第一章 虚無と紅蓮の祭壇にて 1
ヴァンパイア・パロールなどの、一連の作品の続編ですが。
他の話を読んでいない方も、楽しめるのではないかと思います。
……私は神の声が聴こえるのです。
信者達は、祈りによって、心の浄化を求める。
神の声を聞こうとして、彼らは祈祷に耳を傾けるのである。
世界中の、歴史中の、あらゆる苦痛と悲しみを彼女は背負っているのである。みな、彼女の言葉を聞きたがる。彼女は紅いローブのようなものを羽織り、狂気的な真言の一つ一つを告げていく。
ここは、社会的疎外者達の集まりだった。
どうしようもない程に、この世界に居場所を持てない者達が寄り添うように集まって出来た“クラスタ”だった。
†
その地は、動乱の跡だった。
今も、その混乱が続いている。
此処は、“神”を失った地なのだ。
住民達は、死んでしまった神の幻影を追い掛けながら、生きている。
神が欲しい、そう思いながら。
縋ろうとしている。
彼は、『教団』の調査の為、自ら、その地にやってきた。
「一体、俺達と彼らはどう違うのだろうか……?」
純粋な疑問。
それでも、彼は自らの組織の教祖を信じるしか道は無い。
瓦礫と化した宮殿へと赴く。
そこには、石像となった肉体が砕け散った一人の男があった。
石像は首が外れており、細身で美しい顔をしていた。下半身は完全に崩れている。
何処の宗教でも、善神と悪神は存在する。
この石像の男は所謂、悪神であると、この地の人々は言う。けれども、誰もこの悪神の像を破壊しようとする者はいない。むしろ、聖なるものであるかのように、皆、祈りを捧げている。
この地には裁きがあった。
次々と、この地の人々が、この悪神によって、石へと変えられていった。
そして、新たな神の使いとして、泥の中から怪物が現れようとした。
しかし、それは生まれなかった。
悪神を倒した名も無き英雄がいると聞く。
その英雄の姿を見た者は誰もいない。
だからこそ、きっと英雄もまた、神格化されていくのだろう。
人々は、皆、今、苦しんでいる。
みな、神の一部だった。神の血肉を分け与えられた者達だった。しかし、神を失ってしまい、神の血肉もまた、失われてしまった。その為、みな、引き離されてしまった神の肉体を求めるかのように、狂乱している。
幻覚、恐怖によって蝕まれ続けている。
おそらくは。
その血肉と呼ばれているものは、ドラッグの一種であったに違いない。
彼はそう踏んでいた。
それにしてもだ。
「あの石像。……いずれ、復活するぞ。……まだ、死んでいない。いつかまた、何らかの形で再生する。ああ……」
また、ここで狂的なまでの祭儀が執り行われるのだろう。だが、それは訪れた二人には関係の無い話だ。
彼は宮殿を離れた。
列車に乗る。
もう、何百年も前の技術で動いている。
彼は、ごとごとと揺れる列車に乗りながら、空を見た。
太陽が赤い。
美しい日の光が差し込んでいる。
こんな、地底のような空間にも、こんなものが煌いている。
しばらくして、列車を降りる。
彼は、丘陵へと向かった。
どうやら何らかの戦いがあった場所らしく、森が焼き尽くされている。
灰。
灰と、炭化した木々ばかりに埋め尽くされていた。
人々は此処に近付かない。色々な想像が飛び交っている。此処で、何があったのかと。
その中で。
黒ずんだ灰の中に、赤茶けた紫色をしている灰を見つけた。
違和感、この景色とは調和しないもの。
何を焼いたら、このような灰が生まれるのか。分からない。
彼は、持っている鞄の中から、瓶を取り出すと、それを可能な限り、採取した。
この街の調査も、これで終えようと思う。
そして、街の外へと向かった。
そこでは、一人の男が彼を待っていた。
白いマントを羽織って、白いタキシードを着て。赤白の格子模様の帽子を被った、がっしりとした体格の男。
彼は柔和な笑みを浮かべている。
そして、同時に、何処か泣いた後のような顔をしていた。
此処に入る際に、外にいる街の住民を説得して、街の門を開けて貰ったのは彼だ。
「お待ちしておりました、カイリ。どうでした?」
「クライ・フェイス。……、収穫は無かった。ただ、石像を見てきた。あれには、余り関わらない方がいい。近付くのも、どうかと思う」
「ああ、そうでしたか。私も興味があったのですが、なにぶん、私の仕事はですねえ。教団関係者の護衛と護送役。此処を離れるわけには行きませんからねえ」
と、何だか、つまらなさそうな顔をする。
そして、クライ・フェイスに瓶を渡した。
「何だと思う? これ」
泣き顔の男は、興味深そうに眺める。
「ロータスさまに見せてはどうですかねえ? あの人は、世界の真理を何でも知ってそうだから。このくらい」
二人は、教団へと帰る事にした。
†
そこは、一先ず、教団と呼ばれている。
教団というよりも、居場所の無い者達で集まったようなものだ。
教団は、打ち捨てられた幾つかのビルディングを改造して、一つの集落のように使っている。
この組織を統治しているのは、ロータスという名前の女だった。
彼女は、大抵、いつも赤か黒のドレスに身を包んでいる。
いつも、特定の場所にいるわけではないので、教団の住民達に彼女の居場所を聞きながら、二人はビルの中を歩く。
そして、二十分ほど掛けて、彼女のいる場所に辿り着いた。
そこは、真っ黒なカーテンに、真っ黒なカーペットといった、黒い部屋だった。彼女のお気に入りの場所の一つだ。それと合わせるように、今日は全身、黒尽くめのゆったりとしたローブのような服を纏っている。
今はまだ昼だが、夜の暗黒のように暗い。
彼女はその部屋の中央に鎮座して、静かに壁にもたれて眼を閉じている。
いつものように、瞑想に耽っているみたいだった。
扉には鍵が掛かっていない。
二人は慎重に、彼女の瞑想を妨げないように、瞑想の時間が終わるのを待つ。
ぱちり、と。
彼女は眼を開く。
「あら。カイリにクライ・フェイス。帰ったのね。おかえり」
彼女は童子のように無邪気な笑顔を見せる。
白い服に白赤の帽子、黒いマントを羽織った泣き顔の男と。
Tシャツにダメージ・ジーンズ、鎖の付いたリスト・バンドを嵌めた、薄い茶色い髪をしたカイリ。
二人は、罰の悪そうな顔をする。
「ロータスさま。“聖なる海溝”の調査を終えてきましたよ」
カイリは言った。
クライ・フェイスは帽子を直す。
ロータスと呼ばれた女は、ぽわぽわ、としたような笑顔のまま、二人にではなく、此処に存在しない、何かに語り掛けるように言う。
「空が暗黒に割れていて。雲が真っ黒。とてつもない、焼けた大地と、崩れてしまった空気。また視たの。世界が余りにも嘆き悲しんでいるって」
と、寂しげな口調で言う。
二人は顔を見合わせる。
彼女にしか見えない景色。それを見ている。
このロータスという女性にとって、世界の見え方が普通の人間と違う。
少なくとも、彼女はこの見え方を世界の本質だと言っている。
それは、余りにも絶対的な口調で。
まるで疑う事もせずに。
この世界に関して、説き伏せていく。
そう、此処は集団を意味する“クラスタ”と呼ばれている。
誰が最初に呼んだのか分からない。誰でもなかったのかもしれない。ひょっとすると、外の人間だったのかも。
クラスタは奇妙な人間達の集まりだ。
みんな、何処か奇妙さを抱えている。
その奇妙さを一言で言うと、世界中から疎外されてしまった者達、とでも言うべきか。
この世界、あるいは社会に居場所を見つけられなかった人間達の集まり。
そういった者達が、ある者は、居場所のみとして、ある者は世界に対する憎悪の拠り所として集まってくる。
此処が、カルト団体の本部みたいな見方をされる事も多い。
実際、クラスタの中で、ロータスを中心として、ピラミッド型の組織を為している。しかし、ロータス自身は、自らを崇拝する組織が存在している事に関心が無さそうに見えた。
カイリは、組織の中核を担う幹部の一人をしていた。
クライ・フェイスもそうだ。
クラスタのメンバーは、大体、三千人弱、人の出入りは激しいので、百名程度は人数がつねに変動している。みな、何処からやってきて、何処に出て行くのか分からない。
とにかく、この集落には、人が集まってくる。
みな、ロータスの教えを聞きに来る。
彼女自身はというと、自らが教祖であるという自覚は無い。
ただ、教団は存在する。教団を動かしている幹部も存在する。
教団は大きく、七つの階級に分かれている。ロータス本人が決めたわけではなく、幹部の一人が作った制度だ。
階級はそれぞれ、最上位の『白蓮』。上位第三階級の『久遠』『浄化』『滅界』、中位である『回廊』『兆し』と位が下がっていく。そして、下位として『導き子』と呼ばれる、クラスタの中でもっとも大きな人数を占める位が存在する。
何故、そのような制度になっているのかは、その方が、集落を維持しやすいからだと言う。本当の処は、分からない。制度を作った者は、既にこの世にいないからだ。
制度が何の為にあったのか、おそらくは、集落を何か権力的なものに仕立て上げようという意図があったのかもしれない。だが、現状、余りそれは機能していないように思えた。
こんな意見を述べる者もあった。敢えて、階級を作り出す事によって、教団が存在していると思い込みたい人間が存在する、階級制度を作った者は、その心理に答えたのだと。
真偽はやはり分からない。
カイリは四番目の階級である『滅界』を統治していた。
だが、その階層の、構成員の数すら把握していない。大体、九十名前後だと聞くが、よく分からない。
クライ・フェイスは十名しかいない、白蓮の中の一人だった。
主に、ロータスを守るボディー・ガードをしている。
何らかの“奇跡”を有しているらしいが、その力がどのようなものなのか、カイリも知らない。奇跡……、外の人間が主に“能力”や“魔法”と呼んでいるもの。
ロータスは、つねに理解不可能な雰囲気を持っていた。
この世界は邪悪であり、死の世界そのものだと言う。
カイリはそれに賛同する。
泣き顔の男も。
だから、彼女に付き従う。
二人とも、彼女に合わせて、部屋の中で瞑想に入る事にした。
不可視の神との対話の時間。
この世界の外側におそらくはいるであろう、何らかの神との。
その時間だけ、忘れられる。この世界が悪夢そのものである事に。
此処は、閉ざされた暗闇の世界。無垢な者達が閉ざされていく牢獄。
そうやって、此処の住民達は、世界を認識している。
だから、此処は砦なのだ。
外の、邪悪で悪意に満ちたものから身を守る為の砦。
「みんなみんな、死へと向かっていく。魂の死へと。みんな正しく生きるべきなのに、何故、こんなに狂った生き方に身を委ねるのかしら? 私はそれがとても悲しくて仕方が無いわ。ああ、神はいつか誕生する。私達はそれを待たなければならない」
ロータスは言う。
二人は苦笑する。
そして、少し、気鬱になる。
この世界もまた、出口が無いのかもしれないのだと。
†
ニアスは知己の友人に会う事にした。
夕方に繁盛する店だった。繁華街から少し離れた、寂れた場所にある。
ニアスは、そこでオレンジ・ジュースのカクテルを注文して、友人を待っていた。
店の内装は、全体的に乳白色をしており、椅子も机も黒檀で作られている。
壁には黄土色のタペストリーが掛けられている。
ニアスはこれまでの二十数年間の人生において、友人と呼べるものは少なかったが、彼女にだけは、ニアスの閉ざした心の何割かを吐き出す事が出来た。
今日は、いつもの黒いローブではなく、普通の水色のカットソーに、チノパンを穿いている。我ながら、ラフな格好過ぎるな、と思った。
二十分ほどして、友人は店の中に入ってきた。
眼鏡を掛けた女だ。
年は二十代後半といった処だろうか。
彼女の名前はマッド・ライトと言う。
ニアスに合わせたかのように、ラフなノーブランドの白いブラウスに、黒いズボンを穿いている。
「久しぶり。ニアス、どうしたの? 珍しいじゃない、連絡を寄越すなんて」
「ええ、久しぶりね。本当に元気していた?」
マッドは、コーヒーを注文する。
そして、何だか、陰鬱な顔をしているニアスを見て、彼女は少し声のトーンを落とす。
「どうしたの? また、身体の調子、悪くなったとか?」
「……そうね。あんまり体調は今でも良くない。マッド、あなたは最近、どうしているの?」
「えーと、私は。そうねぇ、新しく洋服屋さんでバイトを始めたくらいかな」
ニアスは笑う。
彼女には普通の生き方をして、幸せになって欲しいと。
「ニアスの方はどうしているの?」
「……そうね。自分探しかな」
それ以上、マッドはニアスの話に疑問を投げ掛けない。
それ以上は、聞いてはいけない領域。
その微細な領域を理解しているマッドは、確かに、ニアスの唯一の理解者だった。
†
宗教的なものをテーマに書きました。
数年前の作品です。
最近は冒頭の導入部に力を入れていますが、この時期は序盤は世界観に入り込みにくいかもしれません。