時間軸
森を抜け、荒れ地を歩き、また森を歩き、【魔法】で作ったテントで眠り、また歩いた。
食事はもちろん【魔法】。なぜか出てくるものはない。黒いものすべてが私の中で消化いるかと思うと気持ち悪くなったが、体に変調はないから大げさに騒ぐ気もしない。
「カアサ、ほんとにほんとにほんとのところ、あとどれくらい?」
「あとすこしだ」
「あんたのあとすこしはあてにならないのよ!」
「正確な距離は土地が変化している可能性があるから進言することはできない。わかるだろ、ギンリ」
「あとすこし、以外のボキャブラリーを身に付けろと云っているのよ!」
「必要か?」
「必要よ」
「なら、私を作った者の手落ちだな」
「……そうね」
いくらカアサを責めても無駄そうだった。
体の節々が痛い。呼吸も荒い。あと、服が臭い。
カアサに云ったら【魔法】で服を作ればいい、と解決策にならないこと返された。
黒く染まった腕にも、黒いテントにも慣れたけれど、服はさすがに嫌だ。いつかほろりと砂のように崩れてしまいそうなのが、特に嫌だ。
歩き続けていると、ふと獣道が普通の道幅になってきた。
こんな奥まった森のところで、道ができている。なんだかぞっとした。
すると、カアサがくるくると周りはじめた。
「ほら、ギンリ。見てみるがいい。道がきちんとしてきただろう。これは時間軸が近い証拠だ」
「……作為を感じるわ」
「当たり前だろう。作られたのだから」
カアサはそう云ってない胸を張るが、よくわからない。前にも感じた嫌な感覚が強くなった。
「あともうすこしだ。ギンリ」
「頑張るわ」
それ以外答えようがない。
しかし、カアサの言うとおり進むごとに道はどんどん整備されていく。
終わりが近い。そう思うと、心が燃えるようで自然と足に力が入る。
もうすこし、もうすこし。いつもの日常までもうすこし。
相変わらず周囲は森だが、道はもう平坦で歩くのに何の苦もない。
「ついに来たわね! カアサ!」
「急に元気になったな」
浮かれる私をよそに、カアサは淡白だ。
あとすこし、あとすこし、と呪文のように心で唱えながら、意気揚々と歩く。
体はもうボロボロだけど、あとすこしなら大丈夫。
「嬉しそうだな、ギンリ」
「当ったり前でしょ」
「君の云う当たり前が、私の当たり前と違う可能性を考えたほうがいい。と、前にギンリ、君が云ってなかったか?」
「ああ、似たようなことは云ったわね」
「まったく、君は不合理だ」
「あんたのほうが不合理よ。まったく、しょうがないんだから」
思わず云い返すが、うきうきしているから言葉に刺が出ない。
「そういえば、時間軸ってどういうものなの?」
「停止に動けば停止に、再生に動けば再生に――」
「いや、外観」
「これから見るのだから必要ないだろう」
「あー、説明できないんだ」
「そういうことだ」
からかって云ったのに、あっさり頷かれてしまって肩透かしだった。
「見ればわかる。ギンリ」
「ふぅん」
大事なのは時間軸を再生に動かすことなのだから、外観なんてどうでもいいか。そう納得する。
足取りは疲れで軽くはならないけれど、心だけは軽い。自然と頬が緩むとカアサに「わかりやすい」と評された。
森の中を歩き続けていると、いきなり開けた場所に出た。
そこは広場のような空間だった。
まるで、神様がここだけは木々を生やさないように、と決めたかのように広場はきれいに丸く、すくすく育った雑草ばかり。
精霊って、きっとこういうところにいるんだ、そう直感的に思う。あまりに人工的で、不可思議な場所。
あまりに唐突な出現に、口が「は?」の形で固まってしまった。
「着いたぞ。ギンリ」
カアサに云われても、ぴんと来ない。
それはどこをどう見たって、森の中にある不思議な広場でしかない。
「何、ここ?」
「時間軸のある場所だ。私達はそれを目指してきたことは自明だろう。何を云っている?」
「だって、だって! 何にもないじゃない!」
目を凝らしてみるけれど、時間軸に当たる何かがまったく見つからない。
「ある」
と、カアサは断言した。
「どこによ?!」
「ついて来い」
カアサはふよふよ浮きながら広場の中心へ飛んで行ってしまう。不思議な広場に及び腰ながら後ろを着いて行く。
中心のすこし前に来ると、カアサは空中でぴたりと静止した。
「ここだ」
「ここ?」
「触ってみるといい」
恐る恐るカアサに止まっている位置に手を伸ばす。いきなり指先にひやっ、とした何かが触れる。
指先を動かしていくと、確かにそこには何かがあるようだった。
「何、これ」
「時間軸だ。まずは認識できるようにプロセスを踏もうか」
「また【魔法】?」
「当たり前だろう」
「当たり前すぎてつまらないと思うわ」
云いながら、カアサに指示された通り、黒いものを粘着性のある砂に変化させ、広場の中心に撒いた。
「もっと上もだ」
「はいはい」
上へと粉を撒いていくと、時間軸の姿が見えはじめる。それは、ただの棒だった。
天上に突き刺さろうとしようとするかのような、ただただ長い棒。
粉の届かなかった上空にも続いているようだ。
「味気ない……」
思わず呟いた。
「いったい何を求めていたんだ。ギンリ」
「もっと豪奢なの……」
素直な感想を口にすると「まったく」とカアサにため息をつかれた。
「だって、プレートは金色の細工付だったじゃない!」
「動く可能性のあるプレートは華美に。動かない時間軸はシンプルに。合理的だろう」
そういうものなのだろうか。そういうものなのか。
ちょっと頭が混乱して、深呼吸をすることにした。
そして、もう一度自分の立場を考える。
大事なこと。忘れてはいけないこと。
すると、湧き出てきたのは怒り。
すぐに【魔法】で剣を作り、時間軸に斬りかかった。きぃん、と高い音。剥がれて舞う黒い粉。
腕が痛かったけれど、何度も何度も斬りつける。
「どうした?! ギンリ」
「全部こいつのせいじゃない!」
「落ち着け。ギンリ」
「あんたが動かなきゃこんなことにならなかったのよ!」
カアサが右往左往しているが、知ったことではない。世界が停止して、カアサに道案内してもらって、【魔法】で道を切り開いて。
全部が全部、こいつが動かなければ起こらなかったことだと思うと、どうしても怒りがわいた。
私の大事な日常を返せ。返せ。返せ。
私が一心不乱に剣で時間軸を打ち付けていると、カアサは何も云わなくなった。止められたところで、やめなかった。
しばらくすると手や腕がじんじんと痛くなり、息があがった。その場に座り込む。剣も消えた。
「終わったか。ギンリ」
カアサのことだから「時間軸を破壊しようとすることは、目的を忘れたとしか思えない暴挙だ」ぐらい云うかと思ったが、それ以上何も云って来なかった。
「………………そうね、終わったわ」
手も腕も体も痛い。それでも、すこしすっきりしていた。
「さあ、プロセスを踏もう。ギンリ」
「すこし休ませてくれない?」
「では、すこしだけ」
カアサは時間軸のまわりをくるくる回る。私が休んでいる間の時間つぶしでもしているのだろうか。
ぼんやりとそれを眺めていると「ありがとう」とぽつり、と声が落ちた。
「何か云ったかい? ギンリ」
「お礼を云ったの」
「礼など云わなくていい。私は私の役目を果たしているだけだ」
それでも、カアサがいたからここまで来られたのだ。口は悪いし、むかつくし、決していい性格ではないけれど、カアサの助けがなければ私は途方にくれるだけだった。
けれど、それももうすぐ終わる。
まだちょっと疲れていたけれど、勢いをつけて立ち上がる。
「で、次は何?」
「下準備だ」
カアサは時間軸からすこし離れたところへ飛んでいき、またぺたりと地面に張り付いた。
「ハエ……」
二回目でもそう思ってしまう。
「そんな感想はいらない。ここを掘れ。ギンリ」
「また?」
「根性のない勇者だな」
そうバカにされながら、【魔法】でスコップを作り、そこを掘り始める。
だいたい予想はしていたが、今度も掘り当てたのは金色のプレートだった。
前回とは違う細工がなされているが、その他は一緒のようだ。
「これも設計図?」
「そうだ。ギンリ。君は一度たりとも疑問に思っていないようだが、時間軸が再生に動けば、すべてのものが動き出す。その時、君はいったいどうやって帰るつもりだったんだい?」
「どう……って」
歩いて、と答えかけてはたと気づいた。
金色の毛をした獣に出会った。帰り道にもきっといる。それどころか、【魔法】で作った橋は消えてしまったし、設計図になるプレートもそこに置いてきてしまった。
「どうしよう?!」
時間軸を再生に戻す、それだけしか考えてなかった。
「私のバカ!」
思わず自分で自分を罵倒した。
だが、カアサは冷静に云う。
「君のようなバカのために私がいるんだ。忘れないでほしいね」
「……感謝するわ」
何だか癪だったが、素直に礼を云う。
「では、はじめようか。ギンリ。プレートを――」
「地面に置いて【魔法】を込めればいいんでしょ?」
「相変わらず君はプロセスを踏まないな。すこしは話を聞こうという態度を示しても――」
何だか面倒になったので、地面にプレートを置いた。近くに【魔法】でシートを作り、そこに座る。
あとは橋の時と同じように、指先でプレートに触れ力を込める。
ぶわん、と大量の黒い煙のようなものが立ち上る。
それは前と同じように糸状になり、歪んだ丸い形をとりはじめる。
出来上がったそれは、翼を痛めた鳥に似ていた。
羽が途中で曲がっていた。中心部は丸い形にへこんでいる、そこを囲うように柵があり、尻尾にあたる部分は長く伸び、ぴくぴくと動いていた。
作ってはみたものの、よくわからないものだった。
「あれ、何?」
「君に帰路を助けるものだ。実際の使い方はその時が来た時でいいだろう」
「じゃあ、何で作ったのよ」
「ギンリ。鞄を見てみるがいい」
云われた通り、鞄を見るとすっかりぺたんこになり、中を開ければ黒いものは底にわずかに残るだけ。
「時間軸を動かすにはそれすべてを使わなければならないかもしれない。だから、必要な分だけ最初に使用し、帰宅不能という最悪の事態を防いだわけだ」
「なるほど……ね」
先に説明してくれてもいい気もするが、帰る時のことすら考えてなかった私だ。確かに時間軸を戻すために全部使ってしまっていたかもしれない。
「頼るになるわね。カアサ」
「頼りになるように機能を搭載されたのだから当然だろう」
カアサがない胸を張るのを放っておき、時間軸に向き直る。
黒く染まったそれは、何度見てもただの棒のようだけど、これを再生に移動させればすべては終わるのだ。
「カアサ。どうすればいいの」
「【魔法】で時間軸を東の方向へ倒せ。ちなみに東はここから見て前だ」
「……簡単ねぇ……」
もっと派手なものを期待していたわけではなかったけれど、拍子抜けだ。
すっかり軽くなった鞄に手を触れ、たぶん、最後になるであろう【魔法】を使う。
倒せ。とカアサは云った。その時、私の中にあった発想は、ごくごく単純。手だ。
【魔法】で巨人の如き手を作る。やはり荒い布で織ったかのように糸のようなものがちらちら飛び出ていく。
結局、これが何なのかわからなかったな、とふと思う。
時間軸に手がかかる。東は私から見てこちら側。
巨大な手と自分の手をシンクロさせ、何もない空を掴む。不思議なもので、何も掴んでいないはずの手にも手応えが伝わってくる。
あとはこれを倒すだけ。
深呼吸をしてから、ぐい、と力を込めて時間軸を動かそうとする。
それは錆びているかのようにまったく動かない。まだ残っていた【魔法】の素を使い手をさらに大きくして、力をかける。黒く染まっていた腕も、肌色に戻る。
たぶん、これで本当に空っぽになった。
動かなかったらどうしよう、と思ったが時間軸は僅かだが倒れたように見えた。
ぎりり、ぎりり、と音を立て、時間軸は倒れていく。
ああ、やっと終わる。再生される。
すべてが、終わる。
かちり、とどこからが音がした。
途端、森はざわめきを取り戻し、鳥の声が狂ったように聞こえ出す。
森は生命力を取り戻す。
風が通り、ひときわ大きいざわめき。
今までずっと聞こえてなかった音。
自然と力が抜けて、そこに座り込む。それを見届けたように、巨大な手は砂のように溶けていく。
この島はまた再生したのだ。
「おめでとう。ギンリ」
カアサの声がして、ふいに目元が潤んだ。
泣く予定じゃなかった。そんなの勇者らしくないし、私らしくもないと思ったのに、押し寄せる波のような安堵から、どうしても涙がこぼれた。
「終わり……?」
「ああ、君は役目を全うした。喜ばしいことだ。ギンリ」
「よかったぁ……」
たぶん、ずっとどこかで不安だったのだ。カアサの云うことは本当か。すべてが停止した後、再び動きだすことはあるのか。ずっとずっと不安だった。
カアサしか頼るものがなくて、その言葉だけを信じてきたけれど、本当は不安だった。
でも、世界は音を取り戻し、すべてがいつもの島へと還っていく。
「よかったよぉ……カアサ……」
「まったく君は気障が激しい。すべては正常に進んだのだ。確かに喜ばしいが泣くほどことではないだろう」
「カアサにはきっとわかんないよ」
私の安堵とか、緊張していた気持ちとか、全部、カアサに理解してもらうことは難しいだろう。
それでも、カアサでよかったと思う。
「さあ、ギンリ。ここに長居は無用だ。もう森は安全ではない。獣がいつやってくるかわからない」
「うん、わかった」
その通りだ。
立ち上がると心が軽く、もう何も心配しなくていいのだと、感激する。
嬉しくて嬉しくて、カアサが人の姿をしていたのなら、きっと抱きついていたことだろう。
先ほど作った鳥に似た物に近づきながら、思わずスキップをした。