CHAPTER-62
『あらゆる検査を行ったけれど、身体的には目立った異常は見当たらないわ』
RRCAアクアティックシティ支部、第23オペレーティングルームに置かれたガラステーブルの天板の中で、人工知能の少女は告げた。彼女の名はアリス、医療の為に作られ、そしてシティ内の病院に配備された人工知能だ。
話題に上がっているのは、先程玲奈が拘束した通り魔事件の犯人、クライヴ・アディンセル(CLIVE ADDINSELL)の事。既に、彼の身元の確認は済んでいた。あれ以降クライヴは現在昏睡状態に陥り、アクアティックシティセントラルホスピタルに収容されている。
「どう見ても、正気を失っているようにしか見えなかったけれど……」
顎に指を当てて、玲奈は眉間にしわを寄せる。
裕介は、アリスに問うた。
「アリス、身体的にはって事は……どこか他の部分に問題があったって事か?」
アリスは頷く。正しく、人間さながらの仕草だ。
『ええ裕介、患者の脳よ』
画面が切り替わり、何かのグラフが表示される。
EEGと題名があり、αやβなどのギリシャ文字が記されていた。どこかで見た事がある……と裕介は思う。
「脳波か」
裕介が思い出す前に、彼の隣に居たネイトが発した。
モニターにはアリスの姿は映っていないが、彼女はグラフについての説明を始める。
『正常な人の脳波は、通常このように一定の振幅を保った波形で確認される筈なの。ここに異常があると何らかの脳疾患の可能性が疑われる訳、主には脳腫瘍や脳炎、それに脳血管障害……小児の場合は転倒による頭部外傷や、チック症が疑われる場合とかもね』
アリスの幼い外見には見合わない、詳細な解説だった。
医療用AIとして数多の患者を担当し、治療してきた彼女の物だからこそ、その言葉には説得力がある。
『それで、これが今回の患者の脳波』
モニターが切り替わり、別の脳波(クライヴの物だろう)が表示される。間髪入れずに、ネイトが言った。
「何故、6種類ある?」
裕介は思わずネイトに視線を向けて、またモニターを振り返る。確かに、表示されているのは全部で6種類の脳波図だ。
「デルタ波、シータ波、アルファ波、ベータ波、ガンマ波……人間の脳波は全部で5種類の筈だ」
すらすらと語るネイトに、裕介は言う。
「いつもの事だけど、詳しいよな。ネイト」
ネイトの知識網の広さは、これまで幾度も披露されてきた。
今の医学知識に限らず、語学、物理学、力学、化学、心理学――その他様々な方面において専門家に匹敵する知識を有すると称され、17歳にして難関大学の入学資格を与えられている。正しく、『天才』という言葉を体現したかのような少年だ。
学校の試験でも成績は常にトップ、更には10代の若さにしてグレードSの権限を有する『GLORIOUS DELTA』の1人であり、先月の事件においても裕介達と共にこの街をテロリストの企みから守る実績を上げた。
加えて容姿も端麗。彼を完璧超人と言わずに、何と呼ぼうか。
『そう。で、この謎の脳波だけれど……便宜上『エックス波』と名付けるわね』
アルファベットのエックス、つまり『X』には『未知』、『不明』という意味合いが込められている。
謎の脳波、通常存在しえない脳波にその名を与えたという事は、アリスもまだ解明しきれていないのだろう。
「その脳波が、クライヴ君を狂わせた原因って事?」
玲奈が問うと、アリスは否定の言葉を紡ぐ。
『まだ断定は出来ていないわ、けれど何らかの関わりがあると見て間違いないわね』
エックス波以外の脳電図、つまり全ての人間が持つ脳波が蛍光色の四角で覆われる。
ここに注目しろ、という合図である。アリスが表示しているのだ。
『それに……問題はエックス波だけじゃないわ、見ればわかるでしょ?』
言われるまでもなく、裕介は気付いていた。恐らくは、玲奈とネイトも同様だろう。
クライヴの脳波はベータ波のみが異様な振幅を持っており、まるで子供の落書きのような波形だ。対照的に、他の脳波の振幅は異様に小さい。
『ベータ波は、人がストレスを感じている時や興奮状態にある時に発現する脳波なの。患者に関しては、これが異様な数値で検出されたわ。まるで、人為的に増大させられたかのようにね』
「誰かが何らかの方法で、クライヴを洗脳状態に陥らせたって事か?」
裕介の問いに、アリスは頷いた。
「だけど、誰がどうやって? それに何の為に……」
間髪入れずに、玲奈が問題提起する。
誰がクライヴを洗脳したのか? その方法とは? そしてその目的は? いずれの疑問にも、現状では答えを出す事は不可能だろう。
『一先ず、クライヴは24時間監視体制に置くわ。何かあったら、またいつでも連絡して』
裕介は応じる。
「オッケー。ありがとうアリス、通信終了」
モニターが消え、天板が裕介達3人の顔を映した。
裕介は即座に、玲奈とネイトに問う。
「なあ2人とも知ってるか? ここ最近、アメリカで原因不明の意識不明者が続出してるって話」
「うん……もしかして?」
何か思い至ったように、玲奈が顔を上げる。どうやら彼女は裕介と同じ事を考えたらしい。
続いてネイトも、口を開いた。
「この事件と関わりがある、そう疑う価値はあるな」
金髪美少年は、玲奈と視線を合わせた。
「玲奈、意識不明者に関する情報の収集、頼んでもいいか?」
「任せて、ネイト君」
玲奈はポケットから、自身のY-Phoneを取り出した。
模様も無い銀色のアルミカバーが着けられていて、女の子の趣味としてはどこか味気なく、不相応に思える。思えば、彼女はアイノックスモデルのTH2033を使っている。拳銃の支給を受ける際、多くのRRCAエージェントは黒塗装を選ぶが、彼女は数少ないステンレス製のモデルを選んだ者。もしかしたら、銀色が好きなのかもしれない。
ほんの数秒Y-Phoneを操作すると、玲奈は告げた。
「情報が掴めたら連絡するね。LIMEでグループ作っておくから、裕介もネイト君も参加してもらっていい?」
数日前に使い始めたコミュニケーションアプリが早速役に立つとは。リサに使い方を教授してもらっておいて正解だったと、裕介は思う。




