CHAPTER-64
あまり人に聞かれたくない話なので、場所を変えたい。
エディという少年はそう願い出て、裕介をウエストサイドハイスクールのテラスへと連れ出した。昼食をとる場所として、裕介もしばしば訪れる場所だ。
「悪いね、わざわざ時間を割かせて」
エディはまず、裕介にそう謝罪する。裕介は特に構う事なく、本題に入る事を求めた。
「別にいい、それで話って?」
エディは返事をせずに、ポケットを探って彼のY-Phoneを取り出す。しかし彼が発した話題は、それとはまるで無関係な事だった。
「少し前に通り魔事件を起こして、今は寝たきりになってるクライヴ・アディンセルって奴の事、知ってるよね?」
裕介は面食らった。知ってるも何も、今の彼の捜査における中心人物、と言っても過言ではない名前だ。エディのその言葉は、『質問』というよりも『確認』である、裕介にはそう思えた。
平静に、裕介は応じた。
「ああ、バリバリ知ってるさ」
エディは間髪入れずに、
「あいつが昏睡した原因なんだけど……実は俺、心当たりがあるんだ」
「え?」
それから裕介は、エディの話を聞いた。
クライヴの友人だった彼は、クライヴが昏睡した原因に覚えがあった。そこでRRCAエージェントであり、更にはグレードSでもある裕介に相談する事にしたのだという。
エディはRRCAエージェントではない、しかし裕介がグレードSだという事は周知の事であり、事件に関して相談を受ける事は裕介には特に珍しい事でもなかった。過去を遡れば、ストーカー被害に遭っていた女子生徒を救ったり、車に落書きをされた男子生徒の相談を受け、犯人を捕まえたり、更に馴染みのコンビニ店員の相談で、集団で店前にたむろする暴走族連中を追い払った事もあった(ちなみにその暴走族達は裕介が睨みをきかせただけで蜘蛛の子を散らすように退散し、以降そのコンビニ付近に現れる事は無くなったらしい)。
詳細を話す前にエディは再度、裕介に申し入れた。
「お願いだ裕介君、話を聞いてくれないかな? どうしても俺、クライヴが心配で……こんな事話せるの、君くらいしか思いつかないんだ」
丁度自分が追っている事件に関して、情報提供をしてくれようとしている。更にエディは、友達を助けるために裕介を頼ってきた。
人を助けるのが自分の仕事、その信念の元でRRCAエージェントをしている裕介。彼の返答は決まっていた。
「友達想いなんだな、勿論聞かせてもらうさ」
エディは安堵したように、笑みを浮かべる。もしかしたら、これまで話した事もない自分の言う事など、取り合ってもらえないと思っていたのかも知れない。
礼を述べた後、彼は先程取り出したY-Phoneの画面を裕介に見せた。
「実は、これが関係しているかも知れないんだ」
一体何事かと思い、裕介はエディが指さしている部分を目で追った。
その場所には、宝箱を模したデザインのアイコンがある。どうやら、アプリケーションのようだ。
タイトルは……『ΠΑΝΔΩΡΑ』。
「何だこれ、ギリシャ語か? んーと……」
眉間にしわを寄せる裕介に先んじて、エディは言った。
「『パンドラ』って読むんだ」
裕介は顔を上げて、エディを見やる。
「で、このアプリが事件と何の関係があるって言うんだ? ていうかこれ、そもそも何のアプリなんだよ?」
エディは少し躊躇ったような表情を浮かべる。そんなに返答に困る質問をしただろうか、と裕介は思った。
すると、信じ難い言葉がエディから発せられた。
「そのアプリは……人間の知能や運動能力を向上させる力を持っているらしいんだ」
――裕介は、耳を疑った。
瞬きも忘れて、我ながら間抜けな返事を発する。
「……は?」
聞き違いだったのだろうか、そう思った。
しかしエディはそんな裕介に構わずに、更に受け入れがたい事を話し始める。
「言い方を変えれば、そのアプリを使っただけで勉強も運動も出来るようになる……俺達学生にとっては夢みたいな代物なんだよ。つまり……」
「いやいや、ちょっと待てって」
ぴらぴらと両手を振りつつ、裕介はエディの言葉を遮った。
「普通に考えてありえねえだろ。ただのアプリだぞ?」
エディは裕介の言葉に賛同するかのように、頷いた。
「俺も最初はそう思ったよ。だけど、これは単なるアプリじゃない……そう判断する材料が、無いわけでもないんだ」
沈黙という形で、裕介は『続けてくれ』と告げた。
「クライヴの話になるけど……クライヴの家は金持ちで、あいつは厳しい父親にいつも勉強を押し付けられてた。良い成績を取り続けなければ家から追い出す、そんな事まで言われてたらしいんだ」
裕介は頷いた。
「昼休みの時間も、放課後も、クライヴの奴いつも勉強ばっかしてたよ。まるで何かに取り付かれたみたいでさ、見てるこっちまで息が詰まりそうな雰囲気だった。試験で不正なんか出来ないからね」
エディの言う通り、ウエストサイドハイスクールでは試験の際に不正など出来ない。
というより、不正をすれば100%バレるのだ。理由は明らかだ、ルーシーが目を光らせているのだから。
「けど、努力しても努力してもクライヴの成績は上がらない……あいつ言ってたよ、父親の期待もそろそろ限界なんだって。これ以上成績が落ちれば、本当に父親から見放されてしまうって……そんな時あいつ、ネットでこのアプリの存在を知ったらしいんだ」
エディは再度、そのアプリ……パンドラを指さした。
「で、そのアプリを使ったら……クライヴの成績は上がったってのか?」
非現実的な話に、裕介は半ば投げやりな言い方で問いかけた。
エディは即答する。
「ああ……その通りさ」




