CHAPTER-65
「で、君はそんな馬鹿げた話を鵜呑みにしているのか?」
ネイト・エヴァンズは裕介の顔すら見ず、吐き捨てるように即答した。それは正しく想像通りの反応、裕介は心の中で、やけくそ気味に「ヒャッハー!」などと叫んでみる。
ネイトの見慣れた綺麗な横顔に、裕介は返した。
「してねえよ、普通に考えてあり得ねえだろ。アプリ使っただけで頭良くなるだなんて事」
放課後のウエストサイドハイスクール内、多くの生徒が行き交う廊下の壁際で、裕介とネイトは会話をしていた。
話題は、裕介がエディから聞いた例のアプリ……『ΠΑΝΔΩΡΑ』の事である。
裕介はエディから得た全ての情報をネイトに伝えたのだ。クライヴの事や、このアプリの事も、さらにはエディ自身の事もだ。
ネイトはやっと、裕介の方を見た。
「なら、何故検証してみない?」
「へ?」
言葉の意味が分からずに、裕介は問い返した。
「そのアプリを実際に使ってみれば、それが本当に僕達学生にとって夢のアイテムか、或いは評判倒れの詐欺商品かどうかなんてすぐ分かるだろう」
どうやら、ネイトも感じ方は同じのようだった。
グレードSのRRCAエージェントであり、さらに17歳にして難関大学の入学資格を持つ天才少年にとっても、この『ΠΑΝΔΩΡΑ』は『夢のアイテム』と言えるらしい。
もしこれが本物だったとしても、お前は使う必要なんて無いだろ。そう突っ込みたくなるのを抑えて、裕介は答える。
「一応、ダウンロードはしておいたよ。エディから聞いてな」
裕介はY-Phoneを取り出して、その画面をネイトに見せた。待ち受け画面左下の所に、宝箱のアイコンをした件のアプリが映っている。
「見せてくれ」
そう断ってネイトは裕介のY-Phoneを受け取り、じっとその画面を見つめる。そのまま彼は問うてきた。
「それで、このアプリを起動してみたのか?」
裕介は首を横に振りつつ、
「いや、まだ触ってない」
恐らく理由を訊かれるに違いない。そう思った裕介はネイトの返事を待たずに、捕捉した。
「どうも胡散臭いっつーか、嫌な予感すんだよそのアプリ。昔からこの手のカンは当たるんだよな」
裕介は腕を組む。想像通りの言葉が、ネイトから投げかけられた。
「いかにも裕介らしい、根拠を欠いた意見だ」
言い返す気も起きず、裕介はただため息をついた。
「あいよ、誉め言葉として受け取るわ」
裕介は、ネイトから差し出された自分のY-Phoneを受け取った。
そして彼は説明する。アメリカで相次いでいる学生の昏睡事件、その捜査のメスは既に入れ始めているのだという事を。
「とりあえず今、昏睡した学生が持ってた携帯電話を玲奈やメイ先輩達に調べてもらってる。もしこのアプリが原因なら、きっとインストールされている筈だろ?」
入院中の少年少女の所有物も、RRCAの権限があれば借り受ける事が可能だった。
更には携帯電話のロック解除も問題なく行える。無論持ち主の気持ちを考慮し、プライバシーに十分な配慮を効かせた上で行っていたが。
と、思いもしない質問が、ネイトから裕介に投げかけられた。
「裕介、君はこのアプリを使ってみたいと感じた事はあるか?」
「は?」
冗談半分の質問かと思ったが、ネイトがそのような無意味な発言をする少年ではない事を、裕介はよく知っている。
ネイトはより直球な文脈で、再度問うてくる。
「もしそのアプリで本当に成績が良くなるなら、試してみたいと思うか?」
裕介はまたY-Phoneに視線を映し、画面に映った『ΠΑΝΔΩΡΑ』を見つめた。
そして、もしこのアプリが噂通り、人の頭を良くする、学力を向上させる機能を持っていたらどうなるか。そして自分がこのアプリを使った後何が起こるのか、考えを巡らせてみる。
まず思い至ったのが、勉強をする必要が無くなるという事。そうなればテストで赤点を取る心配も、苦手科目を必死になって克服する必要も無い。何の努力もせずに良い成績を出せれば、周囲から羨望の眼差しを向けられる事にもなるだろう。学生の出来不出来を選別する基準など分からないが、頭脳明晰な者がより尊敬されるのは間違いない。
何より裕介が考えたのは、RRCAエージェントの仕事に専念できるという事だった。勉学という大きな障害が取り払われれば、負担は大幅に削減される。
――確かに、魅力的かもしれない。
裕介は微かに、しかし確実の心の中でそう思った。そう思ってしまった。
色々と考えたが、一先ず冗談気味に返答する。
「ああ思うかもな、数学の補修で玲奈に監禁される事も無くなるだろうし」
数学の重要な試験前や小テストで裕介が悪い点を取った時、玲奈が裕介を缶詰にし、補習授業を行う事は有名だった。
「ふーん、だったら試してみる?」
「んー、どうしよ……って、え?」
裕介は振り返り、そして仰天した。
一体いつからそこに居たのか、玲奈が裕介をジト目で見ていた。彼女がこの場に現れた事で、『GLORIOUS DELTA』の3人が一堂に会した。
「おわっ、玲奈!? ああいや、今のはその……!」
裕介は弁解するが、最早無意味に等しい。
玲奈は大きくため息をついて、
「私は裕介の為にやってるんだけどなぁ。今まで数学の単位を落とさずに済んだのは誰のお陰?」
ウエストサイドハイスクールでは、数学は必修科目。つまり単位を落とせば進級出来なくなる。
事実の所、奈落の底に転落しそうになる裕介を救っているのは玲奈とも言えるだろう。
「玲奈様のお陰で御座います」
土下座でもしそうな雰囲気の裕介。数学の話が絡めば、裕介は玲奈に頭が上がらない。
ネイトが、玲奈に問う。
「玲奈、どうかしたのか?」
裕介に「ふんっ」と拗ねたような声を発すると、玲奈はバッグを探って彼女のタブレットPCを取り出した。
「ちょっと見てもらいたい物があって、裕介とネイト君の事探してたの」
少しの間液晶画面に指を走らせた後、玲奈は画面を裕介とネイトに見せてきた。




