CHAPTER-76
状況的に、既に犯人逮捕は目前だった。
すぐにでも、裕介はエディを捕らえる事は可能だった。何の武器も所持していない(所持していたといえど、裕介に相対出来るとは到底思えなかったが)たった1人の高校生など、裕介の強さの前では無力に等しいのだから。エディが隠し玉を持っている可能性を考慮すれば、有無を言わさず早急に拘束すべきだろう。
しかし、裕介はTH2033を持つ右手を下げたまま、手を出そうとはしない。
今は手を出してはいけない、そう思ったのだ。
「昔、エマはRRCAエージェントとして活動していた。研修をクリアして、12歳の頃にグレードBに昇格したって喜んでたよ」
自身の親友だった少女の活動の軌跡を、エディは語る。
RRCAのグレード上、グレードDとグレードCは研修生という立場にあり、実戦の場に出る事は許されない。なお、拳銃の携帯が許可されるのもグレードBになってからだ。つまりグレードBは一種のボーダーライン、その称号を与えられる事は一人前と認められた証と言えるだろう。
裕介も、自身がグレードBに昇格した時は大いに喜んだ事を覚えている。
エディの話によれば、エマという少女は12歳でグレードBに昇格したとの事だった。グレードBに昇格する平均年齢は、裕介の記憶上では14歳から15歳程度。それを考慮すると、エマは中々有能なRRCAエージェントだったのだろう。
しかし、彼女は最悪の結末を迎える事となった。
彼女と直接的な関わりはないと言えど、その経緯を知っている裕介は、ただ胸を痛めるしかない。
「だが、グレードBになって間もなく……エマはRRCAを辞めた。エージェントとして活動していく事に疲れたって言ってたよ」
珍しいケースではなかった。
グレードBになってからは既に一人前のRRCAエージェント、警察官とほぼ同等の権限が与えられ、それ相応の責任も負う事になる。
事件現場に出れば犯罪者と戦う事も、人の死に遭遇する事だってありえる。
そういった重圧に耐え切れなくなり、RRCAを辞める若者は少なくない。特にグレードBになりたての者が、最もRRCAを離れる割合が高いのだという。
「俺は内心、安心したよ。RRCAを辞めればエマは俺と同じ普通の学生になって、気持ち的にもずっと楽になるって……事実、RRCAを去った後のエマはそれまでよりも明るくなって、笑う事も増えた。その頃から俺、小さい頃からずっと抱いていた気持ちを、彼女に伝えようと思っていたんだ」
RRCAである以上、その者の身には危険がつきまとう事になる。
エマもきっと、RRCAの手帳を返却した時(RRCAを辞めたり、除籍になった者は、RRCAの手帳や拳銃等の支給品を返却する義務がある)は肩の荷が降りた気分だったのだろう。
逃げだと捉える者もいたのかも知れない。だが裕介は少なくとも、エマの選択が間違いだと言う気にはならなかった。自分の人生をどう生きるかは、その者の自由なのだから。
それまで冷静に語っていたエディが、豹変したように声を張り上げる。
「それなのに、RRCAを辞めてすぐ、彼女は狙われるようになった。RRCAだった頃にエマが逮捕した強盗事件の犯人の仲間が、エマに復讐しようとしていたんだ!」
通常、RRCAエージェントの個人情報……名前や年齢や住所、在籍校、更にはグレードまで、一般の者には厳重に秘匿される。
しかしエマが逮捕したその犯人は何らかの方法で彼女の情報を入手したのか、或いはRRCAの不手際で情報漏洩が起きたのかも知れない。3年前は、現在程の情報管理システムが発達していなかった為、起こりえない話ではなかった。
悲しみに暮れた面持ちで、エディは続けた。
「エマは怖がってたよ、元々そこまで気が強い女の子じゃなかったし、RRCAになったのは確かに彼女自身の意思だったけど、本当は迷ってもいたんだ」
エディは、小さい頃からエマの事を見てきたのだろう。
裕介がその考えを抱くのは、至極当然の事だった。
「エディ、お前……その子の事を?」
それだけで意味は伝わったらしく、エディは頷いた。
「ああ、俺は小さい頃からずっとエマが好きだった。折れそうになる度に俺を頼ってくれるエマが愛おしかったよ、彼女がRRCAを辞めた時は正直、安心した」
薄々察してはいた。エディの言葉から察するに、彼がエマを友人以上の存在として見ていた事は簡単に想像がついたのだ。
悔恨の念が滲んだ言葉が、エディの口から続けられる。
「いつか、俺は彼女に告白しようと思ってた……それなのに、あいつらが、エマを……!」
拳を握り締め、エディは怒りに顔を震わせる。
「エマがRRCAを去ってから、RRCAだった頃のエマに仲間を逮捕された事を逆恨みした連中が彼女を付け狙い始めた。怖がった彼女は、かつて自分がいたRRCAに助けを求めた……そして、RRCAからある男が派遣されて、エマを狙う連中を拘束する任務に就いたんだ」
それが誰なのか分かった裕介は、先んじてその者の名を口にする。
「ジーノ・カルデローネ……」
裕介が父のように慕っていた、イタリア出身のRRCAエージェントだったのだ。
「ああ、そうさ……逢原、かつてお前と親しかったRRCAエージェントだ」
エディの裕介の呼称が、『裕介』から『逢原』に変わる。本性を現したかのように、彼の口調が凶変して乱暴になっていく。
方法は分からないが、彼は裕介とジーノの関係まで調べたようだった。
「ジーノ・カルデローネには俺も1度だけ会ったよ、気さくで優しい人だと思った。そして俺はあの男に頼んだ……エマを助けて下さいってな。そうしたらあいつは言ったよ、『任せてくれ』ってな」
初めて会った時、裕介もジーノには同じ印象を覚えた事を記憶している。
娘もいて、子供好きだと評判だったジーノこそ、エマを守る任務に適任だと思われたのかも知れない。
「俺は、この人ならエマを救ってくれる……そう信じた。それなのに、あいつは……!」
エディが拳を握る。裕介はただ黙って、彼の言葉に耳を傾けていた。
「あいつはエマを裏切った、エマを見捨てたんだ!」




