はじまり
よく晴れた日の空の青。
太陽が海に沈む前の赤。
芽吹いたばかりの若葉の緑。
そして、私の首飾りについた石と同じ橙。
四色の羽を持つ鳥が真っ青な空を飛んでいく。
鳥の名はクア鳥。
かの鳥は祖先の魂が転生した姿だという。この島を見守るために大きな翼を持ち、私たちに存在を知らしめるために色鮮やかな体を手に入れた。そう、祖母に教えられた。
なら、きっとかの鳥は私のことを笑っているのだろう。自嘲気味にそう思う。
燦々と輝く太陽とは対照的に、私の心は重い。毎日がそうだ。朝起きて、顔を洗い、ご飯を食べる。出かける準備を整える。そこまではいい。けれど、最後に鞄を背負うとその重さが、そのまま心の重さに繋がってしまうのだ。
鞄の中には教科書が入っている。母が作ってくれた鞄は白い布地で丈夫でかわいらしい。でも、私はこの鞄が、たぶん、この世で一番きらいだ。
『学校』という制度が、この島、ジュウロ島できちんとした形になったのはつい三十年ほど前のこと。
祖母はよく、お前たちは恵まれている、と云う。私が子どもの頃は、ひたすらに毎日を生きていくだけで精一杯で、今日捕れた魚の数ばかり気にしていた、と。
ほんの一握りの、本当に一握りの村長やその取り巻きたちだけがしっかりと勉強をすることができ、私たち普通の人々はそれを聞きかじったり、近くの年配者が気まぐれに教えてくれる知識を覚えることしかできなかった、と。
私から見れば、今もその構図はそんなに変わってない。家柄とか血筋とかはあんまり精査されなくなったけれど、やっぱり優秀な人間は優遇されているし、結局、そういう人が長や大事な役職につく。
けれど、祖母が子どもの頃とは、状況が激変しているのは確かだ。
この島が変わりだしたのは外交と鉱脈のおかげだ、と学校ではくどいほどに教えてくれる。
一番近い島、リガミ島が精一杯の日々を送っていたジュウロ島に手を差し伸べた。援助をし、教育の重要性を説き、学校を設立させた。文字の読み書きをできる人間を増やし、他の島の言語も授業に組み込ませた。
だから、私たちは他の島と交渉することに成功し、現在では対等に外交できるようになった
父はリガミ島は手を差し伸べた見返りに、相当不利な条件で輸出入を押し付けてくる。あいつらは善人の顔をした悪人だ、俺たちはあいつらの奴隷じゃない、とお酒を飲むたびに憤っているけれど、私にはよくわからない。
今、この島にはたくさん他島の人間がやって来る。主な理由はミーチアと呼ばれる鉱石の発掘のためだ。何でも、現代技術には欠かせない、とても貴重でめずらしい鉱石らしい。
それがなければ、いくら識字率が上昇し、外交交渉ができたところで、ここまで劇的な変化は起こらなかっただろう。リガミ島の人間がミーチアの存在を教えてくれるまで、私たちの島には目ぼしい輸出品はなかったのだから。
酒くさい息を吐いている時の父いわく、ミーチアはリガミ島でも発掘できている。だが枯渇しかけている。だから、あいつらは最初からあの鉱脈が目当てだったんだ。最初から俺たちを自分たちの都合のいいように教育し、恩を着せ、ミーチアの利益をほとんど自分たちのものにする気だったんだ。
けどな、俺たちだってバカじゃない。だから、他の島の奴等にもミーチアを売り込んだ。その結果、多くの人間が競うようにジュウロ島に来て、この島は潤ったんだ。それでも、リガミ島の奴等は横柄だ! 傲慢だ! 暴君だ!
そこまでいくと、父はだいたい酒に潰されてしまう。
父の云うことはやっぱりよくわからない。
ただ、祖母が云う生きているだけで精一杯の時とは明らかに、価値観は変わってしまった。
今、偉いのは魚を多く捕れる人間ではない。森の中で多くの食物を捕れる人間でもない。日々生きていくために一生懸命に働く人間でもない。
偉いのは、多くの言語を操ることのできる人間だ。
ミーチアの鉱脈を場所を知り、それを他の島の人間にうまく売りつけられる人間。文字を書き、契約書を作り、他の島の人間がおかしなことをしないか監視し、お金を生み出す人間。
ミーチアが必要不可欠だという「現代技術」が具体的に何を指し示すか、私たち島民は知らない。たぶん、この先目にすることもない。
ミーチアの発掘だって、島民がしているのは場所の案内ややってくる人間の世話が主で、発掘技術については何も教えてくれない、らしい。あくまで土地を貸しているだけ。そのおかげで十分な収入は得られているが、ミーチアがなくなったらどうするのだ、と父は酒を飲みながらよく嘆いている。
絶対に言ってはならないことだけど、私はミーチアなんてなくなればいいと思っている。
私は、祖母と同じように生きていたかった。そうすれば、この鞄を持つこともなかった。こんな重さを経験することもなかった。
きらい、きらい、きらい。
土煙がたつ道を踏みしめながら、そう呟く。それでも、この歩みを止めないのは意地があるからだ。
他のものより頭ひとつ高い常緑樹を左に曲がり、私はいつもの場所へ向かう。学校はあの常緑樹を右へ曲がったところ。けれど、私には寄るところがある。
それぞれの家の敷地はそれぞれ石壁が区切られている。子どもでもあっさり越えられる程度の高さのそれは、侵入者を警戒するというより、ただの区切りだ。けれど、年々他の島の人間も増えて、きちんとした防衛が必要ではないだろうか、と心配する人もいる。
私は、この高さの石壁が好きだけどな、と思う。庭や家が見えて、なんとなくの生活が薫ってきて、一緒に生きているんだ、という感じがする。
大きな常緑樹を曲がって三つ目。青い屋根の家が目的地だ。もっと正確に云えば、その家の石壁。もっと云えば、その石壁に座っている少年。
ひょろ長い手足をぷらぷらと遊ばせている少年の名はジュンマ。同い年で幼なじみ。故に、一緒の学校に通っている。
近づくと、彼の橙色をした目がこちらを見て、綻んだ。
「ぎんりー」
そう私の名を呼ぶ。
同い年とは思えない舌足らずな発音に、無邪気な笑顔。
ジュンマは幼い頃からほとんど成長していない。背は伸びたし、喋る言葉も多くなった。それでも、彼には決定的な欠けがある。
この島にたまに生まれる『半分の子』
半分は人間。半分は精霊。森や海に存在する、祖先たちすら内包する「何者か」が彼の半分を占めている。だから、誰も彼を責めない。怒らない。
彼はずっと彼のまま、変わらない。
ジュンマはいつものように私の首飾りを指さし、そして次に自分の目を指し「おなじー」と笑う。
「うん」と私も頷く。
ジュンマがそのことについて何度も何度も笑うから、私はこの橙色の石がはめられた首飾りを外すタイミングを逃してしまった。
手を差し伸べると、ジュンマはぎゅっ、とそれを握り返す。背は私より随分高くなったのに、その手のぬくもりは変わらない。
私は彼の手を引いて歩き出す。半分の子であるジュンマは、一人で学校へ行けない。方向音痴なのだ。
それに、これがあるから私も学校へ行ける。彼を連れて行かなければ、と思うから、あのきらいな場所へ行ける。
何度も何度も思った。このまま、二人で迷子になってしまわない? と。半分の子であるジュンマを盾にすれば、きっと私は怒られない。だから、二人で学校から逃亡しよう、と。
だけど、できなかった。ジュンマは道を外れようとすると、今にも泣き出しそうな顔をしてか細い声で「え? え?」と繰り返すのだ。
あんな顔と声をされて、強行できるほど私の意志は強くなかった。
「ぎんりー、ぎんりー」
「何?」
「とりー」
楽しげにジュンマは空を指さす。家を出た時に見かけたクア鳥だろうか。色とりどりの羽を光にきらきらさせながらかの鳥は飛んでいる。
「ジュンマ、あれはクア鳥だよ」
「くあちょう?」
「そう、君のお仲間」
「なかま?」
「うん。たぶんね」
彼にこのことを教えるのは一体何回目だろうか。「なかまー」と間延びした声でジュンマは反芻する。けれど、きっと明日も同じことを云う。
ジュンマは覚えることだけしか覚えない。たぶん、それ以外のことは半分の子には必要ないことなのだ。精霊は、この島について知らないことが多いほうがいい。