CHAPTER-69
『この所の活躍は聞いている。快調のようだな、ネイト』
ネイトは、ヘッドセットから流れる男の声に耳を傾けていた。
声はボイスチェンジャーで変換されており、無機質で機械的な物だった。だがネイトには、その声の主が誰なのかは分かっている。
何も返事をせずにいると、声は更に続いた。
『引き続き頼むぞ、期待している』
ネイトは、たった2文字で返事をした。
「ああ」
通話が終了した。ネイトはヘッドセットを耳から外し、ポケットへ仕舞う。
そして彼は振り返り、エメラルドグリーンに染まった瞳に目の前の光景を映した。
十数人にも及ぶ少年少女達が、昏倒して倒れ伏していた。その手には鉄パイプやバット、拳銃を持つ者までいる。救急車を呼ぶ必要は無いと分かっていた、ネイトは手加減して、彼らの気を失わせただけなのだ。
デバイスの電源を切り、ネイトの瞳が元の空色に戻る。
「くだらん」
全てを否定するように言い残し、ネイトは歩を進め始めた。
◇ ◇ ◇
「そうか……分かった」
落胆の声を自室内に発し、裕介はY-Phoneを耳から話した。
画面には病院に配備されたAI、アリスの顔が映っている。少し前まで、裕介は彼女と会話していた。
内容は、昨日彼を襲撃した3人の少年少女についてだ。皆命に別状はないとの事だが、意識を取り戻さない状態だという。意識が無ければ当然、話を聞く事も出来ない。彼らを洗脳して自身に差し向けた者を探る手掛かりを失った。
裕介はY-Phoneをベッドの上に手放すと、部屋の椅子に乱暴に腰掛ける。
「くそっ……!」
苛立ちが募る。
何としてでも、あの3人を洗脳して自分を襲わせた者を突き止めなければならなかった。
のんびりと事を構えている訳にはいかない。こうしている間にも、また他の誰かが被害に遭っているかも知れないのだ。
とりあえず、例のアプリとの関連を探るべく玲奈に彼らの携帯電話を調べてもらっている。だが、そこから犯人に結び付く何かが出て来るかは分からない。
とにかく出来る事をしよう、まずは情報収集から。
急ぐ必要があるが、焦ったら駄目だ。冷蔵庫からペットボトルを取り出し、ミネラルウォーターを喉に流し込む。
と、インターフォンが鳴った。
玄関脇のモニターを見ると意外な人物が映っていて、裕介は思わず声を発する。
「あっ……!?」
裕介は迷う事なくドアを開けて、来客を招き入れた。
わざわざ学生寮の6階まで上り、裕介の住む316号室を訪ねてきた者、それはエディだったのだ。
フルネームはエディ・アルダーソン。裕介に件のアプリの情報を提供し、この事件の重要な鍵を与えてくれたと言っても間違いではない少年だ。
裕介はエディを部屋に上げて、ソファに座るよう促す。
「いきなり押しかけてごめん、その……どうしても裕介君が心配で」
彼は先んじてそう告げた。
「それでわざわざ来てくれたのか、ありがとな」
エディは、詰め寄るかのように問うてきた。
「裕介君、その……怪我とかは大丈夫? 君が襲われたって聞いたんだよ」
「別に何ともないさ、むしろオレを襲った奴らの方が心配だよ」
裕介を襲撃した3人の少年少女達。
彼らは加害者ではなく、洗脳されて駒として使われた被害者、裕介はそう思っていた。あの3人に恨みはない、あるのは彼らの身を案じる気持ちだけだ。
「そっか、なら良かった。でも怖いよね、RRCAって人から恨まれたりする事もあるって聞くから……」
エディの言葉を聞いて、裕介の頭に色々な事が思い浮かぶ。
確かにその通りだ。RRCAエージェントである以上、その権限と同時に責任も伴う。賞賛される事もあれば、逆に憎悪の対象にされる事だってある。
「嫌だったら答えなくていいけど、裕介君も『辞めたい』って思った事はあるのかな? RRCAを」
本音を言うと、答えたくない質問だった。
裕介はエディの向かい側のソファに座って、
「辞めたいって思った事ない奴なんて、いないさ」
そう答えた。
グレードSという最高位の権限、そして責任を負う彼の言葉だからこそ、重みのある言葉だった。
「オレも玲奈も、リサも耀も……きっと、ネイトだってな」
エディに友人達の名前を出しても分かる筈がない、裕介はそれを承知の上で言った。
RRCAになってからこれまで、何度辞めたい、今もポケットに入っているRRCAの手帳を捨ててしまいたいと思ったのか、裕介にはもう分からない。何十回? 何百回? もしかしたら何千回にも及ぶかも知れない。
しかし、とりあえず今日この日までは裕介はRRCAエージェントであり続けていた。
「何ていうか……すごいよね、RRCAの人達って」
エディの言葉に、裕介は彼を振り向く。
学校でのクラスも違い、さらにRRCAエージェントでもないエディとはこれまで関わり合いなど無かった。
その時改めて、裕介はエディという少年を見た。
裕介より顔の半分程視線が低く、少し小柄だ。しかしながら容姿は良く、落ち着きがあって知的な雰囲気のする少年だと感じた。
「だってそうだろ、俺だって学校の勉強とかで手一杯なのに、更に犯罪者と戦うなんて……とても負担が大き過ぎるように感じる」
RRCAの責務と、学生としての本分を両立する。それが簡単ではない事は、RRCAである誰もが知っている事だろう。
「確かにな……オレだって今でも辞めたいって感じる事はあるしな」
RRCAエージェントであるという重荷を捨て去れば、どれ程楽になる事だろうか。
しかし、裕介には辞めるという選択肢は無かった。そもそも、彼にはある筈がないのだ。
「けど、辞める気は無いよ。オレには辞められない理由があるからな」
裕介が言うと、エディはじっと裕介と視線を合わせてきた。
無言という形で、その『理由』を尋ねられているように感じ、裕介はポケットからRRCAの手帳を取り出す。
そして、内側に挟み込まれた写真を見つめた。あの、ジーノが幼かった頃の裕介を抱え上げている写真だ。
「人を守る事が自分の仕事……オレは、そう思ってる」
数秒経っても彼は返事せず、どうかしたのか、と裕介が問い掛けようとした時だった。
エディが小さく頷きつつ、
「そうなんだ、分かった」
と、その時エディのポケットから着信音が鳴る。
彼はポケットを探ってY-Phoneを取り出したが、手元が狂ったのかそれを床に落としてしまった。
「っと、大丈夫か?」
エディに代わって、裕介は彼のY-Phoneを拾った。
一瞬だけ、そこに表示された内容が見えた。
「ごめん、ありがとう」
エディが手を差し出してきて、裕介は何も言わずにY-Phoneを手渡す。
「それじゃ……そろそろ帰るよ」
そう告げて、エディが玄関の方へ向かっていく。
「ああ、何か進展があったら連絡する」
裕介は彼を見送った。




