こんな出会いもあるもんだ
いや、オフィスでこんな出会いはないだろう。。。
思い付いたので書いてみました。
作者はオフィスの内部事情をよく知らずに書いております。
それを踏まえてお読みください。
なお、誤字脱字の手直しはすると思いますがストーリーの手直しをするかは考えていません。
ひどい内容だと多数の苦情が来たら、削除させてもらいます。
誤字・脱字等の修正をいたしました。28.9.18
俺は今日――人生最大の過失をした。
油断していた。いや、そうではない。あれは不可抗力だったのだ。しかし今さらそんな言い訳が聞いてもらえると思ってはいない。
「まあ、お前も人間だったと言うことがよくわかった」
「……私は人間ですが」
「大藤、お前は回りからなんと言われているか知っているだろう?まあ人間に戻ったのは嬉しいがあれは駄目だ。総務の豊田部長がねちねちと小言を言ってきた。早急に再度お詫びをしてこい」
「分かっています。ですから、時間を作ってくださった大杉部長には感謝しています」
「もう少し表情を動かして言え。いや、それより相手にちゃんと謝罪をあげてくれ」
ちゃんと謝罪をしているが表情は無理だ。かれこれ何十年と表情を大きく動かしていない。
それに謝罪はもう伝えている。表情でも伝えろと言われているがそれがうまく出来ないので相手の反応は今一つ曖昧だ。
同期からはニヤニヤとした顔で。部下からはチラチラと様子を窺われているが俺は気にする事なくいつも通り総務の豊田部長にお詫びをいい、地下の駐車場で待っているだろう彼女の元へ向かう。
大藤 誠。三十二歳の独身。経理部課長に席を置き回りから無血のサイボークと呼ばれている俺。
理由は自分でも分かっている。
表情が(なかなか)動かず冷たく部下の失敗を切り捨てていくから。血も涙もない機械のように微動だにしない俺はまるで人じゃないそうだ。
課長と言う立場と上司である立場から厳しく部下を指導していたらそのように称えられた。
あとは寝ずにほぼ日中夜問わず五日間ほど働きつめても疲れを見せず平然と仕事を終わらせたように見えたからだろう。
俺だって疲れている。だがそれが顔に出ない。
体だけだらけるのも性格上できないのでだらだらはしない。ついでに寝ずに出来るのはほとんど不眠症のせいだ。寝られない代わりに仕事をしている。
眠らずに仕事漬け。
これを回りから『人間じゃない』と捉えられ今では『サイボーグ』。
お前らのせいだろうが、と言いたいがミスが少なくなり効率が上がったので何も言わないでおこう。
不眠の原因は俺の姉と言う奴のせいだ。一つ上って言うだけの奴は俺にとって史上最悪な生き物である。物心ついた頃からすでに奴は俺の敵だ。
小さい頃からお姉ちゃん風と言うなの女王になっていたあいつは見た目がかなりいい。
(皆が言うには)可憐な幼少期は面倒見のいいお姉ちゃん。年を重ね美人に育てば見惚れた男どもが姉の膝元で頭を垂れる。
複数がやるとかなり引く光景だったな。
美人で女王。勝ち気でプライドは高いがその分見立てが素晴らしく今やその肩書きを存分に使って猫かぶりのモデル業に勤しんでいる。
三十三にもなったが奴の美貌は衰えない(らしい。トラウマなのですでに顔は曖昧である)。これが俺の姉、美琴だ。
そしてその弟である俺も、自分で言うのもアレだが顔立ちがいい方だ。
お姉さまと呼べと豪語する奴も外見が素晴らしい弟をいつも『隣にいさせてあげる』と奴の基準でそれなりの褒め言葉を言ったぐらいだ。そのおかげでどこにいても学生時代は横にはべらかされ苦痛を強いたげられた。
俺の顔で『イイ男』を見せびらかせ優越に楽しむのが奴の遊びだ。
高校から読者モデルをして有名だった奴のせいで『隣の男』とは『どういう関係』なのか記者が何度も聞く。
そして『弟』と聞くと俺も巻き込もうと会うたびに誘われ勝手に写真を撮ろうとして散々だった。誰が好んで奴と同じ道を歩まねばならんのだ。
他にも奴の信者と彼氏とやらに何度喧嘩を吹っ掛けられた事か……逆に俺の彼女に何度奴を問い詰められた事か。この一応は整っている顔がいけないのか?
そう思って顔に傷でも付けようものなら奴に全力で止められる。抵抗すれば力も無かった三歳ぐらいの時にやられた女装をネタに何もできない。
しかもその時は『女の子』として信じていて、しばらく虐げられた。
小さい頃は俺も純粋な子どもだったのだな……なんで疑わなかったのか三歳児の俺を殴り飛ばしたい。
メイクもばっちりに完璧な女の子となった俺の写真は今も奴の手の中……俺はいつあの写真の呪縛から解かれるのだろうか。
小さい頃から奴の餌食になった俺はストレスで中学から眠れない。小学校はきっと遊び疲れて眠れていたのだろう。
中学になった奴は小学生と中学生の微妙な距離が嫌になったのかどんな時でも呼び出したりなにかと奴はただ気にかけている様子で俺に声をかけるまくる。休まる日がなかった。
不眠症の馴れ初めが奴だと分かっているだけに治らないだろう。
姉にかかりっきりの大人たちを見ていた俺は回りを頼る事をしなかった。それに慣れ不眠症を放置し重怠くあるそれを奴が寝ている夜、勉強のために使った。この辺から顔は徐々に動かなくなったと思う。
すごく捗った勉強のおかげで奴が追いかけてこれないだろう。そう思って倍率の高い高校や大学を選んだのにそんな意味は奴に関係がなかった。
なんでも、侍らすための男が俺レベルのイケメンでなくては駄目で替えがないらしい。よくわからん。だがそのよくわからん価値観で多大な被害はさらに続いた。
携帯や信者を使っての呼び出し、保護者気取りで教師までも使い逃げ出さないように待ち構え傍にいさせようとする。
大学まで奴に付きっきりで、不眠症の改善や表情筋の復活など出来るわけがない。
ようやく都会へ逃げ込めた会社では一新するため邪魔な前髪を後ろへまとめ眼鏡をかけたが根付いた不眠症や無表情は何も変わらなかった。
同期からロボットと最初は恐れられ、気にも止めず仕事に明け暮れトントンと課長まで駆け上がれば部下から無血のサイボーグ。
それも別に気にしていない。
気にしていないが、今回の件で俺はあらぬ過失を犯したおかげで『無血のサイボーグ』から『ムッツリサイボーグ』に成り変わろうとしている。これはいただけない。
あれは徹夜明けの事だ。明日の十時まで提出する決算で忙しく経理部は騒然と己のパソコンと向き合いキーボードと電卓を叩きまくっていた時だ。部下の一人がどうしても売り上げの数字が合わないと嘆きだし、俺のところに回ってきた。
とりあえず俺も数字を会わせるがやはり合わない。これはおかしいと過去のデータを洗い出せばなぜか去年と数字が違う。
どの部分が違うのか洗い出すのに一からのやり直しに気づいて部下は白い顔で残業が決まった。
すべての数値がおかしくなっているためデータを書き換え打ち込み、表を作り上げ書き上げていく。データ量が多すぎて翌日の朝日まで拝んだ。そして完了、である。
最後の仕上げは俺がやる事にして会社から歩いて五分と自慢していた疲れきっている部下を一度家に返した。現在は七時。
それから一時間ほどですべてを完了させて決算は間に合った。
間に合って、俺は気が抜けていたのだろう。いや間違いなく気が抜けていた。
時刻は八時頃。あと三十分もすれば続々と社員が出社してくるだろう。体が怠い。しかし眠くならない。
ならば以前の出来事からもしもの備えとしてロッカーに常備していたスーツに着替えここは一つコーヒーでも飲んで切り替えをしようと思ったのだ。
クールビズを取り入れてからシャワールームが取り付けられた事が幸いした。ワンコインとせこい所があるが、使えるものを使わなくてどうする。
ささっと済ませて常備していたものですべてを整える。
春と言えど朝方はまだ少し肌寒い。しかし男の更衣室にドライヤー等はないので髪は自然乾燥だ。少し水を含んだタオルが冷たく感じるがシャワーで少し暖まった体では気に止める事もなかった。
適当に拭いて給湯室へ向かう。この時にもう少し気を引き締めていたらあんな事はしなかった。断じてしなかった。
このフロアは経理と総務が一緒である。もちろん部署は左右に別れて別々だが会議室、給湯室、コピー室、備品と資料収納はフロア奥の別室に統合されている。
給湯室だけでも部署内に設置してくれればよかったのだが会議室が奥にありそれに合わせて隣に設置してしまったためわざわざフロアの奥まで取りに行かなければならないのだ。
故に飲料がほしいなら自分で持ってこいが暗黙であり、水筒持参が主流で水筒が煩わしい者共は休憩中に給湯室に出向くか一階と五階の社内食堂に設置されている自動販売機で飲み物の確保をするしかない。
夏場は別としてわざわざ気遣った女性社員もいるがそれはそいつなりのアピールでありただの息抜きである。
俺は奴のトラウマがあるので女性社員が媚を売って出してきたコーヒーは飲んだことがない。故にロボットと言われたが知ったことではないな。
そんな下らないことを考えていたからだろうか。
もしくはコーヒー飲みたさに給湯室に足を運んだのがいけなかったのだろうか。
誰もいない時間に訪れる給湯室と思い込んでいた俺は開けた直後の目の前にいる存在に理解が出来なかった。
お茶の準備が出来るだけでいいと言わせるような六畳と手狭なそこに俺が突然入ってきた事で驚いた彼女の顔は可愛らしい、と表現したらいいのだろう。
やや大きめの眼に小さな唇。メイクはナチュラルメイクなのか素っぴんなのかわからないほど色白で肌が綺麗だ。薄いピンクのチークが彼女を引き立てて可憐である。
俺の胸元の高さしかない後頭部にはハーフアップだったかにするための小花の髪留めがあり艶やかな黒髪が背中の半ばまで。
良識のある落ち着いたスーツを身にまとう彼女がこんな時間――シャワーから出るときに見た時刻は八時十分。ヤカンに火をかけ佇んでいた。
「お、おはよう、ござい、ます…………もしかして経理部の大藤課長ですか?」
なんだろうか。ふら~っと何か波に泳がされたような……仕事のしすぎと年齢的にとうとう過労が襲ってきたのだろうか。
「……見れば分かるだろう?」
「……その、髪を下ろされている姿を初めて見ましたし、眼鏡も掛けていらっしゃらなかったで誰なのかすぐに分かりませんでした。下ろされるとすごく印象が変わるんですね」
しまったと思ったがもう遅い。あまり見られたくない姿なので下ろしている髪をすべて撫で上げる。湿ってあるせいか多少は形になるだろう。眼鏡はうっかり置いてきたのでこれは仕方がない。
髪をあげるのも眼鏡を掛けたのも少しでも大学時代の面影を消したかったからだ。奴が読者モデルをしていた時に当然のごとく俺を隣にいさせたので写真も何枚か出回っている。余計な詮索をされないためだったが迂闊すぎたか。
「更衣室からドライヤーを借りてきましょうか?春になりましたがまだ朝は冷え込んでいますよ」
「……いい。すぐ乾くだろう」
「風邪にはお気を付けください。ここへ来たのですから何か飲まれるのですよね?お淹れしますよ。よろしければデスクまで運びましょうか?」
「……いや……なんだ……?」
なぜだろうか急に頭が重くなってきた。
頭痛とかではない。ただ酒の飲みすぎでふわりと居心地がすごくよくなった浮遊感?それとはまた違うような――それになぜか肩から力が抜けて少しふらつく。
「――大丈夫ですか?頭痛でしょうか。医務室に行けますか?」
「……問題、ない……」
なんだ?なんなんだ?彼女のゆったりとした声を聞いていると頭が――と言うか瞼が重くなってきた。どういう事だ。
「シャワールームを使ったと言うことはお泊まりをなさったんですよね?目の疲れからも頭痛を引き起こす原因です。今は少しでも休まれてはいかがでしょう?医務室までお供します」
ヤカンからの暖かな蒸気?それともこのゆったりと心地のよい声か。それと彼女が近づいてきた事でふんわりとした花の匂いを嗅いだせいなのか。近いな、と思ったその時には意識をすでにどこかへ投げてしまっていた。
意識がない無意識で『求めた』のだろう。むしろ『すがった』のかもしれない。
ひどく心地のよい彼女の声と好みにヒットする匂いにやられた俺はこの時、彼女を抱き枕に体を巻き付け睡魔の中へ落ちた。
それはもう、酷い有り様だったそうだ。
そのまま倒れた当事者の俺は幸いにも(?)自分が下敷きになり彼女を抱えて爆睡。倒れた衝撃をものともせず寝転けていたのだ。
もう一人の当事者である彼女は必死に抜け出そうともがくが正面から抱きついて肩と腰に巻き付いた俺の腕、さらに男の力に敵わず数分後にお茶を飲みに来た先輩に助けを求めたそうだ。
しかしまず俺が誰かわからなかったらしい。倒れたときにただかき上げただけの髪はそのまま重力に従って床に垂れていたから。
彼女との卑猥な関係が沸きだったが男が誰だか分からない。まず、彼女の必死な説明で沸騰していたヤカンが救出された。
しかしここで問題なのが俺は半日も寝転けたのだが叫んでも集まった部下が騒いでも拘束していた腕を緩める事もせず起きる気配もまったく見せなかったらしい。
さらには部長までもが呼び出され頭や背中を叩くなど良識の範囲内でそれが行われる。が、それも意に返さず熟睡していた。
その間に彼女は男どもの力を借りて俺の腕を振りほどこうとしたり腕を突っぱねどうにか空間を作って抜け出そうと努力をしたそうだが、始業までに抜け出すことも出来ず終わった。
仕方なく会社に常時している担当医をわざわざフロアまで出張してもらいそのまま診断。過労によるものと判断され、人二人を同時に動かすことも出来ないので毛布を被せ放置されたそうだ。
因みに彼女も仕事が出来ず――この日、総務と経理の仕事は少し支障が出ただけで終わった。もし半日で起きなかった場合には少しの支障ではすまなかっただろう。
決算が今日の午前に終わった事が幸いした。おかげで二時間の残業で片がついたのだ。
ただ本当に申し訳ない事をした。寝起きに見た彼女の顔は真っ赤で涙目で色々と男を動かされたのだ。あれはヤバかった。
ヤバかったその時はまだ覚醒がしていなかったけどな。久しぶりに本当の睡眠をとった事によりすぐに目覚めなかった頭はそのままいい匂いにつられて彼女の頭から首筋を嗅いでいた。
可愛らしい悲鳴ですぐに飛び起きたが気まずい雰囲気が払拭されるはずがない。ぎくしゃくしながらようやく自分がやった事に気づいて謝り倒したがその時の彼女は恥ずかしさがマックスだったのだろう。
彼女の方が謝り出して逃げられた。そらそうだ。俺だって恥ずかしさ抜きで逃げ出したい。なんで会社でこんな事したんだよ、俺っ。
おかげでいい的だ。『サイボーグは人間だった』『サイボーグと人間の恋』『サイボーグの我慢の限界』『実はムッツリなサイボーグ』『やはりサイボーグも男だった』……普段が言えないからここぞとばかりに言いたい放題。
サイボーグから抜けられないらしい。俺は人間だ!
それに抱き枕よろしくした彼女との秘密な関係――つまり恋人と言う噂が成立してしまった。それが面白半分で広がっているために非常に居心地が悪い。
あれは生き恥だ。本当になぜ眠ってしまったのかが分からない。しかも半日も寝ていたんだぞ。そりゃあ下世話な話が好きな奴らが飛び付くに決まっている。
俺をからかいたいならさぞ楽しいネタだろう。ああ、ここ三日はずっとからかわれて居たたまれないし上からチクチクと根掘り葉掘り問われたさっ。
表情が今一つ動かなくて幸いしたな、俺。反応がつまらないとからかいはやめて今後の釣りネタになった。これが奴の耳に入らないことを切に願う。
しかしまだまだこの話題は続くだろう。彼女――小崎 静華が俺を許すまで。
金曜の今日……しつこいだろうが未だに謝罪を受けとってもらえないのだから今日こそは清算したい。
二日と逃げられていたが今日はお互い残業がないと分かっていたので午後に休憩する時間を見計らって俺の車の鍵を押し付けておいた。
スペアを持っていないのでこれがないと帰れないと言ってある。これで彼女は帰れないだろう。
免許を持っていないと聞いていたから車の知識はあまり知らないだろうと判断して逃げられないようにした。まあ誰かに預けたりフロントの上にぽつんと置かれていたらこの作戦は終わりであるが。
義理堅く気配りが自然で優しく控えめな彼女なら人を使わず自分で届けるだろう。
今のところ車場荒らしや盗難は聞いたことはないが置き去りはしないと思われる。断れないタイプの彼女では無理なはずだ。
断るなら一方的に鍵を押し付けて待ってろと言う俺を追いかけて突き返すはず。
ようやく駐車場までエレベーターで下りれば少し離れた場所に彼女がいた。思わず心の中でガッツポーズをする。
「車の中にいてくれてもよかったのだが」
「あの、どれかわからなくて……ではなく、鍵を返しに来ました」
「ああ。しまったな。伝え忘れていた。ありがとう。では、行こう」
「……え?」
やはり声なのだろうか?彼女の優しげに囁くような声は俺の脳に心地よく響いて安心にさせる。だが今回は寝るわけにはいかない。お詫びをせねばならないのだ。
差し出された鍵はまだ受け取らない。とりあえず乗せてからもらうとしよう。逃がさないぞ?
こっちだと誘って歩き出せばしばらくしてコツリと音が鳴って続いた。ついてきているとわかっているのでそのまま車に向かう。
場所指定されているそこは少し薄暗いが横ががら空きのためそこまで重苦しくはない。
キーをそのまま持っている彼女にドアを解除させ逃げられないようわざわざ助手席のドアを開けて乗るように促す。
躊躇いながらも乗ってもらい、彼女が逃げ出さないように見つつ自分が乗ってから鍵を受けとる。
おどおどとしていたが嫌ではないらしい。普通にかわいいな。
何となく鍵を受けとる際に触れた指先を軽く握れば彼女は羞恥で真っ赤にし緊張のしすぎか体を固くする。
彼女の一喜一憂が実に初々しくて可愛かった。すぐに手を離したが恥ずかしがった表情のまま固まっている彼女は真っ直ぐに俺を見る。
実年齢は知らないが俺の年齢が三十を過ぎているので可愛いと思うことが犯罪ではないことを祈ろう。
面白半分にシートベルトを付けてあげれば自分でやろうと動き出すが俺と手が少し触れただけで再度固まりもう首まで真っ赤になっていた。
思わずその頬に触れてみれば非常に熱い。赤くなる前の事実を知らなければ風邪でもひいたのかと聞いていただろう。
逃げ出される前に狼狽えている彼女をそのまま車を出せばようやくして事態に気づいたようだ。
しかし車は走り出しているので彼女は大人しく沈黙。顔がにやけてしまったのは仕方がないではないか。
すまん。なんだか彼女をからかうのが凄く楽しい。
今から逃げ出されても困るのでこのまま警戒されないためにも予約を入れておいた行き付けのカフェを説明してそこに行く。
ここは普通のどこにでもあるような洋風の店構えのカフェだが個室に入るとレストランのようなきらびやかだが落ち着いた雰囲気があり予約しか利用できない。
個室になれば値段もほんの少し奮発するぐらいで女性に人気が高い。もちろん少しセレブ感を味わいたい男性にも利用者は多い。俺も仕事をやりきった時にご褒美としてよくここに来る。
変にメルヘンでもないので男でも入りやすいのがいい。何よりコーヒーがうまい。カクテルが多いがワインもなかなかのものだ。
車もスムーズに行けたので予定通り着いた。固まってしまった彼女をエスコートすればガチガチに体を強ばらせてしまったが抵抗はない。
そのまま小さくて柔らかい手を握りながら店内に入り名前を告げて個室に入った。誘導しないと動きそうにないのでそのまま流れで隣に座らせてメニュー表を前に差し出せばようやく弾けるように狼狽え始める。
……ん?俺はなぜここまで接待をしているのだろうか。
「こ、ここは、お高いのでは?」
「それほどでもない。普通のカフェだ」
「そ、そうなのですか?」
「まあ、個室利用でほんの少し高いだけだ。今日は前のお詫びなので遠慮なく食べてくれ」
「お詫びだなんて。お言葉もいただきましたし大藤課長はもう気にすることはありません」
ああ、やはり声なのか。それとも空気なのだろうか。隣に座ったことによりふわりと香る花の匂いがくすぐり落ち着いた雰囲気になる。
「気にする。君は謝っても受け止めずに逃げるだろう」
「逃げてなど!」
「そんなに詫びの謝罪は煩わしかったか?申し訳なかったと謝罪すれば目も合わせずに狼狽え身ぶりで壁を作りさっさと離れていくのに」
「それは……その、大藤課長に謝罪していただくなんてこちらが申し訳ないくらいで」
「しかし悪いのは俺だ。会社で君を抱き枕にした事で俺と噂になっている事は知っている。回りから冷やかされているとも」
「それは――仕方がありません。噂をすべて消すことは出来ませんし、今は忙しくて噂で憂さ晴らししているようなものですから」
「それを踏まえて謝罪しているんだがな。今日はここを奢ることで清算してしてくれ。どうも口だけの謝罪では受け取ってもらえないと分かったからな」
悪いです、と抗議するが俺もいつまで経っても受け取ってもらえない謝意にモヤモヤしているんだ。
ここを奢らせてくれたらもう謝らないし訪ねたりしないと断言すれば沈黙する。
席も何も言われなかったのでそのまま二人でメニューを覗きこみ店員を呼んだ。
個室なので少しかしこまった店員だ。それぞれにパスタとサラダ、コーヒーと飲みたそうにしていた彼女には強引に進めてピンクのカクテルを頼む。
ここで俺もようやく気づいたものだ。酔わせて食べる下心がないと断言できないが奴と正反対の大人しい彼女にひどく惹かれている事に。
そして会話が止まってしまったこの沈黙の間にもう一つ気づいた。
彼女の声も、雰囲気も、仕草も、絶対に奴に備わっていない。彼女が作り出す和やかな空気がすごく居心地がいい。
実際に喋っていない今が眠気に負けそうで、ハッと気づけば彼女が優しい問いかけで心配してくれる。
あの時は徹夜で疲れが溜まってさらに気を緩めていたからこそそのまま寝てしまったが今なら分かる。
奴みたいに『何してんの』と呆れるわけじゃない。本当に心配して伺ってくるので思わずまた抱え込みたくなった。
自分の体の変化はそれだけではない。あんなに仕事仕事で気を張っていたのに肩の力が抜けている。どれだけ俺は出会って間もない彼女に隣にいるだけでリラックスしているのだ。
眠気に襲われそうになったので会話で目を覚ますよう言葉を繋げ、それとなく欲しい情報を手に入れていく。
最初は戸惑いながら、しかし俺の質問や話題に嫌な顔をせずちゃんと答え次第につっかえる事なく食事を楽しむことができた。
小崎静華はこんな可愛い見た目で二十八歳らしい。奴よりかなり若く見えて二十四くらいだと思っていたのでこれは素直に驚いた。
素直に口にしてしまったので拗ねてしまったが髪や肌などを褒めるとはにかんで頬をまた染める。
趣味は園芸。一人で好きなように好きな花を育てるのが好きらしい。今はチューリップを咲かせるために土いじりをしているとか。
因みに好きな花は胡蝶蘭。母が願掛けに室内に飾っていて大事な物だと認識し、いつの間にか好きになったそうだ。
料理も来たが彼女はそのまま嬉しそうに語りだしているので聞くことにしよう。そうだ。なぜあの日、あんなに早く来ていたのだ?
と聞けば――初心の心を忘れないために新人同様で早く来てデスクを拭いたり掃除をしたりファックスを分けたりお茶出しをしたりと準備をするため早くから出勤していたらしい。
酔いが回ってきたのか本当の理由は一人でゆっくりとした時間を自分の好きなように堪能したくて行っているようだ。
いつも給湯室で一息ついてから行動を開始していたらしく、俺はその準備にかち合ったのだな。
先ほどから一人がいいと言っているのも気になったので聞いてみると、実家暮らしの彼女は後二年で見合いをさせられるらしくそれまで男はいないのかと毎日親に聞かれていたため朝が早いと言い訳をして一人でホッとできる時間を無理矢理に作っていたとか。
「なら、俺の彼女になってくれるか?」
「……え?」
「…………その、だな……君に、惹かれている」
居心地がよくてうっかり口が滑るのもどうなんだ。
するっと出てきた言葉はもう戻すことができない。何を言っているのだと自分でも思うため眼鏡が汚れていたフリをして磨き出す。
しかし彼女の隣でそんな俺の阿呆な行動をずっと続けていられるわけがなく――あえなく眼鏡を装着して彼女を見た。
身から出た錆。真っ赤な顔の彼女は膝に置かれた手を強く握りしめ涙目に葛藤していた。
「それは……同情ですか?大藤課長は先ほどの話を聞いて声をかけてくださったのですか?」
「違う」
勝手に動いた体はすぐ隣の彼女の手を取り拳を包む。小さく固くなった手はすっぽりと俺の手のひらに収まった。
「恥ずかしい話だがな、今こうして小崎と話していると眠い」
「はい?」
その反応はわかる。何を言ってんだこいつと思っているな?
しかし本当に居心地がいいんだ。たぶん静かな部屋に二人だけでいると寝る自信がある。それくらい安心していられるほど、あの一瞬で君に絆されているんだ。
簡単な男だと笑ってくれてもいい。だがハマってしまった俺は君を手放したくない!
これは開き直るしかないだろう。すでに諦めていた安眠がもらえるなら欲しい。奴ではない安らぎの女性が傍にいて欲しい。
俺の理想は穏やかな生活を家庭的な女性と共にゆるりと!老後は春の風に吹かれながら二人で縁側に並びお茶をすることだ!犬か猫がいてもよし!
「俺は中学からある理由でほぼ寝られない。薬を処方してもらった事もあったが体質的に無理なんだそうだ。だが小崎の傍にいると眠気が来てぐっすり寝られる」
「つまり、私は大藤課長の睡眠のための彼女ですか」
「確かにその理由は大きいだろう。あんなにぐっすり寝られたなんて約二十年ぶりだ。だが、気づいたんだ。俺の回りは嫌と言うほど化け物じみた濃い化粧の生物学的で分類する女だと。香水は臭いし集団になると混ざって悪臭でしかなく爪なんか凶器じゃないか。体を使って媚を売りに来る女なんて一人でも疲れるのになぜか集まりだしてキーキーうるさいし酷いときは罵り合いに手なんか出し始めたら髪が乱れて妖怪だぞ」
「……た、大変だったんですね。お疲れさまです」
どうしよう。こんな優しい言葉をかけてくる女性がかつていただろうか。
いや、いなかった。自分のことばかりで我が儘放題の奴が筆頭に俺をけしかけていたじゃないかっ!
「そうやって女性で労ってくれたのは小崎だけだぞ。小崎は――隣で座っているだけでホッとして安心できる」
「でも……私たちは三日前、ようやく知り合いました」
「部署が違うからな……顔は知っていてもこうして話すことはないだろう。なあ、一目惚れでは信用――できないか?」
自分が持つ顔の良さを使って少し低い位置にある彼女の顔を覗き込むように近づける。
少し揺れる瞳は熱を持つように潤み頬は上気して嫌ではないようだ。個室と言うこともありさらに獲物を捕獲するため暴走ぎみな俺は大胆な行動をする事にした。
いや、押し退けられないんで。手を押さえ込んでいて何を言うと突っ込まれそうだが「好きだ」という言葉とともに彼女の唇と合わせる。
最初は微かに触れるだけ。彼女の様子を見て押し退けられない事をいい事にもう一度キスをする。
告白してキスは手が早すぎるか?少し焦っている俺はこのままお持ち帰りして食べてしまいたいほどなんだが抵抗もせずに顔を真っ赤に固まってしまった彼女、静華を見てそのまま容易く篭落される自分に苦笑いだ。手放す気はない。
「好きだ。小崎は俺の事、嫌いか?」
「あ、の……私、どんくさいん、です」
「気にならない。むしろ俺がフォローする」
「そ、それに!あなたに釣り合う彼女になる自信が、なくて……」
「釣り合うだけの彼女はいらない。俺は小崎 静香がほしい」
先伸ばしは駄目だ。こっぴどく振られない限り俺は静華に付きまとう気がする。
しかし静華は数回は俺を見たりあっちこっちに視線を游がせて最終的に真っ赤な顔のまま消え入りそうな声で「好き」と答えてくれた。
一気にボルテージが上限の天井を突き破ったのは言うまでもない。ついでに興奮しているせいか眠気が別の意味で吹っ飛んだ。
個室をいい事に耳元で静華の名前を呼べば恥ずかしそうに頬に手を当てて頷いた彼女を抱き締めてつむじにキスを落とす。
さすがに会って三日で、しかもお詫びのために夕食をご馳走したのに速攻で静華を食べるのは憚れるので携帯番号とメアドを交換して家まで送った。
実家の場所を知ってしまったが他意はない。偶然だ。静華はもう少し警戒心を持った方がいいぞ。
本当はどこかホテルでしけこみたかった……しかし実家暮らしで奥ゆかしいと言える静華の性格を考えると朝帰りなんてどこか威厳のある立派な一軒家を見てしまったら最悪なパターンしか浮かばない。
静華が心配していたからな。今さっき恋人としてスタート地点に立ったんだ。焦ることはない。
明日の休日に早速デートだ。やっちまった、で焦るより確実に一つ一つクリアして身を固めた方が静華との交際の心配はそれほどでもないだろう。
とか言いつつ映画館で寝てしまった俺は馬鹿だろうな!ラブストーリーは山あり谷ありだが終始穏やかに感動へとストーリーが進み、さらに隣から癒しのオーラであえなく眠った。
彼女の方に凭れたのは奇跡だったが初デートで寝転けるのはどうなんだ、俺。静華が仕事疲れじゃないかと心配してきて居たたまれない。
だからって午後はのんびりしようと俺の部屋に招いてみたらはにかみながら頷かれて自制との戦いに挑戦しなければならないなんて誰が思うか。掃除しておいてよかった。
コーヒーを飲みながらソファーで小さくて柔らかい手を握ったりもう少し踏み込んだ話をしたりしていれば静華も実は……と切り出して前から好きだったのだと発覚。つまり両想い。
そうとなれば俺はキスで距離を縮めていちゃいちゃする。仕事とプライベートの俺が違うと言われたが今までの事もあって甘えたくなる性格だ。
こんな俺は嫌か?と聞けば誰も知らない静華と俺だけの秘密を共有できて嬉しいらしい。なんだこの可愛い生き物は!
ただ――残念な事にいちゃついていたら静華を抱えて寝ていた。彼女を放って何やってんだよ。
起きたときの静華の表情は慈愛に満ちていたぞ。自分といると眠くなるのは本当なのだと信じきって優しく微笑みながら
「これから、よろしくお願いします」
なんて言われたらよろしくするに決まってる。絶対に手放さないから覚悟してほしい。
それから社内ではなかなか会えずじまい。だが夜に夕食を作りに来てくれる事になり二人の時間をたっぷり過ごす。深夜には実家に返すと言う清いお付き合いだ。門限がないことがありがたい。
この時に安心して寝ないようにするのがまた難しい。仕事疲れで癒されて彼女を放置で寝るなんて出来るわけがない。いや出来ないだろう。
興奮していると眠気が負けるので起きていられるがソレはまあ俺が欲情している時だ。致し方がない。
毎日隠すのが大変である。色々と振りきれて暴走ぎみなので早く静華のご両親に公認の挨拶をしたいものだ。
俺、静華と出会ってから暴走しまくりだな……
話は通してあるらしいが母親と兄姉はよくても娘を溺愛している父親が難色を示しているとか。聞けば、姉の時も相当駄々をこねたらしい。
まだ恋人として日が浅いので挨拶はおいおいと二人で決めている。
ようやくお泊まり解禁と静華を食べたのはそれから半年……実に長かったものだ。これから俺は幸せを抱きながら寝られる。
それから一年――不眠は嘘のように解消され静華といると表情が緩んできている事に気づき共に喜んだ。特に体調が重怠さがなくなり健康になったのか仕事もさらに捗れば静華との営みも捗った。
おかげで子どもが出来たと知ると俺の両親は両手をあげて喜び、静華の方はお義父さんがかなり不貞腐れて孫の名前を決めてもらう事でご機嫌とりだ。
お義母さんにこっそり聞いた話だが実は小崎家の中で一番喜んでいたのはお義父さんだったらしい。さらに名前を決めれる事で俺たちが帰った後にやにやしながら毎日考えてくれているのだとか。
それを聞いて静華と二人で笑ってしまったのは仕方ないじゃないか。いつも少し渋い顔のお義父さんが実は喜んでいると知れば俺たちも嬉しい。
しかしこっちが忙しくなるにつれ奴も乗り込んで来てぎゃーぎゃー騒ぎだしたりかなり苛立ちが募った。
特に昔の写真を引っ張り出してきた部下が詰め寄ったり奴の手がかかった女どもが待ち伏せしたりとストレスに拍車がかかる。
蹴散らすのに手間取ったがなんとか片付けた。
社内で俺は『無血のサイボーグ』だったため割りと早く沈静化できたが静華の方は俺の仲をかき回す社員がいたりと大変だったな。
さらには静華が出産のため早めの寿退社した次の日から無表情が崩れてきた俺の愛人の座を狙う女どもに付きまとわれたり散々だった。
大変だったおかげでこうして二人の子宝に恵まれすくすくと育つ息子と娘を挟んで静華と川の字で寝るのは暖かくて穏やかで幸せだ。
「静華」
「なに?誠さん」
「幸せな夢を運んでくれて、ありがとう」
きょとんとしてすぐにふわりと微笑む静華は俺に片手を伸ばしてきた。それに指を絡めて繋ぐ。それだけで心が癒されて幸せの延長となる。
「夢の続きはこの子達と一緒に」
「ああ。幸せな夢は静華と子どもたちと共に」
起き上がって微笑む静華に満たされた愛のキスを送ろう。
あどけなく眠る我が子たちの額に俺たちの幸せを送ろう。
いつまでも幸せな夢が見られますように。そう、願って。
昼寝には最適なこの時間に、静華と共に子どもたちを囲んで微睡みに身を委ねる。