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出発

 やっぱり死なないか。何となくわかっていたが、叩いてもカアサは平気なようだった。そして、文句と一緒に【魔法】の使い方を褒められた。

 どうやら黒いこれは炎も氷も出せない。黒い液体のようなそれを変幻自在に变化させる【魔法】らしい。液体のようにもなり。固体のようにもなる。温度も変化する。幾つか試してみて、私はその特性をだいたい理解した。

 黒い液体で花を作るとカアサに「絵心はないようだな」と云われたので、とりあえずその花をぶつけた。

 驚くのは、自分の適用の早さだ。こんなことがはじまった時から、きっとどこかがおかしくなってしまっているのだ。でないと、気が狂ってしまう。いや、もしかしたら、もう狂っているのかもしれない。

「ギンリ。その【魔法】は有限だ。大事な時まで取っておくように」

「拾うわ」

 さきほど投げた花を拾い、鞄に戻そうとする。だが、それは私の手に触れた瞬間、砂のように散った。

「役目を終えたから消えたんだ」

「そう……」

 無駄なことをしてしまった。

「覚えておくがいい。一度【魔法】になったものは、戻らない」

「さっきヘドロになった時は戻ったじゃない」

「あれは役目を命じていなかったからだ」

 よくわからない。だから、聞いてみた。

「それって、大事なこと?」

「私にとってはどうでもいいことだ」

 なんだかすこし引っかかりつつも、そう、と頷いた。

「さあ、出発しようか」

 そうか。まだ旅ははじまっていないのか。

「そうだ、ギンリ。明確にしておこう。私の役目は時間軸が停止に動いた時、再生に戻す作業が円滑に行われるようサポートすることだ。ただし、それは強制ではない。君が再生するつもりがなく、この役目を放棄するというのならそれでまったく構わない。私がするべきは時間軸を再生したいと願うものの手助けをする。それだけだ」

「要は、島がこのままでもいいと?」

「ああ」

「そんなこと思うわけないじゃないっ! バカ!」

 力一杯怒鳴ってやった。こんな停止した世界なんていらない。日常が恋しい。父が母が祖母が、そしてジュンマが恋しい。今頃は港で魚を採っていたはずなんだ。こんな異常はいらない。

 教室を後にする前に、首飾りをジュンマの机に置いた。彼が「おなじー」と笑う、オレンジ色の首飾り。

 ちゃんと、帰ってくるからね。そう誓う。

「とっとと行くわよ! カアサ!」

「はじめてきちんと名前を呼んだな」

 そのセリフでこの異常を本当に認めてしまったので自覚した。ため息をつきながら、歩き出す。

「その時間軸とやらまで、どのくらいかかるの?」

「さあ」

「私をサポートするのがあんたの役目でしょ?」

「昔と地形も変わっている。それに、前の男は君のように幼くはなかった」

「だったら私を勇者に選ぶんじゃないわよ!」

 カアサは私の頭近くを周回する。

「私にわかることは、この島で勇者になる権利を持つのは君だけということだ」

「何よ、それ……」

 他の人になくて、私にあるもの。必死になって授業についていっている落ちこぼれの私にあるもの。

 カアサを睨む。

 ひとつだけ、私だけの特別があった。この脳がどうしても文字を認識しないこと。けれど、それが勇者に必要だというのは、おかしな話だ。

 勇者に必要なのは、知恵と勇気のはず。文字が読めないという足枷が、いったい何の役に立つと云うのか。

 停止した町を抜け、畑を抜け、見知らぬ土地へと足を踏み入れる。

 こんなところまで来たことはない。私の行動範囲は自分の足と、車輪のついた浮舟で行けるところまで。ジュンマがいつものこと以外のことを極端に嫌がるから、私もつい同じ日々を過ごす。

 遠出なんて、どのくらいぶりだろう。腿のあたりがじんじんとしている。

「その時間軸ってのは、どのへんにあるの?」

「私が前に案内した時は森の中だった」

「だったら、今もきっと森よ」

 カアサが進む方向へ着いて行く。

 どこに行くのかなんとなく予想がついてきた。ミドアクア森だ。ミーチアの発掘現場。

 ほんの十数年前までは未開の地で、そこにお宝が眠っていたなんて、誰も知らなかった森。

 ミドアクアは人の手が入っているからか、陰鬱した気配はなく、通り道もきちんと作られていた。新緑色の葉っぱが太陽に透けて、ガラスのような透明さで地面で光る。

 風が吹いても、木漏れ日は動かない。カアサに聞くと「止まっているから当然だろう」と呆れた声で云われた。

 本当に、この島のすべては止まっているようだ。途中、川を通りかかったがそれはまるでガラスのように、うねりや水しぶきそのままに停止していた。

 当然、鳥の声もしない。不気味だった。

 そして、たまに停止した人とすれ違う。ミーチアの発掘に関わる人々だろう。彼らの姿を見ると胸がずきんと痛んだ。

 大丈夫。大丈夫。そう云い聞かす。カアサは嫌なやつだけど、私に他に頼るものがない。カアサが悪いやつで、何か企んでいたとしても私にそれを看破する能力はない。

 だから、せめて信じる。時間軸ってなんだかわからないものがそれでもあって、それをどうにかすればこの停止した世界がまた動き出すって、信じる。

 気づくと、鞄の紐をぎゅっと握りしめていた。大きらいだった鞄なのには触っていると安心する。

 それが、最後の日常のかけら。

 ミーチアを発掘している人がまたひとり、視界に入る。一息ついたところだったのだろう。タオルで顔を拭きながら、空を見上げている。

 ずきん、と胸が痛む。それから意識をそらそうと私はカアサに話をふる。

「カアサのいた時って、ここらへんはどんな感じだったの?」

「私が前に出現した時のことを云っているのならば、特別変わりはない。前よりすこし寂れた感じはするがな」

「寂れた……」

 その言葉を反芻しながら、ポステの云っていたことを思い出す。言葉を持たなかったという、今は滅びた文明。いなくなった人々。

「カアサは昔の文明のことを知っているの?」

「難しいことを聞くじゃないか。君のいう昔の文明とやらがあったのが、私が前回活躍した時ということを証明するのは些か複雑で難解だ。そのことくらい察しがつかないものかな、ギンリ」

「むかつく」

 とりあえず、思ったままを口に出した。

「この森の中には昔の文明の遺跡があるの。それが使われていたかどうかくらい覚えてないの?」

「ああ、そういえば昔はもっとこの辺は開かれていて、そこで暮らしていた人もいたな」

「じゃあ、だいたい私の云うことは間違ってないじゃない」

「確実ではないだろう。まったく、君は乱暴だ」

「あんたよりは繊細よ」

「まったくもって理屈に合ってないよ。ギンリ」

「うっさい」

 理屈に合ってないというのならば、この事態が何よりも理屈に合っていない。

「しかし、前ほどではないがここにも人はいるみたいじゃないか」

 カアサがそう云うから、私は憎々しげに云う。

「ミーチアがあるからね」

「ミーチア?」

「鉱石よ。なんでも貴重なものらしいわよ」

「ミーチアね……」

 カアサは考えこむようにくるくると回る。その姿が何に似ているかと云えば、ハエに似ている。

 ただし、おそらく殺虫剤を散布したところで、カアサにダメージはないだろう。

「もしや、それは薄い紅色をしてないか?」

「よく知ってるじゃない」

「前に現れた時も発掘していた。文明によく利用されていたはずだ」

「嘘」

「私は嘘は云わない。そんな機能は備えられていない」

「…………変なの」

 ミーチアが昔の文明でも使われていたなんて。私の知らない先進技術とやらに使われているものを、昔の人も使っていた? 

 それじゃあ、まるで昔の文明のほうが栄えていたみたいじゃないか。

「どうやって使っていたの?」

「知らないな。そんなことを私は感知しない。必要ないからな」

「役立たず」

 世間話もまともにできないのか。という意味を込めて吐き捨ててやる。

「心外だ。私はきちんと君を道案内しているだろう」

「べーっだ」

 舌を出して馬鹿にしてやる。

「まったく、君は理解が足りない。この状況で頼るべきは私しかいないということをすこしは考えないのか」

「私を見捨てる気?」

「まさか。私は君と違って自分の役目を違えたりしない」

「じゃあ、いいじゃない」

 必要以上にカアサに対してあたりが強いのは自覚している。でも、こんな異常な世界に放り込まれて、対するものがカアサしかいない。協力すべきで頼るべきだとわかっている。わかってはいても、狂いそうになる心を制御するための、八つ当たりが止まらない。

 カアサが光でよかったと思う。じゃないと、たぶん今までに何度か殴っている。カアサは別に悪くない。ただ、暴れる心の相手もカアサしかいないのだ。

 会話が途切れ、また黙々と歩く。

 呼吸が荒くなる。

「焦ると途中でバテるぞ。ギンリ」

「うるさい」

「ギンリ。私たちは敵対する関係ではない。そのことくらい、理解できるだろう?」

「わかってるわよ」

「まったく。幼いな」

 そうよ。と心の中で頷く。幼いのよ。まだ学校に通っていて、大人ではなくて、字が読めないから苦い思いをして、まだまだなんだ。

 勇者になるには、足りてないことばかりなのよ。

「ギンリ。【魔法】を使うところまで来たぞ」

 物思いに沈んでいると、カアサから声がかかった。

 魔法? と首を傾げるとカアサはふわりふわりと回転する。

「見えるだろう? 崖だ」

「崖……」

 視線をあげると、確かにそこには崖があった。

 こんな奥深くまで来たことがなかったから知らなかった。

「高い……」

 呆然と呟く。反り立ったそれはどう考えたって登れるものではなかった。

「君は頭が悪いようだな。何のための【魔法】だと思っているんだ」

「つったって……」

「足場を作ればいいだろう」

 足場。しばらく考えているとカアサが苛立ったように私の眼前で激しく動いた。

「願え。望め。叶えろ。それ以外に方法はない」

「そんな云ったって……」

 視線を下に向けると、真っ黒に染まった腕が目に入る。考えろ。どうすればいいのか。何があればいいのか。

 深呼吸をひとつして、ゆっくりと崖に手をあてる。

 足場。出来る限り大きくて、安定していて、登り易い足場。

 鞄がもぞりと動いたかと思うと、崖から黒い液体が染み出す。それは半円の形になって固まった。

「それだけじゃ足りないだろう」

「わかってるわよ」

 黒い塊に足をのせ、感触を確かめる。硬い。次の足場の位置にあたりをつけ、イメージする。

 新しい半円ができたから、そこに足をかけた。

 何度ももぞもぞと鞄が動き、それの気持ち悪さを我慢しながら何度も何度もその作業を繰り返す。

 カアサは何も云わない。それが正直助かった。

 木登りはしたことはあるけれど、こんな崖ははじめてだ。嫌でも緊張して、喉が乾く。つばを飲み込むと、その音がいやに耳に響いた。

 絶対に下は見ない。下のことを想像しただけで足が震えそうになるから、絶対に下は見ない。

「いざとなったら、網を張るんだ。わかっているな、ギンリ」

「網って……」

 【魔法】を使うのもはじめてなのに、そんな咄嗟なことできるか。カアサを罵りたいのにその言葉すら出てこない。

「網だ。ギンリ」

「……そのイメージだけ、もらっとく」

 精一杯、そう答えて、また新しい足場を作っていく。大丈夫。大丈夫。

 ここで挫けたら、この島は停止したまま死んでしまう。焦らなくていい。この森で生きているものは何もない。邪魔するものは何もない。

 慎重に、慎重に、ゆっくり、ゆっくり。

 新しい足場を作って、手をかける。

 その瞬間だった。一瞬だけ思ってしまったのだ。これが、溶けたらどうしよう、って。

 ほんの一瞬だったのに、【魔法】は私の意思を尊重した。水のように手にかけた台が溶けた。そのまま焦らずにもう一回作ればよかった。なのに、驚いて体のバランスが崩れる。

 あ。

「網だ!」

 そう叫ぶカアサの声。落下する体。

 網。網。網。そのイメージだけを必死に作った。

 落ちる体を受け止めてくれる網。

 ふわん、と体が何かに触れる。崖からまるで蜘蛛の巣のようなものが飛び出して、私の体を受け止めていた。

 一息つく間もなく、カアサが喋りだした。

「まったく、君は不注意にもほどがある。別に私は君が死んだところで何の損失も被らないが、この島から勇者が損失するということの重大さについてはその小さな脳味噌にしかと刻んでおくべきだ、ギンリ」

 びっくりした。とてつもなくびっくりした。

 何か云い返そうと思っても、喉はひーひーと鳴るだけだった。

 現実を受け止めて、息が整うまでカアサはいかに私が危険なことをしたか演説していたが、右から左に聞き流し、呼吸が整うのを待つ。

 怖かった。とてつもなく怖かった。

 怖かったんだよ。

 そう自覚した瞬間、涙が一筋こぼれてひっくと喉が鳴った。

「泣いているのかい? ギンリ」

 無言で頷く。

「まったく、世話のかかる勇者だ」

「……怖かったんだよぉ」

 出てきた言葉の弱々しさに自分でも驚き、ひっく、とまた喉が鳴る。

「深呼吸をしよう、落ち着くんだ。現状は安定している。問題ない。だから大丈夫だ、ギンリ」

 カアサの言葉は聞こえているのに、ひっくひっくと喉が鳴る。ぽろぽろと涙が溢れる。

 こんなことしている場合じゃないのに。

 こんなところで泣いている場合じゃないのに。

 勇者なのに。どんなに足りなくても勇者なのに、私はこんなに弱い。

「ギンリ。聞こえているか。まずは呼吸を落ち着けるんだ。ほら、吐いて、吸って。ほら」

「だってぇ……」

「ほら、ギンリ。大丈夫だ。大丈夫だから泣き止むんだ。私がついているから、ほら」

 一生懸命、右へ左へ移動しながらカアサは言葉をかけてくる。

「ギンリ。ギンリ。大丈夫だ」

 しばらくそうやってあやされて、私はやっと落ち着いてくる。黒い蜘蛛の巣の上で次何をするべきか、やっと考えられるようになる。

「がんば……んないと」

 泣いている暇はないんだって。潤んだ目をこすって、崖を見上げた。

 もうすこしで頂上。

「ねえ、カアサ。これからって危険?」

「危険か否かは私が判断できることではないが、安全であることは保証できないな」

「そう」

「やめるかい? ギンリ」

 怖いな、と思った。素直にそう思った。勇者に必要な勇気なんてこの体どこを探したって見つかりそうになかった。

「……ううん、やめない」

 それでも、もう一度会いたい人がいる。笑いたい人がいる。いつもの日常に帰りたい、そう思った。

 蜘蛛の巣を板のように変化させ、立ち上がる。

「やめない」

 自分に云い聞かせ、また新しい足場を作る。

「そうか」カアサはそう云っただけだった。

 ゆっくり、慎重に。先ほどよりもっと集中して、足場を作り登っていく。

 怖くない。怖いけど怖くない。

 このままの現実のほうがよっぽど怖い。


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