第四章 レイアは夢を見る。 6
ビルの屋上。
レイアは腰を下ろし、脚を組んでいた。
彼女は首をこきりこきり、と鳴らしていた。
正直、彼女はこれまでの闘争の中で、敗北も多い。
しかし、自分の敗北に対して、余りこだわりは無かった。
「やはり、私がロータスを倒すべきなのでしょうね」
もう、フェンリルやケルベロス達は関係が無かった。
自分の意志の下、戦う。
このクラスタがこの世界において、どのように機能していて、どのような意味を持っていて。どのような善と悪の認識のされ方をしているのか。そんなものはどうでもいいし、余りにも興味が無い。
レイアは自分自身の為に戦い続けている。
それは誰かの為だとか、正義の為だとかじゃない。
自分が自分である為。
レイアは咄嗟に、ロータスに攻撃出来なかった。
それは、敵の策略を見抜いていたからだ。
攻撃出来ないだろう、と感じた。
だから、引いたのは、敗北なんかじゃない。
体勢を立て直しただけだ。
「でも。ただ、殴り倒して勝つ、という決着の付け方じゃ駄目ね。不快。何とかして、彼女の思想に勝たなければいけない。どうなのかしら? 勝敗とかあるのかしら?」
数十メートル先の地面を見下ろす。
そして、彼女はある人物を見つけた。
それ程、高く評価出来ないかもしれないが。……。
彼女は屋上から飛び降りた。
そして、そのまま壁を勢いよく蹴り付ける。
全身が、解放されていくかのよう。
数十メートル先の地面に着地する。
猫のような顔立ちの男。
ヴリトラは少し、驚いた顔で彼女を見ていた。
「少し、試したい事があるのだけれど」
彼女は言う。
「貴方はあの女達の側近なのかしら?」
ヴリトラはしどろもどろに状況を把握しようとする。
「え、ええ、そうですけど? 何か?」
「私と手合わせ願えないかしら? 勿論、断らないわよね?」
ヴリトラは少し、考える。
「ひょっとして、ロータスさまにお会いしたんですか?」
「ええ。不快だったわ」
ヴリトラは、少し。むっとなる。
そんな彼の感情を、彼女はまるで意に介していない。
「そうね。たとえば、キマイラだったらどう言うのかしら? 私は彼女程、合理的じゃないのよね。貴方と戦ってみようと思ったのは、そういう気分だったから。でも、ひょっとしたら、貴方を倒せば、ロータスを攻略する手段が見つかるかも」
彼女は淡々と、冷え切った声音で言う。
ヴリトラは呆けたような顔をしていた。
レイアは蔑むような顔になる。
「俺はあなたと戦う理由って無いですよ……」
ふうっ、と彼女は溜め息を吐いた。
「お馬鹿さんね。貴方は私を殺しておいた方がいいんじゃないの? だって、今からロータスを倒そうと思っているのよ。私は。となると、貴方は私を倒すべきなんじゃない?」
ぞぞっ、と何かが辺りを支配していくかのようだった。
ヴリトラの背筋に寒気が走る。
まるで、全身が氷結していくかのよう。
目の前にいる者を、他の人間と見てはならないのだと、ヴリトラは感じた。
いや、そもそも。
こいつは、本当に人間なのか? まるでそう思えない。……。
まだ昼過ぎだった筈だが。辺りに、暗い闇のようなものが広がっているかのようだった。
そう、彼女の全身から、暗黒の光のようなものが渦巻いているようだった。
鋭利な冷気が渦巻いている。
暗黒の翼。
凝縮された光に似ている。
空間が、裂けていくかのようだった。
「一応、聞いておくわ。貴方の能力、何てお名前?」
「ううっ。……『エウリノーム』。それが俺の力です」
「貴方は逃げ腰だけど、一応、言っておくわね」
彼女は人差し指を差し向ける。
「私を倒さないと。沢山、貴方が守るべき者って死ぬかもしれないわよ? 面倒臭いから、もう何人も始末しちゃったわよ。人間は脆いわね」
彼女はぞくりとするような笑顔で言った。
まるで、言葉がナイフのようだった。
ヴリトラは必死で、自分の中の恐怖と戦っていた。
……。……。
そうだ。
ケルベロスと和やかに話していたから、緊張が完全に解れていた。
少なくとも、こいつは、倒すべき敵なのだ。
どうやら、敵の側でも考え方が分裂しているらしい。
こいつは少なくとも、決して揺るがないだろう、問答無用で倒すべき相手。
負けられない相手。
しゅるしゅる、と荊の蔓が渦巻いていた。
どうやら、アーティの結界の位置を把握する為に、周囲に撒き散らしているみたいだった。
つまり、激突は避けられそうになかった。
アーティのライト・ブリンガーによって、ヴリトラを彼女の認識の外側に飛ばす事が出来ないという事だ。
「分かりました。俺はあなたを倒さなければならない」
「そう、その通り。さて、全力で戦って貰おうかしら」
ヴリトラは眼を閉じた。
全身の筋肉を弛緩させる。
地面に沢山の孔が広がっていくイメージ。
深淵の底。
底の中から、無数の怪物達が口を開こうとしていた。
それは沢山の口だけの怪物だった。
何者かを丸呑みし、噛み砕くだけの怪物。
ぎっしりと並んだ、四角い歯。獣のような尖った歯ではなく、人間のように四角い歯。
そんな歯が生えた口だけの怪物が、大量に地面から生え出してきた。
そいつらは、レイアを補足する。
「『リュミエール』は使わないつもりだったけど。どちらにせよ、意味が無いわね。私を認識しようがしまいが、無差別に攻撃してくるタイプか」
彼女は、自分とあの羊角の女の違いを考えていた。
たとえば、戦闘において。
彼女は敵をいたぶる趣味は無い。
全力で倒してしまえば、それでいい。
ヴリトラ相手にも、そうするつもりだった。しかし。
……ロータスの能力を見極めなければ、ならない。彼は何故、ロータスに従う? おそらくは、それが鍵なんじゃないかしら?
レイアは即座にヴリトラに接近していた。
そして、肩の力をすうっ、と抜く。
そして、軽く、顔面に拳を当てた。
ヴリトラの全身が、回転していく。
死なない程度の攻撃だった。
エウリノームの攻撃が、レイアを襲う。
口達は、次々に彼女へと襲い掛かった。
レイアは、すぐに背後へと飛んでいた。
立っていた場所が食い荒らされて、孔だらけになっていく。
怪物は物を食った後、直後に、風船でも膨らませるように体積を増加させていた。まるで、中で何かが破裂したかのように。おそらく、口の中を爆発させている。
ふしゅうぅぅぅぅ、と口から吐息を吐き出しながら、ヴリトラは眼の色を変えていた。
戦闘態勢に入っている。
言葉のやり取りなんかよりも、一度の拳の直撃によって、今は戦うべき時なのだ、と彼に教え諭したみたいだった。
エウリノーム。
それは、巨大な破壊の口だった。
エウリノームの口腔が、次々とクラスタのビルを飲み込んでいく。
圧倒的な破壊が渦を巻き始めた。
レイアは中々、ヴリトラ本体に辿り着けずにいた。
次々と、口達が、辺り一面を噛み砕き、飲み干している。
方陣を描くように、敵が近付けないようになっている。
「中々ね」
レイアは息を飲む。
戦うに値する敵だ、と認識を改めた。
こいつは、中々、強い。
「さて、どうしたものかしら」
少しだけ、高揚している。
純粋な決戦。
レイアは敵と戦ってはいない、むしろ、戦いとは自分自身の鏡なのだと考えている。自分で自分を超えたいという事。対戦相手との勝敗が、問題なのではない。
彼女は長く伸びた髪を触れる。
そして、髪の一部が荊の蔓へと変わっていき、周辺に枝のように伸びていく。
「美しくないのよね。アーティとかいう奴。純粋に戦いたいのに。彼の能力の外に行きたいものね。此処は窮屈。彼も住民を守りながら戦うのは、窮屈でしょうに」
むっ、と彼女は空を見上げる。
いつの間に、跳躍したのか。
ヴリトラは空を跳んでいた。
そして、彼女の下へ向かって、落下していく。
すうっ、と避ける。
乗っていたビルが、縦に裂けていく。
「あら。素晴らしいわね。巻き添えに興味が無いのかしら」
よい対戦相手だ。確信する。
バランスが崩れる。
ヴリトラは目の前に立っていた。
レイアは咄嗟に、拳を押し出した。
しかし、命中しない。それ処か。
ヴリトラの拳が深々と、彼女の顔面に突き立てられていた。
カウンターを決められた、という形になっていた。
衝撃の全てが、彼女の全身に伝わる。
そのまま、ヴリトラは頭に血液が上ったかのように、全力で彼女を殴り続けていた。
そのまま、二人は地面に向かって激突する。
レイアの顔面が、大地へ深々と沈んでいく。
ヴリトラは何度も、何度も、拳を振り下ろし続けていた。
大地は割け、地面に亀裂が伸び続ける。
大きな鉄骨の衝突のような、凄まじい打撃が彼女の顔面に振り下ろされ続ける。
何度も、何度も、渾身の拳は彼女の頭越しに、地面の岩盤を粉砕していく。
閃光が飛び散る。
ヴリトラの全身が浮いた。
彼の全身に拳の連撃が入れられる。
さながら、それは流星のようだった。夥しい光の粒のような。
ヴリトラは数十メートル先へと、吹っ飛ばされていく。
砂塵が舞う。
レイアは立ち上がる。
「やるじゃない、やっぱり、貴方は戦うに値する相手だったわ」
レイアはほぼ無傷の顔面を摩る。
そして、軽く血の混じった唾を吐いた。
そして、顔の埃を、ぱんぱん、と払い除けた。
服のドレスをさすって撫でる。ブーツの靴紐が解け掛かっていたので、直した。
それから。
十秒に満たない時間が経過した。
吹き飛ばした先から、何かが跳んできた。
ヴリトラは。
再び、超高速の速度で、レイアの下へと向かってきた。
その両腕は、異様に肥大化しており、その形相は鬼気迫っていた。
やはり、ダメージを与える度に、潜在意識で封じている力が解放されていく。
闘争本能。それが、この猫顔の男の本質なのだろう。
レイアは孤円を描くように、鮮やかな形で。拳を振り上げ、ヴリトラを殴り飛ばしていた。化け猫は、十数メートル、宙を飛んでいく。
殴った時に、空気が振動する。
ヴリトラは空中で旋回した後、全身を捻って、レイアの下へと落下していく。
彼女は周辺に荊の蔓を張り巡らせていく、飛んで避ける場所が無い。
迎え撃つしかなかった。
彼女は全身の力を抜く。
そして、拳を天空へと振り上げた。
レイアの拳と。
ヴリトラの拳が。
それぞれ、激突する。
レイアの全身が沈んだ。
ヴリトラの拳が裂けて、砕けていく。
猫顔の男は、全身を捻って、距離を置いた。
びき、びきっ、と拳の筋肉を弛緩させていく。
ヴリトラの顔面は、怒りにより修羅のような形相へと変化を遂げていた。
やはり、彼はダメージを与える度に、防衛本能を発動させて、力を引き出していく。
そういう体質なのだろうか。それが、精神のトリガーになっているのだろうか。
レイアは指を顎に置いた。
……ふーん。私にそのうち、届くのかしら?
レイアは再び、飛び跳ねて攻撃してくるヴリトラの顔面を吹っ飛ばしていた。
嫌な音を立てて、ヴリトラが再び、遠くへと飛んでいく。
あれは、顎の骨辺りでも、折れたかもしれない。……。
彼女は、薄ら笑いを浮かべる。
すぐさま。
ビッ、と何かが、在り得ない速度で飛んでくる。
レイアは咄嗟に拳を振り翳して、全てを払っていく。
どうやら、石飛礫のようだった。
ヴリトラは尖った石飛礫を、彼女へ向かって投げ付けてきている。
圧倒的な握力によって。
ヴリトラはコンクリートの地面を、紙屑のように、指先で引っ掻いて、抉り続けていた。まるで、猫が地面に爪でも突き立てるように、指先で地面を引っ掻き続けている。
それは、さながら散弾銃のような攻撃だった。
破片が壁に激突して、孔を穿っていく。
レイアも、どんどん本気になっていく。
こいつ相手ならば、全力で戦えるかもしれない。
自分の持っている力の全てを使い切れるかもしれない。
いつ以来だろうか、全力で戦ったのは。
全力を出すという事。自分自身の限界を超えられる好機だ。
凝縮している闇が濃くなっていく。
それは、ぱあっと砕け散って、光の粒へと変化していく。
肉体が濃厚に凝縮されていくような感覚。
意思の塊によって、築き上げられた肉体。
全身の細胞一つ一つが、存在し、実体として在るのだという感覚。
陶酔感。
力の意志。
更なる速度で、ヴリトラはまた仕掛けてきた。
既に、その速度は見切っていた。
相手が自分の限界を引き出そうとしているのと同じように、レイアもまた、自分自身の強さを全力で使おうとしている。
煮え滾るような鼓動。
空気の質が変わっていく。
濃縮されていくかのようだ。
速度はどんどん、刹那へと凝縮されていく。
空間を切り裂きかねない、エネルギーが周囲に満ちていく。
少しずつ、時間が止まっていくかのような感覚。
全身が浮遊しているかのようだ。
衝撃音が鳴り響き、旋風によって、空気が振動していく。
飛び掛ってくるヴリトラの。
胸の辺りに、重い拳を叩き込む。
肋骨の砕け散る音が聞こえる。
ヴリトラの口元が、三日月形に歪む。
レイアは殴った右腕を掴まれていた。
ヴリトラは自身の肉体を、命を、捨てるつもりで、攻撃してきていた。
そのままレイアの肉体が旋回し、地面へと勢いよく叩き付けられる。
カウンター。
残った左腕で、顔面をひたすらに殴り続けた。
けれども、ヴリトラは渾身の力で右腕を離さなかった。
周囲の空間が裂けていく。
大量の大口の怪物が、姿を現した。
レイアの頭や腹などを喰らい尽くそうと、這い出してきた。
気付くと。
ヴリトラは右腕の感触が無い。
見ると。右腕がぐしゃぐしゃにへし折れていた。
ヴリトラは眼を見開く。
無理やり、引き抜いたのだろうか。…………。
レイアは、彼から距離を離していく。
次々と、空間に亀裂が走り、怪物達が這い出してくる。
……もう、ロータスどころじゃなくなっているわね。面白いわ。ロータスを意識して戦う余裕が無くなってきている。ふふっ。
レイアは地面に蹲る。
「さて、どうしたものかしら」
少しだけ、引き攣った顔をしている。
激痛に耐えていた。
彼女は右腕が、肘から先が消失していた。
切り離した腕は、荊の蔓で巻き取って、掴んでいる。
そう。
ヴリトラは右腕をへし折っても、彼女の腕を放さなかった為。
彼女は仕方なく、自ら切断せざるを得なかった。
荊で切断面と切断面を繋ぎ合わせる。
蔓を細くしていき、糸のように縫い合わせる。
更に、髪の毛の一部を切り離して、包帯のように上から巻き付ける。
お互いに痛み分けだった。
純粋な力と力の衝突。
純然たる、暴力と暴力の交差。
ヴリトラは咆哮していた。
ビキッ、ビキッ、とへし折れた右腕にエネルギーの塊が巻き付いていく。
エウリノームによって作り出した怪物の一体が、彼の右腕に取り付いた。
お互いに、能力によって、ダメージを受けた器官を補助しようとしている。
……能力の出し惜しみをしている余裕が無くなっているわね。
レイアは笑っていた。
相手がどんどん、強くなっていく。
むしろそれは、とても喜ばしい事だった。
彼女の方が、彼に戦いを挑んだのだから。
「『エクスターズ』を使おうかしら? まだ黒い蓮も残っている。まだまだ、楽しめそうね」
彼女の口元はただただ、愉悦に歪んでいる。
「ふふふっ。あはははっ。あはははっ、ふふっ。ヴリトラ。此処からは、本気で行きましょう?」
レイアの髪が靡く。
淡い、黄緑の髪。光に照らされると、少しだけ茶色も帯びて見える。
長髪が引き千切れていき、短いショート・ボブへと変わっていく。
そして、また髪が蔓のように伸び。長い長髪へと変わっていく。
植物の生長と、衰退のような姿。
彼女は左手を掲げる。
右手から、赤黒い薔薇が生まれた。
薔薇が震え出す。少しずつ、腐っていくかのような。
やがて、それは暗い光を放っていく。
光と闇の、暗黒。
「『修羅蓮華』と名付けている。貴方は貴方の全力で来て欲しいわ。私は私の全力で挑むつもりだから」
大地が砕け散っていく。
エウリノームの攻撃が地割れのように、荒れ狂っていた。
このまま放っておけば、クラスタ中を破壊していくだろう。
無制限の無差別攻撃。それが彼の能力だった。
ドーンにおいては、その悪名が響き渡っていると聞く。
肉体の苦痛に比例して、ヴリトラは強くなっていた。
苦痛が、生きるエネルギー。闘争のエネルギーへと変換されている。
ヴリトラの速度が上がっていく。
いつの間にか、レイアの周囲を伺うように、走り回っていた。
追うのが、もう面倒臭い。
彼女は『エクスターズ・ワールド』を発動させる。
存在と存在の距離。認識と認識の距離。
それが、同一線上に並ぶ。
レイアは、もう意識して、敵の攻撃の速度を追う必要は無かった。
本来ならば、この能力で、大抵の敵は終わっている。
しかし、ヴリトラはなおも食い付いてきた。
ヴリトラのエウリノームの怪物達が、不規則な速度で襲い掛かってくる。
「成る程。面白いわね。私のリュミエールもエクスターズも、その性質上、意味を為さないのね。本当に、良い感じよ」
彼女はヴリトラを追っていた。
怪物達の方には効かなくても、彼には効果があった筈だ。
レイアは本当に楽しそうな顔をしていた。
そこには、ある種の無垢さすらある。
ある意味で言えば。
それは、無邪気な少女性だ。
不可思議な感覚。
まるで、何の屈託も無く、彼女は笑い続けていた。
陶酔感と高揚の中に、彼女はいる。
狂的なまでの、笑顔だ。
そこには、無邪気な邪悪さが灯っている。
怜悧な悪意。無感動な殺意を体現したような。
「何処まで私に近付けるのかしらね? 私は何処までも何処までも、貴方が触れられない存在になっていく。いいかしら? 貴方は初めから私に勝てるわけが無かった。けれども、とても楽しめたわ。そろそろ、終わりにしようと思っているの」
彼女の左手に纏った、真っ赤な薔薇が。黒く、黒く焼け焦げていく。
やがて、それは薔薇という形状を止めて、さながら蓮のように形を伴う。
薔薇には様々な種類がある。
薔薇から蓮への変化。
燃え上がる、黒い、黒い蓮。
その蓮の熱から、様々な光の弾が生まれていく。
光の弾は、周囲に飛び散っていった。
その弾丸は、周囲の瓦礫を蹴散らしていき、張り巡らされた結界も弾いていき、何処かに隠れたであろう、ヴリトラの居場所を探していく。
彼は隠れてなどいなかった。レイアの周辺にいた。
大地に大穴が開いていく。
巨大な大口が姿を現した。
レイアは空へと跳躍する。
大口は、ぽっかりと黒い孔を空けていた。
真っ黒な暗黒空間のような、口。
ヴリトラは、そこから這い出してきた。
彼の眼は何も見ていない。
自動的に動く者を殺そうとする、殺人マシーンのようだ。
右腕には矯正器具のように、怪物が絡み付いている。
このまま、全身が落下していく。
危機的状況だった。
このままだと、怪物の口に飲み込まれていくだろう。
それでも、彼女は冷然とヴリトラを見下ろしていた。
一切の、不遜な態度を止めはしなかった。
勝負は決しようとしていた。
レイアは削岩機のような拳を振り下ろす。
ヴリトラは鉤爪状にした左腕を突き立てた。
先に攻撃がヒットしたのは、ヴリトラの方だった。
レイアの顔、右半分を大きく削り取っていた。
続いて、レイアの攻撃がヴリトラの腹に深く、抉り込まれる。
それは、そのまま彼の腹をぽっかりと、刳り貫いていた。
腹部に巨大な孔を空けられて、猫顔の男は闇の中へと沈んでいく。
†
レイアは男の肉体を蹴って、暗黒の口の外へと出た。
一面が、空漠に包まれていくかのようだった。
レイアの身体は、アーティの張り巡らせた結界へと触れる。
勿論、これも計算の内だった。
大体、どのような状態に陥るかも、既に予測している。
誰かが、攻撃を受けて確かめるべきだった。
だから、彼女が行っている。
突然。
別の場所に出た。
そこは、どうやら以前通った、休憩所の辺りだった。
瞬間移動したのか。それとも、幻影を見ているのか。
どちらにせよ、大体、こんな現象が起こるのだろう、と予測していた。
……そして、至る。
光の屈折によって、この辺りの空間自体が、全てまやかしなのかもしれない。と。
「さてと。誰かと合流しようかしら」
誰かに認識して貰う事。
おそらくは、この能力の攻撃はそれで終わるのではないかと考えている。
休憩所の中へと入る。
そして、掛けられている鏡を見た。
顔の右半分がメチャクチャに破壊されている。
しかしながら、右目は特に潰れていない。なので、何の問題も無かった。
彼女は、肉体を構成している物質が、人間とは少し違う。
このまま放っておけば、傷は塞がるだろう。
彼女は、そんな肉体なのだ。
さてと。どうしたものか。
あの女を、倒しに行くか。
彼女は、立ち止まった。
「あら」
レイアは冷ややかに言った。
「お馬鹿さんね。まだ続けるの?」
彼女は、振り返る。
咆哮が聞こえた。
ヴリトラは巨大な孔が開いた腹と胴体を、自身のエウリノームの怪物達で、どうにかして塞いでいた。
誰の眼にも、彼の顔には死相が出ている事が分かった。
「もう、死ぬ人と戦っても意味が無いのよ」
彼女は冷たく言う。その眼は、何処までも冷酷だった。
ヴリトラは口元から、大量に吐血する。
しかし、執念だけで立ち上がっていた。
レイアは自分の髪を撫でる。
「分かったわよ。仕方無いわね」
どうやら、正攻法からの殴り合いを望んでいるみたいだった。
リュミエールを、使う気はない。修羅蓮華もだ。
今の状態の彼ならば。
認識外に自身を吹っ飛ばして、無視する事も可能だが。……。
ヴリトラの全身は震えていた。
それは、さながら大地の震動のようだった。
恐怖の為ではない。武者震い。
ヴリトラは、全身全霊の力を込めて。レイアに向かって、拳を振るう。
高速の殴打。空気が引き裂かれる音がする。
もう、死ぬという結果が待っている中で、ヴリトラの肉体は、更に強化されていた。
レイアは、それに気付いて。相手をする事を決める。
風を喰い破るような音。
ヴリトラの拳が、何度も、何度も、レイアの全身に打ち込まれる。
彼女は、巨大な岩石のように立ちはだかり、それらを受け流していた。
そして。
ヴリトラの顔面に、拳が入れられる。黒い炎を纏っていない、普通の打撃。
ヴリトラの全身は勢いよく、跳ね上がった。
レイアはヴリトラが地面に倒れる前に、彼の首を握り締める。
そして。
何度も、何度も、何度も、何度も、握った拳を打ち込んで殴打していく。ヴリトラの顔面が弾け飛んで、唇が裂ける。前歯がへし折れていく。鼻が潰れる。それでも、彼女は拳の連撃を止めない。
エウリノームの口腔が、レイアの肩と頭に喰らい付く。
それでも、彼女はヴリトラの顔面を殴り続ける事を止めない。
「貴方の身体って、ゴム鞠のようね。何で、そんなに丈夫なのかしら?」
彼女は言いながらも、猫顔の男を殴り続ける。
顎が砕かれ、頭蓋骨に無数のヒビが入っていく。
ヴリトラは消えていく意識の中、闇の中へと沈んでいく意識の中、思う。
彼女の華奢な肉体に、何処に力があるのかを。
いや、能力者の肉体に、表層的に見える力など関係無い。そんな事は分かっている。
しかし。
強化された肉体を、更に、鍛錬に鍛錬を重ねて作り出した筋組織。骨格。
その鋼の鎧が、紙屑のように壊されていく。
それでも、エウリノームの怪物達を消しはしない、彼女の肉体を深く、食い千切ろうとする。
レイアは。
ヴリトラを地面に降ろす。そして。
ヴリトラの頭を蹴り潰していた。顔面が砕けたザクロのようになっていく。
ドリルやチェンソーで物を破壊するような音が響いていく。
ヴリトラの身体を使って、コンクリートの地面を砕いていた。
再び、首を掴む。
そして、風船でも放り投げるように。
ヴリトラの全身を、十数メートル離れた壁へと投げ付ける。
ヴリトラの肉体が、壁の中へと沈んでいく。
彼の全身の骨は、ボキボキに砕けていた。
それでもなお、エウリノームの口は、レイアの肉体を破壊するのを止めない。
「しつこいのよ。貴方はもう、終わっているの」
彼女は面倒臭そうに、怪物を引き千切る。
そして、踏み潰して弾け飛ばした。
彼女の左頭部と、右肩は抉れていた。即座に、荊の蔓を巻いて、治療に入る。
瞬間。
ヴリトラが、彼女の下へと飛び掛っていく。
気付けば、彼は肉体を。空中へと高く上げられている事に気付いた。そして。
腹と胴体の中から、臓器が零れ落ちていく。浮遊感。無重力。
それでも、まだ死ねない。零れ落ちた内臓を、発生させた怪物達が拾い上げて、彼の腹へと戻していく。
レイアは。
彼の上にいた。
そして。
彼の首を、ミサイルの射撃のように蹴り飛ばす。骨がへし折れる音がした。
そして、地上数十メートル離れた上空から、ヴリトラの顔面を踏み付けたまま超高速で落下していく。
地面に。
戦闘機からの爆撃のような大きなクレーターが出来た。
彼女は、ヴリトラの頭部を削岩機に使っていた。
数秒もの間、静寂が訪れる。
ジェット・エンジンのような拳が。
レイアの顔面に叩き込まれた。
彼女は見事なまでに、旋回し、一回転し、地面に沈む。
そして、すぐに立ち上がった。
彼女は鼻血を拭う。
「酷いわね。口の中も、少し切れているじゃない」
男は立ち上がっていた。
全身の筋肉が、わなわなと震えている。
彼自身が、一体の怪物の。口腔のように見えた。
巨大な顎だ。
本当に、全身全霊の最後の一撃だった。
ヴリトラは、機関銃のように、レイアを殴り続けた。
あらゆる、角度から拳の連撃が打ち込まれる。全身を廻して、彼女の下顎にも蹴りを入れた。レイアは防御しようともしない、体勢さえ崩さない。只ひたすら、殴られ続けている。
「で、もう終わりなの?」
ヴリトラの、心は砕かれていた。
もう、どうやっても、通じないのだと理解する。
自らの拳を見る。
拳が弾け飛んで。骨が露出していた。レイアは。
無表情のまま。冷たい刃物のような視線で彼を見据えて。
レイアは拳を握り締め。それは、彼の身体に吸い込まれていく。
肋骨が完全に破壊され、肺に突き刺さる。肩甲骨が粉々になる。頭蓋骨の破片が脳の奥深くにめり込んでいく。両足の骨は機能する事を止め、腱は完全に断裂していた。背骨が溶けていくように崩壊していく。
エウリノームの怪物達が、暗黒の中から生まれていく。
しかし、彼らは外へと出る事は出来なかった。そのまま、さらさらと、砂粒のように風の中に舞い上がっていく。彼の拳に巻き付いていた怪物も消える、そういえば、とっくの昔に、右腕は死んでいたのだ。
暗黙。
レイアは。顔の左半分が、綺麗に整ったまま。地面に血の唾を吐いた。
先ほど爪で抉られた右側は、まだ治っていない。
……爪での攻撃は、防御し損ねた。……。
「ふふっ。楽しかったわよ。じゃあ、私はこれから、ロータスを殺しに行くの。もう、邪魔しないでね?」
彼女は去っていく。
ヴリトラは、もう引き止める力は無い。
心臓の鼓動が聞こえない。深い闇の中に、何処までも何処までも落下していく。
それは、酷く失恋の痛みにも、似ていて……。