第五章 神の火は、淡く。 1
「神を信じるという事。僕はそれを重視しています」
「神、か。いるのか?」
ケルベロスは考える。
「いると思っています。というか、人間は信じるしかないと。この地上、自然。それらを創った大きな存在がいる筈です。だから、僕達に出来る事は、自分達は大きな神の被造物でしかなくて、正しい事を可能な限り、行っていくべきなんじゃないかって」
アーティは何やら、熱っぽく言った。
そこには、何処か攻撃性すら感じ取れる。
けれども、彼は自分の思想を信じているし、曲げるつもりもないみたいだった。
「死後の世界は在ると思うか?」
「在るかどうかは分からない。けれども、その存在を信じる事に意味があると思います」
アーティは力強く言った。
「人間はね、普通に生活出来るという状態が幸福だと思いますよ」
緑と青を基調とした服装の男は言う。
「幸福の在り方は。普通の生活をする事。それだけなんじゃないでしょうか。だから、その為には神が必要になるんだと思います。辛い事、苦しい事、悲しい事があっても。それを乗り越えて、あるいは視ないようにするのもいいかもしれない。出来るだけ、そんな人間が増えるべきだと思いますね。憎悪や殺意、自殺願望。それらはいつか乗り越えるべきものです。試練なんです。いつまでも留まってはいけない。そうですね、そういう状態も必要なのかもしれない。よりよく生きる為に。人間は意志の下によって、人間を赦せるのだと思うし。僕は誰だって、赦す事が出来ると思います。まず、何よりも光を愛する事。愛を愛する事。希望を持ち続ける事。太陽を仰ぎ見る事。自然を愛する事。それら全てが人間には必要だと思っています。勿論、殺人も自殺も本来ならば赦されるべきものではない。精神の暗い闇の中に、いつまでもいつまでもいるわけにはいかない。前に進まなければならないんですよ、成長こそが人間の人生だと思っている」
成長。
努力。
それらの中に、幸福があるのだと、彼は言う。
「人間には、神が必要なんです。神秘的なものが。自分達以上の存在が。僕はそれをみなに与えるべきだと思っていて。今の処は成功しています」
ケルベロスは、ただただ、彼の持論に聞き入るしかなかった。
「僕の下に来た者達。彼らは少しずつ、少しずつ。色々な事を覚えていっている。農作業、衣服の縫い方。建設作業。それらは素晴らしい事なんですよ。生きているんだ、彼らは。死の淵の中にいない。それはとても良い事なんじゃないでしょうか? 彼らは神様を信じている。大きな大地と、大きな天空。その中に、神様がいるんじゃないかって。僕は人間は、神を信じ続ける事によって生きている存在になれるんじゃないかって思っている」
ケルベロスは強く……。
溜め息を吐いた。
「そうなのか。俺達が、お前らをどうこうする資格は無いんだろうな」
「だから、協力し合いましょう」
アーティは真摯な眼差しだ。
しかし、取り残されたように。
ニアスは何だか、覚束ない。
違和感みたいなものを覚えている。
自分はどうするべきなのだろうか。分からない。
何をすればいいのか。
いや。そうなのだ。
ケルベロスは元々、説得に来たのだ。
彼らを始末しに来たわけじゃない。
「テロリストや犯罪者の問題。確かに分かっています。クラスタには確実にそんな人間が溜まっている。しかし、彼らをどうこうする事は不可能なのか。僕にはそうは思えない。彼らを排除するのは簡単だ。けれども、長い時間を掛けて、説得していけばいいのだと思います。人間を信じましょう。僕達の答えはそこにある」
彼もまた、悩んでいるみたいだった。
「たとえば、あのキマイラさんも分かってくれると思いますよ」
彼は凛然とした口調で言った。
ニアスは。
このケルベロスという男に。
好感を抱き始めていた。
不安定な立場に置かれているからだろう。
それは、少し。何だか。邪ささえある。
だからこそ、思ってしまうのは。
このアーティという男。腹が立つ。
先ほどから、ケルベロスは流されるままだ。その事に関して、凄く腹が立つ。
こいつは、一体、何様なんだと思ってしまう。
自分自身の衝動が抑えきれなくなりそうだ。
アーティ。
こいつに対する不快感が、何処かにある。
どう言えばいいのか分からないが。
「共存を考えましょう。争いの無い世界を。せめて、僕達の間だけでも争う事の無いように」
ケルベロスは頷いた。
あの猫顔の男。
彼に、ケルベロスはシンパシーを感じていた。何故だろう、過去の自分を見ているような。がむしゃらに何かを守ろうとした。
彼とは、また話したい。敵同士ではなく。
彼も、もしかしたら、アサイラムの仕事を手伝ってくれるのかもしれない。
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