CHAPTER-80
夜闇に包まれた廃車置き場に、無数の銃声が鳴り渡っていた。
その源はネイトが持つ拳銃、TH2033だ。その銃口の先には、積み上げられた廃車の上を常人ならざる身体能力で跳び回るディンゴの姿がある。
逃げ続けるディンゴにネイトは容赦なく弾丸を放ち続けた、装填されているのは気絶させるに過ぎない低い殺傷能力のショックウェーブ弾ではなく、正真正銘の実弾。当たれば致命傷となり得る。
「んなもんが当たると思ってンのかァ!?」
挑発するような声が、ディンゴの口から発せられる。ネイトはそれを意にも介さずに、空になった弾倉を捨てて新しい弾倉を銃に挿入した。
そして、ディンゴに狙いを付け直した時だった。
「全然、足りねェぞ!」
一瞬と呼べる時間に、ディンゴが開いていた距離を詰め、ネイトに襲い掛かってきたのだ。
その右腕が振るわれる。ネイトは即座に攻撃を放棄し、姿勢を低めた。
振り抜かれたディンゴの拳が自身の頭上を掠めるのをネイトは感じ取る、その直後、ネイトの後方に放置されていた廃車が打ち砕かれた。鐘を乱暴に打つような甲高い音が周囲の空気を揺らし、数百キロもの重量がある車体がひっくり返され、転がりゆく。
明らかに人間業ではない、滅茶苦茶な威力を備えた攻撃。避けていなければ、ネイトは間違いなく死亡していた。
(エヴァンズプログラムの、闇の遺産か)
並外れた、などという言葉には到底収まりきらないディンゴの攻撃力を目の前に、ネイトはただ冷静に心中で呟いた。
しかし怯む事はなく、次の瞬間にはネイトは既に反撃の用意に転じていた。片手にTH2033を持ったままデバイスを起動する。彼の瞳がエメラルドグリーン色に変じる。
それを見たディンゴは、挑発するように紡いだ。
「はッ、やっと本気になったか」
そんな無意味な発言など受け流し、ネイトはディンゴに向けて右腕を振り下ろした。
瞬間、重力操作デバイスによって放たれた見えない力が、ネイトの前方一帯を陥没させる。放置された何台もの廃車を圧し潰し、地面には巨大なクレーターのような穴が出来上がった。
しかし、ネイトは気を緩めなかった。
ディンゴの姿が見当たらなかった、つまり今の攻撃は避けられたのだ。
「中々の破壊力だ、けど当たらなきゃ意味はねえ」
声の方向を向くと、ディンゴは積み上げられた廃車の上からネイトを見下ろしていた。ネイトの放ったあれ程の攻撃を目の当たりにしても、その表情には一片の恐れも浮かんでいない。それ所か、笑みすら見て取れる。
拳を鳴らすと、ディンゴは言った。
「さて、俺も少しばかり本気で相手してやンよ……精々楽しませろよな」
ディンゴの両目が一瞬、赤い光を帯びた。それが危険のサインだと読み取ったネイトは警戒を強め、身構える。
その時だ、ディンゴのポケットから警報のような着信音が発せられた。
「あァ?」
忌々し気な声を発するディンゴ、その瞳の色は既に元通りになっていた。
ポケットを探って携帯を取り出す、画面を見るや否や、彼は舌打ちをして電話に出た。
「俺だ」
乱暴な口調で電話に応答すると、ディンゴはしばし無言になった。電話を寄越した相手の言葉に耳を傾けているのだろう。
そしてまた、忌々し気な声を発する。
「チッ、分かったよ」
電話を切って携帯をポケットに押し込み、ディンゴは告げた
「どうやら時間が来ちまったみてェだ」
ネイトはすかさず、
「逃げる気か?」
ディンゴは狂気の瞳でネイトを射抜きながら、言った。
「勘違いすンな、見逃してやったと思え。お前なんて本気を出せば軽く捻り潰せンだからな」
つまり、今までは本気を出していない。
ディンゴの言葉が紛れもない真実であると、ネイトには分かった。この男はまだ、隠し玉を所持しているのだ。そしてそれが使われれば、ネイトはディンゴに勝てるかどうか分からない。先程言われた通り、軽く捻り潰されてしまうのかも知れない。
「まあ、俺を目の前にして息がある事自体が奇跡なんだけどな。そンだけの強さを持ってながらRRCAなんて偽善者集団に身を置いてるのは勿体無く思えるが」
「何が言いたい?」
ネイトの言葉に、ディンゴは、
「お前も『生き残り』なら知ってる筈だ……この街の闇の部分って奴をな。それなのに正義面して悪党狩りなンかやってるのは何故だ、って事だよ」
ネイトは表情を微かに曇らせた、ディンゴの言葉に思う所があったからだ。
「何だったら俺らの方に来ねェか、少なくとも俺は歓迎すンぜ?」
ネイトは黙った。
するとディンゴは、拳銃を取り出した。虐殺の鷲の異名を持つ強力な拳銃、カーネイジイーグルだ。
「よく考えンだな!」
そう言い放つと同時に、ディンゴは銃をネイトに向けて乱射した。
デバイスを起動し、ネイトは重力の壁を展開して盾にする。銃弾は壁の他にも周囲の地面にも着弾し、砂埃が舞い上がって前が見えなくなる。
追撃は繰り出されなかった、視界を遮った砂埃はすぐに晴れた。
「!」
積み上げられた廃車の上から、ディンゴの姿が消えていた。銃を撃ってネイトの動きと視界を牽制し、その隙に逃走したのだろう。否、ディンゴが言った通り、見逃してもらったと言った方が正しいのかも知れない。
ネイトの目の前から、ディンゴは姿を消した。しかし彼が放った言葉は依然として、ネイトの頭の中を巡っていた。
“お前も『生き残り』なら知ってる筈だ……この街の闇の部分って奴をな。それなのに正義面して悪党狩りなンかやってるのは何故だ、って事だよ。何だったら俺らの方に来ねェか、少なくとも俺は歓迎すンぜ?”
「……」
静けさを取り戻した夜の廃車置き場、そこでネイトは一人佇んでいた。




