CHAPTER-89
「ほらよ、さっきはありがとな」
場所はアクアティックシティの大規模公園内、耀は日本円にしておよそ300円で購入したクレープをリサに手渡す。
家路に就こうとした耀はリサと遭遇し、そのままの流れで共に帰宅する事になった。その最中でクレープの移動販売を行う屋台を発見し、先程の借りを返す事にしたという訳である。
リサはクレープを受け取ると、
「ありがと、そしていただきます!」
一目散に、クレープにかぶりつく。
耀がリサに奢ったのは、生クリームにイチゴやチョコスティックがトッピングされ、見ているだけでも甘ったるくなりそうなクレープだ。しかし、偏食的な甘味好きなリサにとってはご馳走なのだろう。
彼女が1日にどれ程の糖分を摂取しているのか、耀には想像もつかない。
浅い溜息をつき、耀は言う。
「本当甘い物好きだよなお前、何で太らねーんだか疑問だよ」
リサはクレープを食べるのを一旦止め、耀に応じる。
「何回も言ってるじゃん? あたしが太んないのは……」
「『そういう体質だから』、だろ?」
耀が割り入るように言うと、リサは得意げに笑みを浮かべて、
「へへ、そゆこと」
いかにも楽し気な様子で、そう答えた。
しかしながら、体質では済まない秘密が隠されているような気がする。何せ、耀が把握しているだけでも本日リサが消費した菓子類はドーナツ6個にショートケーキ2個、シュークリーム5個、板チョコ2枚、それにチョコチップクッキー2箱(15枚入りなので計30枚)……明らかに度を超えているのは言うまでもない。常人ならば糖尿病直行レベルだ。
恐らく毎日こんな糖分漬けの生活を送っているのだろうが、リサのプロポーションは実に見事である。比較的高い身長に豊かに実った胸、細くくびれたウエストにすらりと長い脚……同年代の少女達が欲しがりそうな要素を、全て備えている。スタイルを抜きにしても、その容姿も綺麗で美少女と呼んで差し支えない。
太る事も無ければ、体調に異常を来す事も無い。最早一種の才能だ。
2本トッピングされたチョコスティックの内、リサは1本を手に取ってポリポリと齧り始める。その様子は小動物のようでどこか愛らしい。
そんな彼女に、耀は問い掛けた。
「そういやリサ、お前今日何ですぐ帰んなかったんだ?」
「んー?」
リサは耀に向き直ると、
「待ってたんだよ、耀の事。今日のVRMSでの訓練の事、気にしてるんじゃないかって思ったの」
「は?」
予期せぬリサの返事に、耀は思わず呆けた声を出した。
甘い物好きなアメリカ人少女は、クレープを片手に持ったまま語る。
「2人も負傷させちゃったって言ってたでしょ、これがもしも戦闘訓練じゃなくて実戦の事だったら……そう考えるともう、気が気じゃないんじゃない? 耀ってそういう所、変にマジメじゃん」
軽い口調だったリサ、しかしその時には既に真剣な表情を浮かべていた。クレープを食べるのも一旦止めている。
ポニーテールに結ばれた金髪をかき上げながら、リサは続けた。
「あれだけの人数を指揮して1人も負傷させないなんて、ユースケやネイトでも難しいと思うよ。耀だけじゃなく、あの場にいたあたしにだって責任はあるし……別に気にしなくていいと思うけどな。もし耀以外が指揮を執っていたらあのミッションをクリアする事すら難しかったと思うし、そうじゃなくても被害はもっと大きくなってたと思うよ」
普段の陽気で、どこかはっちゃけた雰囲気のリサからは想像し難い言葉だった。
含蓄があって仲間を思いやる言葉。今耀の目の前にいるのは単なるお菓子好きで派手な女子高生ではなく、共に数多の修羅場を潜ってきたグレードAのトップエージェント、リサ・バレンタインである。仕事の時とそうではない時とでは、彼女はまるで別人だ。
自分を思いやってくれての言葉だと、耀には十分に理解出来た。しかしどうしても、耀は彼女の励ましを素直に受け入れられない。
「ありがとなリサ、けど……俺にはどうしても『仕方ない』じゃ片付けられない理由がある。俺が指揮を執る以上、仲間に何かあったら俺の責任になるんだからな」
リサから視線を外して、公園のどこかを見つめながら、耀は続けた。
「俺は自分よりも、仲間がケガをする方が怖いからさ」
耀自身でも、思う所がある言葉だった。
リサは少し考えるような面持ちを浮かべた後、ある1人の男の名前を出した。
「それ、もしかしてギャレットの言葉?」
耀は黙って、視線を上げた。
夕方になって、真っ青だった空はオレンジ色に染まりつつある。数羽の海鳥が、どこかへと飛び去って行くのが見えた。
――ギャレット。
その男の名前が耀の頭の中を反響する。物憂い眼差しで空を見上げていると、突如リサが声を上げた。
「あ、耀大変!」
耀は驚き、リサを振り返る。
「何だ、どうし……!」
そこで耀の言葉は止まる。いや、止められた。
耀がリサを向いたと思いきや、彼女はクレープにトッピングされていたチョコスティックを耀の口に押し込んだのだ。
「んんっ!?」
甘い味が口の中に広がる。
どうやら、リサが悪戯を仕掛けたらしい。彼女はお腹を抱えて笑い始める。
「あはは、引っかかった」
一体何のつもりなのか、耀は問う。
「ちょ、何だってんだよ……?」
リサはクレープをぱくりと食べた。その空色の瞳が、耀を映していた。
少しの間もぐもぐと口を動かし、ごくんと飲み込む。そして彼女は口を開いた。
「リラックスさせてあげようと思ったの。はいあたしからのアドバイス、何でもかんでも自分の所為にし過ぎるの、良くないと思うよ」
リサはクレープの包み紙を丸めて、くずかごに投げ入れた。
そしてリサはまた、耀に向き直る。
「ねえ耀、耀はいつもあたし達を引っ張ってくれるじゃん、良いリーダーだって皆言ってる。そんなネガティブになる事ないってば」
同僚であり、仲間であり、友人でもある少女の励ましの言葉。
心を覆っていた雲が晴れていくような気がした。目の前にいるリサという少女が、耀にはどこか不思議に思えた。普段は軽くて何も考えていないようにも見えるが、内面では仲間の事をしっかりと見つめているのだ。
耀は表情を緩めた、明らかに気持ちが軽くなったのが分かる。
「そうだな……そうかもしんねーな」
女の子に励まされてばかりではみっともない、それよりも、失敗を糧として次に生かそう。耀はそう結論付けた。
リサがくれたチョコスティックを一気に噛み砕き、耀は深呼吸した。
「さてと、そろそろ……」
その時だった、どこかからか女性の声が聞こえた。
『臨時ニュースをお伝えします』
公園の近くのビルに備え付けられた、大型モニターのスピーカーから発せられた声だった。
モニターに映ったキャスターの女性が、神妙な面持ちで告げる。
『1か月前、不慮の事故で君主のカリーナ女王を亡くしたアルバストゥル王国ですが、予定されていたアクアティックシティでのレセプションパーティーには、ミリア王女を代理人として出席するとの方針を固めたとの事です』
耀は眉間にしわを寄せた。
それは今、最も話題となっているであろうニュースの続報だったのだ。
「嘘っ、中止にしないんだ……?」
リサが驚きを表明する。
と、その時耀のポケットから着信音が奏でられた。友人からの電話だろうかと思って携帯電話を取り出すと、画面には予想外の名前が映っていた。
「っ、ボス……?」
耀へ電話を掛けてきたのは、ウィレム・ガーフィールド。RRCAアクアティックシティ支部長であり、耀達RRCAアクアティックシティに属するエージェント達の上司にあたる人物だ。
ウィレムが電話を掛けてくるという事は、それ相応の要件があっての事。耀は心して『応答』パネルをタップし、携帯電話を耳に当てた。
「はい、もしもし?」




