序章 1 まず初めに両親のこと
ソウジロウ・コミカドは、コミカド流通という貿易商の次男として、この世に生を受けた。
それなりに裕福な家庭だったが、それなりはそれなりで。それに、長男であるソウイチが、跡取りとして生まれたときから決まっていたため、ソウジロウはそれはのんきな幼少期を過ごしたそうな。
もともと、あまり勉学が得意ではなかったこともあり、また、口が回るほうでもなかったソウジロウは、商才なんてものは全く無く、コミカドの家の中でも煙たがられていた存在だったという。言うなれば、どこか抜けている、平凡なぼんくら息子だった。
それが逆転したのは、彼が技術系の大学を首席で卒業したときだった。
今まで平凡だと思っていた次男が、それなりに優秀だったことが判明したとき、病床に臥せっていた先代は涙して喜んだ。「これからは二人で協力して会社を支えていくように」そう残して息を引き取った先代をベッドの横の一番近い位置で見届けながら、しかし、最後まで、ソウジロウは、実父のその言葉が理解できなかった。
「兄さんは昔から4代目を期待されて育って、そのための勉強だって山ほどしてきた。」
「でも、俺は経営学なんてさっぱりだし、人付き合いも得意じゃない。」
「父さんと兄さんが今までがんばってきた家を自分の不慣れな失敗で潰すわけにはいかないさ。」
ソウジロウは自分の得手不得手をわきまえていた。家業は自分には向かない。決して僻みではなく、心の底から尊敬する兄の邪魔にはなりたくないという本心だった。
兄弟の仲は決して悪くは無かった。ソウイチは、ソウジロウの本心を汲んでその言葉を受け取った。
勤勉でしっかり者の兄とマイペースでどこか憎めない弟。
兄は愛する弟に、自分の好きな道に進むよう諭した。
そして、弟は技術者、発明家の道へと踏み出した。ソウジロウはその道で天才になった。
経営の才能は全く持ってなかったが、ものづくりにおいて彼の右に出るものは誰一人いなかった。
資源的に弱小国であるこのヤマト国を世界一の技術大国へとのし上げ、貿易大国、経済大国へと変貌させたのは、紛れも無く、ソウジロウ・コミカド、その人だった。
◇ ◇ ◇
カグヤ・コミカド、旧名カグヤ・ヒガシノミヤは、ヤマトの王家である帝の家柄の分家に席を連ねる華族、ヒガシノミヤ家の一人娘として生まれた。
王家、といっても、このヤマト国は数百年前に共和制へと移行した民主国家であり、帝に政治的権力は全く無い。本家の当主である皇だけが、他国の王族との皇室外交の窓口として、政府から身分が与えられている程度である。
しかし、腐っても王族。権力は無かろうともプライドだけは高く、身分が保証されているわけではないのに、そのほとんどが勤労の義務を果たそうとしないのだ。
カグヤの実家、ヒガシノミヤもそんな家の一つだった。
京に持つ、広大な土地を資産運用しながら、高等遊民としてその日暮を満喫する。様々な地元企業から賄賂を受け取りながら、何の先のことも考えずに笑って暮らす両親、一族を見て、カグヤは子供ながらに危機感を感じていた。
「カグヤは普通の生活がしとうございます。」
外の世界も何も知らない小娘が何を知ったようなことを。大人たちはそう言って、幼い少女の決意をあざ笑った。
しかし、それでもカグヤは、自分の親族がしていることを、決して正しいと思えなかった。
彼女は、齢10歳にして、一族から変わり者のレッテルを貼られ、自分でも自分のことを変人だと思いながらも、ただひたすらに、普通であることを望み続けた。
姓を隠し、公立の小学校へ通った。
毎朝、自宅の門の前へとつけられる、リムジンの目を掻い潜り、バスと電車を乗り継いで、学校へと通い続けた。
普通の友達が出来た。初めてのショッピングも、お泊り会も、恋バナも楽しかった。
中学校へと進んだ。高校は、近所の進学校に行くことで、過保護な家の使用人たちとの紛争に終止符を打った。
初めて部活動をした。料理部で、指に切り傷を毎日つけながらも家庭料理が作れるようになった。
バイトをした。地元のファッションブランドの広告モデルをした。隣町の男子校の人から月一で告白されるようになった。もちろん断り続けた。
ためたお金で大学は京から離れると決めていた。
18歳になった。カグヤは、置手紙を一つ残し、家を出た。予備で受けた近所の私立の大学をフェイクにして、東都の国立の法学部へと誰にも知られないままに入学した。
◇ ◇ ◇
そこで二人は運命の出会いを果たす。
特許関係の雑務で知り合いの伝手をたどり、徹夜二日目のぼろぼろな作業着でやってきた男は、キャンパスのマドンナに一目ぼれをした。
平凡を願う変人のお嬢様は本物の変人に心を奪われた。
似たもの同士恋に落ちた二人は、次の週には彼女が彼の工場に押しかけるように同棲を始め、半年後にはもう籍を入れていた。
自分の腕だけで、国のトップに上り詰めた男に、憧れた技術者は山ほどいた。何十人、何百人もの若く優秀な技師が彼の元で学びたい、弟子になりたいと言って、部下になった。口下手だが、決して無表情、強面という前近代の棟梁とは似ても似つかない、得意分野の機械いじり以外はどこか抜けていて、人のいいソウジロウは誰からも愛されていた。
その美貌、社交性、そしてしっかり者の性格と、その頭脳。経営者として申し分の無い才女は、大学時代を通して、優秀な、優秀すぎる人脈を築きに築いた。すべては愛する夫のために。夫が日本で、いや、世界で認められるように。
互いが足りない部分を補って、上手くはまったその歯車は、軋む音一つ立てずに、くるりくるりと回る。
そうして出来上がった株式会社『古見門』はヤマト国一の電子機器メーカーとして、一代で巨万の富を築き上げた。
◇ ◇ ◇
そんな二人の間に第一子が生まれたのは、古見門の設立が構想段階にあり、しかもまだ、カグヤが20歳、大学に在籍している最中だった。
結婚はしていたため、事実上は全く問題は無かったが、突然のことに周囲は頭を抱えた。
ヒガシノミヤに関しては絶縁状態であり、それ以前の問題であったため、この際置いておくが、コミカド、つまりソウジロウの兄、ソウイチは、弟の不始末にかつて無いほど悩まされた。
マイペースだマイペースだと思っていたが、これほどまでにわが道を行くのかと。
旧家のヒガシノミヤのお嬢様をどこからさらってきたのかと目が飛び出るほど驚き、追求したのがつい先日。そして、今度は子供だ。
「兄さんだって、ミドリ義姉さんとハジメをつくったのはお互い二十歳のときじゃないか。」
「俺とミドリは高校からの付き合いで、18から婚約者関係だっただろ!?」
「俺とカグヤさんは結婚もしてる」
「相手方への了解が得られる前に役所に言った奴が何を言うか!!!」
久々の兄弟喧嘩だった。
本家のリビングが荒れに荒れた。
ソウイチの嫁であるミドリもその息子であるハジメも、ソウジロウのゴーイングマイウェイっぷりに振り回される我が家の家長を見て、苦笑しか出来なかった。
その騒動を止めたのは、産婦人科からけろりとした顔で帰ってきたカグヤであり、彼女はひどく幸せそうにこう言った。
「陣痛が来たら学校からタクシーで病院に行って生みます。それから保育所が見つかるまで休学します。」
たくましすぎるその言葉に、ソウイチは世のお嬢様が皆こうであってくれるなと祈った。
ミドリは出産の先輩として、義妹を支えるのは自分だと、張り切った。
ソウジロウは、カグヤらしい発言と、堂々と自分の子供を生んでくれると宣言してくれたことに、心の底から喜びがあふれた。
そうして、でこぼこで、似た者同士の夫婦の間に一人娘が生まれた。
名前を、サクヤ・コミカドと言う。
それが、私の名前だ。