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序章 2 そして私のこと

2041.12.12.11時30分頃再加筆

スマホから読みにくかったのと、文章の言い回しを修正いたしました。

サクヤはごく普通の少女だった。


顔立ちは、この国の幼い子供がそうであるのと同じように、黒い瞳と少し低めの鼻、薄い唇。特徴を挙げろといわれても、小一時間悩むほど平凡で、集団の中に混じると見分けのつかない普通の子供だった。

スタイルなんかは、年端も行かない小娘であるため、論じようも無い。

平々凡々なその容姿の中で唯一、特筆すべき点としてあげるならば、その毛髪だけは誰にも負けず立派だった。

父親譲りの混じりけの無い真っ黒な髪を、枝毛の一本すら見つけることの出来ないほど丁寧に手入れし、大好きな母とおそろいに腰まで伸ばしたその姿は、平凡な顔立ちを補って余るほど、彼女に高貴な装いを与えていた。


性格は、とても穏やかで、おとなしい優しい子供だった。

争うことを得意とせず、どちらかといえば聞き手にまわる。積極性は足りないが、出るくいは打たれるという言葉もあるように、彼女の出自が特殊であるが故、このくらい引き気味のほうが何かと目はつけられないだろうと両親も安心していた。


そして、サクヤは勤勉であった。

父親の興味を持ったことへは一途すぎる情熱を傾ける癖と、母親の未知への探究心をやめられない癖の二つを、上手い具合に受け継いだ彼女は、何事へも懸命に取り組む真面目さを有していた。

どんなことでも一度自分で決めたことは決して投げ出したりしなかった。それが、自分にあっていようが無かろうが。自分の不得手な分野でも、効果が上がらなくても、懸命に解き組む姿は、大変いじらしく好ましく思えた。


サクヤは決して器用でなく、聡明でもなかったが、ソウジロウとカグヤは自分たちの子供を誇りに思っていた。

自分たちの結婚により、特殊な立場として娘を産んでしまった立場から、ずっと心のどこかに、「この子が自分たちのせいでいじめられでもしたらどうしよう」という思いを抱えていたが、そんな心配をよそに、サクヤは、両親の変人具合を調和するかのごとく、ものすごく平凡な娘として育っていった。

何も心配することのない、よくできた娘。


平凡に憧れる変人な両親は、娘の普通さを特に愛していた。


例えば近所の大きな犬を怖がって学校へ行きたくないと目に涙をためたり。

例えば学校のテストは国語は満点を取って帰るけど、算数のテストはいまいちだったり。

例えば体育の日はおなかが痛いと言って、仮病を使ったり。

例えば友達の誕生日のために、不器用なのを克服してビーズのアクセサリーをあくせくと作ったり。

他にも、年相応にいたずらが大好きなところだとか、お父さんと結婚するといって聞かないところだとか、小学生の女の子として、普通すぎるサクヤは、コミカドというとんでもない世界的会社の家系の一人娘として、極めて外れて(・・・)いた。しかし、そんなことこの夫婦の前では些細なことだった。



「別に私はサクヤに跡取りになって欲しいと思って生んだわけではないの」

「そうそう。サクヤはコミカドの一人娘なんかじゃなく、俺たち夫婦の長女だ。ただのいとしい娘だ。」



家なんてどうでもいい。

世襲制なんて、いまどき古い。

それがこの夫婦の考えだった。


だから、二人は何の理由も必要なく、娘を、サクヤを愛していた。

なんだって、自分たちの大事な大事な一人娘だからだ。親としてそれが当然であり、その点に関しては、この変人夫婦も世間との認識のずれは一切無かった。


サクヤも両親の愛を受け止めて、のびのびと育っていった。




◇ ◇ ◇




…、と、そんな風に、サクヤが両親の前ですら、自分を偽るようになったのはいつからだっただろうか。


目を閉じてそんなことを考えると、一番に思い浮かぶのは、悲しそうな、悔しそうな、なんともいえない辛そうな表情を浮かべる叔母ミドリの顔だった。

そうだ。きっかけは、ミドリだった。




あれはサクヤが小学校に入学する前のころだった。

父は自宅近くだったが工場に引きこもり気味で、母は世界中、国内中を商談を取るために駆けずり回る生活をしていた。古見門の経営が軌道に乗ったばかりで、二人には子供の面倒を見る暇なんて、いや、自分の時間すらとることができないほど忙しかった。それでも、自分のことを愛してくれているのは幼いながらに十分わかっていたし、サクヤも、懸命に働きどんどん先へと進む両親のことをとてもかっこいいと思っていた。素敵だと感じた。とても尊敬している。


だからサクヤは、小学校に上がるまで、彼らの兄夫婦であるコミカドの本家のほうでほとんどの時間を過ごした。専業主婦であったミドリが面倒を見てくれていた。




ソウイチとミドリの間には、二人の子供がいた。サクヤが5歳だった当時、高等学校に入学したばかりのハジメ兄様と一つ年下のヒスイである。

サクヤとヒスイは、年子であったため、すぐに仲良くなった。お転婆で泣き虫なお嬢様の彼女をその他家事で忙しいミドリの代わりに私が面倒を見ることもあった。まだ幼いながらも、ミドリの派手で美しい容姿を見事に遺伝子で受け継いだヒスイは、可憐で優雅で可愛らしく、サクヤはそんなお姫様な従姉妹のことを心のそこから愛し、そして自分が守らなければと思っていた。ヒスイもサクヤのことをとても好いてくれていた。



二人は本当の姉妹のように育った。

しっかり者で頭のよい姉と、お転婆で可愛らしい天真爛漫な妹。

しかし、ミドリは、その関係をどうしても許すことが出来なかった。



「どうしてサクヤちゃんはあんなに出来る子なのに、うちの子はだめなのかしら」

「しっかりしていて、落ち着きがあって。ヒスイは全然だめだわ。わがまましか言わない。」

「あの子はコミカドの令嬢よ。容姿だけじゃだめなのよ。しっかりした子に育てなきゃ。」




「そうじゃなきゃ、…全部、カグヤさんに取られてしまうわ……。」




そんな独り言をもらしたミドリは、ひどく疲れた顔をしていた。

予期せず、自分の耳にそんな言葉を入れてしまったサクヤは、いつもの明るい叔母からは想像できないその様子に、ひどく困惑した。





◇ ◇ ◇




「…あの、アラタさん。

…ミドリさんは、おかあさまのことがおきらいなのでしょうか?」


アラタは、幼い少女のその言葉に、驚いて顔を上げた。


アラタは、カグヤ・コミカドによって雇い入れられた、小見門の会長付きの秘書だった。会長、つまり、ソウジロウのことである。

発明に夢中になると時間も忘れて工場にこもる夫に痺れを切らし、妻は秘書と言う名のお目付け役を雇った。そんな経緯で雇われたアラタの仕事は多岐にわたり、ソウジロウのスケジュール管理、運転手、容姿にまったく気を使わない社会人としてまるでだめな男のため、スーツ選びから身の回りの世話まで何でもやった。人を信じすぎる癖のある自分の上司の代わりに、大事な商談は、相手方の身辺調査なんてことも引き受ける。もっぱら優秀なため、様々な雑用をこなしてしまったが故の結果だった。

忙しい両親の変わりに、一人娘のサクヤを寝かしつけるのもアラタの仕事の一つだった。ソウジロウやカグヤより彼女と接する時間の長いアラタは、いつも朗らかで周りを癒してくれるサクヤの悲しそうな表情にぎょっとした。



「お嬢様。何を聴いたかは存じ上げませんが、奥様とミドリ様は昔からとても仲がよろしいんですよ。」


だから、何の心配もいりません。お嬢様の勘違いですよ。



優しい声色でなだめるようにそう言い、ベッドにもぐりこんだ彼女の頭をなでながら、アラタは、無駄にプライドが高い典型的な貴婦人である雇い主の義理の姉を思い浮かべ、心の中でそっとため息を吐いた。


サクヤがミドリから何を言われたのか、大体の見当はついた。いや、聡いサクヤは直接言われずとも気がついたのかもしれない。

ミドリが、最近、カグヤのことを疎ましく思っていることに。




言うなればただの嫉妬だった。

ミドリは、一般家庭の長女からコミカド流通の社長婦人となり、跡取りとして男児も生んで、長女も生まれ、小さい会社ながらも家族仲良く、何の不安も無く幸せに暮らしていた。高校の同級生からは羨ましがられ、社交界でも見た目のよさと夫との仲睦まじさから理想の夫婦として心地よい視線を浴び続けていた。

彼女の平穏を断ち切ったのは、ソウジロウ・コミカドだった。自分がソウイチと出会った二十年以上前から知っているあまり出来のよくない、夫と比べると劣っていた義弟。それがいまさらになって、自分の愛する夫より大きな会社を持ち、華族の美しい嫁を取ったことに無性に腹が立った。

そして何より、そんな義弟の台頭によって、夫が哀れみの目で見られることが一番彼女のプライドを傷つけた。

懐の大きい夫は、自分の会社を守るという使命をしっかりと持ち、かつ、弟を心のそこから愛していたため、そんな周りの視線も気にすることなんてなかった。しかし、ミドリはだめだった。元来の負けん気の強さが、彼女の行き場の無い感情を突き動かす。そして、向かった矛先は、可愛がっていた(・・)義理の妹だった。


世間知らずのお嬢様。いつも自分のことを「お義姉さま」と嬉しそうに追いかけてくれた、愛しい義妹。

自分を心の底から慕ってくれていた彼女が、いつの間にか自分よりずっと快活に社会に出て、ソウジロウのために活き活きと働くその姿に、ミドリのほうがカグヤを羨むようになっていた。

片や国内随一の企業のキャリアウーマン。片や子育てに疲れた専業主婦。

本当は恨みたくなかった。カグヤのことが大好きだった。

でも、カグヤが活躍すればするほど、そして、彼女の娘が、サクヤが彼女に似て育てば育つほど、わが身を振り返り、そして自分の平凡な娘の姿を見て、カグヤの事を恨まずにいられなかった。


コミカドの家庭内に仕事柄立ち入ることの多いアラタは、その複雑な事情が、手に取るようにわかってしまっていた。

月に一度の家族での食事会で、奥方たち二人が、年を経るごとにどんどん気まずくなっていくのが、広いリビングの端にいても、十分に伝わってきていたぐらいに、彼女たちの確執は深くなっているようだった。




「…?アラタさん…?どうか、なさいましたか?」

「ああ、えっと。いえ。何でもありませんよ、お嬢様。」


あまり長く意識を飛ばしすぎたか。

掛け布団から顔をのぞかせてこちらを伺うサクヤに、アラタは、不安を与えないよういつものように微笑んだ。


「とにかく、お嬢様は心配することなどありません」

「…そうで、しょうか…?」

「はい。でも、そうですね。もし、よろしければ、お嬢様の優しいお心でミドリ様をお助けして差し上げください」

「…?たすけ…?」




「ミドリ様は、いま少し心がお疲れになっているのです。だから奥様に少し辛く当たってしまうのかもしれませんね。」




これが、アラタの人生における最大の失言だった。

何の気なしに言ったことだった。間違いなくそれが事実であり、特に何かを意図した言葉ではなかった。

ただ、サクヤがいらぬ気を揉まぬことの無いよう、そして雇い主であるカグヤが陰口としても吐き出すことのできない義姉との確執をすこしだけミドリへの八つ当たりもこめて他人行儀に口を滑らした、それだけのことだった。


しかし、聡明すぎるサクヤは、父親の秘書のその発言をそうとは受け取らなかった。

彼の言葉から、やはり自分が感じたミドリのカグヤへの棘は勘違いでないことをはっきりと理解した。

そして、心優しい、いや、優しすぎるサクヤは、母親が理不尽に辛く当たられていることに対して可愛そうだと思う反面、カグヤにそう言わなければ自分を保つことができないミドリに対しても可愛そうだと思ってしまったのだ。


ミドリは心が疲れているとアラタは言った。

どうして?お母さまが働いているのを見るのが辛いのかしら?ミドリさんもヒスイが生まれるまでソウイチ叔父さまの会社で秘書をやっていたと聞いたことがあるわ。もしかして、ミドリさんもお母さまのように働きたいのかしら?

それともお父さまのことかしら?お父さまは優しくて、気が弱いけど、時々空気が読めないわ。それでミドリさんを傷つけたことがあるのかしら。でも、ソウイチ叔父さまはお父さまに甘いから、きっと叔父さまが大好きなミドリさんは本人に当たることが出来なくてお母さまに意地悪をするのかもしれない。

サクヤは眠たい目をこすりながら、ミドリの心の中を推察する。その見当は、どれも的確で。もし声に出していたなら、あまりの正解ぶりにアラタは泡を吹いて倒れるかもしれない。でも、ありがたいことにも、そして、とても不幸なことにも、秘書はその場から暇をした後だった。


だから、彼は知らない。極めて論理的でそれでいて子供であるためにに欠けていた、不安定な思考の元、この天才的に聡い少女が出した結論が、今後の人格形成に大きく関わる悲惨で自己犠牲のもと成り立つものだということに。




◇ ◇ ◇




その次の日から、サクヤは変わった。

どこが変わったかを明確に断定できる者は不幸なことに誰もいない。ずっと彼女を見続ける人物がいないことをいいことに、幼く頭のよい少女は、自分を作り変えた。周りから見て何の違和感もなく受け入れられることもすべて見越して。


「ヒスイはすごいね。」

「そ、そうかしら?」

「うん。わたしなんて、おさいほうもおりょうりもあんまりとくいじゃないし。ぶきようだからかな?」

「別に、特別なことじゃないわよ。サクヤはできないことにもずっとがんばるじゃない?」

「…うん。みんなよりきようじゃないから、がんばることしかできないから。どんくさいし。」


少しずつ完璧な敬語を、周りの子供たちに合わせて平易な言葉遣いに戻していった。

わざと不器用さを演出することで、自分は特別でないことを皆に見せた。


「今日はバレエのレッスンなの。明日はお琴。もう疲れちゃうわ。」

「わあ!すごい!こんどわたしの前でもみせて!」

「い、いいわよ?別に家での練習なんだから。ヒスイのためなんだから。サクヤのためなんかじゃないんだから!」

「うん!うれしい!ヒスイはわたしのじまんの妹だよ!」


お嬢様らしい習い事はすべてやめた。

移り気で面倒くさがりなヒスイが長続きするよう、自分には出来なかったからヒスイにはがんばって欲しいということを遠まわしに伝え続けた。

そして、常に言葉の端々に、自分のほうが下であることを刷り込んだ。



サクヤとヒスイの立場は逆転した。

努力家だが不器用な平凡な姉と、美しく溌剌とした立派なお嬢様の妹。


サクヤは、ミドリとカグヤの不仲をたった半年で解消して見せた。

何のあとくされも無く、ミドリとカグヤはもとの仲良しの義姉妹に戻った。

サクヤは仲良く二人で夕飯を作る彼女たちの後姿を見て、心の底から幸せを感じていた。




サクヤは、聡明すぎるが故、優しすぎるが故、自分を犠牲にしてミドリの心の傷を癒し、言葉のとおり、助けた(・・・)のだった。

彼女にはなんの負の感情も無い。嫉妬が、自分が、原因なら、自分を低く見せればいいだけだ。その程度の非感情的な動機で、動いただけだった。

別に、心のそこでミドリを哀れに思っても、ヒスイを特に馬鹿にしているわけでもない。



「だって、私は平凡だもの。」



平凡になりたかった変人たちから生まれた娘は、ありえない方向に捻じ曲がった変人だった。

自分が変わっていると理解しているだけ、ソウジロウとカグヤのほうがましだといっていい。

とてつもなく大人びた変わり者の天才少女の唯一といっていい欠点は、自己評価がとんでもなく低いことだった。


人の心の機微を悟るのがとてつもなく上手く、他人が欲している答えをベストなタイミングで用意してくる。何手先も読むことの出来る処世の天才は、他人というものをあまりに知らなかったために、自分が特別だと気がつくことができなかった。



だから、サクヤにとっては、自分が思っている自分の評価と、他人の評価をすり合わせただけにすぎなかったのだった。

自分が、他人が思うであろう平凡を少しだけ、何の悪気もなしに演じてみただけだった。





◇ ◇ ◇




尊敬する両親のために、愛するコミカドの家族のために、将来の古見門の繁栄のために、こんな自己犠牲で世の中が上手く回るのならば、それはなんて平和なのだろうか。こんな平凡な私が、この身を捧げるだけでいいのなら、これからも喜んで自分を偽り続けよう。


その誓いは、彼女の心の奥深くで神聖に執り行われた。

サクヤの初めての嘘に、そしてこれからも重ねられるそれに、気がつくことができるものは、まだこの楽園の中には現れない。


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