。
日本で今、たぶん一番有名なモデルさん。
つけているイヤリングを除けば白一色の、でもあまりに豪奢すぎるドレス。リズミカルに、でも優美に歩みを進める姿に、全会場が惹きつけられるのが分かる。
「あのイヤリング、ピジョンブラッドかなあ。本物だよね。綺麗だなあ」
──若干一名すぐ隣に、周囲と違う注目している人物がいるけれど。
大きなスカートをふんわりと膨らませ、くるりと回ってポージング。続いて彼女よりは知名度が少し下がるけど、やっぱり有名なモデルさんが登場する。
テレビや雑誌やカタログで見慣れた方々。でも間近でみる実物はやっぱり輝きが違う。勇気を出して良かったと思う。
彼女も纏うのもまた、華やかなプリンセスラインのドレス。大きく大きく広がったティアードスカートが印象的。トップの人と同じく、彼女自身がプロデュースする専門のドレスのブランドを既に持っているだけあって、やっぱり手慣れた感じがする。そのあとも続々と登場するモデルさんたち。
知名度の高い低いはあるけれど、どの人も素敵すぎて目が離せる瞬間がない。
これは、モデルさんたち本人がデザインしたドレスを纏って登場する、ウェディングドレスのファッションショー。皆それぞれに眩くて、瞬きするのも忘れてしまいそう。
全体に『女の子の夢』を具現化したような、プリンセスラインのドレスが多め。ありがちだったり、逆に奇をてらいすぎていたりするのもあるけど、それもまた愛嬌。
すっ、と、舞台の両袖から2人同時に登場し、真ん中に歩み寄って軽く手を合わせる。(個人的に)待ちに待った悠里&愛里さんの出番。本日の私的メインイベント。
一旦手を離し、くるりと回って前のモデルさんの道を開けたあと、再び並んで舞台の上2人で歩き始める。
スレンダーに近いAラインの、アシンメトリーのウェディングドレス。飾りのほとんどない、シンプルなデザイン。それだけにドレスそのもののラインの良さと、着ている人のスタイルの良さが際立って見える。他の多くのモデルさんたちと比べてさえ、際立って見事なスタイルの良さが。
歩みを進めるたびに、背中にかかる艶やかなエクステが優しく揺れ、かぶったお揃いの控えめなティアラが煌めきを放つ。
「俊也君は男だよ」とお姉ちゃんは言い、
「トシコの正体は、俊也君」と理沙ちゃんは言い、
「瀬野愛里って、トシコちゃんの芸名だから」と流星さんは言う。
3つとも正しいなら愛里さんは男なわけだけど、これがもし男なら世の中の女の8割以上は女性失格だろう。
それほどまでに女性美そのものの姿、女性美そのものの動作。
片方は右肩を出した、もう片方は左肩を出したワンショルダー。唯一の飾りのスカートのドレープも、右下がりと左下がりの対称形。スカートの長さが大きく違って、片方はミニ丈でもう片方がマキシ丈だけど、上半身だけ見れば、髪飾り含めて完全に鏡写しの状態。
顔もスタイルもまったく同じ双子の美少女。鏡の世界に紛れ込んでしまったような幻想的で見事な光景を、息を呑んで感動することしかできない。どっちが悠里さんで、どっちが愛里さんだか区別できない自分が少し恥ずかしいけれど。
柔らかなアイボリーホワイトのウェディングドレスをまとって、見事に鏡写しのタイミングでウォーキングしながらキャットウォークを進んでいく。スカートを膨らませて、これまた完璧に息の合ったタイミングでくるりとターン。優雅に、優美に、華やかに。周囲に笑顔と光芒を放ちながら歩みを進める。
そのたびに、一つの動作ごとに、異なる姿を見せていく清らかなドレス。背中のラインもとても綺麗で、飾りもないのにすごく素敵に見える。
次のモデルさんに道を譲ったあと、てのひら同士を合わせてカーテシー。舞台袖に消えたところで、自分が本当に息を忘れていたことに気が付いて大きく息をする。
「やっぱ、すっごかったねー」
「綺麗だったねー。ね、わたしもあのドレス着たら素敵になれるのかな?」
「……お姉ちゃんには無理っしょ」
そう答えたけれど、そう言いたくなる気持ちは良く分かる。
なぜって、私自身それとまったく同じことを考えてしまっていたんだもの。でも、宝石フェチでドレスにあまり興味のないお姉ちゃん(私とちょうど反対だ)にそんなことを思わせてしまうだなんて、悠里さんたちは流石だと思う。
それから何人かのモデルさんたちが登場していく。ここらへんは、テレビでは見かけることのない、女性誌によく出る人たちが多い。今まで雑誌やネットで憧れていることしか出来なかった華やかなドレス。それがすぐ近くで見られる至福の時間に感謝する。
「あ、あ、あ、……アキちゃーんっ!」
と、周囲の迷惑も顧みず、手をぶんぶん振り回し始めるお姉ちゃん。
「ちょ、勘弁して」
と囁いて、無理やり腕を降ろさせる。
舞台の上に目を戻す。
熱気渦巻く会場。その中をふっと涼やかな風が吹き抜ける。そんな錯覚がする。
キャットウォークの上でアキちゃんが、歩くというより躍るような足取りで進んでいる。まるで空中の見えない足場でステップを踏んでいるような、軽やかな動き。
ドレスというよりバレェのチュチュを思わせる、プリンセスラインでミニのシルエット。スカートに大きく付けられた、それ以外にもそこかしらにある、雪の結晶を模したビーズの飾りが特に目を惹く。背中の大きな大きなリボンが妖精の翅のよう。
アキちゃんが舞台の上で、くるり、くるりと舞う。そのたびにキラキラと光る、ふわりと広がる新雪のような真白のドレス。
ベアトップでむき出しになった肩から腕の白さも相まって、その姿は完全に『雪の妖精』。
「アキちゃーんっ!」
もっとずっと見惚れていたかったのに、すぐ斜め前、やたらに身体の大きい男性2人組のうちの1人が大きな声で叫んで、意識が中断される。
その声に反応したのか、アキちゃんが彼らのほうを振り向く。少し動きが止まり、恋する人に偶然出会った乙女のような表情になる可憐すぎる花嫁さん。
でもすぐに以前の笑顔に戻って、躍るような歩みを再開する。他の観客はひょっとしたら気付かなかったかもしれない、ほんの一瞬の出来事。でもアキちゃんがあんな表情をするとは。そんな顔をさせた男2人に、興味が湧いてみたりもする。
と。アキちゃんがそこからちょっと視線を動かして、ちょうど私たちが座っている方向へにっこりウィンクを決めて小さく手を振る。
「かぁ──────いいっよぉっ! アキちゃーんっ!!!」
それに気づいたのか、また手をぶんぶん振り始めるお姉ちゃん。
今度は止める気にもなれない。
だって、私も同じことをしているのだから。
彼らと違って私たち目立たないし、きっと私に近い場所に他の知り合いを見ただけだろう。他の客に邪魔だから止めなさい。そう思うけど止まらない。そんな私たちに多分気づくこともなくステップを進め、キャットウォークの端で2回転半。
ステップするたびに、腕を動かすたびに、回るたびに、ドレスのスカートが、背中のリボンが、雪を模した飾りが、さまざまな表情を見せる。いつの間にか、アキちゃん本人よりそのドレスにすっかり魅了されてしまっている私。
最後に大きく一礼をして、軽やかな動きのまま舞台袖に消えていくアキちゃん。
「かっっわいかった──────」
「すっごかった────────」
大きく息をしたあと、2人同時に声をあげる。今のがほんの1分くらいの出来事だと気付いてびっくりする。
お姉ちゃんはまだ興奮した様子で話しかけてくるけど、私はもう次の人のドレスに夢中。
へそ出しのウェディングドレスってすごいなあ。スタイルいいっていいなあ。私が着たら悲惨な状態になるんだろうなあ。
そんな感じでもう頭いっぱい。
それからまた何人かのモデルさんが登場して、オオトリに『現役モデルのウェディングドレスプロデューサー』の世界での大御所と言っていいあの人が登場。これは新作だろうか? 華やかで、可憐で、飾り一杯なのに洗練された感じのするプリンセスラインのドレス。今まで写真だけで憧れていた存在。それがこんなにも近くにいる。
トップに戻って、最初の超有名モデルさんが、今度はカラードレス姿で登場する。続いて登場する、煌びやかなカラードレス姿の美人モデルさんたち。プロのデザイナーさんからは出てこなさそうなドレスもあって、なかなか目が離せない。十二単モチーフのドレスとか特に圧巻だと思ってしまう。
そして出てくるこのお二方。悠里さんと愛里さんの登場。
アメリカンスリーブでスレンダーライン、レイヴン色とカーマインレッドのカラードレス。チャイナドレスをモチーフにしたドレスで、それぞれ右と左に深いスリットが入っている。ほとんど腰まで覗く、長すぎるほどに長い美脚がなまめかしい。
「うわっ、懐かしいなぁ。もう」
隣でお姉ちゃんがはしゃぐけど、私たちにとってこの取り合わせは特別な意味を持っている。去年悠里さんたちと初めて出会ったときの、チャイナドレス姿を眩しく思い出す。
あの時よりも、より身体のラインをはっきりと映し出すシルエット。そのあまりの見事さに、ただただため息をつくことしかできない。丸見え状態の、肩から指先までのほっそりとしたラインの美しいこと。笑顔と手振りを交えながら、颯爽とキャットウォークを歩いていく。
滑らかで自然体なのに、とっても華やかでどこか色っぽい、『女体美』という言葉を形にしたようなその姿、その動作。
高校1年で読者モデルとしてデビューして以来、中性的な美貌の持ち主として人気のあった悠里さん(と、彼女と時々入れ替わっていたという愛里さん)。
それから5年、20歳を過ぎた今、女としての魅力を発現しつつある。セクシーな衣装も相まって、2人の間から流れ出る女の色香に頭がくらくらしてきそう。でもこれで悠里さんが男装すると、美少年そのものに見えるのだから不思議だと思う。
──と、ターンして戻る復路、黒いドレスを着たほうとばっちり目が合う。ばっちりウィンクを決めて、軽く手を振ってそのまま進む悠里さんか愛里さんかどっちか。
「きゃ──────っ! ゆーりさーん! ……ね、今のウィンク、わたしたちにだよね」
お姉ちゃんはどっちが悠里さんか分かるんだろうか。あとで聞かなきゃ。
でもあのドレス、私が着たらどんな感じになるんだろう? 頭の中でイメージしてみる。案外良さそう、と思ってしまったけど、これは悠里さん&愛里さんの魅力のなせる技か。
『瀬野悠里』名義で、悠里さんと愛里さんが二人一役で読者モデルをしている雑誌のバックナンバー。集めて何度も眺めたものだけど、「私もこんな服着たいなあ」と何度思わされたことか。まあ、真面目にやったら金が幾らあっても足りないけど。
その悠里さんたちが舞台袖に消え、また数人のモデルさんたちが通り過ぎたあと、アキちゃんの2回目の登場になる。
幾度となく眺めた、ドレスの歴史の本を思い出す。他の『童話のお姫さまのような』ドレスとは少し違う、本格的なクリノリン・スタイル。淡いシャンパン・ゴールドの豪奢なドレスは、月の光がそのまま衣装に化ったよう。
ついさっきの可憐な様子とは違う、気品と威厳に満ち溢れた『月の女王』のような姿。この前、テレビドラマで女子小学生の役を演じたのがこの人かと、信じられない思いがする。
凛として、媚びるところのない気高い微笑みを浮かべたままで、しずしずと舞台を進んでいくアキちゃん。キャットウォークの端でくるりと回る様子も圧巻だ。
大きく膨らんだプリンセスラインのドレスが多めの、このブライダルファッションショー。その中でもこのドレスのスカート部は特に大きくて、ほかの人の1.5倍はありそう。布の量も飾りも多くて重そうな衣装なのに、優雅に優美に歩みを進める。
ドレスの色合いに、大きく開いた肩の白さも相まって、内側から光を放つよう。洋風の衣装なのに、『かぐや姫』なんて言葉を思い浮かべてしまう。
舞台そでに消えた瞬間、なぜか素敵な物語を読み終えたときのような感傷を覚えてしまう。
その後もショーが進行し、再びトップに戻ってまた純白のウェディングドレスを披露する。今度は舞台そでに消えるのではなく、前の舞台の端から順に並んで、笑顔で待機。
キャットウォークも素敵、前の舞台も素敵。
ああ、どっちを眺めていようかと無駄に葛藤をしている私をよそに、再び悠里さんたちの登場になる。
前回は中洋折衷スタイルだったのが、今度は和洋折衷スタイルのドレス。
少し引きずるスレンダーラインのスカートに、胸高に結んだ和服のような太い帯。襟元も斜めに流れる和装そのもので、透けるオーガンジー素材の長い袖が、風に揺れる。
全体的に白無垢そのもののスタイルなのに、足取りは軽やかで、第一印象よりもずっとはるかに動きやすくて着ていて楽そうだ。左前にならないようって配慮だろうか、今回ばかりは左右対称のスタイルじゃない。一瞬目を離した瞬間に入れ替わっていても気づかなさそうな、完全一致の瓜二つの姿。
薄い、長いショールを天の羽衣のように肩に羽織り、風に遊ばせるようになびかせながら、キャットウォークの上歩みを進めていく。背中にはご丁寧に、帯の揚羽蝶結びみたいな形の大きなリボン飾りまでついている。くるりと回る様子も軽やかで危なげがない。本当の白無垢なら出来なそうな仕草。
なんというか、美しさが完成されすぎていて言葉もない。
私はこの人に2回も直接会って会話を交わしたことがあるんだと、そんなことすら一生の語り草にしてしまいそう。キャットウォークを渡り終え前の舞台につき、左右に別れてポーズを決めてすらりと立つ。
もうとっくに次の人が出てるいのに、その時になってやっと声が出るようになって
「悠里さーんっ! 愛里さーんっ!」
と叫んでしまう。
周りの皆さん、次のモデルさん、本当にごめんなさい。でも止まらない。やっと落ち着いて、しばらく他のモデルさんたちやそのドレスに見惚れる。
「順番から言えば、次がアキちゃんだよね。……雪、月、ってことは最後は花?」
と、お姉ちゃんの言葉に我に返る。うん、順番に変更がなければそうなはず。今歩いているモデルさんも十分素敵なんだけど、でもアキちゃんが出てくるはずの舞台袖のほうを注視してしまう。
充分心構えをしてもしていたはずなのに、でも。
「うわあっ」
いざ登場してみると、また言葉を失ってしまう。
さっきの月のドレスよりも更にボリュームのある、思いっきり広がったエアリーなスカート。布でできた大輪の薔薇の造花が至る所に散りばめられたそれは、何枚にも重なるオーガンジーで出来ていて、歩みを進めるたびに大きく、大きく、優雅に揺れる。こちらにも花の香りが届いてきそうな、そんな錯覚までしてしまう。
前の2回よりも、アキちゃんの細いウェストを強調するデザイン。スカート部との対比もあって、中に内臓が入っているのか本気で疑いたくなるレベル。
背中はコルセットのような編み上げになっていて、女らしく優美な背中のラインを演出する。もし私が男で、彼女のようなお嫁さんをもらえたなら。それはどんなに素敵なことだろう。
上半身はビスチェタイプで、ウェディングドレスの白と比べてさえなお白く見えるアキちゃんの白い肌を惜しげもなく披露している。右胸には大きな薔薇の造花をつけ、アップに纏めた淡い色の髪にも造花を飾り、肘上までのグローブが覆う細い腕には、これは本物の白薔薇のブーケを掲げている。
気品があり、優雅で、でもさっきよりも若々しく、華やかで、可憐で、女らしく。
柔らかな笑顔を浮かべ、優しく手を振りながらゆっくりと進むその姿はまさしくお姫様。
『白薔薇の姫』
『花の王女』
──そんな言葉が、自然と浮かんでくる。
『職人さんって、ほんっとーに凄いんですよ。あたしがボンノー全開にして描いたデザイン、形にしちゃうんですもの』
はにかんだ笑顔で、きらきらした瞳で、興奮した声で語ってくれた、前にあったときのアキちゃんを思い出す。
前の2つのドレスも素敵だったけど、その言葉がこのドレスを指していたのは分かる。
圧倒的な存在感。白の煌めき。まるで光そのものを纏っているよう。ステージを歩き終わり、前の舞台でポーズを決める。今まで呼吸することを完璧に忘れたことに気づいて、少しむせてしまったりもする。
その後もまだまだ素敵な舞台は続き、最後にモデルさん全員が前の舞台、ずらりと並ぶ。純白だったり、アイボリーホワイトだったり、スノーホワイトだったり、パールホワイトだったり、白にも色々種類があるけれど、見渡す限り白、白、白の世界。なんてきれいなんだろう。なんて素敵なんだろう。
いつの間にか涙が出てきていた。
それほどまでにすばらしすぎる舞台。
日本でも指折りの美女たちが並ぶステージ。
女性美の極致である白のウェディングドレスを煌びやかに纏って。
この場に、知り合い(というほどでもないけど)が3人もいるとか、なんて奇跡だろう。
全員そろってのお辞儀に、会場全体に割れんばかりの拍手が鳴り響く。
私もお姉ちゃんも、大声で3人の名前を叫びつつ、あたりが静まるまでずっと拍手を続けていた。




